第50話 交わる思い、竜は蘇る

「賤竜……!」


 賤竜はこの喧噪のなかでもピクリとも動かずに、首を項垂れさせていた。だが、呼ばれてようやく反応を見せた。


『……冽…………花……』


 その反応はすこぶる鈍い。緩慢に首をもたげる。


 硝子球のごとき目は半ばまで伏せられており、出会った時の――気だるげで、どうにか稼働している、渇いて弱りきった姿そのものであった。


 胸をつまらせた冽花は、駆け寄るなり膝をついて、その身を抱きしめていた。

 そして、万感の思いをこめて口を開くのだった。


「対不起(ごめんな)、賤竜……! こんな……苦しい思いさせちまって……!」


『冽……花……』


「うん。あたしだよ、冽花。アンタの契約者だ」


 ここで一度冽花は言葉を切る。少し、迷った後に付け加えていた。


「それから……好友ツレの、冽花だ」


……?』


 あやまたず、賤竜は反応してきた。その様子に冽花は顔を少しだけ離すと、泣き笑いに近い表情をうかべた。小さく頷き返す。


「うん。好友になりたい、冒冽花だよ。ずっと……ずうっとアンタと、そんな関係になりたかったんだ。仲良くなりたかった。……前世のことで、二の足踏んじまってたけど」


『…………』


「笨蛋(バカ)だよなあ。突っこむのが得意なあたしなのに、そのことに関してはビビっちまった。いやでも、それでも少しは……仲良くなれたような気がしてたんだ。覚えてるだろ、賤竜? 貴竜と戦った後のこと。アンタが……あたしを撫でて、言葉をくれたんだ」


 賤竜は何も言わない。代わりに冽花が笑いかけて紡いでいく。


「あの時、すごく嬉しかった。そのこともあって、あたしは……その後、アンタが勧めてくれた首飾りが、嬉しくてたまらなかったんだよ。まるで、アンタとあたしを繋ぐもの、みたいな風に思えたんだ」


 そう告げる冽花は、今も服の下の胸元に首飾りをさげていた。その硬さが身を寄せると伝わるに違いない。賤竜は伏せた睫毛の下をつかの間に揺らす。


 冽花はなおも震えはじめる息を吸って、続ける。


「でも、アンタを失ってから気付いたんだ。『見えてなかった』ってね。笨蛋(バカ)だよなあ……アンタこそが大事だったのに。アンタがいてくれなきゃ始まらないのに」


 唇をわななかせて、こみ上げるものを飲みこんだ。


「失って、妹妹に言われて、ようやく気付いたんだよ。あたしの本当の気持ちと、アンタが……ずっと見ててくれたことを。少しずつ見せてくれてたこと。アンタは前世じゃなく、あたしを見だしてくれていた。認めてくれてたんだ、って」


 腕の力をなおも強めて、賤竜を抱きしめる。そうして、なお告げるのである。


「あたしだからアンタは動いてくれた。あたしだから、アンタは助けてくれたんだよな。ようやく……ようやく気付けたんだ、賤竜」


 堪えきれずに溢れて頬を伝う、熱いものがあった。

 胸にこみ上げてはやまない思いを、冽花は唇に乗せる。


多謝ありがとう


 その万感の思いをこめた言の葉を受け、賤竜は硝子球のような目を瞬かせた。


 やはり何も言いはしない。何も、応えはしない――……。


 否。


『…………是』


 遅れて。小さい掠れ声が返った。


 はたり、と冽花は瞬きを落とす。


 今。

 なんて言った? 賤竜は。


 涙を零しながら、ゆっくりと顔を上げる。


 するとそこには確かに、冽花を見やり、あえかに目を細める賤竜がいたのである。

 なおも彼は告げる。ゆっくりと噛みしめるように。


『是……冽、花』


 小さく呼んで頷きすらした。それは短いながらも肯定の言の葉であった。

 賤竜は受け止めて、認めたのであった。そして、そっと耳へと囁きかけてくる。


『我が契約者、冽花。……そうして……好友ツレよ』


「……っ!」


 その、ささやかながらも肯定してくれる言葉。


 甘やかな響きに、冽花は全身が総毛立つ思いがした。身震いした。

 おうむ返しのそれではあるものの、賤竜が。自分を好友ツレだと――友であると、相棒だと、言ってくれたのである。


 そして、彼は冽花の肩に顎を載せた。目を閉じ、溜息をもらす。低く淡々とした声色で告げる。

 彼は、甘えてくれたのであった。


『冽花……力が、足りない』


 体が切ない。苦しい。言わずとも伝わってくる思いがある。

 冽花は瞬きをし涙の粒を潰し、頷きかえす。何度も。


「うん」


『血が……足りない』


「うん……分かってるよ。たんと飲みな。受け止めてやるから」


 首をかたむけて柔らかい肌を晒した。彼が自身を助けるのに身を捧げたように、冽花もまた彼に身を預けるのに躊躇いはなかった。


 賤竜はそっと冽花の首へと顔を埋める。そうして、剥きだす牙を立てた。

 びくりと強ばる冽花の体。だが退かない。賤竜もまた、なおも牙を食いこませては唇を被せ、血をすすりだす。冽花は、唇を真横に結んで耐えていた。


『……っふ』


 賤竜は目を伏せる。契約者の甘美な血液を吸って、満ちてくる力を感じた。そうして、ふとあえかな微笑にもならない弧を唇に引いた。


 そうして、ここでだしぬけに二人にむけて、水の槍が投じられてくる。無数に。

 抱水である。彼は池の水を渦巻かせて水底にしゃがむ姿勢をとり、真っ直ぐに冽花らをねめつけていた。


 カッと賤竜は目を見開いた。その円く瞳孔のひらいた眼が炯々(けいけい)と輝きを帯び、水の槍を、抱水を見つめた。

 そして、彼はおのが契約者を呼ぶ。契約者もまた、打てば響くように。後ろを振り返ることなく、風水僵尸へと応じたのであった。


『冽花』


「ああ。基本武装の解禁、それに――」


「『水滴石穿すいてきせきせん』を許可する!! ぶっ飛ばせ、賤竜!」


知道りょうかい


 声高な命令――そして激励に、黒き炎が燃えあがる。


 轟々と燃えさかる陰気が。そして、千々に砕ける鎖があり、風水僵尸・賤竜が雄々しく立ち上がったのだった。

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