第48話 喜水城へ

 決行は太陰つきが輝く真夜中におこなわれた。


 奇抜な女士ごふじんと、迫力ある美人――銀糸の羽外套に黒い長袍。金の首飾り、足環を三つ。案の定、こってりと化粧は施している――は、闇夜を駆け抜けたのである。


 時に物陰に隠れ、木箱をかぶり樽にはまり。屋台の桂林米粉ケイリンミィフェン(米粉の麺料理)をすすり、すれ違う歩哨らに慣れない流し目をつかい、失笑を喰らい、心に衝撃を受けつつ。


 どうにか、喜水城の近くまで来ることができたのであった。


 家の物陰で着替えを済ませると、冽花と浩然は時機をみはからい――付近の水路に身を沈め、喜水城をぐるりと囲む水路へと合流する。

 そこから探路に教えられた取水路に辿り着くと、なるほど、人ひとり分が通れるぐらいに柵に切りこみが入っているのに気付き、そこから内部へと潜り込んだのであった。


 頭に括りつけていた着替えを済ませて、夜の静まり返った城の通路を行く。声を潜めて、冽花たちは言葉を交わした。


「どこに賤竜はいるんだろう?」


「さあな。順当に考えると牢あたりじゃねえか?」


「牢……」


「そこまでの道を知ってるヤツを……誰か捕まえられればいいんだが。っと」


 折しもちょうど、目の前の通路を進んでくる人影が見える。


 角に身を隠し、じっとその人物の動向をうかがっていると――気付かずに通りすぎんとしていくので、浩然はパッと飛びだした。

 後ろから羽交い絞めにし、口元を覆う。蟲人の腕力で引きずってきて、捕まえることに成功した。


 傍らに引きずり込まれた顔を見て、冽花はどこか見覚えがある気がした。そのため内心首を傾げつつ、声をひそめて問いを投げかける。


「ねえ、アンタ。聞きたいことがあんだけど」


「何も話すことはありませ――ぐぅっ」


「置かれてる状況は分かってるはずだぜ。黙って吐いたほうが身のためだ」


 舌打ちを漏らされる。その人物の豪胆さ――なにより瞳の力強さに、冽花はさらに既視感を覚えた。


 そうして思い出した。あの最初にずぶ濡れになった夜のことを。


 女を取り囲む男達。割って入ろうとした冽花にたいし、蟲人だと知ってもなお退かずに、両腕を広げてみせた一人であったことを。

 抱水を守るために。


「あんた、抱水の取り巻きでしょ。あの時もいた」


「あァ?」


「ほら、通り魔してたって言ってたじゃん。その取り巻きだよ」


「ああ」


「っ……抱水(ほうすい)様は通り魔などしていません。あれは、やむを得ない措置でした」


「事情は分からなくもないよ。でもね、やられた側の気持ちも考えな。――じゃなくて。あたしは賤竜がどこにいるのかが知りたいんだ」


「抱水様の配下と知ってなお、私がそれを話すとお思いで?」


「……啰唆めんどくさいやつ捕まえちまったな」


 浩然は「オトすか」と目配せをしてくるものの、冽花は首を振った。

 かわりに周囲を見回すとより声をひそめて、口を開いた。


「聞いて。アンタ達の本当の主人、范瑟郎は無事だ」


「なっ!?」


「おいおい、冽花」


「どこで誰が聞いているかは分かんないけど。いつまでも隠してたって仕方ないだろう? いつかはここに帰るんだからさ、探――瑟郎は」


 見ると、相手は絶句し目を丸めていた。その目に頷くと、なおも冽花は言葉を続けた。


「事情は割愛するけど、あたしらが保護してるんだよ。賤竜の居場所を教えてくれるんなら、瑟郎の居場所を教えてもいい」


「っ……それが本当だと、証明する手はあるんですか?」


「あたしらがこうしてこの城にいるのが証拠になるんじゃないか?」


 冽花は腕を広げてみせる。


「普通に考えてあり得ないだろ、誰にも気づかれずにここまで来るなんざ。瑟郎が教えてくれたんだよ、抜け道をね。……アレなら、抱水に聞いてみるといい。その道を通って、一緒に出かけてたみたいだから」


「…………」


 唇を噛み、考えこむ相手を見守った。そうして、揺れる眼差しが返るのに瞬きを返す。


「本当なんですか。本当に、あの方は無事でいると?」


 そのどこか縋るような眼差しを見て、冽花は躊躇いなく頷いた。


「本当だよ。今でもこいつ(浩然)の仲間が守ってくれてる」


 浩然を顎でしゃくると、浩然は「けっ」とまた素直でない反応を返した。そんな浩然を肩ごしに流し見るなり、青年は目を伏せた。


「……そう、ですか」


 俯いて、彼は溜息をもらす。目を閉じる。


「正直、確証としては弱いと言わざるを得ません。今ここで兵を呼んで、あなた方を捕らえて吐かせるほうが……何倍も確実であることは明白です」


「っ、おい」


「けれど」


 青年は目を開けた。


「瑟郎様なら信じられるでしょうね。そして抱水様をともない、みずから確認に出られるはずです。あの方は、そういう困ったところがある方でしたので。――城の抜け道を第三者に教えたというのも、あり得ることではございます」


 小さく苦笑をまじえ、青年は再び目を閉じる。


「あなたの風水僵尸はここから真っ直ぐ、回廊を道なりに抜けた先にある庭園、翡翠園ひすいえんに繋がれています。太陰つきよりの陰気を浴びせて延命を図っているとのことでした。抱水様もご一緒です」


「翡翠園……!」


「抱水もいるのかよ」


 舌を打つ浩然を、青年はまた開き直した目で睨みつける。


「口を慎みなさい、林浩然。抱水様は……あの方は、瑟郎様が行方知れずとなられて以降、お一人で、ずっと私たち福峰の民と街を、お守りくださっていたのですから」


 その固く芯の通る声音にたいし、浩然は閉口する。少しだけ間を置いた上で瞳を逸らし、小さく詫びを述べるのであった。


 そうして、冽花は客桟やどの位置を伝える。捕えていた手を放すと、青年は冽花に拱手きょうしゅし、頭をさげてきた。

 冽花は目を白黒させて、その頭を見下ろした。


「い、いきなりなんだよ?」


「いえ。……私たちが手を尽くしても、見つけることのできなかった瑟郎様を……救っていただけたことに対し、感謝を」


「た、たまたまだよ、たまたま。偶然捕まったさきで、一緒に捕まってたんだから」


「一緒に捕まっていた? ……それはどういう――」


 おもわずと聞きに入ってしまう青年と、口を開きかけた冽花の間に、浩然が割って入る。


「積もる話はあとだ。今はお互い行ったほうがいいだろ?」


 お互いに我に返り、離れた。

 青年は――準備を整えた上で、瑟郎を迎えにいくに違いない。最後に一度だけ振り返り、辞儀を落としてから歩きだしていった。


 その背を見ながら浩然はぼやいた。


「いいのかよ、本当に。あいつが味方だなんて限らねえぜ」


「いや、味方だよ。だって……柳鳴鶯園りゅうめいけいえんでもあいつ、抱水と一緒にいた。抱水の味方なんだよ」


「よく覚えてんな」


「……忘れようったって忘れられないことだからな」


 鼻の下をこすると、冽花は歩みだした。そうして、言われた通りに、真っ直ぐに回廊をぬけて――太陰つき明かり差す庭園に、足を踏み入れていった。

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