星守人

図科乃 カズ

星守人


 僕の命は捧げられ、この星は生きながらえる。それは、この星に住む生き物すべてが救われるということ。

『なんと名誉なことだろう』と養父が言った。『あなたは私達の宝よ』と養母が言った。

 隣に住む老夫婦が、街ですれ違う子供が、パンを売る店主が、果物のかごを頭に乗せている婦人が、僕の姿を見ると砂の上に跪いて祈りを捧げる。すがるような目、でも僕を見ていない。カラッカラに乾いた空でも、焼けてただれる赤い太陽でもない。彼らが見ているのはもっと先、僕から取り上げようとしている未来だ。

 砂と岩しかない小さな星、僕らはその真ん中にあるオアシスで慎ましやかに生活していただけなのに、いつの頃からか異変が起きていた。水も食べ物も日に日に減り、赤い太陽は見上げるたびに大きくなっていく、何かおかしいとみんなが思った。

『カトルが〝星守人〟じゃ』

 部族の占星術師シャーマンが占った内容にみんながどんな反応をしたかは分からない。僕は翌日の朝にそのことを告げられて、ああそうなんだと思っただけだった。

 星守人ほしもりびと――それは壊れていくこの星を守る人、つまり生け贄。

 この星の寿命が来たので誰かが命を捧げなければならない、そうしないとあと1年でこの星は潰えてしまう。粉々になって宇宙の底へと落ちていくのだ。

 小さな頃から聞かされてきたずっと昔のおとぎ話、それがいま起こるとは思わなかった。でも起こった。弱っているこの星に生命の力を注ぎ込んで復活させる、僕の命1つでこの星が蘇る、と。

 僕がみんなの役に立てることが誇らしいと養父母は言ったけど、他人事のようにしか聞こえない僕がいた。ただただ、僕だけがどうして今もこうして生きてるんだろう、母さんと一緒に流行病はやりやまいで死んでいればよかったのにとしか思えなかった。

 もちろんそんなことは言えない。

 だから僕は、冷たい夜が降るオアシスをひとりで逃げ出した。



   ★



 白い沙漠の上をもう5日は歩いてる。

 日よけのマントのフードをしっかりと握って赤い太陽から身を隠すけど、体は乾ききって悲鳴を上げていた。喉は焼けて擦れた呼吸音しか出せない、目玉の水分すら蒸発しそうだ。暑い、痛い、苦しい。砂と空の間が揺らいで見える。自分が歪んでいくような感覚。近づいた太陽がこの星を容赦なく焼いている。僕はこれから頭の中が沸騰して死ぬ、みんなもこれから1年かけて焼かれていく――。

 ふと、口の中に何かが流れ込んでくるのを感じた。生暖かい、流動物のような何か。次に感じたのは人肌。砂まみれの目をどうにか開けると、少女の顔がすぐ目の前にあった。真っ直ぐに向けられた灰色の瞳に吸い込まれそうになる。

 彼女は僕の頭を押さえ込んだまま、また何かを僕に流し込んだ――口移しで。

 本当は驚きの声を上げたかったのだけど、そんな力は残ってなかったし、口は塞がれていたしで、僕は何も出来ずに咀嚼物を受け入れるしかなかった。

 それが命の恩人である彼女――ノアとの出会いだった。

 僕がまともに動けるようになったのは3日後、それまでノアは岩場にテントを張って僕の看病を続けてくれた。

「わたしが見つけてなかったらカトルは今頃骨になってたわよ」

 ノアは笑うと沙漠オオトカゲの干し肉の入ったスープを渡してくれた。

 僕はそれを複雑な顔をしながら食べる。沙漠オオトカゲは沙漠の死体を骨だけ残して全て食べてしまう掃除屋だ。生にしがみつくつもりはないけど、あいつらに食べられたかもと思うとゾッとする。

