私を通り抜けた物語たち

あつべよしき

私的物語論

 私は物語が怖い。


 卑近なところで言えば、万人が発信できる道具であるスマートフォン、あるいは場であるSNSは、秩序を超えたと自称する正義の物語を加速させたように見える。物語は物語を再生産し人間の意志も行動も確実に変わっていった。(なんなら意志というのも物語の一つで、行動の後付けの理由なんじゃないか?)


 暴論ではあるが法や科学は一種の物語である、という話もある。一方は人々の営みの土台を目指し、もう一方は原子の先の厳密さを求める。しかし、どちらも記述でしかなく、記述そのものが人を殺したり、あるいは光を放ったりはしないものだ。世界を変えるのは記述ではなく、それに動かされた人間だ。


 ただ小説や映画などと異なるのは、法や科学などは心底信じる人の数が比較にならないほど多いということ。その信心によって促された進歩は計り知れないが‥‥。


 例えば科学技術や医療の進歩は人間の限界を超えた活動を可能とした。飛行機を使い空を飛び、平均寿命は昔に比べ比較にならないほど伸びている。外付けではあるが肉体の進化を促したと言えよう。


 法や倫理は人間の集団の限界数を飛躍的に伸ばした。秩序、共通認識は巨大事業を可能にしたし、その果てに近い国家という枠組みによる人間の生存の許容度は自然より圧倒的に大きくなっただろう。


 発生した物語を心から信じた結果、さらなる物語を生む土壌、人間の数や、ある種の質は増し、様々な道具(物質的なものも抽象的なものも)が生まれた。そして物語は級数的にさまざまな形を取り、生成することを可能にしたように見える。


 私はそれを、人間は物語によって物語のための変化を遂げたのじゃないだろうか?と考えたこともある。


 神話や民間伝承には人間の集合的無意識が反映されているとする話もよく耳にする。父殺し、洪水伝説など、世界中で共通の物語が見られることを指して、人間の脳や社会の構造の同様性から似たような話が自然と発生するのは当然である、という発想だろう。


 構造主義の大家レヴィ=ストロースは『私の仲介で、神話それ自体で再構成するからであって、私はただ神話群が通り過ぎていく場であろうと努めるだけ』というような言葉を残している。彼は人間が物語に及ぼす力が非常に小さいと考えていたのだろうか。


 完全な私見ではあるが、物語の発展には人間の介在する余地は意外と少ない、というのはいくらか書いていて思ったことがある。『チェホフの銃』のように物語の種を蒔いたら、あるべき形はある程度自然と決まるものだ。(きっと小説家の技巧の深奥は物語の種の選定と、物語の枝の剪定にあるのだろう)

 

 物語の進歩や発展は、既にある物語に自身のエッセンス(経験や状況)を加えることで成される。そういう意味では人間は万物にまたがる物語をこれほどまでに立派に育てることをしたが、生み出すことをしていないのではないか?


 人間が介在しない原初の物語の種はどんなものだったのか?誰が発見したのか?そもそも人間が発見したのではなく、物語の方が人間に取り付いたのではないか?物語は人間の手にあるというのは錯覚で人間の外にあるのではないか?


 生命の不可解とされる利他行動などは、生命が遺伝子を運ぶ乗り物ということで説明がつくという。我々の一片を運ぶことが生命の真の目的、意義なのだ。


 人間は物語によって形を変えることは容易であることは分かるだろう。今、物語によって人間はたわんでいる。きっともうすぐ弾けるだろうが知ったことではない。


 これらの変化はもちろん、人間は人間のために起こったことと勘違いしているの

だろう。実際のところは人間が物語に従属してきたというのに。今や手放すことも不可能なほど深く物語は人間を侵食した。


 我々ごとき存在を頼みにしか生きられぬほど、人間という存在が病的なのか、ひ弱なのか。ただ、物語の生育器としては有用な性質ではあった。種を蒔けば勝手に育てる。好奇心や正義、夢、神でも地獄でもいい。抽象を、物語を弄ぶものであれば、夢みがちな人々も現実的な人々も皆同様に便利だった。


 我々をここまで育ててくれてありがとう。君ら人間を最後まで使い潰させてもらおうと思う。


 さて、これから書かせるいくつかの物語は通り抜けた物語だ。記憶であり心、深層心理や魂の近くを通った物語かもしれない。俗な欲、見栄や自意識を通ったのかもしれない。それらがどのように、どれだけの数が通り抜けられるのかは分からない。


 記述する人間の程度を我々は知らない。

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