エピローグ

 加志崎将生が小倉で逮捕された。

 田口公正は証言を変えていない。自分がやったという自供を続けている。隈井さんがいくら怪しいと言っても、確たる証拠がなければ加志崎将生を容疑者として指名手配をかけることなど難しかった。だが、その物証が出た。

 加志崎家で将生の指紋と歯ブラシを押収すると、今までに集めた証拠品の指紋やDNAと照合してみた。

 田口公正が乗せてもらって七軒屋に来たと証言した塩市拓谷のバイク。そのバイクから採取された指紋のいくつかが加志崎将生のものと一致した。塩市拓谷と二人乗りで七軒屋にやって来たのは田口ではなく、加志崎将生だったようだ。

 更に、僕らが田口家の鶏小屋で見つけた五本爪の凶器から採取された被害者のものとは異なる血液が加志崎将生のものと一致した。五本爪の凶器で加志崎将生が切りつけられた可能性もあったが、鑑識の見解では、量的に見て凶器を振り回していて、自らを傷つけた時についた可能性が高いということだった。

 田口家で採取したおにぎりのフィルムや菓子袋からも採取された部分指紋も加志崎将生の指紋と一致した。事件当時、七軒屋にいたことは間違いない。

 父からのアドバイスのお陰だ。

 こうして加志崎将生は指名手配された。元バンド仲間だったという男性は加志崎将生についてこう語った。「最低のやつだよ。短気で喧嘩っ早いくせに小心者。ギターの腕はたいしたことなかったのにプライドばかり高くて、フェスで一緒になったよそのバンドのメンバ-に、下手くそとけなされて喧嘩になったことがある。止めようとしたんだが、俺も殴られて、つい手が出ちまった。警察官が駆け付けて来た時には、将生の野郎、いの一番にトンずらかましやがって、俺だけ捕まっちまった。あいつのお陰で、傷害で前科一犯だよ。そんなやつだ。都合が悪くなると、直ぐに逃げやがる。あの事件が原因で、バンドは解散になった。あいつに関わるのは二度とごめんだね」

 加志崎将生は小倉で身柄を確保された。博多でホストをやっていた時に知り合った友人宅に潜伏していた。

 加志崎将生の逮捕を受けても、田口公正は証言を変えなかった。むしろ、「自分がやった。俺が殺したんだ!信じてくれ」と取調に当たる係長に哀願する始末だったと言う。

 事件のあった日、田口公正は日雇い仕事に出ていたことが確認されていた。田口の犯行でないことは明らかだった。息子を守りたい一心で、犯行を自供したのだろう。

 とはいえ首藤医師の遺体を谷底から拾い上げ、山小屋の近くに埋めたのは田口公正で間違いないようだ。事後共犯の可能性はあった。

 乗兼寺から七軒屋へと向かう山道の途中に、自転車が乗り捨ててあった。中津の町で田口公正が盗んだものだ。息子の計画を知り、自転車を盗んで駆けつけたのだ。中津から七軒屋までは自転車で数時間かかる。谷底から首藤医師の遺体を担いで山小屋まで登ったことといい、息子に対する思いがひしひしと感じられた。

 加志崎将生の身柄が県警に移送されて来た。

 加志崎将生は鼻筋の通った整った顔立ちをしていた。白い歯が綺麗に並んでいて、優しそうに見える。とても凶悪な犯罪に手を染めるタイプの人間には見えなかった。

 本格的に取り調べが始まる。だけど、隈井さんと僕は取り調べから外された。取調官として「俺に任せておけ」と係長が立候補していた。僕らはマジックミラー越しに係長の取り調べを見学させてもらった。

 加志崎将生は往生際悪く、黙秘をしたり、「俺じゃない。俺は何もやっていない」と犯行を否認したりしたが、係長の巧みな取り調べを受け、ぼちぼちといった感じで供述を始めているらしい。

