最終章 絶対、普通の女の子になってやる!

 ……ああ。気持ちいい。幸せ。天国。

 あたしはよく冷えたお茶を飲みながら一息ついていた。あまりのおいしさ、心地よさに涙が自然とあふれてくる。

 王宮の一室。

 勝負が終わったあと、おトイレに行って、水をがぶ飲みして、お風呂にも入って汗を流し、そのついでに頭までもぐって体中のありとあらゆる細胞から水分を吸収した。おかげでようやくミイラから人間に戻ることができた。

 そして、いま、国王陛下に招待しょうたいされて、王宮の一室でご馳走ちそうに囲まれながら、お茶を飲んでいる。兄さまやキイナ、お母さんも同席している。

 ――ああ、普通に水分を補給できる。それがこんなに幸せなことだなんて……。

 あたしはもしかしたらいま、生涯しょうがい最大の幸せを味わっているのかも知れない……。

 「バゲット姫」

 雲の上から降りそそぐような声がした。野太いけど礼儀正しい、好感をもてる声。

 あたしは声のした方を振り向いた。そこには天を突くような大男が立っていた。がっしりした体格に羽織はおりはかまをまとった、お相撲すもうさんみたいな男性。まげっていないけど、きちんとととのえられた髪をした気品ある人物だった。美形と言うのとはちがうけど、これはこれで魅力的。

 大男さんはあたしを見ながら言った。

 「感服かんぷくしましたぞ、バゲット姫」

 え~と、どちらさま?

 向こうはあたしを知っているみたいな言い方だけど、あたしはこんな人は……そう思った瞬間、あたしの頭のなかで火花が散った。

 「え、ええ~! 火あぶり大王⁉」

 うそ、まさか、あの野蛮やばんじんの筋肉ダルマがこんなに格好いい偉丈夫いじょうぶになっちゃうわけ⁉ なにかのまちがいでしょおっ!

 でも、まちがいじゃなかった。大男さんはあたしの前にひざまづくと、はっきりとこう言った。

 「いかにも。先代の火あぶり大王こと、ぜんざい丸と申します」

 先代? どういう意味?

 まあいいや。とにかく、大切なのはこの気品ある大男さんが、あの野蛮やばんじんの筋肉ダルマの火あぶり大王だってこと。まさか、身だしなみをととのえただけでこんなにかわるとは。『女は怖い』ってよく言うけど、男だって充分、怖いわ。

 「このぜんざい丸。神聖なるモチに対し、不埒ふらちなふるまいを行ったものたちを罰するべく日々、火あぶり大王としての職務しょくむに努めてまいりました。ですが、バゲット姫ほど見事な根性を見せたものはいままでにおりません。まして、他人のためにかわった刑だと言うのに、私を負かすほどの根性を見せるとは。

 このぜんざい丸、実にじつに感服かんぷくいたしました。あなたこそまさに、私のつかえるあるじとしてふさわしきお方。これからはなんなりとご命令ください。このぜんざい丸、生命をして姫さまにおつかえしますぞ」

 な、なんだ。仕事で強面こわもてしていただけで、本当は礼儀正しい人だったのね。

 つかえるだのなんだの言われるのは気が重いけど……ちょっと、いいかも。

 でも! やっぱり、野蛮やばんじん野蛮やばんじんだった! 火あぶり大王のやつ、とんでもないことを言い出した。

 「これからはあなたが新しい火あぶり大王、いえ、火あぶり女王さまです!」

 なに、それえっ!

 火あぶり女王って……せめて、火あぶり王女に……って、ちがう! そうじゃない! なんで、あたしがそんなことにならなきゃならないのよおっ!

 「火あぶり大王に勝ったものが新しい火あぶり大王となる。それが我が国の伝統。思えば私も一二歳のとき、友だちとふざけていてモチを落としてしまい、火あぶりの刑を宣告されました。そのとき、当時の火あぶり大王に勝利し、罪人ざいにんから転じて、罰する側となりました。いま、その神聖なる役をバゲット姫にゆずれること、誇りに思います」

 その言葉と共に――。

 部屋にいた人たちから一斉に『火あぶり女王、万歳!』の声が飛ぶ。

 ちょ、ちょっと、やめてよっ! 火あぶり女王ってなによ、そんな恥ずかしいあだ名、つけないでよ!

