第15話 いつか芽吹くもの その三

「あ、おかえり。エインツ」

「ピイッ!」


 ベルティス家本邸の書物庫は、事実上ハルナの勉強部屋と化している。


 エインツがノックして数秒後、木の扉を引き開けたハルナと、その右肩に止まっていたニクスが出迎えた。

 翼がハルナの顔に当たらないようにしながらニクスは、エインツの右肩に飛び移った。


「ああ。今帰った。ニクスも」

「ピッ!」


 採光を主な目的に、北側の壁に数か所設置された窓の外は、夕焼けの色に染まっている。


 それとほぼ同じ、ハルナの濃いオレンジの瞳が、好奇心が混ざり合った労いの笑顔を伴いつつ、ニクスと戯れるエインツの顔を見ていた。

 彼女の顔には、早く結果を知りたいと書いてあるかのようだ。


 王立高院入学試験の合格証明書を手に夕刻になって帰着したエインツは、チェルシーと別れた後、真っ先にハルナの元へと向かった。


 一緒にいたチェルシーを除き、喜びを分かち合う最初の相手が好きな女の子であってほしかったからである。

 同世代よりよほど濃密な人生を送って来たとはいえ、そこはまだ年相応の部分を残していた。


「それで、試験はどうだった?」

「ああ。バッチリだ」


 ハルナと一緒に学園生活を送れる。

 喜びを噛み締めながらエインツは、その証をハルナの眼前に掲げる。


「うん。……エインツの剣の腕なら絶対に合格出来ると思っていたけど、これで一安心だね!」


 証明書の文章を一通り読んでからハルナは、自分の事のように喜びの笑顔を浮かべた。

 エインツにとって、とびっきりの祝福。最高の褒美だった。


「立ち話もなんだから中に入って。渡したい物があるから」

「ああ」


 渡したい物って何だ……

 過度に期待を膨らませないよう、自らに言い聞かせながらもエインツは、やはり高揚を止められないでいた。

 エインツは書物庫に足を踏み入れる。


「やっぱり何度見ても凄いな……」

「そう?」


 わたくしにはこれが普通なんだけど。

 自慢気も無く呟くハルナに通された部屋の中。

 いくら貴族の家の書物庫とはいえ、中規模の図書館並みの本棚と蔵書を備えた光景は、庶民出身のエインツにとって驚愕に値する。


 今日案内された、王立高院の図書館に比べれば流石に見劣りはするが、それでも未だに目を見張るものがある。


「まあ、いいや。それよりもこっち来て」


 話題を変えたハルナが先導し、加工された一枚板の机に、四人分の椅子が用意されている場所に着いた。


 机の上には大小の箱が一つずつと、魔導書と思しき本が数冊と、ノートが二冊置かれていた。

 そこでハルナは、床の上に置かれていた箱の内「まずはあれね」と言いながら大きい方を指差す。


「もしかして……」


 エインツに届く物と言えば一つしか思いつかない。両手剣が収まるほどの箱の大きさから見てまず間違い無い。


「そう。ラルシェ氏からエインツの剣が届いたの。エインツの部屋に持っていこうかとも考えたけど。言ってから渡した方が良いかなと思って」

「……ここで出しても良いか?」

「もちろん」


 剣士にとって剣は特別な物。

 心が逸るエインツは、封をするために貼られたテープが全て切られ、開けるだけとなっている木の箱を開けた。


 柔らかい緩衝材を、剣の柄と鞘の形にくり抜いて置かれていた一式をエインツは手に取った。

 鞘の色は黒で柄は白い。

 鍔の中心に赤い宝石みたいな物が埋め込まれている以外は、どちらも装飾は最小限に留めてある。


「抜いても?」

「振り回さなければ良いよ」


 エインツの問いにハルナは、微笑みを湛えたまま答えて頷く。

 許可を得たエインツは、慎重に剣を引き抜いた。


 かなりの面積を本棚が占めているので、書物庫の中は狭い。

 無論、本棚に当てるヘマをするつもりは無いとはいえ、剣の素振りをするに当たって不適当な場所であるのは確かだ。

 この世に一冊しか無いという貴重な書物も収められているので、当たり前だが火気厳禁でもある。


「……青いな」

「綺麗……」


 サファイアをそのまま剣の形にこしらえたが如く、透明感のある刃は青い。

 濁りの無い澄み切った青さにハルナは、恍惚こうこつとした顔で、心の底から感嘆する。

 武器でありながら、工芸品としても通用しそうな一振りだ。


(手紙……この剣の事についてか?)


