第51話 竜と水の分水嶺

 一瞬にして武装をまとった賤竜は、冽花を抱えるまま、棍で水の槍を打ち払った。


 抱水の操る水には弱点が存在した。それはおのおのに『核』が存在することである。

 抱水の気によって作られる、水を纏めるための『核』と言うべきか。それを壊されると、抱水の水はただの水に戻ってしまう。


 そうして、同じ風水僵尸だからこそ、賤竜には『核』が見えるのだ。


 『水滴石穿すいてきせきせん』――棍に宿る小さく黒い炎によって、『核』は跡形もなく断滅せしめられていた。


 ギリリと扇を握る手に力をこめ、抱水は奥歯を噛みしめる。それでも再び扇を振るう、その所作は典雅そのものである。賤竜へむけて白炎帯びた鉄扇をむける。


 再び顕現させられる水蛇と巨大な水球を見て、賤竜は短く冽花へと告げた。


『浩然とともに下がっていろ』


「うん」


 遠目にいる浩然と目配せをすると、冽花はあずまやに留まった。まもなく浩然も合流するに違いない。


 賤竜は駆けだしていく。そんな彼へとむけて水蛇は身をうねらせ突貫を開始し、水球も表面を波打たせると、より速度の速く小さな『水の針』を無数に打ち出し始めた。


 賤竜は棍を回転させると、水の針を真っ向から打ち砕きながら、突進していく。

 顎をひらく水蛇と肉薄し、衝突。一足早くに突き出された棍が、水蛇の目玉を貫通していた。音をたてて水蛇は砕け散る。


 なおも駆けくる賤竜にたいし、抱水は後じさりながら、後ろ手に扇を振るう。

 再び水球が反応するのと同時に、ざばりと池の水が新たに持ち上がり、『水の壁』となり、『水の刃』を生みだす。


 再び回転する棍と回避行動、もしくは棍で砕いて対応する賤竜。その間も足は止まっておらず、そうして。


『ッ、!』


 鋭い棍での突きが『水の壁』を貫いて、奥にいる抱水にも届いた。

 実に紙一重の時機タイミングである。とっさに抱水は扇で払い除けて、下がる。


 動揺からか水球は弾け――抱水もまた、肩をまるで人間のように上下させだしていた。

 その様をみて目を細め、賤竜は口を開く。


『……なぜ、完全に基本武装を解禁しない?』


『っ、……』


『そして何ゆえ、然様な小技にばかり終始している。その技は第一段階、『水魚之交(《すいぎょのまじわり》』……お前が扱うなかでも最も――』


閉嘴だまれ、賤竜。……っ、口を動かす暇があったら、手を動かせ』


 抱水は息を整えると、扇を再び振るって水を操ろうとする。だが目を見開く。扇に纏われている炎が小さく、弱くなっているのである。


 それを見て、なおも賤竜は告げる。


『血が足りぬのではないか? お前も』


『ッ……うるさいだまらないか、賤竜』


『一体、どれほどの間、契約者と離され――』


閉嘴うるさいッ!!』


 その話題は抱水の逆鱗に触れた様子であった。


 彼はなりふり構っていられぬ様子で躍りかかり、扇を振り回しだす。

 動きばかりは舞うように扇を一閃二閃させて、目の前の憎き面を切り裂かんと迫る。かと思えば、畳んで上手に振りかぶり、幾度も叩き伏せるように振り下ろした。


 が、すべてを賤竜はさばききって、胴へとめがけて強烈な突きを放つ。あやまたず、鳩尾を打ち抜く。


 しっかりと大地を踏みしめ、賤竜じしんの体重と膂力をのせて、さらに『水滴石穿すいてきせきせん』の浸透力をも加えた一撃である。


 抱水は目を見開き、その身で受け止める。二丈(6メートル)は後ろに滑り、その場で膝をついた。

 死して呼吸を忘れた喉が、それでも引き絞られ、壊れた笛のような音をたてる。


『あ、ぐ……ァ……っ』


 腹を押さえて背中を丸める。声が出ない、息ができない。

 ――本来は息などせずともいいものを。身体の消耗が、生前の行動を模倣している。


『抱水』


『そ、の……口を……閉じろッ、賤竜……っ』


『抱水』


『そ、んな目で……私を見るんじゃないッ!!』


 抱水は震える足に力を込め、背を伸ばし直した。扇を構え直す。肩で息をしていようと、完全な基本武装が、鎧が、『解禁できなくても』。


 そこにいるのは気高き風水僵尸である。気迫では負けていない。

 その身がことごとく摩耗していようとも。

 自身を鼓舞するかのごとく抱水は吼えた。


『私は……《陽之溢水ようのいっすい》型・抱水……ッ。福峰が長、范瑟郎の風水僵尸だ……ッ』


 ――なぜならば。

 抱水にとても、譲れない一線があったからである。

 その顔は悲壮感に満ちあふれている。あらぐ息を飲み、吼える。吼え猛る。


『あやつが帰るまで……守るのだ、福峰を! 約束した……ッ、私が最後の砦だ!! ゆえ、負けるわけにはいかん!』


 その言葉に、姿に、その場にいる誰もが言葉を失った。