「それでカトルは、どうして何も持たずにひとりで沙漠を歩いてたの?」

 スプーンを咥えたままノアが尋ねる。灰色の瞳に好奇心の光が宿り僕を貫く。

 僕は急に恥ずかしくなってお椀を持ったまま何も言えなくなった。星守人から逃げたのがかっこ悪い、そう思ってしまったのだ。

「ふーん。まぁ、どうでもいいけど」

 つまらなそうに呟くノアの目から光が消える。沙漠に転がる骨でも見るかのように無表情になってテントの外に目を遣った。

 僕はたまらず声を上げた。

「ノアはどうして旅をしてるの?」

「そんなのカトルに関係ないでしょ」

「関係あるよ――僕はノアに助けてもらった。だから、ノアを助けたいんだ!」

 砂と岩しかないこんな星で目的もなく沙漠を旅する人間なんていやしない、オアシスで寄り添って暮らす方がまだ楽だからだ。だから、沙漠を旅する人間は変人と決まってる。

 ノアを手伝いたい、それは咄嗟に出た言葉だけど嘘ではない。助けてもらった恩もあるし、このままだと軽蔑されて終わるような気がしたから。

 目を丸くして驚いたノアだったけど、急に顔を崩すと僕の背中を叩いて大声で笑った。

「だったら手伝わせてあげる。だけど後で後悔しないでよね」

「絶対しないよ。僕は何を手伝えばいいの?」

「星の裏側まで、わたしと一緒に行くのよ!」

 こうして僕とノアの旅が始まった。

 この星の裏側には一番の岩山があって、ノアはそこに登りたいと言う。何故? と理由を聞いてもノアはそれには応えてくれなかった。

 一緒に旅をするようになってから気づいたのだけど、ノアは僕より少し背が高いものの、年はそんなに離れてなかった。「その年だったらもっとしゃきっとしなさいよ、男の子でしょ」僕の背中を叩きながらノアの灰色の目が笑った。痛かったけど心地良かった。

 ノアは狩りがうまい、沙漠オオトカゲの群れを見つけると、クロスボウを使って一発で仕留めた。

 ノアは解体も上手だ、仕留めた沙漠オオトカゲを鮮やかな手さばきで薄切りにして干し肉にする。

 ノアは夜空が好きだ、吸い込まれそうな透明な空を澄んだ瞳で見上げる横顔に僕の心臓が跳ねた。

 僕らは白い砂の上をふたりで歩く、滅びゆくこの星の裏側を目指して。

 赤い太陽は日に日に地上に近づいて、沙漠に散らばる岩も骨も焼き砕く。全てが砂と混じり合って1つに戻るのに、どうして僕とノアはそんな中を歩いて行けるのだろうと不思議に思った。

「わたしもカトルも、もうあの太陽にやられてるのよ」

「僕らの頭の中が沸騰してるってこと?」

「そ。だからわたし達は見たいものしか見えてないの」

 喉を潤していたノアは僕に水袋を渡した。湿っている飲み口を気にしないようにしながら僕も水を飲む。飲みながら考える、ノアはきっと分かってない。

 やられてる・・・・・のは僕らじゃない、この星なんだ。新しい命を捧げないからこの星は死んでしまう。そのことを僕は分かってたけど、ノアには言えなかった。

 それから更に、僕らは旅を続けた。

 砂丘を横切る沙漠オオトカゲの群れは、どんなにひもじくても仲間の死体は決して食べることはしなかった。

 見渡すかぎり広がる白い沙漠の風景は、風が吹くたびに地形が変わり一度として同じ景色を見せてくれない。

 僕らを焦がすあの憎らしい赤い太陽は、西に沈む一瞬に世界を朱色に染め上げたあとに紫から黒へと変えた。

 いつの頃からか、夜になると吐く息が白くなっていた。僕らは肩を寄せあうように1つの毛布に包まりながら透明な夜空を見上げた。

「寒いね」僕が呟くと、

「だから綺麗なのよ」ノアは空の先を見つめたまま呟き返す。

「だから綺麗なのか」僕が繰り返してしまうと、

「そう。この世界は綺麗なの――本当は残酷なのに」ノアは夜空よりも澄んだ声で言った。

 その瞬間、僕は気づいてしまった、この旅はもう終わるのだと。





 ノアと旅を始めてから6ヶ月、僕らはこの星の裏側に辿り着こうとしていた。

 沈む太陽に押されながら、僕らは足元に延びる自分の長い影を追いかけるように前に進む。

 僕らの影が砂丘の天辺に届く、その先にあるのはこの星の裏側。ノアの足が速くなる、僕も急いで付いていく。

 影達が僕らの真似をする、ノアが登り切ったところで動きを止めた。すぐに僕も追いついて彼女と同じ景色を見た。

「ああ――」ノアの薄い唇から声が漏れる。

 やっぱりそうだよね――僕は自分の目で確認した。


 ――僕らの目の前に広がるこの星の裏側は、砂や岩を乗せていた地殻が既に剥がれていて、むき出しになった岩石マントルのあちこちがゆっくりと砕けて宇宙の底へと落下していた。あの岩石の下にはこの星の核がある。それが露わになって自分自身の重力で潰れたときこの星は死ぬ。まさにこの星は死に向かっている最中だった。


