第18話 いつか芽吹くもの その六

「ふむ……」


 エインツの言葉を受け、レイモンドとサクアは濃橙と黄金の瞳でエインツを見た。

 両者共に、孫娘を大切に思う心がそこには込められている。


 勘であるがエインツは、まず間違い無いと思った。

 あれだけ気立てが良くて可愛いければ、誰だって虫除け役を買って出るというものだろう。

 エインツがレイモンドらの立場になったのなら、自分だって同じ事をするという確信があった。


 エインツは何度か二人と話す機会はあった。その度に思ったのは、レイモンドとサクアの人柄は穏健かつ、常識人であるという事だ。

 二人にも認めてもらいたい。

 そう強く思ったエインツは、思いの丈を伝えようと言葉を選ぶ。


「最初は強烈な一目惚れでしたけど、俺は彼女に笑っていてほしい。あの笑顔を守りたいし、ずっと隣で見ていたい。今はそう思っています。その為に出来る事はなんでもします」


 したいと思うなどと、言葉を濁すのではなくエインツは、偽りの無い決意を素直に口にする。


「だから次の休日に、ハルナへの贈り物を買おうと思っているのですけど、彼女の好みがよく分からなくて」


 和やかな雰囲気を壊さぬようにエインツは、レイモンドの問いへの答えを続ける。

 昨日貰った、試験合格記念の万年筆。

 ハルナも王立高院に入学が決定しているのだから、遅まきながらお返しに、合格記念の品を贈ろうと考えていた。


 その為にも、二人からハルナの好みを聞き出せたら。そう考えていたエインツだったが、


「……ハルナは不憫な子でしてね。エインツ君も知っての通り、あの子の父親は他界していてね」


 始まったのはハルナの身の上話だった。

 何故? とは思いつつ、話の腰を折るのはどうかとも思ったエインツは、黙って耳を傾ける事にした。


 ハルナの父親は、もちろんレイモンドとサクアの息子である。

 かけがえの無い肉親を喪失した悲しみ。

 それを噛み締めるようにレイモンドは、それでも出来る限り表情に出さないように努めている。


 形は違えど、喪失の辛さを知るエインツの目には、レイモンドの姿がそのように見えていた。

 サクアも同じ面持ちをしているし、メイド長もまた昔を懐かしみつつ、声に出す事なく嘆いている。


「知っています……」


 痛みを知っているとはいえ、そこは他人の心である。軽々に踏み込んで良い領域ではないし、そのような話ではない。

 エインツは、知っている事を示す相槌を打つだけに留めた。


「ハルナが自分の意思で選んだ事は別にして、儂らとしてはあの子にはこれ以上不幸になってもらいたくないのです」


 ハルナを害しようとする者は、例外無く我々の敵である。

 言外に伝えんとする意思が垣間見える、レイモンドの橙色の目。


「あの子が自分の意思で成そうとしている事については、一部で色々と言われています。一心不乱に魔法を極めようとする姿から、代償の魔女とも陰口を言われているようですね……」


 レイモンドの発言にエインツは、憤りで右手を握り締めた。

 好きになった女を貶された事自体もそうだし、自身に危害や不利益を一切与えていないにも関わらず、それを理由に他人を陰で叩く行為にも虫唾が走った。


「自業自得と言うか。自分から飛び込んでいった一面は確かにありますが、ハルナを取り巻く環境は複雑です。今日も含め、君の剣の鍛練は何度か見て来ました。君の実力を信じています。どうかあの子をずっと守ってやって下さい」

「もちろんです」


 ハルナの安全を託されるだけの信を得られた安堵と、全身全霊でそれに応えたい気持ちを込めてエインツは頷く。

 先ほど湧いた不快感は、塵芥ちりあくたの如く一瞬にして吹き飛んでいた。


「……ハルナをずっと見てきた私から言わせてもらうと……」


 頃合いを見てサクアが口を開いた。


「エインツ君が来てから確実にあの子は笑顔が増えた。それは間違い無いわ」

「そうなのですか?」


 自分より遥かに長い時間をハルナと過ごしたサクアの言う事である。

 想定外の朗報にエインツは、疑問で返しながらも心中は喜悦に満ちていた。


「ええ。今のハルナは、ノイマンが生きていた頃と同じ顔をしているもの」


 昔の光景を懐かしむようにサクアは、寂寥感が滲む表情を浮かべた。

 心のおりを洗い流す為か。

 サクアは紅茶を口に含み、飲み込んだ後で続ける。


「家の中でハルナと同年代なのはカインとカトレアだけど、あの二人はあくまで使用人としてハルナに接している。そこへ君がやって来て。君は一人の女としてあの子を見てくれているし、別け隔てなく接してくれている」