 ……って、まあ、いいか。勝ったものが新しい火あぶり大王になるって言うなら、さっさと負けちゃえばいいわけだし。伝統だかなんだか知らないけど、よそ者のあたしがそんなものを守っていく必要はないよね、うん。

 そう思っていると、火あぶり大王――もと火あぶり大王――は、あたしに燃えさかる火のついた、たいまつを握らせた。

 「この炎こそは代々の火あぶり大王に伝えられてきた魂。モチ王国建国のときから一度として絶やされることのなかった炎であります。歴代の火あぶり大王たちは、この炎を使い、聖なるモチに不埒ふらちなふるまいを行ったものたちを罰し、ふさわしいふるまいをするよう、さとしつづけてきたのです。まさに、我らが魂の炎。どうか、お受けとりを」

 やめてよっ! そんなもの渡されたら、わざと負けるってわけにいかなくなっちゃうじゃない!

 「ああ、皆のもの。静粛せいしゅくにせいしゅくに。バゲット姫が困っておろう」

 国王陛下が口をはさんでくれた。

 ホッ。あたしはようやく安心した。しょせん、よそ者にそんな大役を任せるわけがない。きっと、うまいこと言って、この場をおさめてくれるにちがいない。

 「まずは新しき火あぶり女王の誕生に盛大なる拍手を!」

 だからあっ!

 雷みたいな拍手に包まれた部屋のなかで、国王陛下はさらに、さらに、とんでもないことを言い出した。

 「さらに諸君に重大な発表がある。バゲット姫の見事なまでの高邁こうまいさ。見ず知らずの他人のために自らが罰を受ける慈愛じあい難事なんじに挑む勇気。やり遂げる責任感! そのすべてがすばらしい。

 しかもだ。バゲット姫の高邁こうまいさは今回の件にとどままらぬ。ササヒカリ村においては村人たちの思いをくみとり、自ら相撲すもう大会に参戦し、アンコロ町においては相争あいあらそう二派の仲裁ちゅうさいに乗り出した。自分とはなんの関係もない異国の民のためにだ!

 まことにもってすばらしい! かようにすばららしい王女を育てられたとなれば、パン王国の王族そのものがすばらしいにちがいない。よって……」

 国王陛下は一度、大きく息を吸い込むと、はっきりと口にした。

 「いまより我がモチ王国はパン王国と契約けいやくし、その傘下さんかとなることにする!」

 おおおっ! って、部屋中がどよめいた。

 ええええっ、ちょっとまって。なにそれ、なにそれ、なんでそんなことになるのよおっ

 「お見事です、バゲット姫」

 いつの間にか、あたしの横に立っていた兄さまが執事しつじモードでささやいてくる。

 「よもや一国丸ごと傘下さんかにおさめるとは。陛下もここまでの功績は想像していなかったことでしょう。それでこそ我がパン王国の姫君です」

 やめてよ!

 って言うか、モチ王国がパン王国の傘下さんかに入っていいわけ? 米食とパン食はどっちが朝食にふさわしいかで争っている永遠のライバルでしょ。それが傘下さんかになんて……。

 でも、国王陛下――もと国王陛下?――はカラカラと笑って言った。

 「なにをおっしゃる。そもパンとはなにか? それは穀物こくもつを水で練り、焼いて固めたもの。すなわち! モチもまたパンの一種!」

 そんなの、ありぃっ⁉

 「ゆえに、傘下さんかになることになんの問題もございません。むしろ、パン食文化の良さを取り入れることで、モチ文化にもさらなる発展がもたらされることでしょう」

 そんなあっ!

 「さあ、皆のもの! 新たなる我らが王、バゲット姫にエールを!」

 「バゲット姫、万歳!」

 その叫びが部屋中、ううん、国中を包み込む。

 なんで、こうなるのおっ!


 「いや、素晴らしい。実にお見事な手腕しゅわんです、バゲット姫。はじめての営業で一国丸ごと手に入れるとは。余人よじんには不可能な技。まさに、バゲット姫の、もって生まれた王族オーラがあってこそ。国王陛下もお喜びでしたよ」

 「やめてよ! あたしはそんな気なかったんだから! あたしの目的は他の国をそそのかして、パン王国の都市をすべてもっていってもらうことだったのよ! それがなんで、こんなことに……」

 「それがお前のもって生まれた王のうつわというものだ。あきらめろ。あきらめて世界の征服者になれ」

 「バカ言わないで! あたしは普通の女の子として暮らしていくの!」

 そうよ。あくまでもそれがあたしの目的なんだから。絶対、絶対、絶対! パン王国なんてぶっつぶして、普通の女の子になってやるんだから!

 「そうよ! 一度や二度の失敗でめげてなんかいられない! モチ王国がダメなら次の国に行くまでよ。今度はソバ王国に行くわよ! ソバ王国なら、パン王国と相容あいいれようなんて絶対に考えないはず! 今度こそ、パン王国をつぶしてやるんだからあっ!」

                 完

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あたしは絶対、普通の女の子になってやるんですからね! 藍条森也 @1316826612

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