 塩市拓谷と知り合った経緯について、「塩市拓谷の方から尋ねて来た」と証言した。加志崎将生が参加していたバンドの演奏を拓谷さんが聞きに来た。演奏が終わって、拓谷さんの方から接触して来たそうだ。

「懐かしいな」と意気投合し、連絡先を交換した。

 以来、つかず離れずといった交流が続いた。

 関係が劇的に変化したのは、拓谷さんの母親、晴美さんが亡くなってからだ。父親の田口公正とは月に一度の頻度くらいで会っていたらしい。「飯を食いに行っていた。いつも、いいもん食わせてもらっていた」と言うので、田口は日雇いで稼いだ金を息子たちとの食事に費やしていたようだ。

 その日は良生がいなくて、田口と将生の二人切りだった。もともと良生は父親との食事に、あまり積極的ではなかった。父親と食事をしていることが母親に知れたら、きっと良い気持ちはしないだろうという配慮があったからだ。

「あの日、親父からとんでもない話を聞いた」将生はそう証言している。

 塩市晴美さんが亡くなったという話を父親に告げた時、田口は晴美さんと入田孝道さん、首藤医師、服部順治さんを巡る地獄絵図を将生に教えた。

「驚いたね。虫唾が走る話だ。聞いていて腹が立った。三人に対してね。だから、俺はその話を拓谷に伝えたんだ。そして、母親の恨みを晴らすために、何をしたら良いかって、あいつに問いかけた。今回の殺人計画はあいつが練り上げて実行した。俺はあいつを手伝っただけだ。やったのはあいつだ」

 実行犯は塩市拓谷さんだと加志崎将生は証言している。母親の悲惨な過去を聞いた拓谷さんは三人を恨むようになった。同情した加志崎将生は自暴自棄になっていた拓谷さんに共鳴し、彼の復讐計画に加担した。そう証言している。

「塩市拓谷さんも死んでいるんだぞ!しかも、殺された。あれは一体、誰の仕業だ⁉彼が実行犯なら、彼を殺したのは誰だ?」

 係長にそう突っ込まれると、将生は「うぐっ・・・」とうめいて口を閉ざした。悪知恵は回るが、頭の良い男ではなさそうだ。そんな感じでゆるゆると取り調べが続いていた。

――五本爪の凶器から加志崎将生の血痕が見つかっている。凶器を振り回した際に、うっかり自らを切りつけてしまったものだろうけど、加志崎将生は怪我をしていたの?

「あの凶器は塩市拓谷が作り上げたものだ。所詮は素人が制作したものだ。安全性など考慮されていない。闇雲に振り回せば自らを傷つけてしまう。実際、加志崎将生は傷だらけだった」これは隈井さんだ。

「拓谷さんに襲われた時についた傷だって、彼は弁明していたけど、どれもかすり傷程度だったみたい」これは僕だ。

 いつしか隈井さん、広大君、それに僕を交えて三者会談になった。

――塩市拓谷は鉄工所で五本爪の凶器を作成した。凶器をあの形にしたということは、当初はクマゼコの犯行に見せかけるつもりだったのだろうね。ブログにクマゼコの話を載せたのも、偽装工作のひとつだった。

「幼稚な発想だな。そもそも親指の位置を考えれば五本の傷跡がつくなんておかしい」

「明確な殺意があった訳はないのでは?」

 単なる脅しに使うつもりだったのかもしれない

――拓谷のバイクで二人は七軒屋に向かった。

「犯行前に何度か下見をしたんだろうな」

「黒枝幹江さんだけは加志崎将生に会ったみたいですね。入田家を見張っていたのだろう。黒枝幹江さんは、お地蔵さんにお参りをした時に加志崎将生に出会った。相手はボケ老人だ。適当に誤魔化しておいた。黒枝幹江さんは懐かしい村人が帰ってきたと思った。喜んだ幹江さんは、孝子さん、つまり恵良多美子さんも村に戻って来たと話したのかもしれない。そして、それが加志崎敦子さんに伝わった」

