第8話 濃霧の戦場
僕達は手早く身支度を済ませ、ダールさんの仕切る兵舎へと向かった。
兵士長であるダールさんは慌ただしく兵士たちに指示を与えている。そして、まだ見ぬアウェイカーたちも数人いた。
その指示を聞いていると、分かったことがあった。普通の人間の兵士を五、六人ぐらいのユニットに分けて、そこに一人はアウェイカーが担当する。アウェイカーを基本的戦力に据えて、一般の人たちはアウェイカー達の援護につく。異例なのは、ソルベだけだった。ソルベは誰とも組まず、後方から敵戦力を確実に減らしていく、という方針が許されていた。ソルベは特別なんだな、という憧れを抱いた。
僕はというと、こうして正式に分隊に配属されるのは初めてだったこともあり、ジンと行動をともにすることになった。大きな盾とメイスを装備したジンは僕に「背中は任せたからな」と笑って言った。僕はその言葉で肩が重く感じる。
その日は夕暮れで、濃霧だった。見通しが悪いこともあり、また、地上を這うタイプの霧虫が多く観測――ピートがその役目を担っているようだ――されたこともあり、接近戦にもつれ込むだろうと、近接戦に特化した装備をしていた。ソルベは、「俺の役目はねえかもな」そう言い、ダールさんに「最後の砦がお前なんだ。近寄られたら、頼むぞ」そう激励されていた。
僕がこの町に入ってきた通路とは違う、戦闘配属用の通路を僕らは通っていって、外に出る。比べて広く、明るい通路だったが、大人数の圧迫感と緊張により、吐き気を催した。地上へは金属製の階段を上がる。霧は、町の中よりも濃かった。ここのところで一番霧が濃い日だった、とジンが教えてくれた。混戦になるかもな……。隊列の誰かがそう言ったのが聞こえる。
地上に出てくると、そこは森の中を切り開いた、広場のような場所だった。以前見かけた外の様子とはだいぶ違っていて、異世界に来てしまったような感覚がある。そこかしこにある鬱蒼とした木々と斜面によって形作られた地面。秩序だった射撃場や、空中の敵を撃つのとは違って、遮蔽物があり視界も悪い。自分の腕が通用するのかと心配になる。背後には『エイミー』の塀。逃げも隠れもできなかった。分隊達は、事前に決められた配置につく。僕とジンの隊は、中央寄りの最前線。僕の配置は隊の中での最後方。着剣された件のマークスマンライフルを両手で抱きしめて、僕はガチガチだった。誰かがポン、と僕の肩を叩く。
「アリア!?」
「なに? そんなに驚くことある?」
アリアは笑って言う。しかし、その笑顔はいささかこわばって見えて、アリアも緊張しているのだとわかる。
「昨日で成人になってね、正式に隊に配属されたの。――ルーキー同士、助け合いましょ」
アリアはそう言い、自分の分隊へと戻る。先ほどの温泉のアリアが僕に言ってくれた、特別だ、という言葉を思い出す。僕が守らなければ。そう強く思った。
「大型霧虫、二時の方向!」
最前列の右翼。その隊のアウェイカーが声をあげて、全体に緊張感が伝わって来る。僕の位置からは全く敵の位置がわからないでいる。この霧では、視認可能距離は五十メートル程だろうか。それほどまでに今日の霧は濃かった。声を上げた分隊が、脅威を囲むように広がり始める。
周囲の木々はなぎ倒され、濃い灰色のかすんだシルエットが浮かび上がる。それはゆらゆらと揺らめいていて、僕が最初に戦った霧虫よりもだいぶ体高が高かった。一匹は十メートルほどあるだろうか。だんだん、輪郭がハッキリしてくる。現れた霧虫は、巨大なムカデのような姿をしていて、甲殻と多数の脚が見える。頭部と思われる場所には、3つの赤く光る複眼があり、口は筒状で触手がいくつも生えていた。そんな異形の霧虫が3体、霧の隙間を縫って現れる。
霧虫の第一波。最も近くに面している分隊から、霧虫への集中砲火が浴びせられる。射線が光となって、まるでレーザーのように軌道を残す。咆哮が上がり始める一帯。士気を上げる鬨の声がそこかしこで上げられる。だが、それは濃密な霧の中に吸われるように、すぐに消えてしまう。
