3.『眠れない男と猫』

「眠れん」そう呟いた瞬間が敗北の瞬間である。

 人間、人生の3分の1を寝て過ごすと言うが。

 まあ、眠れない夜もある。

 俺の場合、今日がそうだってだけだ。

 しかしなあ。困ったものではある。

 明日は大事な用があり。早朝に起きなければならない。

 しかし今は1時過ぎ。タイムリミットは刻々と迫っているのだ。

 

 こういう場合、どうするか?

 単純に疲れればいいのだが。

 うまい具合に疲れる行為を思いつけない。

 と、言うか、そういうヤツは全部試した。

 その結果が今である。ベッドの上で呻吟しんぎんする俺だけが残された。

 時は無常であり、簡単に過ぎ去っていく。

 こうやって煩悶している間にも秒針は進む。

 

 焦れば焦るほど、眠気は去っていく。もう地平線の先の先に消えて久しい。

 羊など1000頭は数えた。なんならタップダンスさせたりもした。

 一向に眠くはならない。

 

 俺の隣にはトラ縞の猫。

 彼は仰向けでぐっすり眠っていて。なんならイビキをかいている。

 俺は彼の腹をさすりながら願う、「早く寝かせてくれ。一時間でも」

 しかし、神とはそういう時に不在なモノで。俺の願いは宙へと消えていく。

 

 段々と腹が立ってくる。

 身近なモノへと怒りが向かう。

 うむ。猫くん。君が寝ているのが気に食わん。

 俺はベッドから抜け出して。戸棚から猫おやつを取り出して。

 猫おやつの封を切る。

 その音で彼を目覚めさせようって訳だ。

 だが。彼の眠りは深いらしく。全く反応なし。

 余計に腹が立ってきて。俺は彼の鼻先に猫おやつを差し出す。

 イビキをかいていた彼は。イビキを止め、舌を出し、空を舐める。

 空を舐めるその姿は滑稽で。俺は笑ってしまう。

 笑うと怒りは遠のく。

 そして現実に気づく。もう2時である。猫で遊んでいる場合じゃない。

 

 タイムリミットは6時。今は2時で残り4時間。

 ヒトの睡眠は1時間半がベースになっている、と何処で聞いたような聞かなかったような。つまり3時間は寝ておきたい。残りは1時間。さっさと眠らなくてはならない。

 

 さあ。どうするか。

 開けっ放しの猫おやつを手でもてあそびながら考える―が。ロクな事を思いつきやしない。

 とりもあえず、煙草を吸いにキッチンへ…っと。猫おやつはラップして冷蔵庫に仕舞っておこう…

 

 キッチンへと着いて。

 戸棚に隠してある灰皿を取り出して、一服。猫を飼っていると煙草の始末に困る。適当に放っておくと誤食されかねないからだ。

 煙草が中程まで燃える。紫煙がキッチンに広がる。

 ああ、この煙が。催眠ガスだったらいいのにな、なんて阿呆な事を考える。

 しかし現実は無情であり、煙は唯の副流煙である。ヤニしか含まれていない。

 

 ああ。いっそ。

 徹夜でもかましてしまおうか。そう思う。

 ちょうど、冷蔵庫の中にはエナジードリンクがスタンバイしており。

 一日耐え抜けばどうにかならん事もない。

 だが。明日のイベントは寝不足でこなせるようなモノではない。

 時計を見れば、もう2時半。

 ああ。あと30分しかありゃしねえ。

 

 仕方がないから、俺はベッドへと舞い戻る。

 その時に軽く弾みをつけてベッドに入ったのだが。

 その衝撃でトラ縞猫くんは目覚めてしまった。

「ふなぁ」彼は不服そうに述べ立てる。

「すまん」俺はそう言うが。

「なーお」ウダウダ言うな、と言いたげだ。

 俺はそんな猫をスルーしてベッドに寝転ぶ。

 その腹の上に猫は陣取る。重たいったらありゃしない。

「ふぐるるるるぅ」何故か喉を鳴らし始める猫。どうやらくつろぎだしたらしい。

 こうなってくると、俺はもう動けない。

 漬物石が腹の上にある感触。これは案外に気になる。

 眠りたいのに、猫が退く気配はない。

 仕方がないから俺は目をつむって。猫の喉音を聞きながらぼんやりする。

「ぼろろろろろろ」猫ビートは最高潮に達しつつあり。

 俺は「寝れねえなあ」って考える。

 腹の上の生暖かさが妙に気になる。

 

 ふと気になって時計を見ようとする―が。時計を見たら負けだ。時間を把握してはならない。眠れない者は時間を気にするなかれ。

「ぶるるるるる」猫のビート。いつまで腹の上で寛ぐつもりだ?この猫くんは。

 俺はぼんやりと数時間後の事を考える、車であそこに向かって…

 

「んなあ」と猫が鳴く。

「あ?」と俺は応える。妙に眩しいのは何故か?

「ふなーん」この声はメシを求める声で。

 目を開ければ、朝日が差している。

「…いつの間にか寝てたか」

「なあ」

「お前のお陰で寝れたのかもな」

「なおん」

「ハイハイ、メシな」

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『眠れぬ夜のスケッチ集』 小田舵木 @odakajiki

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