なんとかと煙

ぬりや是々

とある短編小説賞受賞式会場にて

 受賞式後のレセプションを、俺は会場の隅で壁にもたれて横目で見ていた。

 自分のつま先が床を小刻みに叩くのを放って置く。

 煙草が吸いたかった。


 受賞式会場には狭い喫煙ルー厶がひとつしかなかった。授賞式前に一服、と考え覗いてみると思いの他喫煙者が多い。各々がリラックスして談笑している。

 物書きには今だ喫煙者が多いのだろうか。それともこの賞に出す奴に多いのか。

 ガラス張りの喫煙ルー厶を見て俺は逡巡した。

 

 煙草を吸う奴は得てしてふたつのタイプの者に分かれると俺は考えている。

 ひとつは煙草をコミュニケーションツールと考えている者。もうひとつはコミュニケーションの拒絶にと考えている者。顰めっ面で気怠く煙を吐いていれば話しかけられることもない。俺はこのタイプだった。

 

 どうしようか迷ったが今は煙草を吸わずにいられない気分だった。

 俺はポケットの上から煙草の箱とライターを確認した。喫煙ルームのスライドドアに手を伸ばしかけ、そして手が止まった。

 



 手応えはあった。昔からそこそこ本好きだったせいか、思ったよりも文章がスラスラ出た。流行りの長いタイトルを付け、中身は意外性を狙い。自分でも泣けるくらいたっぷり、感傷的に文字を連ね。

 しかし受賞した作品を読んで愕然とした。同じ言語と思えないくらい一行目から違う。

 月が描かれれば、それを見上げる姉妹の傷や憂いが見えた。花が描かれれば、人生に翻弄されそれでも咲く女性の姿が見えた。

 俺の書いた物からは自己満足に歪んだ自分の笑い顔しか見えなかった。まるで女性物の下着を隠れて着用している、と性癖を大衆にさらしてしまった様な羞恥心だった。



 打ちひしがれてレセプション会場を出た俺は、とにかく煙草が吸いたかった。ここに来てからまだ一本も吸えていない。

 建物から出てしまえば良かったのかもしれない。でも俺の足は何故か上に登る階段に向いていた。

 一段登るたびに思った。もう書くのはやめよう。別にプロになりたかった訳じゃない。一ヶ月やそこらでそれなりに書けたじゃないか、と。

 なぜその時、俺は階段を登ったのだろう。

 なんとかと煙は高い所に登ると言う。


 屋上に繋がる鉄の扉のノブは手応えもなくあっさり回った。雨と土埃で汚れ、ところどころ剥がれかけた建材。今も使われているか怪しい給水塔の脇に、ペンキの剥がれたベンチと業務用灰皿が備え付けられている。従業員が隠れて使っているのかもしれない。全くどいつもこいつも、なんとか、だ。

 ベンチの周りには空き缶や週刊誌などが打ち捨てられていて、中高生のアジトみたいだな、と思う。

 そしてベンチの上に俺は小冊子を見つけた。

 煙草を咥え火をつけ、冊子のページを捲ると短編集のようだった。

 何気なしに眺めていたつもりだったが、持っていた煙草はたいして吸わずに根元まで灰になっていた。俺は新たな煙草を咥え、新たなページ捲った。



 どれくらいそうしていたのか。俺は短編集を読み終え、俺の足元にはひと口吸ったくらいの煙草の吸い殻がいくつも落ちていた。

 ここに来るまでの鬱屈とした気持ちは、読書後特有の高揚感に置き換わっている。そしてさっきまであんなに書かないと言っていたにも拘らず、もう書きたいと思っている。俺だって、なんとか、なのだ。

 落ち着こう、と煙草の箱を開けてみたが中身は空だった。俺は足元の吸い殻を拾って灰皿に落とし、短編集の小冊子は迷って置いていくことにした。誰かにとってコイツは必要な物かもしれない。コイツは俺みたいな奴をここで待っているのかもしれない。


 

 屋上から建物に入り階段を下る。喫煙ルームに行こう。そこで煙草を一本恵んでもらおう。その時ちょっと文章の書き方でも聞いてみてもいいかもしれない。


 煙草が吸いたかった。俺はまだここに来てから一本だってまともに煙草を吸っていないのだ。

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なんとかと煙 ぬりや是々 @nuriyazeze

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