朱の末路

@yukoko1234

第1話

春永里奈は、自分の人生に満足していた。中堅の私大を次席で卒業後、ベンチャーではあるが業績のよい会社に就職できた。学生から、社会人に変わったことへの戸惑いはあったが、それは慣れの問題だった。今では、中堅社員として会社から期待されているポジションに属している。容姿も可愛らしく、彼氏が途切れたことがない。色白で丸顔。でも太ってはいない。また男を威嚇しない身長も功を奏した。近年は、女性も160センチはほしいと言われるが、結局男受けするのは、小柄な女だ。纏足はやりすぎだが、小さくて可愛いらしいものが愛されるのは、世界共通な真理なのだ


里奈は恵まれていた。天からの贈り物に違いない。恵まれた才をもつ人間は、その力を程度はどうあれ、他者のために貢献する。だが、里奈は違った。徹頭徹尾己のためにしか使おうとはしなかった。昭和の時代であれば、その姿勢は咎められたかもしれない。しかし今は個人を尊重する令和である。里奈の行動に眉を顰めるものはいても、諫言するものはいなかった。

例えば、上司が仕事を振る。彼女は白紙かもしくは一割だけ手を付けて平然と提出する。当然上司は咎めるが、彼女は狂人のような反論で、上司の言葉を奪った。

「私がする必要性ありますか?」

「AIにでもやらせればいいじゃないですか?」

「それってパワハラですよね?」

その上、涙を流せば、完全に若い女性社員を苛める老害社員の図式ができあがる。

大手の会社であれば、調査委員会を立ち上げ、事実確認をするだろう。日本の雇用体系上、里奈を解雇することは難しいが、左遷や部署移動で自主退職に追い込むことができたかもしれない。だが、制度も人員も不十分な中小企業に大企業と同じことはできない。

狂人の相手はしないに限る。上司はそう判断し、里奈には簡単で納期のない仕事を振ることになった。仕事を押し付けられた部署のメンバーのフラストレーションを感じては知らんぷり。要領よくできない、間抜けが何を言っているのか。空白の時間は、マッチングアプリで、交際相手を探したり、ゲームをしたり、何も知らない後輩に、マウントをとったり有意義に使った。人生において、自由な時間は限られているのだ。

確かにパワハラはよくないことだ。それで、従業員が再起不能になったり自殺したりと社会問題になったのだ。ただ、本当にパワハラを受けた人間が、立ち向かうことは困難なことが多い。立ち向かう権利は、必要な人にいきわたらず、制度を悪用、もしくはずる賢く使用する人が得をすることが多い。

事実、里奈の会社には、10年以上、休職している先輩がいた。正確には、傷病手当を受給できる期間が終了すると、一週間ほど出社する。病み上がりという名目のため、ほとんど仕事をしない。そして病気が再発したとして、また休職する。これを延々と繰り返して、10年たつ。会社も働かない社員を雇う余裕はないから、社労士や労基に相談しているようだが、手当を不正受給しているわけではないから解雇はできないらしい。休職した社員の作戦勝ちである。この現実が里奈を増長させた。若さ故の驕りだった。


会社も働かない社員が増えているので、危機感を抱いているようだ。正社員だと、正規雇用後に怠ける可能性があるので、非正規、契約社員を雇うようになっていた。実際、彼らはよく働いてくれた。なぜなら、簡単に解雇できる存在だからだ。一定の効果を上げなければ、会社は契約期間を理由に、首を切ることができる。安易だが、会社を延命するためには確実な方法である。そのおかげで数年、会社は生き残ることができた。

しかし、付け焼刃の延命である。想定外のことには、対応できないのだ。


まず、世界的なパンデミックである。新型コロナウイルスと呼ばれた、そのウイルスは

現代社会の在り方を180度変えたのだ。ロックダウンによる、経済活動の停滞。娯楽産業の自主的な中止。全ての会社は働き方だけでなく、資金調達に苦しむことになった。

仕事をしない正社員の給料、保険料などに加え、契約社員、派遣社員の給料を支払っていた里奈の会社に余剰資金などなかった。なら始まるのはリストラである。契約、派遣社員はもちろん、正社員も対象だった。会社はここぞとばかり、里奈のような働かない社員の首を切り始めた。もちろん、里奈たちは抗議した。労基にも駆け込んだ。

だが、里奈たちの意見は、通らなかった。会社の業績悪化は事実だし、退職金も相場より多く支払われた。何より、ロックダウンの影響で労基の窓口も混雑していた。正規の理由で解雇する企業に構っている暇はなかった。


結局、里奈ら怠惰な社員は首を切られた。退職金は出たし、会社都合での退職なため、失業保険も長く支給される。悪いことではないかもしれない。新型コロナウイルスによるおパンデミックの影響で、補助金も申請しやすくなった。転職もリモート面接が増えた。工場や職人、エッセンシャルワーカーを希望しない限り、PCがあれば自宅で勤務可能だ。