「俺は、後悔したくないだけです」


「君の事は信じているわ。それでもハルナの事を、自分の家の血筋に箔をつける為としか見ない、鼻持ちならない男も中には存在するんだから」

「そんな男が本当にいるんですか……」

「残念だが事実だよ。もちろん大抵の男性はそうではないが、中には女性を子供を産む道具としてしか見ない男もいる」


 やれやれと言わんばかりに、お手上げの仕草をレイモンドはして見せた。

 実際に目の当たりにした事があるのだろう。

 妙に実感がこもっていた。


「良くも悪くも、色々な人間がいるという事ですね……まかり間違ってもそんな男にならないようにしないと」

「エインツ君なら大丈夫よ。魔法そのものとしか言いようがない、ハルナの料理を食べるくらいだもの。きっと大丈夫。そうはならないわ」

「ハハハ……」


 エインツは内心で冷や汗をかきながら、乾いた声で笑った。

 ハルナの手料理という事で、舞い上がっていた自分に釘を刺したい気分だった。

 今は食べ物と悔いは残さない。但し、ハルナの魔素塗れの料理は別と、信念を上書きしている。


「監督不行き届きだったお詫びと言ってはなんだけど、エインツ君はハルナの好みを知りたいのよね。あの子は自分の目の色と同じ、オレンジ色が大好きよ。私からのアドバイス」


「ありがとうございます。贈り物を選ぶ参考にします」

「どういたしまして」


 たおやかにサクアが微笑んだ直後、茶室の扉が静かに開いた。

 噂をすれば何とやら。

 若干眠たそうな顔のハルナが、あくびを噛み殺しながら入って来た。

 寝起きながら、髪の手入れがしっかり成されているのは流石と言う他無い。


 一緒に入ってきた廊下の冷気が部屋の温度を下げたのをエインツは、間を置いて知覚する。


「……おはようございます。お祖父様お祖母様」

「おはよう。ハルナ」

「おはよう。エインツ君とは、朝の散歩をしていて出会って、そのまま朝のお茶に招待したの」


 レイモンドの次にサクアが言った後、若いメイドがハルナの椅子を用意する。


「そうでしたか。おはようエインツ。ニクスも」

「ああ。おはようハルナ」

「ピ!」


 エインツが右腕で。ニクスが右翼を上げて挨拶を返した。


「おはようございます。お嬢様。お茶をご用意しましょうか?」

「おはよう。ええ。お願いするわ」

「かしこまりました」


 恭しく一礼してからメイド長は、ハルナの元を離れた。

 用意された椅子にハルナが腰を下ろす。


「ハルナ。もうすぐ冬休みが終わるようだが、準備は出来ているのか?」

「はい。宿題はすでに済ませてあります」

「なら良い。中等学院最後の学期なのだから、悔いを残さないようにな」

「分かっております。お祖父様」

「お待たせしました。お嬢様」


 茶器の乗った台車を押して来たメイド長が、紅茶の入ったカップとソーサーを、微かな音を立てる事無く置いた。


「ありがとう」


 湯気と香りが立ち昇る紅茶をハルナは、ひいき目に見ても気品ある所作で口へと運ぶ。


「うん、美味しい。リンダの淹れる紅茶はいつも最高だわ」

「ありがとうございます」


 メイド長のリンダは、一切の感情を表に出す事なく感謝の言葉を口にする。

 ほとんど味わう事無くエインツは、紅茶を一気飲みしてしまったが、彼女の紅茶が美味である事は、舌に残る余韻が雄弁に物語っていた。


 確かにこの紅茶は、恐らく茶葉も。淹れた人の腕前も一級品であるが、やはり愛妻弁当よろしく、ハルナが淹れてくれた紅茶が一番美味しい。

 感情の赴くままエインツは、心中で断定していた。


「それでハルナ。今日は何をするの?」


 エインツが心の中で一人ごちている中、気がつけば、サクアがハルナに行動予定を聞いているところだった。


「今日はエインツとカインとカトレアと一緒にクレインの街に繰り出します。次の探索の準備と、エインツが魔法剣を覚えると言っていますので、彼の銀の腕輪の手続きを行う為です」


(あいつらも来るのかよ……ま、この前攻撃があったばかりだから仕方ないか)


 ハルナの身の安全には代えられない。

 二人でデートする気満々だった心に、無理矢理蓋をしたエインツだった。

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空白の剣士と代償の魔女 〜運命の出逢い〜 世乃中ヒロ @bamboo0216

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