第14話 いつか芽吹くもの その二/剣術試験
教師との雑談を交えつつ、エインツとチェルシーは赤茶色のレンガで造られた、平屋の建物にやって来た。剣術場だと教師は説明する。
「昔から変わっていないわね……」
昔を懐かしむようにチェルシーは、麗しいルビーの目を細めた次の瞬間、何故か蚊に刺された時のように顔を強張らせた。
思い出したくない思い出でも思い出したのだろうか?
「? そういえば、この学院の卒業生でしたね」
チェルシーの表情の変化に気づきながらもエインツは、変化球でど真ん中を突く質問をする。
「ええ、そうよ……」
「……」
竹を割ったような性格の彼女にしては珍しく、様々な思いが複雑に絡み合った様な表情を浮かべている。
エインツは深く追求しない事にした。
「ではどうぞ」
案内の教師が言いながら、観音開きの扉の右側を手前に引き開ける。
「中で剣術試験担当の教師が待っていますので、後はその者の指示に従って下さい。私はこれから授業の準備がありますので」
そう言い残し、案内役の教師は去った。
彼の言葉に従いエインツは、開いた扉の中に臆することなく、靴を履いたままの足を踏み入れた。
エインツの後にチェルシーが続く。
「……チェルシー! 息災であったか?」
長袖長裾の制服を着用し、右手に木剣を持っていた男が一人、床が石畳で出来ている室内で待っていた。
恐らくは、髪の毛を相手に掴ませない為であろう。男の黒髪は、側面と後頭部は借り上げられていて、頭頂部は短い。
茶色の目は鷹の目のように鋭い。頬の肉は削げ落ちているが、貧弱さは皆無。
制服の下は、無駄無く鍛え上げられた体つき。剣を極めんとする男である事を伺わせる。
何かを極めようと思うのなら、己の心に向き合う事は避けて通れない。
その意味で、精神も鍛え抜かれているであろう男は、顔をわずかに歪ませながらチェルシーに語り掛けた。
自分の役目を忘れて。
「ええ。元気にしていたわよ。ジョー」
返すチェルシーの顔も、いつもと違いどこか緊張しているようにしか見えない。
お互い名乗っていないのに名前を言い合っている事から、顔見知りであるのは間違い無い。
問題は両者の間に、浅からぬ因縁が横たわっているとしか思えない事だ。
「……貴方がクレインに戻って来た事は聞いていたわ。……私の娘も四月からこの学院に入学するの」
「そうか……」
ほとんど表情を変えずに彼は、目を一瞬だけ瞑った後で開いた。
その視線はエインツに向けられていた。
チェルシーは腕を組んだまま沈黙する。赤い目は真っ直ぐ彼に向けられている。
「君がエインツ・クローシュだな。拙者は
古風な口調の丈一郎の説明に、チェルシーと語り合っていた時に感じた、僅かな動揺は微塵も含まれていない。
「いえ。俺は両手持ちなので」
チェルシーと丈一郎の間に何があったのかをエインツは、もちろん知らない。首を突っ込む気も無かった。
思考を纏めながらエインツは、剣術場の壁に歩み寄り、掛けてあった両手持ちの木剣を一本だけ取る。
壁には両手剣のみならず、片手剣の他、槍や斧まで用意されていた。
王立高院の警備体制は、王城に比べれば劣りはするが、王立という面子もある事から二十四時間体制。一年中衛兵による警備が敷かれているという。
それにこの剣術場は、衛兵も訓練で使う事もある上に、本物の剣や槍などを収める武器庫も近くにある。
先ほどの教師が、警告混じりに説明していた。
なので王立高院内でも、二箇所ある通用門と並んで、この辺りは警備が厳重だという。
実際エインツも、他の場所と比べて衛兵の人数が多いのを目の当たりにしていた。
(ここなら真剣を手離しても、少しくらいなら大丈夫だろう)
チェルシーの護衛という理由から、特別な許可を得て持ち込んだ剣と鞘。それらをエインツは、木剣のあった場所に置いた時だった。
カッ! と、金属同士が当たったのと明らかに違う。乾いている中にも少し湿り気が残っているような、木と木がぶつかり合う音がエインツの耳に届く。
異変を知覚したエインツは、素早く振り返った。視線の先では何故か、チェルシーと丈一郎が、木剣の
「それはそうと、貴方の腕が
「君も相変わらずだな。……だが、準備運動の言い分に関しては一理ある。少しくらいならつき合ってもいい」
「そっちも相変わらずスカしているわね」
チェルシーは嬉々として。丈一郎は満更でもない様子で一合二合と木剣が、位置と角度を変えての交差を繰り返す。
「ハァ……」
唐突に始まった準備運動? に、エインツとしてはため息をつく以外に選択肢は無かった。
(チェルシーさんがスカートでなくて良かった)
