第34話 減らすことこそが好き②

「何も無い、動きの無い世界なんて、無いですよね?」


 夕月さんは軽く笑いながら、少し自虐的だった気がしたNANAだった。


「いえ、無いことも無い、と思います」


「えっ」


「あると、思います」


「本当ですか?」


「でも、目の前のこの世界というわけにはいかないと思いますが」


「でも、ある。あるんですね?」


「はい」


「動いて変わっていくものがイヤなんですよ。何より自分が動きたくない、獲得していくというように変わりたくない。このままがいい、いやむしろもっと軽くしたい。手放したい。成長とかイヤなんですよ。何も無いところに帰って行きたい、みたいな説明できない感情が強くやって来るんです」


「時々、いらっしゃいます」


「そうですか。変だ、おかしいいんだと思うんですが、どうにも周囲の人たちには合わせられなくて……」


「そうだったんですね」


「前は排泄もイヤだったんです。本当は食べたくも無いんです。でも食べなければ生きてはいけないし。お酒は別なんですけどね」


「誰かと関わりたくないっていうのも、影響を受けたくないということでしょうか?」


「それもあるかもしれません。むしろ相手も自分と同じになりなさい、なれよ。なんでなろうとしないんだよっていう気持ちがあります」


「それは、相手には言えませんね」


「そうなんです。自分でもおかしいぞって思うんですよ。でも、ずっと変えられないまま、このやり方で来て、もう何年も。実家に居るときはこれが出来なかったようにも思うんです。思うように出来るのは独りの現在ですね」


「耐えているとか我慢しているというので無ければ、好きでやっているんだということになれば問題はないです……ね、夕月さん」


「NANAさん、お話を聞かせてください。動かない、ままの、話を」


「自分に関係しているかもしれない、と思われるんですね」


「そうかもしれません」


「夕月さんはこれまでに何度か見たことがあると思いますが、タロットのパスワークという瞑想ワークの中で「2・女教皇」という生命の樹の中の上部中心にパスがあります。生命の樹とは、自分の身体にも対応していると考えます。

 生命の樹では、ケテルという一番上にある陰陽に分かれていない中心がまずあって、そのまま下に向って降りると太陽(ティファレト)というセフィロトがあります。

 セフィロトというのは、この○で囲まれている部分ですが、駅のようなものと考えて見てください。駅と駅を繋いでいるにはみちです。これをパスと言います」


「はい、少しですが、知っています」


「この生命の樹の中心の一番上にある駅であるケテルとその真っ直ぐ下にある太陽(ティファレト)という駅とを繋いでいるみちの部分がありますね。この部分に対応しているのが「2・女教皇」というパスになります」


「はい。それが、今日の話に関係していると……」


「そうですね。可能性です。ご自身でゆっくりとこれから、関係あるかもしれないということで、確かめるべく知っていく、ということに向っていかれるといいかなと思いました」


「いくつもある中でなぜ、このパスに?」


「そうですね、生命の樹の中にパスというみちは22本あります。「女教皇」は、その中のひとつですね。このパスの特徴が地上的なことに表れた場合ですね、夕月さんがお話ししていることと重なっていく部分が少なくないのです」


「それは、例えば?」


「そうですね、独りでいる、誰かと関わろうとしない、活動も出来れば少なくとか、しない方がよりいいと思っているとか、ですね。これらはどれもが女教皇っていうパスの特徴なのです。他のパスとは違う特徴があるので、わかりやすいっていうか、そのものズバリと言いますか……」


「でも私が、女教皇っていうわけではないんですよね?」


「はい。その傾向が強いということであって、そのものということではありません。動かないといっても何らかの活動をしないと地上生活は出来ませんから。でも、強いっていうことには何か自分だけのヒントがあるはず、って見ていきましょうか」



 夕月さんは、自分がどうして他者とこんなにも違うのか、ずっと長いこと不思議に思っていたそうだ。他者はどうして他者を求めるのか、誰かと一緒にいようとするのか、なぜ恋愛なんてものをするのか、結婚するのか、子供を産むのか、どれもこれもが理解出来ないし、そういうことを欲求するっていうこと自体がわからないのだ、と言う。そんな自分は何かの病で、変でおかしくて、どうしようもないのだと思って生きていくしかないのかと思うけど、そう思い切れないのだと、そう言った。



「はい。誰と違っていたとしても、自分を、自分の存在を否定する必要は無いのだということを知っていくことも可能です。世界観の違いですから。この社会のみが正しい考え方であるということでもありません。時代が変われば、国が変われば、常識や正しさや間違いの定義さえもが変わってしまいます。そういうことなのだと知るか知らないかで、自分に与える意味はまるで違ってしまうんです」


「私は、間違っては、いないと、そうおっしゃるんですね?」


 夕月さんは今の社会に当り前にある多くのものを「食べる」ことを拒否してきているようにも見えた。そして表面の人格である社会的な自我は、むしろ自分のことを出来ないダメな人間かもしれないと言って否定している。


(では、夕月さんは何を? 何を食べず何を食べようとしているのだろうか?)


「間違ってなどいません。夕月さんはご自身を生きようとしていらっしゃるのだと思います」


「そうだった……んですね。間違って、いないんだ……」


「自分に必要な、自分に合ったものを食べようとしているのかもしれません。そうならば、自分に合わないもの、不要なものを食べようとはしない、していないのかもしれません。その部分において夕月さんは、他の人たちよりも徹底しているのかもしれません。何が違うからそうなのか、探そうとされるといいのではないでしょうか」


「探す?」


「はい。夕月さんの生命の部分、魂という言い方もあるのかもしれませんが、本質的な部分に関する手がかりを増やしていくといいのだと思います。」


 過去からの出来事や日常での感情の動き、そして言動を継続的に振り返っていくことで、自分の特徴を発見することが可能なのが私たちである。時にどれは過去の経験においての痛みを再体験することもあるかもしれないが、そこにこそ自分だけの特別な物語のヒントが隠されていることも多い。


「こういうお話はもっと聞きたいもっと知りたいと思っている自分を感じます」


「食べたい、ってことですね」



 社会での生きにくさから、自分自身のルーツを探すということになった夕月さんの旅はまだまだこれからである。

 けれど憂鬱な表情が続いていたその顔には希望が見えていた。










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