第49話 翡翠園での戦い
六割がきらめく水面で占められており、今の時期は睡蓮が咲き乱れている。
そこかしこに樹木や
そうして、池に浮かぶようにして建つ亭のたもと。朱塗りの橋が差し渡された先に――抱水と賤竜の姿があった。
鎖で縛められ座りこんで、首を項垂れさせる賤竜。その前に抱水は佇んでおり、緩慢に冽花らを振り返ってきた。
驚いた様子はなかった。賤竜もそうだが、『気』である程度、周囲の様子を判別できるのだろう。周りに兵を配し、待ち構えなかったのは、驕りかはたまた。
静かに抱水は告げた。
『自ら敵の巣窟にくるとは蛮勇なのか愚かなのか』
「そっちこそ。来るのが分かってたんなら、またぞろたくさん待ち構えさせてるもんだと思ってたぜ」
『巻き添えを喰らわせるわけにもいかんのでな。今度こそは火に入る虫を捕えねばならん』
火に入る虫――そう告げて、冽花を見る。ついで、傍らの賤竜を見やるなり、
『今はこうして邪魔者も捕えているゆえな』
そうと言ってのけて、うっすら嗤う抱水に、冽花は緩く両手を握りしめるのだった。
だが、――思うところあって、小さく鼻から息を抜く。
ここで横から視線を感じて瞳をむけると、浩然が出方を伺っていた。『もうやるか?』と訊ねてくる視線に小さくかぶりを振るう。冽花はもう一度だけ抱水を見返した。
低く、静かな声で訊ねかけた。
「……同じこと、あたしらがもう敵対する意味がないとしても言えるか?」
『なに?』
「あんたの取り巻きにも今言ってきたけども。……あんたの契約者、范瑟郎。色々あって今、あたしらのところに――」
言い終えるか否かのうちに、扇が突きつけられていた。冽花は口をつぐむ。
抱水は――賤竜と同じ、瞳孔の開ききった硝子球のごとき目をすがめて、それはそれは不愉快そうに、憎らしげに眉をひそめていた。唸るように告げてくる。
『何を言うかと思えば。よくもまあ、さような世迷言を』
「嘘じゃない」
『
その爛々と輝く瞳、うっすらと歯列をも剥きだす形相を見て、冽花は取りつく島がないことを悟ったのであった。
あまりに頑なであった。否……先ほど別れた青年の言葉通りならば、致し方ない部分もあるのかもしれないが。
ずっと一人で、侵略者の手から福峰を守り抜いて。己(おの)が契約者を探し続けていたのなら。
かほどにまで契約者の進退に関し、激してみせるのなら。
冽花は溜息まじりに紡がざるを得なかった。
「……言ったからな、あたしは」
『抜かせ。然様な
吐き捨てるように告げられることで、否が応でも交渉が決裂したことを思い知らされた。
冽花は一度は開き直した手を、もう一度緩やかに握りしめていく。
彼女にも、思うところはあったのであった。
じわりと剣呑に瞳を燃えたたせた。
「いいぜ。もともとお前には、二回もしてやられたんだからな。この場で借り、返させてもらうわ。まずもって、あたしの――」
燃える瞳で抱水を、そしてその傍らの賤竜を見やる。
賤竜を見つめて、つかの間に考えるのである。
探していた『答え』はすぐに見つかり、やおら言葉を繋げていた。
「あたしの
力強い宣言とどうじに、瞳を肥大・縮小させていた。
女性らしく丸みを帯びた頬から首筋にかけ、また首筋からしなやかな四肢にかけてまで、色鮮やかな『杏の花』の痣を浮かびあがらせた。
艶めく花香をまとい、猫耳と尾を顕現させる。
その隣に並んで、浩然もまた『牡丹の花』の絵図をその身に浮かべる。毛深く長い尾を尻から生やし、ぐっと拳を握りしめてみせた。
二人の蟲人を前にしても、抱水は
どころか、白き鉄扇に炎をともし、低く二人を呼ばわった。
『来るがよい。纏めて相手をしてくれる』
その言葉を合図に、冽花と浩然は駆けだしていった。二手に分かれて、庭石や樹を飛び渡りつつ、抱水の周りをまわる。気を引いて、隙あらば攻め立てる算段であった。
対する抱水は扇をひらき、白炎を纏わせてひと振るいする。
すると、彼の背後から長大なる水蛇が生じて、池から身を引きずりだしつつ、中央から二つの頭に分かれる。二人めがけて圧縮した水流を発射した。
その精度は驚くほど高い。抱水は配下においた水を通して感じ、視ることができるのだ。水の風水僵尸ならではの強みであった。
二人は――冽花は避けるのに集中し、浩然がより前へと出て、水蛇を翻弄し駆け回る。はしっこいその動きは猿のようだ。抱水は眉を寄せる。
その超感覚が仇となる。誰だって、視界の端を小うるさい蠅(はえ)にチラつかれたら苛立つものである。こと気が長いほうではない抱水だ。次第に眉間のしわが深まり、水蛇の操作精度も落ち始めた。
浩然はあえて口を開く。
「おら、どうしたァ!? 抱水。蛇の動きにキレがねえぜ?」
『
「だあっておめえ、面白ぇんだもん! この真面目チャンがよぉ!」
「……っ、っ……!」
抱水は水蛇を引き上げると、上空で旋回させた。そうして、その身を幾条もの水の槍に変え、地上へと降らせだす。狙いは浩然に集中している。
浩然はなおも走り回る。庭石伝いに跳びわたり、その庭石が破壊され、樹木が掘削されゆくのを見て、大げさに騒ぎたてた。少しずつ庭のすみに追いつめられていく――振りをする。
元より、『幾条もの水槍』という複数攻撃である。抱水の処理能力は著しく割かれていく。また『水を通して感じ、視る』能力はかく乱される。
結果、反応が遅れた。
上空から
冽花だ。
『ぐっ、ぅ……!』
助走をつけての
とっさに鉄扇を割りこませて防ぐものの、勢いばかりは殺しきれない。よろめき、後ずさる抱水の横腹に、降り立つ冽花の――身をひるがえしての回し蹴りが決まる。
『ぐっ、ぁあ……ッ!!』
抱水は腹をおさえ、なおも後ずさり、柵をこえて水面へと没した。
再び降り立つ冽花は追撃はせずに、急いで賤竜のもとへと向かった。
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