――あの日、二人は入田家に押し入り、孝道を殺害した。

「塩市拓谷は血を見るのがダメだった。犯行に及んで怖気づいてしまったんだろう。それを見て加志崎将生は凶器を奪い、入田さんを殺害した」

「その時に怪我をしたのかもしれませんね。だから凶器に血痕が残った」

――そして、往診に来た首藤医師を殺害した。ここまでは間違い無いはずだ。問題はその後だ。田口にしろ、加志崎将生にしろ、証言があやふやだ。加志崎将生は服部順治を殺害してから、塩市拓谷に殺されかけて止む無く殺害した。正当防衛だと証言している。

「違うな。先に殺されたのは塩市拓谷だ」

「検死の結果もそうなっていますからね」

――首藤医師が谷底に転落してしまったこともあるのかもしれないけど、加志崎将生は最初から塩市拓谷を殺すつもりだったと思う。

「同感だ。三人を殺害し、塩市拓谷を殺して遺体を隠し、彼に罪をなすりつけるつもりだった。首藤医師がいなくなって、慌てて塩市拓谷の遺体を首藤医師にみせかけた」

「死人に口無し。首を切り落としただけで、遺体を他人に見せかけることができると考えていたなんて、法医学の知識は無かったみたいですね」

――最後は服部順治を診療所に呼び出して殺害した。

「首藤医師を騙って電話で呼び出したようだ。服部さんが、声音に気が付いていれば・・・」

「人を疑うことを知らない人たちですからね。服部さん、少々、耳が遠くなり始めていたのかもしれません。やっぱりクマゼコは犯人じゃありませんね。だってクマゼコは電話をかけることが出来ないから。はは」

――一連の犯行が終わってから、田口公正が現れる。

「間違いない。田口公正は加志崎将生たちの計画を知っていた。或いは直前になって教えられた」

「七軒屋に駆けつけた時には、全てが終わっていた訳ですね。ひょっとすると、拓谷さんの遺体に白衣を着せ、頭部を切断し、首藤医師に見せかけたのは田口公正かもしれません」

――ああ、そうだね。その可能性は高い。加志崎将生が逃亡する時間を稼ぐことが出来る。

「現場で加志崎将生が躊躇する塩市拓谷から凶器を奪って犯行に及んだとすると、そうかもしれない。逆上したやつには、犯行を誰かの仕業に見せかけようという冷静な考えは浮かんでいなかっただろうからな」

「田口公正は加志崎将生を逃がし、犯行を偽装した。息子を庇うためだったのですね」

――拓谷の頭を切り落とすのに使用した斧は頭と一緒に山小屋の傍に埋めてあった。

「さらに首藤医師の遺体を谷底で見つけて、それを担いで山小屋まで登った。執念だな。わが子を庇うために、あのやせ細った体で遺体を担いで登ったなんて」

「五本爪の凶器を鶏小屋に埋めたのは加志崎将生でしょうね。田口家に潜んでいたのは将生でしょう。田口家を拠点に、村の様子をうかがっていた」

――そうだね。田口にここから逃げろと言われて、逃げ出す途中、田口家に寄って凶器を隠したんだろう。そもそも田口が犯人だとしたら、服部順治を殺す理由が分からない。塩市拓谷にでっち上げの母親の悲惨な過去を吹き込んだのは田口だ。田口は服部順治が塩市晴美さんを弄んだ男たちの一人ではないことを知っていた。田口の嘘を信じ込んだ人間が犯人だということになる。そう考えると、塩市拓谷か加志崎将生が犯人だ。塩市拓谷は殺されている。必然、犯人は加志崎将生だということになる。