「やっぱり、こう・・だったんだ」

 俯くノアの表情は僕には分からない、だけど、肩が震えていることは分かるし、そんな気持ちにさせてしまったのは僕のせいだということも分かった。

「ここにはね、この星で一番高いいただきがあって、そこに登れば流れ星を捕まえられたんだって」

「星が、欲しかったの?」

 どんなに見上げても僕らの頭上には透きとおる黒い空があるだけ。遙か昔、僕らの祖先が煌めく星を次々に捕まえてこの星に捧げてしまったから。そうやってこの星の命を繋ぎ止めていた。捧げるべき星がなくなった今は星守人がその役目を果たす。

「ごめんね、こんなところに連れてきちゃって」

 視線を戻したノアは無理に笑った。と、その時、僕らの間に吹いた風が彼女のマントを煽った。

 フードが脱げ、銀髪が流れる。めくれたマントの下から覗くノアの体、見えた肌は沙漠のように白くざらついていた――、

「あっ」思わず僕は声を上げる。

 沙漠病――赤い太陽にあてられた人間が発病するやまい。この星の環境に耐性のない人間がすぐにかかる病気なので、多くは生まれたばかりの赤ん坊が発病して砂に還る。その試練に耐えた僕らが沙漠病になることはない、だけど。

「いつから、なの?」

 そう口にしてから、その質問は全く意味のないことに気づいた。

 沙漠病になってしまったから、僅かな可能性に賭けてこの星の裏側に行く旅を始めたんだ。この星でもっと高い頂に登って、いつ来るか分からない流れ星を待つ。幸いその奇跡が訪れたとしても、流れ星のしっぽを掴むことができるかは更に運頼みだ。万分の一からの万分の一、それでも流れ星を捕まえることが出来たのなら自分の病は治るかもしれない――ノアは諦めずにここまで旅してきたんだ、僕はその途中で拾われた沙漠の骨に過ぎない。

 なんの役にも立たない自分が悔しくて腹立たしくて胸が苦しくなる。

 唐突にノアが呟いたある言葉を思い出した――やっぱり、こうだったんだ――それってこの星が壊れだしたのを知ってたってこと? つまり、僕が本当は何者か分かってたってこと?

 ノアに目を向けると、彼女は何も言わずに目を細めて微笑んだ。





 僕らは崩壊していく岩石マントルがよく見える岩場の影にテントを張った。ノアの病状が急激に悪化したのだ。張り詰めていた気持ちが一気に切れてしまったのだと思う。

 干し肉がなくなるとノアの代わりに狩りに出た。クロスボウは上手く扱えない。だから、背高サボテンの群生地を見つけたときには本当に嬉しくなって飛び跳ねてしまった。これで食料はどうにかなる。

「カトルにしては上出来ね」

 今までと同じように灰色の目が笑ったけど、ノアは僕の背中を叩いてくれない。もうテントの中で横になっているだけで上体を起こすことすらままならない。僕は背高サボテンの実をむいて適当な大きさに切り分けるとノアの口に入れた。

「たまにはお肉も食べたいわ」

 力なく笑うノアを見て、僕はもう一度狩りをすることを決意した。だけど、沙漠オオトカゲは見つからないし、やっぱりクロスボウは苦手だし、これではノアに肉は食べさせられないと思った時、僕は目的の沙漠オオトカゲを見つけた。赤い太陽が白い沙漠を容赦なく照りつける中、1体の沙漠オオトカゲが倒れていたのだ。

 寿命か、病気か、暑さでやられたのか、そのどれかは分からないけど、肉にありつけるという事実の前では理由などどうでもよかった。だけど、近づいてよく見てみるとその死体は1体だけではなかった。死んでいる沙漠オオトカゲの前脚と後ろ脚の間に、もう1体、小さな沙漠オオトカゲがいた。

 間違いない、親子だ。しかも珍しいことに子どもの方はノアの瞳と同じ灰色、アルビノだ。更に驚いたことに、子どもの方の腹部がまだ微かに動いていた。

 石のように固くなって動かない親の手脚をどうにか引きはがして子どもトカゲを取り出す。カサカサに乾いててとても軽いけど、まだ生きてる鼓動を指先に感じる。

 沙漠オオトカゲは仲間の死体を食べない。親トカゲの体は赤い太陽と白い砂に焼かれ、数ヶ月で沙漠の一部になるだろう。

 僕は子どもトカゲを革袋に入れると、振り返らずにテントへと戻った。

「いくらわたしでも、生きたまま食べないわよ」

「ち、ちがう。そ、そうじゃなくて――」

「ふふ。分かってる」

 かすれた声で笑うノアは、子どもトカゲを見ると満足そうに微笑んだ。それがノアの答えだった。

 彼女の了解を得て、僕は子どもトカゲを飼うことにした。背高サボテンの実を小さく刻んで子どもトカゲの口に含ませる。5日も世話をしていると、干からびていた子どもトカゲはあっという間に回復した。沙漠オオトカゲはこの星に適合した強い生き物なのだと改めて思った。