猛獣の狩りを彷彿とさせる様な激しい動きをされては、丈の短いスカートでは保たない。
どうでもいいようで重要な事を考えながらエインツは、お互いが納得しているという事で、少しばかり成り行きを見守る事にした。
チェルシーの侍女が整えた髪が保つ筈もなく、あっという間に崩れていくが、もちろん当の本人は気にも留めていない。
打ち合いが十合を数えるも、闘争は治まるどころか、ますます過熱していく。
「どうしたものか……」
二人はきっと向上心が高く、切磋琢磨する間柄なのだろう。
二人の関係についてエインツは、こう思う事で納得させたものの、このまま放置しては自分の試験に支障が出てしまいかねない。
が、しかしこれは、雇い主の意思であるのが厄介だ。
エインツは、落としどころとなる言い分を探る。
(……これしかないか)
双方が納得出来そうな言い分を思いついたエインツは、左手でも木剣を取った。
木剣二刀流で、剣の達人同士の二人に近づいて行く。
間近で見なくても。剣術の素人であっても、二人の剣技は冴えわたっている。
チェルシーが仕掛け、丈一郎が迎え打とうとした瞬間にエインツは、臆する事なく武が吹きすさぶ中に割って入った。
左手で丈一郎の木剣を。右手でチェルシーの木剣を受け止める。
重い。
二人の力と思いが乗った剣は、片腕で支えるには重すぎる。
オリハルコン装甲を用いれば、もっと簡単に済ませられたが、あれはエインツの奥の手。切り札である。
易々と使うものでは無い。
「そこまでです。外の誰かが異変に気がついて、中に踏み込もうものなら、私闘という事で問題になるかもしれませんから」
チェルシーは名門貴族の一員。
丈一郎は王立高院の教師。
お互いの立場に大きく傷がつくかもしれない。エインツは言外に仄めかす。
雇い主の身体だけではなく、立場も守ってこその護衛。
越権行為かもしれない微妙なところをエインツは、それを介入の口実とした。
「ふむ……」
「ま、今日はこの辺りにしといてあげる。ジョーの腕が鈍っていないのは確認出来たしね」
「……君もな」
幸い二人共に、納得して刃を引いてくれた。あれだけ白熱していたにも関わらず。
エインツは内心で安堵した。
「なるほど。チェルシーと拙者の剣戟を同時かつ一人で止めるとは」
「そう。この子はあらゆる意味で将来有望なのよ」
まだ興奮が冷めていないからだろう。
チェルシーがエインツの肩に左腕を回しながら、どこか挑発的な口調で言った。
「……合格と言いたいところだが、もう少し実力を見るとしよう。構えたまえ」
あれだけ激しい動きを見せていたというのに、息を切らせる事なく丈一郎は正眼に構える。
「うす」
左手の木剣を足元に置いたエインツは、丈一郎と同じく、正眼に木剣を構えた。
切先同士が触れるか触れないかの距離。
相対すれば肌で感じる。
(この人は俺と同じ。……死線を何度も潜り抜けて来た人の剣だ)
殺して殺されるかもしれない。
否が応でも、その覚悟を決めなければならない中で振るってきた剣。
その重みはついさっき体感した。
武人にとって向上心は、身を守る心構えの一つ。
この人と戦う事で俺は、次の高みに到れるかもしれない。
それまで出来なかった事が可能になるかもしれない、成長の喜び。
それ自体は健全な真理と心理が、エインツの心を喜色に染め上げる。
先に仕掛けたのはエインツだった。
エインツもまた歴戦の勇士。
成長の衝動に駆られながらも、戦いの中で醸成された心に隙と油断は存在しない。
丈一郎の左肩から
初撃から全力の斬撃を丈一郎は、後ろに跳んで
その勢いのまま丈一郎は、遠慮の無い突きを繰り出す。
手加減という考えはそこには無い。
丈一郎が振るうのは稽古ではなく、戦いの為の剣。エインツの実力と本質を見抜いたものであった。
丈一郎の突きを最小限の動きで、上半身を右に傾ける事で避けたエインツは、逆袈裟斬りで仕掛ける。
自身の左わき腹を狙った剣を丈一郎は、重い右足の踏み込みと共に繰り出した木剣で受け止めた。
互いの全力が木剣を介して交差する。
その後は一進一退。つかず離れずの攻防が続いた。
打ち合いが三十合を越えたところで、剣術試験の皮を被った決闘は結末を迎える。
二人の木剣が剣技に耐えられず、同時に折れてしまったのだ。
カランカランと、乾いた音を立てて折れた木剣は石畳に落下した。
「実力のほど申し分無し。……エインツ・クローシュを合格とする」
喜ぶでも悔しがるでもなく。
丈一郎は淡々と、古めかしい口調で、試験官としての務めを果たした。
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