 箱の中に目を落としたエインツは『エインツへ』と、ラルシェの筆跡で記された一枚の封筒を見つけた。

 手に取り、封筒を開く。


 中に入っていたのは、半分に折り畳まれた一枚の手紙。

 エインツはそれを開いた。


 手紙の内容は予想通り、簡単な挨拶と軽口から始まる、アダマンタイトの剣の説明だった。


「青いのはアダマンタイトの色か」


 手で剣の角度を変えながらエインツは、しげしげと見る。


「不思議な金属。……こんなの見たこと無いよ」

「……強度については分からんが、そこはラルシェを信じるだけだ」


 試し切りは明日にしよう。

 そう言いながらエインツは、蒼い剣を鞘に納めた。


「ようやく剣が届いたんだ。約束通り、俺に魔法剣を教えてくれるか?」

「もちろんだよ。あ! でもその前に」

「ん?」


 口を右手で覆い隠しながらもハルナは、思い出したと言わんばかりに目を丸くし、短く声を上げた。

 机に置かれていた小さい方の箱を手に取ったハルナは「わたくしからの合格祝いだよ」と言って、贈り物用に包装されたそれをエインツに差し出した。


「マジか……すげぇ嬉しいんだけど」


 理由はどうあれ、片思い中の女子からの積極的な贈り物。

 嬉しさがとめどなく湧き上がる。

 エインツは口で叫びたくなるのを懸命に堪えながらも、素直に喜びを伝えた。


「い、いや。大した物じゃないから……」


 そこまで大層な品物ではない。

 エインツから目線を逸らすハルナは、恐縮混じりに弁解する。


「これも開けていいか?」

「うん。勉強で使う物だし。送った方としても使ってほしいから」


 エインツは巻かれたリボンを解き、厚みのある紙箱の蓋を開ける。中には黒光りしている万年筆が入っていた。


「剣を中心に学ぶと言っても、学園で筆記用具は絶対に必要だから。それに、エインツの腕なら間違いなく合格すると思っていたから。エインツとお母様が出かけている間に見繕って来たの。……もっと他の品が良かった?」


「そんな事ある訳無い。すげぇ嬉しい」

「良かった。剣術用の手袋にしようか迷ったけど、喜んでくれて良かったよ」


 本音で謝意を伝えたエインツに、ハルナは安堵しながら美しい顔を綻ばせる。

 それを目の当たりにした瞬間、一目惚れした時と同じくらいの衝撃が、エインツの心を直撃した。


 今なら感謝の気持ちを伝えるという名目で、ハルナを自然に抱けるか?

 舞い上がり続けている思考と心は、エインツを一か八かの賭けに誘おうとする。

 ハルナに触れたいという思いがそれを後押しするも、


「ピピッ! ピピッ!」


 審判の警笛のような鳴き声を発しつつ、ニクスが両翼でバツ印を形作る。半眼に睨む目でもニクスはエインツに、それ以上は駄目だと警告していた。


「わ、分かってるって……」


 一瞬だけニクスを見たエインツは、目を背けながら苦し紛れに口にする。


「? 何が分かっているの?」

「い、いや。何も問題無いから」

「?」


 ますます意味が分からないといった風情でハルナは、夕日のような目を丸くしつつ小首を傾げた。


「と、とにかく今は勉強しようぜ」


 ちくしょう。いちいち可愛いな。

 交際に漕ぎ着けていない事を心底恨みながらエインツは、剣が入っていた箱を机から床の空いている場所に下ろした。


「……ま、いいや」


 慌てるエインツを眺めていたハルナは、諦めたように受け流した。花が咲くように微笑みながら。

 その様を見たエインツが、またも心中でぼやいたのは言うまでもない。


「なにはともあれ、やる気があるのは良い事だけど。とはいえ最初は、エインツがどれだけ魔法の事を知っているかどうかを確かめさせてもらうね」

「お、おう。」


 それまでの男心をくすぐる言動は鳴りを潜め、ハルナは真剣な眼差しでエインツを見やる。

 魔法の危険性を熟知しているからこそ、工作の授業で子供に刃物の恐ろしさを教える先生のような佇まいだ。


 魔法に関する事でハルナは、いつも真摯で妥協なく、本気で向き合っている。

 浮ついた心のままでは無礼も甚だしい。

 エインツもまた、自分の勉強時間を割いてまで教えてくれるハルナに、誠実な態度で臨む。


「言うまでもなく魔法剣は、魔法の一つ。剣と一緒。使い方を誤れば、自分だけでなく仲間も傷つけてしまうの」

「ああ。そうだな。剣でも魔法でも。その事を忘れてはならない」


 武器を振るう者なら、絶対に失念してはならない戒め。人を傷つける道具を扱う者として、正しく恐怖する。

 エインツは改めてそれを口にする。


「だからエインツが、魔法についてどれくらい知っているかを確かめるのは、非常に大事な事なの。……立って勉強するのもなんだから座って」


 エインツに椅子に座るよう促したハルナは、自身も隣の椅子に座った後でエインツに魔法の知識を問う。


 魔法には、体系として確立されているだけで火。水。土。風。光。星の属性がある事など。

 エインツが魔法についての知識をどれだけ持っているかの確認が進められていく。


「そういえば、何かの折にラルシェから聞いたんだが、魔法には今もって解明されていない属性があるらしいな」

「それなのよねぇ……」


 言ってハルナは深いため息を吐いた。

 それは、話が大きく脇道に逸れた事を意味していた。

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