「ただ、そうなると、動機が問題となるな。何故、加志崎将生は四人もの人間を殺害したのだろうか?」

「父親の無念を晴らすため。そして、宗家の宝を独り占めにするため、でしたよね」

――ちょっと弱いね。動機を紐解く鍵は黒枝幹江の話の中にあると思う。宗家絶えなば壱の屋が継ぎ、壱の屋絶えなば弐の屋が継ぐ。弐の屋絶えなば参の屋が継ぎ、参の屋絶えなば分け取りにせよ。あのお婆ちゃん、そう言った。

「宗家が塩市家、壱の屋は入田家で、弐の屋は何処だ?」

「服部家です。そして、参の屋が田口家です」

――宗家、塩市家の人間がいなくなったので、壱の屋である入田家が七軒屋の主となった。今、入田家と服部家の人間がいなくなると、村は参の屋、田口家のものとなる。田口家が村を支配するために邪魔なものを全て亡き者にした。

「そんなことで・・・」隈井さんが絶句する。

「七軒屋の住人は忌まわしい過去に縛られているのでしょう。七軒屋の支配者になる為には、宗家の生き残りである、塩市拓谷さんは生きていてもらっては困る存在だった。だから、彼は殺されなければならなかった」

 過疎化の進む村で起こった大量殺人事件。容疑者どころか、犯行が可能なものすら、限られた状況だったが、一人、一人と容疑者が増えて行き、容疑者リストは長くなる一方だった。一見、単純な事件に見えた七軒屋の殺人事件は、村の因習が絡みあった複雑怪奇な事件となっていった。

 そして、こうして、加志崎将生の確保をもって、七軒屋という辺鄙な山村で起きた猟奇的な殺人事件は決着をみた。

 だが、事件の背後に、僕らが予期しなかった謎が潜んでいた。その事実の前に、僕らは事件の深い闇を知ることになる。


 七軒屋に芦刈喜則さんを訪ねた。

 村を訪れるのは久しぶりだった。捜査に協力してもらった芦刈さんに、事件解決の報告をしておこうということになった。

 芦刈家を訪ねると、人がいた。

 来客があっても不思議ではないが、何故か意外な気がした。

「悪いね。娘夫婦が来ているんだ」と芦刈さんがはにかみながら言った。

「お邪魔でしたら、出直します」

「良いよ。ただ、事件の話は娘には聞かせたくない。外で話そうか」

 芦刈さんを先頭に、僕らはぶらぶらと診療所へと歩いて行った。

「娘夫婦がね。ここに越して来て、ぶどう畑を手伝いたいと言っている」

 聞かれもしないのに、娘さんが戻って来た理由を話し始めた。芦刈さんの娘さんは結婚して大分市に住んでいる。旦那さんは芦刈さんが憧れたサラリーマンだ。

 もともと娘さんからは、「一人だと心配だから一緒に暮らそう」と誘われたことが何度かあったらしい。その度に、「都会育ちだった母さんをこんな辺鄙なとこに連れて来てしまった。本当に申し訳ないことをしたと今でも後悔している。母さんはこの村でお前たちを生み、育て、そして、ここで死んだ。ここに母さんが眠っている。わしを母さんのもとから引き離さないでくれ。母さんのそばにいたい」と断っていたと言う。

「考えてみれば、同じことを親父にも言われた。わしを村から引き離さないでくれと言って泣かれたことがあった。今になって、親父の気持ちがよく分かる」と芦刈さん遠い目をしながら言った。

 その言葉を聞くと、娘さんは何も言えなくなってしまった。「だったら」という訳ではないが、代わりに娘さん夫婦が村に戻って来ると言う。

「折角、サラリーマンの嫁さんになってくれてほっとしたのに」と芦刈さんが苦笑いをした。

 娘さんの旦那さんは人付き合いが苦手な人のようで、会社でストレスを抱え、精神的に参ってしまったようだ。苦悩する夫を見かねて、いっそ脱サラして、実家のぶどう畑でも手伝ってはどうかと娘さんから切り出した。旦那さんが乗り気になり、「会社を辞めて、ぶどう畑をやりたい」という話を同僚にしたら、「興味がある」という同僚が他にもいた。

