第16話 いつか芽吹くもの その四
「それが目下わたくしの最大の悩みなの」
「どういう事だ?」
エインツの問いかけにハルナは、少しばかり思案する素振りを見せた。
魔法の知識について、剣士であるエインツがハルナより詳しい筈もない。
次の言葉を待つしか無かった。
自分の告白が、ハルナの最大の悩みではない事に安堵しつつ。
「前にエインツに説明した通り、わたくしはお父様の名誉の為に魔法を極めようとしているわ。魔法を極めた後でわたくしは、ノイマン・ベルティスの娘と言ってやりたいの」
ノイマンはすでにこの世を去った、ハルナの父親の名前である。
グラハムとアリーシャの子孫であり、アリーシャと同じハルナの髪色と瞳の色は、父親から受け継がれたものだ。
魔法については時に厳しい面も持ち合わせているが、基本は穏やかな性格のハルナにしては珍しく、やや怒気を孕んだ口調で彼女は語った。
「……ああ。護衛についての、諸々の説明の時にそう言っていたな」
ベルティス伯爵家がハルナの護衛を募集したのは、魔帝の杖の襲撃に備える事以外に、ハルナが魔法を極める為の手助けの意味もあった。
ハルナの弱点を思うに、むしろ、こちらの方に重きを置いているとエインツは考えている。
「その為には、星魔法の使い手として魔法史に名を刻む偉大な魔導士、星詠みのジーグラント。彼に続いて、二番目の星魔法の使い手となる事が一番。そうわたくしは思っているの」
胸の膨らみに右手を当ててハルナは、エインツに言い聞かせる。
古今東西問わず歴史には、天才が頻繁に登場するものだ。
この世界の魔法史も例外ではない。
数多くの傑物たちが、偉業を成し遂げる事で名を刻んできた。
その内の一人が、星詠みと敬意を込めて称される魔導士ジーグラントである。
二つ名の由来は、彼が星魔法の生みの親である事に尽きる。
星魔法を用いて、たった一人で大国同士の大戦争に介入。それを見事に止めてみせたという逸話も残されているそうだ。
「今は失われてしまった星魔法の唯一の使い手とされているのが、ジーグラント。わたくしが目標としている人よ」
嬉しそうな顔で説明を続けるハルナによると、星魔法は体系が確立している五属性に加えて、未知の魔法を極めた者だけが習得出来る。
ジーグラントが
ハルナはすでに、五属性の中の一つである光魔法を極めており、それは初級から最上級まで。全ての光魔法を無詠唱で発動出来る事を意味する。
エインツの護衛採用試験においてハルナが、無詠唱で光の最上級防御魔法を発動させたのも、その力によるものだ。
「ハルナが習得を目指すほどに、星魔法というのは凄いのか?」
「そうみたい。星魔法の威力は絶大で、隕石を時空の彼方から呼び寄せたり、重力を操るとされているわ」
「……さっきから失われただの。らしいだのといった言葉が続くが、本当に星魔法というのは存在していたのか?」
エインツの質問にハルナは、分からないと言いながら頭を左右に小さく振った。
刻一刻と宵闇に侵食される室内。
無言でハルナは、光魔法の照明を作動させた。
「現在、星魔法の使い手は一人もいないのだから、エインツの疑問は最も。でも光魔法の属性を初めて発見し、基礎を構築したのもジーグラントなの。これは他の書物にも残されているわ」
「星魔法を完全な創作と断言する事も出来ない訳か」
ゆっくり息を吐きながらエインツは、頭の中の情報を整理していく。
「でも問題は、それだけじゃないの」
「まだあるのか!……」
エインツは咳払いを一つ挟んだ。
「あ、いや、それがハルナの望みだと言うのなら、俺は全力でそれを支えるだけだ」
「ありがとう。それには確認されている五属性と、それが何なのか未だに分からない属性の魔法を極める必要があるの。その六つを極めて初めて、星魔法の入口に手が届くと伝承にはある」
残念ながらその伝承の中には、星魔法の習得に至る為の道筋は一切残されていないという。
その事もあって、未知の属性の魔法と星魔法は創作であり、最初から存在していないのではないか?