霧虫はなおも射撃を受けていた。だが、身動ぎ一つ無く、テンポを取るかのように、頭部をゆらゆら動かしている。虫は、その巨大な躰の上半分を消した。その直後。気づいた時には頭を大きく反り上げて、一人の兵士を飲み込んでいく光景だった。上半身が消えたのは、その躰には似合わない異常なスピードで兵士に喰らいついたからだった。
途端に怒号は悲鳴の連鎖へと変化する。周囲への警戒を最小限にして、総力を持って目の前の霧虫を撃退する旨のダールさんの指示が飛ぶ。僕らは一斉に射撃を行う。
「アウェイカーが何とかするしかないな」
ジンは冷静にそう言い、最前線へと躍り出た。
僕は自らを落ち着けるように呼吸を繰り返す。あえてゆっくりと薬室に弾丸が入っているか確認をし、目を閉じる。大丈夫だ、大丈夫だ。前回と同じようにすれば問題ないはずだ。
目を開ける。僕は瞬時に狙いを定める。
虫の目に一発、弾を叩き込む。
命中。
ところが弾は、ガン! とあらぬ方向に弾き返される。
目の表面に、戦闘機のキャノピーみたいな、硬質の透明な膜が張られていた。弾はそれに弾かれた。僕は瞬時に思考を組み立てる。もし目を狙いたいのであれば、角度が重要になってくる。目のキャノピーは半球状になっていて、正面から直角に弾を撃ちつければもしかしたら攻撃が通るかもしれないが、現実的でない。別の方法で有効な攻撃方法を探るしかない。よし。
だいたい、相場は決まっている。体も甲殻に覆われていて、射撃が効かない。そして、目を撃ちぬくのも現実的でない。それならば、体の中。
霧虫が筒状の口を開けるタイミングを狙う。霧虫は、獲物に飛び掛かる前に、一瞬、口腔の入り口を大きく開けることが分かった。そして、その直後、兵士が喰われる。僕の今回の攻撃は、むなしく宙を切り、兵士が喰われる。
恐怖に震えあがる。僕の失敗で人が死ぬ、という事実をひしひしと感じる。僕はひと際大きく息を吸って、吐く。そうしている間にも、兵士の数は減っている。
再び、ゆらゆらと霧虫が身じろぐ。今度は失敗しない。そう自分に言い聞かせて前もって照準を合わせておく。霧虫の動きがピタリと止まり、口を大きく広げだす。
今だ!
僕はトリガーを引いた。
銃口と霧虫の間に一瞬線が引かれて、弾丸は口内に叩きこまれる。
霧虫の躰は数度、ビクッ、ビクッと跳ねた。嫌がるように身じろぎする。ギイイエエエエエ!! と断末魔をあげ、僕は思わず、耳をふさぐ。
おそらくちょうど脳にヒットしたのだろう。運が良かった、と思うほかない。僕はホッと一息つく。しかし、他にいた二体の大型霧虫のことを思い出す。
僕はすぐさまトランシーバーで、ソルベに連絡を取る。
「ソルベ! 口の中なら弾が通ります!」
「あいよ」
ソルベが短く応対し、その直後、銃声がこだまする。そして、一体の霧虫がズズン……と音を立てて倒れ込んだ。弾丸が霧虫の頭部を貫いたのが分かったのは、そのあとだった。
さて、残り、一体……。
ぼくは残った敵の方に振り返る。
すると、霧虫はすでに死んでいて、その前に一仕事終えた一人の人間が短剣についた体液を拭いていた。
「まったく、お前、予想以上のタマだな」
ジンは、笑ってそう言った。
「ジン、どうやって……?」
「ああ、接近して、甲殻の隙間にこいつを差し込んでな。体内に入ってバラバラにしてやった。旧時代のテレビゲームじゃないんだ、ボスの対処法はいくらでもある」
ジンは短剣を顔の前で振る。
アウェイカーって、化け物ぞろいなんじゃないか……? 僕は口を半開きにしたまま、そんなことを考える。
ダールさんが言っていた事がある。このコロニーを守れるような人間にしたい、と。だけれど、ジンや、ソルベを見て、この人たちみたいになりたい、とふいに思う。僕がこの街の人々を守れるようになるまでには、まだ多くの時間がかかるだろう。それでも、いつかはきっと。
「気を緩めないで! 次が来るよ!」
僕が物思いにふけっていると、トランシーバーから通信が来る。ピートの声だった。
気力は十分。もっと強くなりたい。次の敵を待ち構える。
木々の間を一瞬、影のような何かが横切る。そして、ブゥーン、ブウゥーーン……という羽音。その羽音が徐々に大きくなって来る。音の方向は上手くつかめなかった。そのはずだ。僕たちを囲む森の、様々な方角から、霧虫たちが現れ始める。