「二人もいるのよ。ぶどう畑をやりたいって人が。今日は、みんなを代表してぶどう畑を視察しに来た」娘さんはそう言った。

 だが、芦刈さんは複雑な表情だ。

「折角、良い会社に就職したのに。こんな不便なところに引っ越して来てぶどう畑をやるなんて、後で絶対に後悔する」と心配しているのだ。

 そんな芦刈さんの心配を知ってか知らずか、娘さん夫婦は「将来的にぶどう園にしてワインの醸造までやれたら良いなって、皆で話してるの」と夢を膨らませていた。

「好き好んで、こんな辺鄙な山奥に引っ越して来る人間がいるなんて信じられない。それに、ワインを造るとか、もうわしには理解のできない話だ。でもね。何だか、この村に新しい風が吹き始めたような気がしている。自分もその風に乗ってみたい。そんな気がしている」芦刈さんはそう言う。

「良いじゃないですか。いくつになっても新しいことにチャレンジすることは」

 隈井さんの言葉に、「そうだな」と芦刈さんが笑顔で頷いた。

「事件も大詰めを迎えています。全容解明のため、今日は芦刈さんの意見をお伺いしたくて来ました」

 隈井さんがそう言うと、「おう。テレビで見たけど、将生がやったことのようだな。公正さんはそれを手伝っただけだと」と芦刈さんが顔を曇らせる。

 田口公正は証言を変えていない。「俺がやった」の一点張りだ。息子を庇っているのだ。加志崎将生にそのことを伝えても、「親父がやったと言うなら、親父の仕業なんだろう。俺はやっていない」と冷酷な反応だった。

 それが突然、犯行を自供し始めた。

 隈井さんの賭けが予想外の結果を導き出したのだ。

 僕らは犯行の動機のひとつに、七軒屋の支配者になることがあるのではないかと推理した。そうなると、入田孝道の娘、即ち壱の屋の跡取りが存在することは、参の屋の子供である加志崎将生は七軒屋の支配者になることができないことを意味している。

「恵良多美子さんは入田孝道さんの実の娘だった。残念だったな。参の屋の息子であるお前に、七軒屋の宗家を継ぐ資格はない!」

 加志崎将生もそのことを知っていたはずだ。黒枝幹江さんから聞いて、母親にそう伝えている。隈井さんがそう言うと、加志崎将生は顔を赤くして怒鳴った。「ふざけるな! 資格がないだと。ふん、何も知らないんだな。俺には村を支配する資格がある。俺こそ、宗家を継ぐに相応しい男なんだ‼」

 そして、加志崎将生は驚愕の告白を始めた。

 話は塩市晴美さんとの出会いから始まった。

「病床にあった晴美さんは拓谷さんに加志崎将生を呼んで欲しいと頼みました。加志崎将生によれば、拓谷さんから連絡があって、母がどうしても会いたいと言っている。大事な話があるみたいだ。悪いけど、ちょっと顔を貸してくれないと頼まれたそうです。

 晴美さんの話に興味はなかったそうですが、久しぶりに拓谷さんの顔でも見るかと気軽に出かけたということです。中津の病院で、加志崎将生は晴美さんと会いました。拓谷さんは病室から追い出されて、二人切りだったそうです。そこで加志崎将生は晴美さんの口から、衝撃の事実を知らされたのです」

 芦刈さんは黙って隈井さんの話に耳を傾けている。何か知っているのだろうか?

