第17話 いつか芽吹くもの その五

 剣の道に生きる。

 五百年前に人生の目的を定めてからというもの。

 実戦の真っ最中であった時以外にエインツは、朝の鍛練を欠かした日は無かった。


 レスタヴィア王国の王都であるクレインの冬は、極寒というほどではないが、夜の間に氷が張り。時に、足首が埋まる高さの雪が降るくらい寒い。


 ベルティス家の屋外訓練場にて、早朝の冷たく張り詰めた空気を切り裂くようにエインツは、昨日手に入れたばかりの青い剣を両手で振るう。


 鍛練と一言に言っても、体そのものを鍛えたり。心が乱れていると感じたら、座禅のように精神面を鍛えるなど。

 その時の心身の状態などを鑑みて、柔軟に内容を変えてきた。


 今日は剣の素振りに特化しよう。

 エインツは昨日の内から決めていた。


 刃の長さや重量、柄の太さなど。

 剣毎にある違いに、早く体を馴染ませようという考えからエインツは、今日の特訓内容を決定していた。


 ハルナを守護しようと思った時、剣に違和感を覚える事で挙動に遅れが生じては最悪、取り返しがつかない事態を招くかもしれない。


 命の灯火が消えたハルナを見下ろす。

 想像するだけでエインツは、どんな寒さよりも強く身震いした。

 今のエインツの剣には、自分のみならずハルナの命も掛かっている。

 手を抜ける筈がない。


 振り下ろし。横薙ぎ。突き。

 考え得る全ての動きを、実戦形式で繰り返し、新しい剣の癖に体を慣らしていく事一時間。


 剣の違和感に慣れさえすれば、長年の修行の結果、剣術に特化した肉体面での問題は無かった。


「ピィッ!」


 採用試験の時と同じ場所に止まっていたニクスが、翼の内側同士を叩き合わせる拍翼? する。音は鳴らない。


 その様にエインツは、声を押し殺して笑った。


「ふっ……」


 白く息を吐いたところでエインツは、剣を鞘に納めた。

 こちらに近づく、三人の人物を確認したからである。


 三人共に老齢の見た目をしていた。

 一人はメイドの服装をしているが、残る二人の男女。レイモンド・ベルティスとサクア・ベルティスの二人は、いかにも高級そうな黒い外套を纏っている。


 年齢を感じさせないほどに矍鑠かくしゃくとした立ち姿の二人だが、レイモンドよりサクアの方が、頭一つ分身長が高いのが印象的であった。


「おはよう。エインツ君。性が出るね」


 レイモンドがエインツに、朝の挨拶を兼ねた声掛けをする。


 レイモンドはハルナの祖父にして、七十四歳の今でもベルティス家の現当主を務めている。


 正確には一度引退したが、ハルナの父親であるノイマンの死去に伴い、チェルシーの息子が当主を引き継ぐ時までの期限つきで、再び当主の座に就いたという。


 元は銀髪だった髪は、白髪と区別がつかないほど薄れたが、濃橙の瞳はハルナと同じくその鮮やかさを保っていた。


 若かりし頃は、類まれな魔導士として音に聞こえし存在であったようだ。

 今は見た目こそ穏やかで、恰幅の良い老紳士だが、老練と言うべき佇まいのどこにも隙は見当たらない。


「おはようございます。お二人は朝の散歩ですか?」

「ええ。気持ちの良い冬晴れですもの」


 次いで淑女と呼ぶに相応しい、レイモンドの左隣にいたサクアが、エインツの問いに品のある口調で答える答える。


 サクアの髪色もまた色素が大分抜けているものの、往年の色を思わせる緑色がまだ薄っすらと残っていた。

 目は金色に染まっている。


 サクアはレイモンドの妻であり、かつてはとある子爵家の三女であった。

 今でこそ洗練された貴婦人のサクアであるが、馬に乗って斧槍と魔法を操る、魔法騎兵としての若かりし頃は今と真逆であったと聞いていた。


 名だたる男の武人であっても、全盛期の彼女の足元にも及ばなかったようだ。プライドの高い貴族らしい話として、嫁としての貰い手がいない事でもサクアの名は轟いていたとか。


 そんな彼女の心を見事に射止めたのが、レイモンドだ。

 彼女に相応しい男になるべく彼は、修羅の如く修練に励み続けた。そして今でも語り継がれている、彼女との一騎打ちの末に勝利。彼女より強い男として、なんの憂いもなく結婚を申し込んだとか。