今更、肉体労働などできるはずがない。そんなものは、能力が低いものがやるべきだ。自分たちは違う。優れた人間なのだ。ブラック企業で使い潰される人材ではない。高等遊民であるべきなのだ。

IT人材は常に枯渇している。前職の業績不振によるリストラであれば、特に調査せずに、簡単に転職できた。更に追い風が吹いた。経済活動が停滞していることにより、仕事量も通常より少なく、仕事をさぼることは簡単だった。里奈は持ち前の要領の良さで、前職よりも楽で高給な仕事に就くことができた。

自分は運がいい。あくせく働いて必要もない。働く手をじっと見つめることもない。人生を謳歌している。彼氏も婚約者になった。

なのに、いつも満足することはなかった。充足感を得られたことが今までなかった。中途半端に優秀なため、全てにおいて一定の成績を得ることは簡単だった。だが、そこからの壁を超えることができない。少し努力をすれば、いいだけの話だが、里奈にはそれができなかった。自分より能力が劣る人間が、里奈の壁を乗り越え、置かれた場所で才能を発揮する。壁を乗り超えることができずとも、別の道を見つけ、夢を実現させていく。

見下しているはずが、いつの間にか抜かされていた。悔しいのであれば、それ相応の努力をすればいいのに、里奈はそれだけはできなかった。能力の問題ではない。プライドの問題だった。プライドなど耳障りのいい言葉で言い訳しているが、要は怠けたいだけだった。

自分の精神の平衡を保つために、見下している友人や知人に辛くあたるようになった。自分が崇拝している友人には当たらない。人間関係において、カースト制が採用されることは、人間の本能だ。仕方のないことだ。友人が少ないタイプだったのもある。それを何年も続けていたら、ある日、見下していた友人から連絡が途絶えた。死んだのかと思ったが、他の友人とは連絡ができているようだ。愚図のくせに、生意気である。そんなことだから、結婚どころか、彼氏もできない。自分とは違う。仕事も忙しいようだが、所詮、いいように使われて、ぼろ雑巾のように捨てられるだけだ。自分のような人間の踏み台になる人間だ。なのに、なぜ、こんなにも心がささくれだつのだろう。

上位の友人にも相談しても曖昧に返される。気に食わない。彼女らも里奈とは良き友人として接してくれるが、一線を引かれている。遊んだり、旅行に一緒に行ったりはするが、友人の実家に招かれたり、結婚式に呼ばれたことはない。他の友人にそれとなく聞いてみたが、はぐらかされた。妊娠出産、子育てを機に、距離を置かれようとした。そんなことは嫌だ。彼女らに合わせるように、里奈も結婚、妊娠をした。生理は不順だったが、若さ故か、不妊治療をせず、我が子を授かった。これで子育てトークにも加われる。世間でありがちな、孤立する子育て主婦、マミートラックに陥るワーママとも違う、要領よく、全てを手に入れた女となったのだ。自分の人生にかけているものはない。幸せなのだ。


そう、幸せなはずだ。なのに、年を重ねるにつれ、虚無感は増している。子供は、美しく賢く育った。手のかからない子だ。発達障害もない、健常児。むしろ自分より、優秀であろう。夫もモラハラなどせずに、里奈を立ててくれる。何も問題はない。なのに、心はいつも隙間風が吹いている。満たされることはない。火遊びも合法ドラックも戯れに手を出したが、それも詰まらない。結局、すぐに辞めた。ある日、鏡を見ると、醜い老婆が映っていた。お世辞にも可愛らしいと言われ、美容も怠った覚えはない。なのに、醜女がそこにいた。里奈は思わず叫んでしまった。

そう言えば、シャネルの名言に女の顔は30からという言葉があったはずだ。ならば、この顔は自分の生きざまそのものである。そんなはずはない。ただ自分は、人生を楽していきたい、それだけだった。それは人類皆持っている欲望である。自分はたまたま、それがうまく叶えられただけだった。その結果が、この虚無で、それが顔に出ているのか。

そんなはずはない。そんなことはあってはならない。

気を落ち着けるため、台所で水を飲むことにする。すると、ペティナイフに目に入った。衝動的にナイフを取って、眺める。そして、自分の喉元に突き刺した。

その瞬間、後悔した。激しい痛み、吹き出る血しぶき。慌てて、喉元からナイフを引き抜く。もちろん逆効果だった。血と一緒に魂も抜けていくことを感じた。

薄れゆく意識で、里奈は、ただどうしてと自答した。その答えは、出ていたのに、里奈は答えを、己を振り返ることはなかった。その結果が、自殺というある意味お似合いで、滑稽な末期であった。

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