相対性理論の夜

もちもち

相対性理論の夜

 面白い話をしよう、と守山は言った。


 深夜のコンビニ。

 日中は寒さも和らいできたが、朝晩はまだ暖房が手放せない。早朝の冷たさなど、春の訪れなんていまだ信じられないくらいだ。

 まあ、おかげさまで星の光も澄んだままであるが、と思うようになったのは、確実に目の前の男の影響だろう。


 もくもくと会計を済ませた肉まんを頬張りながら、守山は「面白い話」とやらを切り出した。

 なおその肉まんは、守山が初めて「これから行くのだけど、肉まんあるかい」と電話で確認してきたので、残っていたものを取っておいてレンチンしたものだ。


「松島と俺では、時間の流れが違う─── 場合がある」


 またとんでもないことを言い始めたな。

 漫画にそんな現象を発生させる施設があったような気がするが、あれは漫画の中の話である。


「現実の話をしている?」

「もちろん。具体的にはこのコンビニに松島がいて、俺がスカイツリーのてっぺんにいた場合にズレが発生する」

「…… 現実の話をしている?」


 思いがけず身近な具体例が出てきてしまって、逆に戸惑う。俺は、また宇宙の彼方の話かと思っていた。

 守山は笑って、もう一度「もちろん」と頷いた。


「大学だったか、実験して結果を出してる。

 高低差450メートル強、その時間差は10億分の4。日単位」


 なんの話してるんだこいつ。

 まったく現実的ではない単位が出てきて、むしろやっと落ち着いた感がある。


「よくそんな精度を計測できる装置があったもんだな」

「おお、松島、さすがだな。

 着眼点が違うね。この実験には『光格子時計』っていう300億年分の1秒の誤差しか生じない超高度精度の時計を使ってるんだって。熱いよね」


 俺が身構える隙もなく、守山の今日の「さすが松島」を食らってしまった。油断していた。


「宇宙が137億年前に生まれてるから、まだまだ誤差は生じてないってことだな」


 家の古時計がまだ現役なんだという話でもしているかのような守山である。なんでかちょっと自慢げだ。

 いくら本気出したからって、どこかの誰かには300億年の精度を必要とすることでもあったのだろうか。


「つまり時間は絶対ではなく、相対的なものなんだ。

 相対性理論という言葉を聞いたことはないかい」


 途端に聞き覚えのある言葉が出てきた。

 いくら俺でも、その単語は聞いたことがある。歌のタイトルにもなってなかったか。


「聞いたことはあるが、一体なんの話なのかまでは知らなかった。

 時間の話なのか」


 尋ねると、守山は肉まんの最後の欠片を頬張り、もくもくと咀嚼していた。しばし沈黙。


「ごちそうさま。たまに無性に食べたくなるんだよね」

「お粗末様でした。この時間に食べたくなったら、今日くらいに連絡をくれれば取り置いてやるよ」


 丁寧に両手を合わせて、守山は完食した。肉まんの紙はこちらで引き取る。


「相対性理論は、2つあるんだ。

 特殊相対整理論、そして一般相対性理論。相対性理論というと、前者のイメージをされる場合が多い。

 最初にできたのが特殊相対性理論の方だからかな」

「面白いな。イレギュラーからできたのか」


 ふうん、と相槌を打つと、守山は嬉しそうに頷く。


「2つの違いは重力があるかないか、だ。

 特殊の方は重力がない場合で、この状況下をして『特殊』と指した。

 ざっくりいうと、『時間と空間は仲良く一緒に伸び縮みする』」


 なにを言い出すんだこの男は。

 時間くんと空間ちゃんがニコニコと手を繋いでいる様子が一瞬脳裏をよぎったが、二人が笑顔のまま伸び縮みする直前にお花畑にイメージを切り替え、トラウマを回避する。

 危ない。なんてこと言うんだこの男は。


「俺の記憶違いかもしれないが、相対性理論というと、タイムマシンの話だと思っていた」

「ああ、あるある、あるよ」


 欠品だと思ってたものが店舗にあるとでもいうように、守山は頷いている。


「光速で動く物体の中にいる観測者は、時間が止まるんだ」

「うーーん」


 もうずっとイメージが出来ていない。思い浮かんだのは、時間くんと空間ちゃんくらいだ。

 腕を組む俺に、守山はさらに追撃する。


「そもそも俺たちは静止していない。地球は自転してるし、太陽の周りを回ってるし、太陽系は天の川銀河に乗っかってるし。

 ふわっふわの足元で時間を測っている。

 そんなところで速度時間を測ることはできないだろ。

 ものの速度は、観測者がどこにいるのかで変わって来る相対的なものなんだ」


 俺は唖然としてしまった。

 時間はすべての存在に対して平等に流れているものだし、どこで測っても1秒は1秒であると思っていた。

 思っていたというか、「見る人間によって時間が違う」なんて発想が無かったのだ。

 空の色が青ではなかった、と言われたような気分だ。


「夜中なので、その話でメンタルがよわよわになってきてしまった」

「夜中という以外にも松島のメンタル強度が心配になってしまうな」


 守山は言葉のまま、心配気に頭を傾げて俺を覗き込むが、ふむと頷くと、


「全部がふわふわしているわけじゃない。

 光だけは不変の速度がある」

「突然だな」


 これまで曖昧でふにゃふにゃだったのに、急に体幹が決まったような話をしだす。


「式で光の速度が求められてしまったんだ。

 だから、光は秒速30万キロメートルになる」

?」

「光の速度は足し算も引き算も存在しない。

 仮に松島が秒速20万キロメートルで光と並走したとしても、松島からは光が秒速30万キロメートルで見えるし、宇宙空間に留まっている俺から見ても、光は秒速30万キロメートルで見える」


 光速で走らされてしまった俺。

 地球から瞬時に飛び出してしまうし、宇宙服を着た守山が「速いなあ」と呑気に手を振っているイメージが出てくる。


「秒速30万マイナス秒速20万で、秒速10万の速度で見えるってことはない、てことか」

「そう。

 光の速度は変わらない。

 足元が曖昧な中でも、不変のものがあると思うと、ちょっと安心しないかい。

 しかもそれが、『光』であるってことが、なんだか文字通り安心要素って感じでいいよな」


 そう笑いかける守山を見て、これが俺を安心させるための話であったことに気づく。

 妙なイメージを浮かべてしまったが、その配慮はありがたく受け取ろう。


「ちなみに言うと、そのとき俺から見た松島は、20%くらい縮んでる」

「……」


 光速で走らされた上に縮められただと……?


「でも松島から見ると、俺が20%縮んでる。

 なぜなら松島にとっては、20


 守山の興味は俺の心配から光の速度で離れ、元の話題に戻ったようだ。

 速いなあと手を振っていた宇宙服の守山が、キュッと80%にスリムになる。なんでだ。

 ここまで彼の話が分からなかった夜も無いだろう。


「今の話、頭からケツまで、まっっったく理解が追いつかなかった。

 なんの話をしてたんだ」


 改めて俺は彼に尋ねた。


「面白い話だよ」


 守山は、やはりニコニコと笑って答えるのだ。

 まあ、確かにつまらない話ではなかったなとは思う。



(相対性理論の夜 了)

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