 とくに冽花は目を見開き、凍りついていた。


 分かっていたつもりだったが。その姿は、あの必死に自分を助けんとしてくれた賤竜の姿と重なって見えたのである。

 どれほどに風水僵尸の忠誠、あるいは契約者への――愛は深いのだろうか。


 抱水はよろめく体をなお引きずって、戦いを続けようとする。


 だが、振り上げた扇を繰る手首を賤竜は掴む。どころか、その身を引き寄せた。

 そのまま抱水を抱きしめにかかる。

 抱水は目をみはり固まった。


『な……』


『もういい。もう動くな、抱水』


『何を言っているのだ。放せ、賤竜! 我らは敵――』


『敵にあらず』


『なにッ!?』


『我らは同胞だ。敵ではない。敵ではない、はずだったのだ』


 賤竜の声音は低く、どこか悲しげであった。相も変わらず、その顔は変化に乏しかったものの、伏し目がちの目を抱水にむける。


『お前の、契約者は』


『っ! お前まで……世迷言を吐くつもりなのか、賤竜!』


『世迷言にあらず。聞け、抱水』


閉嘴うるさいッ、お前たちで探し当てられるはずもなかろう!! どれだけ私たちが……ッ』


 抱水は唇をわななかせた。賤竜の胸を押して、その腕から逃れんとしつつ、悲痛な声を振り絞るのであった。


『どれだけの時間探し続けて……どんな思いであやつの帰還を、待ちわびたと思うているのだ……ッ』


 血を吐くようなその思いを受けて、賤竜はわずかに瞳を揺らした。

 弄うな、と。これ以上、自身らの逆鱗に触れることをしてくれるな、と拒む抱水に対し、『ああ』と尚も頷くのであった。


『なればこそだ、抱水。お前は知る必要がある』


『……っ、なにを』


『お前の契約者の思いを』


『―― !!』


 抱水は目を見開いた。言葉を失う彼を前に、賤竜はまた一つ頷いてみせたのであった。


『お前の契約者は確かに、お前のもとへ……お前たちのもとへ帰ろうとしていた』


 その厳かな言葉を聞いて、遠目より眺めていた冽花も思い出していた。


 あの男を『探路』と名付けた日の会話の一幕を。

 柔和に微笑みながら、自身の境遇について語ってみせた彼。

 だが、『そこ』のみは笑みを薄れさせて、真面目な顔でこう告げたのだった。


「でも、一つだけ覚えていることがあるんだよ」

「お?」

「僕は『帰らなきゃいけない』、それだけは覚えてるんだ。……どこに帰ればいいのか、それは分からないんだけど」


 夢にうなされ、頭痛に冒され、それでもどこかに、『誰か』のもとへと帰ろうとした瑟郎タンルー


 抱水は呆気にとられた顔つきをした。目を零さんばかりに見開き瞬かせて、しばし何も言えずに賤竜を見つめたのだった。

 そうして、やおら口を開くのである。恐る恐ると。


『それは。その言い方は……まるでお前、本当にあやつのことを』


『ああ』


 賤竜は頷いた。


『范瑟郎を、知っている。記憶を失い、さる場所に捕らえられていたのだが……故あって俺たちと行動を共にしていた。この福峰にいる』


『…………は』


 抱水は見開いたままの瞳を揺らした。

 茫然自失となり、そうして。


『……まこと、か……』


 唇をわななかせて、じょじょに顔を歪めたのである。声を震わせ訊ねてくる。


『誠にあやつを、見つけたのか。……嘘ではなく?』


『嘘ではない。……帰ってきている』


『そうか。……そう、か』


 抱水は唇を緩めた。弱々しく、泣き笑いに近い表情をうかべて。は、と小さく息を漏らした。扇を下ろす。

 ゆっくりと賤竜の胸に片手をあてがうと、身を離したのであった。


『瑟郎が、お前たちのもとに在るというのなら。確かに、我らに争う道理はない』


『然り』


『色々と訊ねたいところもあるが……ひとまず、使いを遣って。あやつを無事に――』


 と、ここで抱水は言葉を切って、庭園の入口へと顔をむけた。

 飛ぶように駆けつけてくる人影があったからである。息せき切って肩を揺らす。


抱水ほうすい様!」


 それは、先だって冽花たちと別れたあの青年だった。

 その顔は悲壮に歪められている。部下の尋常ならざる様子に抱水は訝しんだ。


『何事だ?』


 だが、抱水がそう訊ねた瞬間であった。

 ふいとその場を、音高い異音が震わせだしたのだ。

 カンカン、カンカンカン、とけたたましく打ち鳴らされる半鐘の音である。


 目を見開き彼方を見やる抱水にむけて、青年は叫んだ。


「蟲獣です! 蟲獣の群れがこの福峰に迫っているとの報せが! ……その数、三百ッ!!」


『なんだと!?』


 おもわず言葉を失う抱水に、冽花たちも目を見開くのであった。

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