エピローグ

 ゴースト騒動から二週間が経過した。あれ以降、魔力を奪われるものは現れず、町に平穏が戻った。


 放課後。アイネが自室で読書をしていると、扉をノックされる。


「アイネ、入るよ」


「どうぞ」


 許可をすると、銀縁眼鏡をかけたリヒトが扉を開けた。左手には魔法薬学のテキストを抱えている。扉の隙間から、ラーナも入ってきた。


「授業は終わったよ」


「ご苦労様です。進捗はどうですか?」


「エレーナ嬢は優秀だね。理解が早いからどんどん先に進められる。もうじきアイネ達にも追い付くだろう。ルイスも……まあ、頑張っているよ」


「そうですか。引き続きよろしくお願いします」


 アイネは事務的にお礼を伝えると、本に視線を戻した。


 実は最近、ルチアーノ寮で勉強会を開催している。勉強会を始めた理由は、ルイスが忘却してしまった分の授業の遅れを取り戻すためだ。


 ルイスは入学以降の記憶を忘却したことで、授業内容もすっかり抜けてしまった。その罪滅ぼしとして、リヒトとアイネが交互に勉強を教えていた。


 勉強会にはエレーナも参加している。本人が授業を受けたいと熱烈に志願してきたからだ。


 最初は罪滅ぼしのつもりで始めたが、今では小さな魔法学校ができたようで楽しい。エレーナがイキイキと魔法の勉強をしている姿をみると嬉しくなった。自分のやりたいことは、きっとこういうことなのだろう。


 報告を終えたリヒトが、入り口で立ち尽くしていることに気付く。


「まだ何か?」


 素っ気なく尋ねると、リヒトがおずおずと尋ねてきた。


「アイネ、抱きしめてもいいか?」


 振り返ると、眼鏡を外したリヒトが熱を帯びた瞳でこちらを見つめている。潤んだ青色の瞳と右目の下の泣きぼくろが、強烈に色香を放っている。


 冷静だったアイネも、その表情をされると心を乱される。恥ずかしさから、やや強い口調で返事をした。


「貴方はいちいち許可を取らないと、女性を抱きしめることもできないのですか!?」


 赤くなった頬を隠すように俯いていると、背中に温もりを感じた。リヒトに後ろから抱きしめられている。


「あまり意地悪を言わないでくれ。ただでさえ、ずっと我慢していたんだから」


「我慢って……」


「学園では触れるなと命じたのはアイネだろう? 今日も命令をきちんと守った」


「あ、当たり前です! 学園内でもベタベタしていたら不審に思われます!」


「僕はどう思われたって構わないよ? むしろ恋人だと公言していた方が虫よけになる」


 リヒトは抱きしめる強める。首筋に吐息がかってくすぐったい。


「こんなに可愛らしい女性が男だらけの学園に通っているなんて心配で仕方がない。もし秘密がバレてしまったらと思うとゾッとするよ」


 リヒトはアイネの頬にキスを落とす。


「アイネの秘密は僕が守る。他の人間には絶対に渡さない」


 一度のキスで終わると思いきや、額、瞼、鼻、口の端へとキスの雨が降ってきた。唇に触れそうになったところで、アイネは椅子から立ち上がる。


「これ以上は駄目です!」


「どうして? 今は二人きりじゃないか」


「ラーナが見ています!」


 アイネはベッドの上を指さす。ラーナは金色の目を光らせながらこちらを見つめていた。リヒトはラーナを一瞥してから小さく笑う。


「ラーナは猫だろう? 気にする必要はない」


 そっと抱き寄せられると、ちゅっと音を立てて唇にキスをされた。


 頭がふわふわして仕方がない。真っ赤になって立ち尽くしていると、リヒトは何かを思い出したようにローブの下に手を忍ばせた。


「そうだ、アイネに渡したいものがあるんだ」


「渡したいもの?」


「ああ、左手を出しでごらん」


「はい」


 素直に左手を差し出すと、リヒトはきらりと光る物をアイネの薬指に嵌めた。


「これを受け取ってほしい」


 薬指には青い魔法石の付いた指輪が嵌められていた。これには見覚えがある。


「以前、魔装具屋で見かけたものですか?」


「そうだ。アイネは熱心にこの指輪を見ていたからね」


 あの時は軽率に「プレゼントすればいい」なんて口にしたが、本当にもらえるとは思わなかった。喜びよりも驚きの方が大きい。


 右手で指輪に触れてみたところ、薬指に嵌められた指輪がびくともしないことに気付く。


「あの、これ、外れないんですけど……」


「ああ、外れないように魔法をかけたからね」


 リヒトは紳士的に微笑みながら、とんでもないことを口にする。呆気に取られていると、さらに衝撃的な事実を告げられた。


「この指輪を付けている限り、大陸のどこにいてもアイネの魔力を感じることができる。この前みたいに危険が及べば、すぐに察知できる。その魔法石は、僕の目だと思ってくれればいいから」


 指輪に視線を落とすと、青色の魔法石と目が合ったような気がした。とんでもない代物をプレゼントされてしまったようだ。


 半ば呆れていると、リヒトはアイネの両手を掴んでキラキラとした瞳で宣言した。


「この先、何があっても僕は君を幸せにすると誓うよ。アイネの夢も、全力でサポートする。二人で愛に満ち溢れた魔法学校を作ろう」


 愛に満ち溢れたというのは大袈裟だけど、リヒトが魔法学校の設立に前向きなのはありがたい。


 監督生のリヒトなら学園の内部事情にも詳しいから、学校運営のための有益な情報も得られるだろう。教え方が上手いから教師として活躍してもらう方法もある。


 どうにも外堀から埋められているような気もするが、深く考えるのはやめた。どうせこの男からは逃げられやしないのだから。


 秘密を知られてしまったからという理由もある。だけどそれだけではない。


 王宮庭園で出会った日から、アイネにとってリヒトは特別な存在だった。リヒトのおかげで、心の奥底に仕舞いこんでいた願いを解放できた。


 運命を変えてくれた人に特別な感情を抱かないはずがない。再会した瞬間から、惹かれ合うことは決まっていたんだ。


 簡単に逃げられるはずがない。

 アイネにとっても、リヒトは初恋の人なのだから。


fin.

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男装令嬢は魔法を極めたいだけなのに、初恋をこじらせた監督生に捕まりそうです 南 コウ @minami-kou

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