その霧虫の群れは皆、ハチのような姿をしている。首が異様に長く、その先端にちょこんと頭部があった。俊敏に、ホバリングと加速を繰り返していて、照準を合わせるのは骨が折れそうだった。最初に戦ったカマキリみたいな霧虫と比べて小さくはある。だがそれでも、体長は一メートルはありそうだった。霧があって、距離が離れているソルベの位置からは狙いは付けられないだろう。援護の期待はできない。できないならば、どうするべきか。僕が何とかするしかない。そう思った。ソルベを信用していないわけでは無いけれど、配置的にソルベが倒すのは無理がある、そう判断した。
機動力に特化していて、甲殻が薄い分、僕のライフルでも中れば一発で無力化できそうだ。よし。
僕は一匹の霧虫を注視する。不規則なホバリング、弧を描くように空中を飛んで、再び、ホバリング。その繰り返しをして、隙を見て、兵士に襲い掛かる、という癖があるようだ。襲い掛かったタイミングでは一瞬停止する。しかし、誤って捕獲される兵士に誤射するかもしれなかった。だが、僕はその一瞬をチャンスととらえて撃つことに決めた。最大の挑戦だ。
ある一匹の霧虫に狙いを絞る。弧を描いて、ホバリング。そしてテンポを取り、怯えて注意をそらしている兵士に向かって、一直線に飛び掛かった。
ダン!
僕はほぼ無意識にトリガーを引いていた。銃口から放たれる一発の弾丸は、僕と霧虫を一直線につないだ。僕はその瞬間、銃を撃つとはこういうことだ、と唐突に理解する。僕と獲物の関係を一つの弾丸がつないでくれるものなのだと。それは、殺し、殺される、という間柄ではあったが、強固なある種の結びつき。僕は、この行為がたまらなく好きになった。僕という、過去も、何の因縁も持っていない、不確かな自分。霧の中の存在の様にあやふやな輪郭しか持たない自分と言うものが、一発の弾丸により、確固とした自分を確立できた気がしたのだった。僕は、「オリジナルになれ」という言葉の意味を知った気がした。
弾は、兵士をかすめ、霧虫に命中し頭部を破壊する。
僕はなぜか、はらはらと涙を流していた。そして、すぐに次の獲物に狙いを付ける。大丈夫、視力には影響はない。
霧虫に狙いをつけ、撃つ。狙いをつけ、撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。
僕は次第に奇妙な感覚へと陥っていた。銃が自分の体と一体になっている様に感じられるのだ。考えてもないのに、弾倉の中の残りの弾薬の数などは完全に把握できていたし、次に狙うべきポジションを置いておくだけで、獲物の方からそこにやってきてくれた。そして、引き金を引く。ダン。たったそれだけ。
次の獲物を探す。周囲に目を配らせながら、僕はどこかハイになっている自分自身を感じていた。
くそ。暗くなってきていて、何もわからない。兵士たちが僕を遠巻きにこちらを見ている。そう、それでいい。ある程度距離を保ってくれたほうが射線を通しやすい。
ザッ。
土が擦れる音がする。何者かの足音だ。
背後から僕に飛びかかって来ようとしてくるモノがいた。僕はとっさに銃口を向ける。人間の形をしていた。小柄な奴だった。僕はこれなら簡単だ、ととっさに思う。狙いを付けて――。
その瞬間、僕のライフルは、一筋の閃光によって叩き落される。銃は音を立てて、地面に転がる。とっさに拾おうとすると、目の前の獲物が僕を強く抱きとめる。
「大丈夫、もう終わったよ」
柔らかな感触。包み込まれるような感覚。
僕の狭くなっていた視界が一気に元に戻る。
体が急に重くなった気がした。
「ああ…」
僕は声にもならない声をあげる。安堵のため息だったかもしれない。
「落ち着いた?」
「アリア……」
僕を現実へと引き戻してくれたのは、アリアだった。
頭がぼんやりする。力がすうっと抜け、僕はそのままアリアの腕の中で眠った。
エラー・クローンの少年たち 霧_悠介 @_kilyusuke
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