「くすぐったいよ、クー」

 自分の顔にじゃれつく子どもトカゲに寝たきりのノアが優しく語りかける。子どもトカゲは「クー、クー」と鳴いてはノアに甘える、だから彼女がクーと名付けた。

 灰色の瞳を持つノアと、灰色のクー。僕だけが黒くて異端、だけど、それでいいと思った。だって、クーがぴょこぴょことノアの周りを飛び跳ねるたび、彼女が元気を取り戻していくように思えたから。


 だけど、それは僕の身勝手な願いに過ぎなかった――。





 暗い夜の中、強風が僕らのテントを襲った。崩れていく岩石マントルの影響か、それともこの星の断末魔か。他にも原因はあるかもしれないけど、全ては僕のせい――そう思いながら目を閉じていた僕にノアが急に言った。

「ねぇ、ねぇ。もう少しで風がやむわ」

 驚いて目を開けると、彼女は灰色の目を真っ直ぐ僕に向けていた。

「風がやんだらわたしをここから出して」

「いやだ、動かしたくない」

 僕は体を起こして彼女をにらみ返す、だけど彼女は怯まない。クーが目をパチパチとさせながら頭を上げた。

「もうすぐなの。ようやく来るの。お願い、カトル」

「そんなことできないよ!」

 出来るわけがない。すでに彼女は、クーを撫でるための手も、ひとりで歩くための足も、あるべき所にない。どんなに袋と布で縛っても、さらさらと流れて消えてしまった。それどころか、彼女はもう背高サボテンの実を食べても消化する器官すらなかった。そんな体の彼女を外に連れ出すなんて僕には出来ない。

「クー?」

 僕らの間に飛び出したクーが首をかしげながら鳴く。彼女と同じ灰色を持つ生き物、僕では絶対に持てない繋がりを彼女と持つ生き物――クーはノアに近づき愛おしそうに頬ずりした。彼女は嬉しそうに目を細めた。

 苦しい、胸が締めつけられるようだ。頭がガンガンする、息が出来ない、目が回って何も考えられない。

 刹那、誰かの手が僕の背中を叩いた。痛いのに心地良い感触――そんな筈はないと分かっているのに僕は彼女を見た。ノアとクーも同時に僕を見た。

 彼女と目が合った瞬間、僕は覚悟を決めて頷いた。

 気づけば、外の風はやんでいた。


 僕はゆっくりと優しくノアを抱きかかえる。ほんのちょっと息をするだけで彼女は崩れてしまいそうだったから。僕は口をギュッと閉じて何も言葉を発しなかった。彼女も何も言わない、ただまっすぐに僕の顔だけを見ていた。

 美しかった銀髪は、僕が動くたびに流れて消えていった。艶やかだった頬は真っ白な細砂に変わり、唇は乾ききっていた。灰色の瞳だけが綺麗だった。

 心配そうに僕の足元をうろうろとするクーを気にしながら、僕は慎重に、息を殺して、テントを出る。

 透明な夜空には何もない、それでも辺りが見えるのは白い砂のお陰だ。視界の左半分はむき出しになった岩石が音もなく崩れ落ち続け、右半分は無音の白い沙漠が地平線まで続いていた。

「クー」

 何かに気づいてクーが鳴く。と同時に、大轟音が音の波となって空から降り注いだ。

 僕はノアの頭を抱えてその場にうずくまる。その音と共に一筋の光が僕の目の端を走った。全身でノアを庇いながら黒い空を見上げる。

 

 ――そこには、青い尾を引きながら右から左へ落ちようとしている巨大な彗星があった。


「ほら、まだ星が、あったじゃない」

 僕の腕の中でノアが嬉しそうに言う。

「手を伸ばせば、捕まえられそうよ」

 ノア、もう喋らないで。

「さいごに流れ星、見れてよかった」

 言葉が零れるたびに僕の腕の中がどんどん軽くなっていく。

「この世界は、ほんとうに綺麗――」

 ノアの言葉を受け取り、青い流れ星がより一層大きく光った。それに呼応するように沙漠の白い砂たちが青白い光を放つ。

 この星の生き物はいつかみんな沙漠の白い砂になる。砂になった魂が反応している、何故だか僕にはそれが分かった。

 沙漠から発せられた光は寄り集まって粒子となり、彗星へと向かう。彗星はそれらを飲み込むと、青い尾を更に伸ばして宇宙の底へと落ちていく、この星の全てを連れて。

「クー」

 その鳴き声に気づいて腕の中を見る。砂となりつつあったノアもまた、光の粒子へと変わろうとしていた。

 いやだ、ノアを連れていくな、逆じゃないか、ノアが彗星を捕まえるんだ。あの流れ星はノアのだ!