魔法史学会でその説は、今でも有力視されているという。
「なるほど。星魔法が存在するかどうか分からない上に、その為には、未だに謎とされる属性魔法も発見した上で、それを極める必要があると。……そりゃ難題だ」
不確かな伝承があるだけで、実在するかどうか分からない埋蔵金を探すのに等しい行いだ。
「うん。そう。……でも、エインツが疑問に思った通り、星魔法が創作だとする説を裏づける、確たる証拠も無いわ」
「……こう言ってはなんだが、それはつまりハルナが積み重ねて来たものが、水泡に帰すかもしれない。そういう可能性もあり得るという事なのか」
場合によっては、ハルナの努力と費やした時間が無駄に終わるかもしれない。エインツは懸念をそのまま言葉にした。
「それは否定出来ないわ。……でもわたしくしはとにかく業績を残して、ノイマン・ベルティスの娘であると言いたいの。だから、わたくしにはエインツの力がどうしても必要なんだ」
ハルナの父親であるノイマンが故人なのは聞いていたが、死因など詳しい話についてエインツは知らない。
説明を受けた時も、詳細を知ろうとは思わなかった。
それは今も同じだった。
残された家族の心の傷を抉ろうなどと、微塵も考えていない。
「確かにあやふやなものにわたしくしは人生を懸けている。エインツがそれにつき合いきれないと言うのなら、わたしくしに引き止める権利は無い……」
ハルナの言葉は弱々しい。
最後は寂しげに項垂れるだけだった。
「つき合いきれない? 俺はもうハルナに尽くすと決めているぞ。今更降りる気なんて無い」
「エインツ……」
エインツの顔を見たハルナの琥珀色の瞳は、扇情的なまでに信頼と安堵、甘えに満ちている。
男心の急所を見事に突いていた。
「む……」
そんな目をされては断れないし、後になって文句も言い辛い。
(ずるいぜ……)
自分で選んだとはいえ、めんどくさい上に徒労に終わるかもしれない。そんな事に巻き込んでおきながら、あまつさえ信頼と甘えの眼差しを向けてくる。
「わ?! わ?!」
自分の発言とは別に、その事がなんとなく面白くなかったエインツは、椅子から立ち上がると、ハルナの頭をやや強めに撫でた。
好きな女の子にいたずらをしたくなる。
思春期の男の子にありがち(?)な心理が働いたのもあった。
そのままエインツは、ニクスを肩に乗せた状態で、机がある位置から見える範囲の窓掛けを閉めていく。
外は、四捨五入して夜であったからだ。
壁際から順に二つの窓掛けを閉めて振り返ったエインツを、拗ねた様子で頰を膨らませているハルナが、橙色の涙目で睨んでいた。
ハルナの両手は、エインツが乱した頭頂部に添えられている。
しまったと思うも後の祭りだ。
「うううっ……髪は女の命なのにぃ」
恨みがましい声でハルナは、不満を露わにする。
怒髪天を衝くとまでは行かないものの、腹に据えかねているのは確かだ。
「……すまん。少しくらいなら大丈夫だろうと調子に乗った」
正直、恐縮よりは可愛いの
エインツは素直に謝罪を選んだ。
「俺が悪かった」
「ふんだ!」
だがハルナの立腹は収まらない。
腕を組み、ハルナは右にそっぽを向く。
「参ったな。……どうすれば許してくれるんだ?」
「…………明日、わたしくしの買い物などにつき合ってくれたら許してあげます!」
落としどころを提示しないまま、泥沼化するのは流石にまずいと思ったのか?
エインツが密かに思う、横を向いたままの可愛い顔でハルナは言い放った。
「エ、エインツにはこの前酷い事をしましたから。今回はわたしくしが折れてあげます」
「それについては、本当に気にしなくても良いんだがな。……ま、ハルナがそのつもりなら、俺は構わん」
「その代わり、たっぷり重たい物を持たせてあげますからね。覚悟して下さい」
髪を自分の手で漉くハルナの顔から、不満はあまり見受けられない。大分霧散したようだ。
エインツが軽く息を吐いた時、書物庫の扉が叩かれた。
御夕食の準備が整いました。
それをハルナに告げに来た、メイドの声が聞こえて来る。
「今行くわ。……あ、エインツに魔法剣を教えるのすっかり忘れていた……」
「なに。気にするな。一朝一夕で身につくものでもないだろうからな」
「ありがと。そう言ってもらえると助かるわ。けど……本当に大丈夫?」
ハルナは心配そうに、エインツの顔を覗き込む。
「本当にエインツが魔法剣を習得するのであれば、この腕輪は絶対に着けなければならないの。その理由は前に説明したけど、覚悟はある?」
言ってハルナは、左手首にある銀の腕輪をエインツに見せるように掲げる。
魔導士や魔法剣士など。
この星において魔法を扱う者は、誰であろうと、銀の腕輪を身につける事が義務となっている。例え王族であろうと、絶対に免れない。
腕輪を身につける理由は、強大な独裁者を誕生させたという、かつての過ちを繰り返さない為だ。
その事をエインツは、ラルシェに会う目的で訪れたアカーションから、ヤイーロに戻る帰路。琥珀の翼号の中で、ハルナから聞かされていた。
それを知った上でエインツは、迷わず口を開く。
「ハルナを守る為に俺は魔法剣を覚えるんだ。覚悟ならとっくに出来ている」
「うん。なら、わたしくしはもう何も言わない。明日の外出時に手続きをしに行きましょう。じゃあ、また明日ね」
「また明日」
軽く手を振った後でハルナは、食堂へと向かった。
「さて、俺も食事にするか」
気負わずにエインツは、書物庫を後にし扉を閉めた。
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