第2話 僕たちはどう生きるか

 一年、経ってしまいました…

 あっという間に、過ぎ去って。

 あの作品が公開されてから、はや一年…

 



 僕が得た問いは、『生命とは何か?』になるんだと思います。

 でも、この問いに答えるには、どうしても物語の力が必要なのです。あの物語を、書き切るしかない。

 …あれがいつ書き終わるのか、まるで目処が立たないんですよ。困りました。


 なので。

 せめて『骨子』的なモノでも纏めてみようかな?というのが本稿で。

 …でもなあ。『生命とは何か?』に答えられていないのに、『どう生きるか?』に答えることなんて、出来るのかなあ…





 『生命』とはその繋がり、つまり『相関』という現象であり、個々の存滅は大した問題ではなさそうにみえるんです。

 しかし人間は『自分』というものを見出しこの世界の真ん中に自分が有るものと認識してしまった。

 『自我』と呼ばれるもので、人間最大の武器といってよいものですが、生命の基本戦略には全く反するようにも思われるやつです。

 故にこの武器は、人間を繁栄させると共に大いに苦しめる両刃の剣となってしまった。

 喰って喰われての相関こそが生命の営みなのに、『死が怖い』なんていいながら他者を殺しては食べ尽くす。そんな滑稽で恐ろしい存在であることを、また悩んでみたりする。

 …どうしたらよいのでしょうね?


 ざっくり言っちゃえば、解決方法は二通りでしょう。

 一つ。開放する。

 人間は、自我という武器を得た稀有な存在です。得た以上は、最大限活用する。自我の求めるままに、自分を信じて拡大していく。

 その欲求は、際限なく膨張するでしょう。ならば、どこまでもどこまでも追究したらよい。ときには、この世の定理を求め得るかもしれない。

 しかし、日々に正義同士がぶつかり合い、やがて世界は千々に裂かれていくでしょう。

 でも。散り散りになりながらも、遥か彼方へと広がってゆくかもしれません。

 …それは、あたかも宇宙終焉モデルのひとつ、Big Ripビッグリップのようだとも感じます。つまり、この宇宙の理から逸れるものでなく、生命の正常進化の範疇なのです。


 二つ。封じる。

 自我を得てしまった人間が、自我を得る以前に戻ることは困難です。しかし、このまま自我に振り回されていたならば、あまり遠くない将来、人間は自我を最大化すると同時に滅びるでしょう。生命の観点からすればそれは別段問題ではないのでしょうが、我々人間としては、個も種も可能な限り存続させたいものです。

 では、人間はどのようにして滅ぶのでしょうか?様々なシュミレーションが考え得ると思われますが、非人為的原因を排除すれば、やはり戦争や環境破壊を端緒とするものになるのでしょうか?

 理性的に行動することでこれらは回避できるはずなのですが、人間の歴史はその失敗の積み重ねです。…次はもう、駄目になるかもしれないのに。

 理性的になりきれない人間には、自我はもはや重すぎる武器となってしまった。鞘に入れ、封じたほうが安心でしょう。

 思考は人工知能に任せて、過去も未来も紡がずに、ただ空を眺めて暮らしていくのはどうでしょう。

 

 

 …どっちも、嫌?



 確かに。

 どちらも、しっくりきませんね。

 自我を最大化させ分断しながら突っ走っていくのも、自我を封じて忘却のなかで漂っていくのも、どちらもワクワクしない。

 …煌めくような美しさを、感じ得ない。



 生命とは『相関』であると、いいました。それは、壮大な音のようなものではないかと思うのです。雑多な音たちが、響きあう。

 つまり、人間という、たった一つの音のみをみて、あれこれいじくったって上手くいくはずがないのです。



―― 生命は、いったいどのような音楽を奏でようとしているのか ――


 …ここは、是非とも幻想的な願望を織り交ぜてみたくなる論点です。



 雑多な澱みの、遥か上に棚引く澄んだ音。

 宇宙に遍き、創っていく、音の風。

 『天籟てんらい』。



 その『天籟』を聴くことが出来たなら。

 自らをどう調律すべきか、解るはず。


 …『自我』とは本来、そのための道具なのではないでしょうか。

 ときに開放し、ときに封じて。


 こう考えると、『僕らはどう生きるのか』との問いには、『天籟てんらいを求め、それに和す』と答えてみたくなります。

 ならば『天籟』を、どのように探すのか?


 …この世には『美しいもの』があるのだと思うのです。その『美しいもの』は『天籟』に繋がっているんじゃあるまいかと。

 もちろん、社会や時代が変われば美しさも変わります。でも、社会も時代もすべて生命が作りしもの。人ばかりじゃない、存在より生じた『美しいもの』は、おそらくすべてが至りし門ではないかと。



 汎ゆる美しいものを求めて。可能な限りに美しいものを宿し。そこから手繰って天籟へと至る。旋律に耳を澄ませながら、自我に呑まれることなく、これを道具として奏でる。

 美しき式を求め得るならば、開放して極めよう。どろどろした汚濁が溢れそうなら、封じて霞もう。


 響き和し

 やがて天籟に同じて




 …実に抽象に過ぎますね!すみませんっ!

 でも、概要はこんな感じなのかなあと思った次第です。

 具体へと落とし込むには、物語を紡ぐしかありません。遅くてごめんなさいっ!


 言動、立ち振舞い、できたら思考も。まずはそれらが『今、美しく在るか』より始めてみたいと思います。

 先はまだまだ長いのですが、問いを見詰めながら進みたく。


 なんだか、夏休みの宿題をやっつけで提出してしまった心地ではありますが。

 …一応お出し致しましたので。

 ちょくら遊びに行ってきまーすっ!


(つづく、のかもしれません?)

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楽楽記(らくがくき) 呪文堂 @jyumondou

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