 真上を横切る青い星を見ていたノアの目が僕に移る、ただ真っ直ぐに、迷いもなく。そして、うっすらと微笑んだ。

「ほんとうはわたしの星だけど、カトルにあげるね」

 ノアの灰色の瞳に僕だけが映る。いまの彼女はただただ安らかだった。

 どうしてそんな顔が出来るの? どうして僕を罵らないの? どうしてずっと黙ってたの? この星が壊れてしまうのも、流れ星が捕まえられなくなったのも、ノアが砂になってしまうのも、僕が星守人から逃げ出したせいなのに。


 ――だから、わたしより、ながく、生きてね。

 

 ノアの言葉が落ちる。

 砂に爪を立て、染みこんでいく言葉をかき集めたい。だけど、抱いているノアの頭を放せるものか。待ってくれ、こっちに来い、青い彗星、連れていかないでくれ。替わりにこの僕を、僕を連れて行ってくれ!


「わあああぁぁあぁぁぁあぁぁ----!!」


 巨大な彗星が、青い線を描きながら宇宙の底に向かって落ちていく。沙漠の砂になった者を全て連れて。クーが悲しそうに黒い空を見上げた。

 手のひらに残った灰色の砂を握りしめたまま、僕は白い沙漠の真ん中で、青い星に向かって叫び続けるだけだった。



   ☆



 目覚めた時、僕は自分のベッドの上で寝ていた。酷い寝汗で首の周りはぐっしょりだった。

 見れば養母が心配そうな顔で僕を覗き込んでいた。

「だいぶうなされてたようだけど大丈夫?」

「平気だよ、養母かあさん」

「それなら、いいけど」

 僕に水を渡した養母は、部屋の机に置かれていた革袋に目を遣った。あの中には数日分の水と干し肉が入っている、養母が用意してくれたものだ。

「あのね、カトル」一呼吸置くと、養母は真剣な眼差しで言った。「今ならまだ間に合うから。父さん、まだ寝てるし、オアシスの西から出ればまだ街の誰にも会わないから」

 隣部屋の物音に少し集中すると、ゴソゴソという何かがすれる音が微かに聞こえた。養父が寝ているというのは嘘だ、寝ているふりをしてくれているだけだ。

「――ありがとう」

 思わず気持ちが口をついて出る。だけど、これは僕の本心、心からの言葉。まだ何か言いたそうな養母に首を振ると、壁に吊されていた儀式用の服を見た。僕は今日、赤い太陽が天頂に達したときにこれを着てこの星に生命を捧げる。

 今なら養母と養父の気持ちが分かる。僕はこの星を救うための生け贄であり、同時に養父母の子ども。養父母は誇らしいことだと思わなければならなかったし、それ以上に僕を愛してくれていた。だから、ありがとう。

 僕は夢を見た、このオアシスを出た1年後の未来を。

 きっと遙か昔から、星守人になった人はもう1つの未来を見たのだと思う。

 星守人のお話はこれまでいくつも聞かされてきた。それは男であって女であって、子どもであって大人であって、貴族であって農民であって、穏やかであって野蛮であった。実に様々な人々が星守人になってこの星を守ってきた。

 だけど、逃げたり投げ出したりする話は1つもなかった。それはきっと、別の未来を見てしまったから。

「なら朝食を用意するわね」と養母が部屋を出て行く。曲がった腰を見ながら、僕はもう一度お礼を呟く。そして付け加える、「ごめんなさい」と。

 僕は未来を残したい、それは養父母のため、オアシスのみんなのため、この星の生き物すべてのため――いいや、本当はもっともっと小さい理由。だけど、僕にとってはとても大切なこと。

 この世界を綺麗だと言った、まだ会ったこともない、そしてこれからも会うこともない、あの子とクーのため。

 継ぎ目から入り込んだ朝日に誘われ窓扉を開ける。泉を取り囲む家々の先に白い砂丘が脈々と続く。その頂上から赤い太陽の輪郭が見えようとしている。

 とても眩しい朝、明日も続く朝。


 僕の心はとても落ち着いていた、僕だけの星を見つけていたから。

 だって僕は、一番の星を守る、星守人なのだから。



   <了>


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