Final Farewell

 額にできた汗を拭おうとして、僕はその度に立ち止まった。教会に馬車を寄進したこともあって、僕は少し重い褒美の品を背負って歩いている。


 時々見る人家や果てには畑の標識にさえ、「勇者」への賛辞がでかでかとあった。都の方ではやはり文明が発達していて多少夜は長いが、この村ではそんなものはなく、多くの人がそれぞれの住処へと戻っている。


 多分この時間に僕が帰ってきている、なんて露ほどにも思っていないだろう。昼に例えば、たくさんの贅を凝らした馬車でと皆が予想しているはずだ。そうでなくても夜に帰るのはあまりにも変らしい。だからこそあの神夫は泊まらないのか、と聞いてきたのだろう。


「あれ、勇者様ですか! こんな夜分にご帰還とは……」

「あはは、ミルノア(*15)で良いですよ。それにでかでかと帰還するほどでもないですしね」

「だからこそ神様に選ばれた(*16)のでしょう、私たちの村からあなた様のような方が出るとは……それでは、早く暗くなりますからお気をつけて」

「お心遣いありがとうございます」


 通りかかった村内を見回りに行くとそんな話をしてまた歩き出した。彼も僕がまだ「ミルノア」であった頃は特にそんな言葉遣いをせず、むしろ小馬鹿にするような言いぶりではあったはずだ。


 そのギャップがあまりにも気持ち悪かったのだろう、僕は少しだけテンポを多く刻んで、都では忘れてしまうような月明かりに照らされる道を歩いていた。


 家に着いて、僕は5か月も肌身離さずにしていた表の扉と閂、そして倉庫の鍵を取り出す。カチャカチャと少し手探りでそれを開けるこの時間が、家に帰ってきたことを如実に感じさせた。


 父も母も僕が中学生の時までは生きていた。中学を卒業する前年2人とも疫病にやられてしまって、僕はお金を払えず退学した。だから「ミルノア」の頃、僕は冬の間出稼ぎする他無かったのである。


 家には虫の巣が掛かっていて、予想していたことではあったがため息をついた。けれどもそれすらどうでも良くて、とりあえず藁の詰まった寝床の無事を確認しに行く。


 寝床はやっぱり無事ではなくて、僕はとりあえず冷たい床に腕を枕代わりにして眠ってしまった。


 次の朝、僕はとりあえずベッドを外に出す。そして倉庫からは酒瓶を取り出した。父からいつか大人になったら一緒に飲もう、だなんて言われていたものである。今日だけは飲んでも、たとえ潰れても文句はないだろう。


 あの時から僕は1人になって、5か月前に3人と出会って本当に久しぶりに仕事以外――実際は仕事の一環でしかないが、話をしていた。


 笑うこともあっただろう、真剣なこともあっただろう、別に思い出すことは無いが。そして今はまた1人である。王様の娘さんとの縁談もあったが断った。なぜかといえば、やはり単純に僕にはそれが重荷であるからだ。


 ――僕がそれを開けようといているとトン、トンと音がした。

「はい。ミルノアです」

「ゆ、勇者様! どうしてもう帰られているのですか!」

「それはまあ……討伐も終わりましたから」

「朝チャネラから聞いて嘘だって思いましたけど、そこにベッドがあったものでして」

「ああ。あれはカビてたもんで」

「そ、そうですか……、村長には報告に行かれたんですか?」

「いえ、まだ……そうですね。今からでも行きましょうか」

「てっきり宝石だとかそういうのを身に着けてるんだと思ってましたが……すごく質素なことで」


 僕は「勇者」としての正装に戻り、鍵をしっかりと掛けて村長の家へと歩き始めた。

「すみませんが、一緒に行きませんか? 特に理由は無いんですけど、少し寂しいもので」

「ぜひ、冒険の話もお聞かせください!」


 年下の来訪者と僕は村長の家へと歩き始める。

「旅はやっぱり大変でした?」

「そうですね。何もかも……食べ物だとか、路銀、仲間とその関係」

「仲違いもあったのですか?」

「それは無かったよ。そうだったら、多分討伐できていないだろうね」


 実際はそうやって仲違いしてしまえば、仕事に支障が出るから、と僕はそうやって話をつけただけの話である。それが美談となっても、僕にはもうどうでも良いことだ。僕にとってあの旅とは過去でしかないのだから。


「勇者様! よくぞ来てくださいました! あれ、他の皆様は」

「すいません、みんな忙しいようで。私が代表として参ったのですが、やはり……」

「いえいえ、勇者様だけでも感激です! 今やこの村などではなく、国の誇りですから」


 僕は別にしたくも無いが旅の回想を彼に聞かせる。彼は変に満足したようで、僕は多分そんなものだろうと割り切って村長のもとを辞した。振り返ると、僕が帰ってくるという噂でも聞きつけたのかたくさんの人がいた。見知った顔もいるし、そこまで親しくなかった人もいる。


 一緒に帰ると変に疑われるからというその来訪者の提案で、今度僕は1人で帰ることとなった。昼だからかたくさんの人が外に出ていて、僕はその歓声に対して、繕った笑顔でそれに応えていく。


 僕は家に帰って、酒を吞むよりも光を浴びた虫の巣だとか、ホコリに気を取られて掃除を始めた。正直この家を壊し、新しいそれを作ってもらっても良いのだがなんとなくそれはできない。それは終生をここで過ごした父と母、それから働ける年齢まで育たなかった兄妹への何かしらの思いがあったのだろう。


 日が沈み始め、僕はようやく酒瓶を開けた。品質は悪くない方だ。まだ両親が生きていたころ、両親は眠るために質の悪い酒を飲んでいた。悪いものはやっぱり酔える。だからこそ、父とは眠れない酒を飲もうと約束した。明日にはきちんと墓参しよう。


 期待していた通り、飲んだところであまり酔わず少し高揚を感じるほどであった。僕は少し考えた後、倉庫で見つけた毛布の慣れの果てを被って眠ることにした。


 眼を瞑っても、見事なほどに今までのことが思い出せない。多分僕の人生にとってそれぐらいのことなのだ。けれどもこれからの人生にとってその過去は何度も邪魔するだろう。


 だから僕はこいねがう。今の「自分」にさよなら、「勇者」なんてものに甘んじない勇気を、って。




(*15)ミルノアはノウェルスの姓。本名ノウェルス・シュネバ・ミルノア。

(*16)くじ引きは神の意思が込められた神聖なものである、という考えが存在した。魔王討伐においては地域と個人の2段階に分けて行われた。

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Four Farewells かけふら @kakefura

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