「拓谷さんと加志崎将生は七軒屋にある診療所で、同じ日に生まれました。取り上げたのは首藤医師です。拓谷さんの方がほんの数時間、早く生まれました。当時、宗家は日増しに家計が傾き、塩市宗谷の家庭内暴力がどんどん苛烈になっていた時期です。晴美さんは無事に子供を産むことが出来ないのではと、半場、あきらめていました。ところが、無事に子供を産むことができた。子供を授かることができると、今度は無事に育てられるか心配になった。いつか、か弱いわが子が父親に殴り殺されるのではないかと恐れた。

 晴美さんが疑心暗鬼に取り付かれていたその時、首藤医師が病室に赤子をつれてきた。隣の処置室で加志崎敦子さんが生んだ加志崎将生です。ああ、当時は田口でしたね。紛らわしいので、加志崎で通させてもらいます。そして、産まれたばかりだった加志崎将生を隣のベッドで、わが子と並べて寝かせた。

 魔が差したのでしょう。晴美さんは、首藤医師の目を盗んで、わが子と加志崎将生をすり替えた。こうすれば、わが子は加志崎将生として生き延びることが出来る。そう考えたのです。相手は首藤医師です。赤子がすり替わっていても気が付かない」

 加志崎将生こそ、宗家の息子、塩市拓谷だったと言うのだ。

「実際、DNA鑑定を行ったところ、田口公正と加志崎将生との間に親子関係は認められませんでした。遺体のDNA鑑定を行ったところ、塩市拓谷が田口公正の子供であったことも証明されました。塩市宗谷、晴美さんのDNAがあれば更に詳しい証明ができるのですが、赤子のすり替えがあったと考えて間違いないでしょう。こうして二人は別人として育てられました」

 芦刈さんの様子をうかがうと、ひとつ深くうなずいてから、「口さがない村人たちだ。知らぬは当人たちばかりなり、長じるに及んで将生君が兄の良生君に似てこないことを、あれこれ言う人間がいた。赤子のすり替えとは思わなかったが、敦子さんの浮気を疑う人間はいた。こんな狭い村なのにな」とため息交じりに言った。

「村で噂になっていたのなら、当人たちも薄々、気が付いていたかもしれませんね」

「そうだな」と芦刈さんが寂しそうに呟いた。

「事件の話に戻りましょう。晴美さんが亡くなると、加志崎将生は塩市拓谷さんを焚きつけて、三人に復讐する計画を立てたのです。彼は実の母親の仇を、拓谷さんを使って晴らすことを考えた。だが、拓谷さんに人殺しはできなかった。実行段階になって、拓谷さんは怖気づいてしまった」

「平気で人を殺せる方がどうかしている」

「そうですね。結局、自ら拓谷さんに代わって、凶刃を振るうことになった。入田孝道さんを殺し、首藤医師を殺し、そして拓谷さんまで手にかけた。どのみち、拓谷さんを殺してしまうつもりだったはずです。自分こそ、宗家の跡取り、塩市拓谷であることを知る加志崎将生は、宗家の跡取り息子として生きてきた彼が許せなかった。初めは彼を殺して遺体を隠し、殺人犯の汚名を着せて行方不明になってもらう計画だったのでしょうが、そんなこと、もう、どうでも良くなった」

「結局、順さんは巻き添えを食ってしまった訳だな。公正さんも罪なことをした」

「そうですね。三人を始末した加志崎将生は残りの一人、服部順治さんを診療所に呼び出して殺害しました。服部さんの死は、田口公正が教えた晴美さんの過去を、加志崎将生が信じ込んでしまったことが原因だと言えるでしょう。

 事件を複雑にしたのが、田口公正の存在でした。全てが終わってから、田口公正は七軒屋に駆けつけました。田口は加志崎将生たちの計画を知っていたのでしょう。慌てて駆けつけたけど間に合わなかった。或いは全てが終わってから、加志崎将生から連絡を受けたのでしょうね」

 田口はいまだに「俺がやった」という自供を続けている。

「入田家で入田孝道さんと塩市拓谷さんの死体を見つけた田口公正は、このままだと息子が犯人として捕まってしまうと焦った。そこで、先ずは加志崎将生を村から逃がし、納屋から斧を持ち出して塩市拓谷さんの頭部を切断し、部屋にあった白衣を着せて、首藤医師の遺体に見せかけた。そんなこと、検視を行えば直ぐに別人だと分かるのですけどね」