 惚れた女の為に死ぬ気で努力する。

 その辺りはエインツにも、大いに共感出来る心情であった。


「エインツ君さえ良ければ、休憩がてら中でお茶でもどうかね? 君とは腰を据えて話したいと思っていたところだ」


 言いながらレイモンドは、屋敷の二階にある窓に一瞬だけ目を向けた。

 そこはベルティス家の者だけが使える、茶室がある場所だ。


「是非に」


 エインツは即答した。

 心に決めた女がいる身としても。武人としても。エインツもまた、レイモンドやサクアの話を聞きたいと思っていた。

 誘いに乗らない手は無い。

 即答するエインツの右肩に、ニクスがふわりと舞い降りた。


「お茶の用意をお願いね」

「かしこまりました」


 サクアがベルティス家のメイド長に、命令というよりお願いする口調で言い、メイド長は恭しい一礼をして去った。


「儂らが貴族だからといって、かしこまる必要は無い。年齢差の事も同様。別け隔てなく話そうではないか」

「ええ」


 エインツが好ましく思っているハルナの人柄は、家族からの教育や影響が大きいのは間違いない。

 短期間だが、ベルティス家で過ごす内にエインツは、その考えを強固にしていた。

 彼女の事を知りたいと思っているエインツにとって、渡りに船である。


「君が聞きたいのはもちろん、ハルナの事でしょう?」


 オホホと、嫌味が一切ない笑い方でサクアはエインツの内心を先取りする。


「やっぱり分かります?」

「それはもちろんよ。貴方がハルナを好いている事を知らない人間は、屋敷に一人もいないわ」

「儂の若い頃を見ているようじゃて」


 カカカとレイモンドは、これも貴族らしくないとも言える笑い方をした。

 グラハムやアイーシャ、ラルシェらと組んだ一団の居心地の良さ。それに通じるものをエインツは、ベルティス家の家族に感じ取りながら、先行して屋敷の扉を押し開けた。


 朗らかに雑談を交わしながら三人は、目的の茶室の前に着くと、先着していたメイド長が開け放たれた扉の前で待っていた。

 両手の平を腹の下辺りで重ねながら。


「……」

「何、遠慮はいらんよ。儂らが招いたのだからね」


 いつ見ても凄いと思う。

 当たり前ではあるが、使用人たちが使う休憩室とは段違いに洗練されている、白を基調とした優雅な装いの室内。


 人当たりの良い人格と口調で忘れそうになるが、調度品を含め気品ある室内を目の当たりにすれば、二人が貴族である事を再認識せざるを得ない。


 レイモンドとサクアが脱いだ外套を、メイド長ともう一人の若いメイドがそれぞれ受け取り、洋服掛けに掛けた。


 今までエインツは、ハルナがお茶を飲む時など。この部屋に二回くらい足を踏み入れていた。


 こんな世界もあるんだな……


 美術品に縁の無い人生をこれまで送って来たエインツだが、審美眼が無くとも、この部屋の計算された品の良さは静かにエインツの心を打った。


 ハルナの上品さの根源。それをエインツは垣間見た気がした。彼女の隣を希求している以上、避けては通れない世界である。


「では失礼します」


 お茶の席に武具は不要という考えから、剣と鞘は茶室の外側の剣立てに置き、中に持ち込まないのが決まりとなっている。

 しきたりに従い、剣と鞘を外したエインツは、室内に足を踏み入れた。

 教養として知っていた、正円の卓の下座の椅子に、二人が席に着くのを待ってから腰を下ろす。


 火と風の魔法で、適温に維持された室内は快適そのものであった。


 いつでもお茶が飲めるよう、火の魔法を用いて常時適温に保温している為、紅茶はすぐに出てきた。もちろんエインツは最後である。

 少しばかり淹れたての紅茶を味わったところで、レイモンドが口を開く。


「時にエインツ君。君はハルナのどこに惚れたのかな?」

「直球ですね」

「迂遠な言い方をしても、屋敷で知らない者はおらんからね」


 人の恋をにこやかにつつくレイモンド。その表情にエインツは見覚えがあった。

 すぐに思い至る。

 レイモンドの先祖であるグラハムが、女の話をしている時とそっくりなのだと。


 女にモテる為ならば俺は命を掛ける!

 エインツが知っているグラハムは、本気でそう語るような馬鹿だった。


 しかし、老年になったグラハムはもしかすると、今のレイモンドのような年の取り方をしていたのかもしれない。


 想像でしかないが、五百年の時を越えてエインツは、グラハムと再会したような気分に陥った。

 それが引き金となった。

 土中の芋が茎ごと引き抜かれるかのように、かつての記憶が一気に蘇る。


(お前らともっと一緒にいたかった……)


 旅の途中。アリーシャとラルシェの呆れ顔を尻目に、グラハムと馬鹿な話で盛り上がる。


 エインツから見れば、たった数年前の過去なのに、それはもう二度と取り戻せない眩しい思い出。心の泣きどころであった。つい最近までは。

 窓枠に切り取られた青空にエインツは目を向ける。


(安心しろ。お前たちの子孫は俺が絶対に守ってやる。だから見ていてくれ)


「エインツ君?」


 改めて誓いを立てたエインツは、心に込み上げて来るものを飲み下すべく、レイモンドたちの前で紅茶を一気飲みした。

 その後で思いを吐露する。


「俺の心の隙間を埋めてくれた、最高に好きな人ですよ。ですから全部です」


 揺らぎ無くエインツは言い切った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る