FLASH
杏
FLASH
※フラッシュの点滅にご注意ください
無数のカメラのシャッター音。パシャパシャという世間の冷ややかな視線を表すような音。その音と同時にカメラから発される閃光。俺の目の前でギュッと目を瞑りながら深く深く頭を下げる男の味方は、この場には誰一人としていない。
彼にしては珍しく真っ黒なスーツを身にまとっていて、いかにも「正装」という感じだ。謝罪会見だから当たり前かもしれないが。少なくとも俺は彼がこんな服を着ている姿を見たことがなかった。いつもはもっとこう、チャラくていかにもバンドマンというような、柄シャツにスカジャンみたいな、そんな感じの服装だった。
起床後すぐ、その事件は世間の耳に入った。バンドマンの轢き逃げ事件。幸い被害者の若い男性の怪我の状態は軽傷程度らしいが、なにせ今を輝く人気バンドのボーカルが起こした事件だったから、朝も昼も夜も、ワイドショーは必ずと言っていいほどその事件を取り上げていた。だから彼の名声も人気も、日に日に地に落ちていった。
それから数日経って、今ここでその謝罪会見が行われる。どうやら被害者との和解が成立したらしく、彼が刑務所に入れられることは無い。が、きっとこの事件で多くのものを失ったし、これからも失うことになるだろう。
彼が顔を上げて、目を開いて、質疑応答が始まった。
「これより、フラッシュを伴う写真撮影はお控えください」
質問を受け付けるより前に、司会の人がそう言った。
「事件当時、ご自身がどのような状態だったか覚えていますでしょうか」
「いや、その……失礼だとは思うのですが、正直言って、その事件があった少し前から事件が起きてすぐまでの記憶がなくて……」
轢く直前までの記憶は無い。
「被害者を轢いた記憶が無いということでしょうか?」
「いや、……まあ、そうですね、そういうことになりますね」
つまりもちろん轢いた瞬間の記憶もない。
「そういうことになりますって、実際のところどうなんですか?」
「実際……そうですね、自分でも正直何が起こったのか分かっていなくて……和解の際に被害者の傷を見た時もどこか他人事のようにしか思えなくて」
自分が事件を起こしたという自覚もない。
「貴方が轢いたんですよ?」
「いや、まあ、はい、それはそうですね。ものすごく申し訳ないと思っています」
事件に対しての薄っぺらい謝罪。
「記憶が無いとのことですが、飲酒運転では無いのですか?」
「いや、それはないです。直前にアルコールを車内に持ち込んだ記憶もありませんし、検査でも出てません」
アルコールを飲んだ形跡は無い。
質疑応答から浮かび上がったそれらの事実によって、より世間からの人気を落として行くことになるだろうと思った。
家に帰り、軽く会見内容を記録したメモを見る。何が起きたのか未だにハッキリ分かっておらず、キョドりながら会見を続けていた彼の姿を思い出す。想像しただけで笑いが込み上げてきた。これだけの事件で彼のあんなにも戸惑い焦る様子が見られるなんて。少し可哀想な気もしたけど、そんな感情は直ぐにぼやけてきえていった。とにかく早く原稿を書かないと。また週刊誌はよく売れるだろう。
この事件を起こした根本は彼じゃない。他でもない俺である。
彼とは中学時代の同級生だった。
当時から彼は明るいというかチャラくて、後にバンドマンになるぐらいだからそれなりに歌も上手かったしギターも上手かった。取り巻きも沢山いたし、誰が見ても彼はヒエラルキーのトップにいたと思う。それに対して俺はと言えばクラスの隅の方で本を読んでいるような典型的な三軍男子だった。
当時、俺は彼に虐められていた。無視されたり本を破かれたり、死にたくなるほど酷いものではなかったけど、彼の取り巻きと共に集団で虐められていたから、それなりに辛いものではあった。
大学生になった時、彼がバンドマンをしていて、しかもそのバンドがまあまあ売れているということを知った。
それが許せなかった。昔俺を虐めていたくせに希望だとか明るい未来だとかを歌って、良い人のような顔をしているのが嫌で嫌で仕方なかった。世間の全員が彼の整った外見と、彼の作る曲の歌詞に騙されて、男女問わず好かれているのが気持ち悪かった。
虐められていたからか、それともそれよりも前からずっとそうだったのか分からないが、俺も性格が良い訳ではなかったし、むしろクズだと分類される側の人間だった。だから彼を心から憎んで、復讐を決意することは容易だった。
大学を卒業してから週刊誌の記者になった。彼のとんでもないスクープが欲しくて世間を駆け回ったが、中学の頃と違って今は真っ当に生きているのか、そんなものは出てこなかった。それが余計にムカついた。自分だけが中学時代に固執してるみたいなのが嫌だった。
だからあの事件を起こして、スクープを自ら作り出した。
中学時代の彼について、記憶に残っていることは少ない。あったとしても虐められた記憶だけだ。しかし、修学旅行に行った時、彼が真夜中の雷に怯えていたことを唯一鮮明に覚えていた。とんでもない雷雨に意識を飛ばしていたことを。俺が知る、彼の数少ないわかりやすい弱点だったから、忘れるはずもなかった。
それを利用しない手はなかった。
数日前。彼の車と帰り道は既に特定済みだった。その日のスケジュールも把握していた。真夜中に帰宅した彼が、最後に車で通る交差点の、その三十メートルほど前。
街灯の少ないその道で、その車の前で俺は激しいフラッシュを焚いた。
運転者の意識を失ったその車は、やがて、交差点を渡っていた人間を、轢いた。
きっと彼は、謝罪会見で目の前に立っていた記者の顔も名前も覚えていない。
覚える必要も無い。
そしてこれからも、思い出す必要などないのだ。
ただ、絶頂から急降下する自分の人生を、何も分からないまま眺めていてくれれば、俺は満足だ。
FLASH 杏 @karamomo0314
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