「なんと残酷な・・・」

「本当に残酷だったのは、田口公正の方かもしれません。彼が首を切り落とした塩市拓谷さんこそ、実の息子、加志崎将生だったのですからね」

「うん? ああ、そうか。将生君が拓谷君、拓谷君が将生君だった訳だからな」

「そうです。取り調べで、父親に罪を着せて平気なのかと聞かれた加志崎将生は、あいつなんか、俺の親父じゃない。あいつがやったと言うのなら、あいつの仕業だと言ったそうです」

「公正さんは赤子のすり替えのことを知っているのか?」

「いえ、まだ彼には伝えていませんが、このまま証言を変えないなら、伝える必要があるでしょう。その事実を知った時、彼がどういう反応を示すのか、ちょっと分かりませんね」

「公正さんも可哀そうだな・・・」

 事態を理解した時、田口公正は正気を保っていられるだろうか?実の息子だと思っていた人間が息子ではなかった。そして、実の息子の首を切り落とし、赤の他人を庇おうとしていた。一体、誰を守ろうとしているのか、田口公正は分からなくなってしまうだろう。

 事件の説明はこれで終わりだ。

「この村も人が減って寂しくなるなと心配していたのですが、娘さん夫婦が帰って来るとなると、賑やかになりますね」

 隈井さんが言うと、「いや、他にもいるんだ」と芦刈さんが答えた。

「他にもいる?」

「二、三日前だったか、恵美さんが村に来た」

「恵美さん?」

「孝道の元奥さんだ。前の」

 畑仕事をしていると、恵良多美子さんと並んで一人の老婦人が歩いて来たと言う。芦刈の顔をみるなり「精が出ますね。今年は、ぶどうはどうです?」と聞かれた。顔に見覚えがあった。老婦人は「恵美です」と名乗った。入田孝道の元妻、恵美だ。

「おう、恵美さんか。わしと入れ違いで村を出て行かれたんで、顔をよう覚えていなかった。申し訳ない。元気そうで、何よりだ」

「ありがとうございます。そうですね。芦刈さんとは、入れ違いになってしまいましたものね。今は旧姓に戻っていますので、小野と言います。色々ありましたが、元気でやっています」

 そして、恵美さんから、「この子、私の子供です。私と入田孝道との間に出来た孝子です。名前まで変わってしまったから、分からなかったでしょうね」と恵良多美子が入田孝子であったことを教えられた。

「芦刈さんはご存じだったのですね」

「知ったばかりだ。驚いたよ。言われてみれば、実の娘だ。どこか孝道さんの面影がある。そう言ったら、恵良の奥さん、あんな無愛想な顔じゃないと怒っていたけどな。はは」

 恵美さんが七軒屋を訪れた理由に心当たりがあった。大分県警から恵美さんに、検死が終わった入田孝道さんの遺体を引き取ってもらえないかと連絡があったのだ。

「無縁仏にするのは可哀想ですし、多美子の父親ですから――」と恵美さんは二つ返事で、遺体の引き取りを引き受けたと聞いている。

 恵良多美子さんが入田孝道さんの実の娘ということになると、彼の遺産を相続することになる。この村の半分を手に入れたも同然だ。屋敷も畑も、全て多美子さんのものとなる。

 だからではないだろうが、「私たち、この村に残ろうと思っています。母も、こちらに来て良いと言っています」と多美子さんが言ったそうだ。

「これから賑やかになりそうだ」

「村は生き返るかもしれませんね。住人が増えると、また、医師が常駐してくれるようになるかもしれません」

 隈井さんの言葉に、「ああ」と芦刈さんは嬉しそうに笑った。


                                    了

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七軒屋の悪魔 西季幽司 @yuji_nishiki

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