エピローグ

エピローグ

 時は流れ、『何でも屋勇者のサブカルライフ』の制作発表会の日がやってきた。


 翠奈が作詞した『サブカル色に染まるセカイ』は特にリテイクもなく、そのままの歌詞が採用されている。一事はネガティブモード全開に頭を抱えていたはずなのに、こんなにもすんなりと決まってしまうなんて。

 ただミラのことを想って書いただけなのに、不思議なこともあったものだ。


「……わぁ、今日が来ちゃったよ」


 ピピピ、という何の変哲もないアラーム音。

 チュンチュン、というスズメの鳴き声。


 聞き慣れた二つの音で目を覚ました翠奈は、すぐさま緊張感に包まれるのを感じた。そりゃあそうだろう。制作発表会にはたくさんの原作ファンが集まるのだ。スタッフ・キャスト情報だったり、放送時期だったり、キービジュアルだったり。様々なものが発表される中で、翠奈が担当する『サブカル色に染まるセカイ』もオープニング映像とともに解禁される。

 更には生歌唱も告知されていて、果たしてファンの皆に受け入れてもらえるかという不安は当然のようにあった。


(とりあえずスマホ……)


 そわそわした挙句、顔を洗うでも着替える訳でもなくスマートフォンに手を伸ばす。絶対にエゴサーチだけはしてはいけないと心に決めながらも、当たり前のようにSNSを開く翠奈。


「『おはよー。緊張の朝だよっ』……っと」


 原作本とともに自撮りをしてSNSにアップする。

 するとすぐに「頑張れー」「応援しに行きます!」「配信で観るよ」などといったファンの声が届いて、翠奈は小さく「ありがとー」と囁く。こういう時、ファンの温かい声ほど助かるものはない。


「よしっ…………あれ」


 そっとファンに感謝しつつ、翠奈はようやく顔を洗いに動き出す――と思いきや、ピタリと動きを止めてしまった。


「わっ、江館えたてさんのご夫婦、子供が生まれたんだ」


 ふと嬉しいニュースを見かけてしまって、翠奈は表情を緩める。

 推しのアニソンシンガー夫婦に子供が生まれたというニュースだ。女の子で、名前は呂胡ろこちゃんというらしい。


「呂胡ちゃん、か……」


 何故だろう。

 想像以上に心がぽかぽかしてきて、スマートフォンの画面から目が離せなくなってしまった。


「可愛い名前だな」


 呟きながら、翠奈は心の中で「ほんっとうに可愛い」と付け足す。

 推しの幸せは自分の幸せ、とはよく言ったものだが、まさかここまで嬉しくなるとは思わなかった。いつか彼女もアニソンシンガーになる日が来るのだろうか? それとも、まったく別の道に進むだろうか? 未来はまだ、誰にもわからない。

 だけど。


「いつか一緒に歌えたら良いな」


 気付けばそんな言葉を呟いていて、翠奈は一人照れ笑いを浮かべる。

 その前に、まずは今日だ。今日、自分が大きな一歩を踏み出すことで、夢はどこまでも広がっていくのだから。



 ***



 イベントはつつがなく終わった。

 ……なんて言うと淡々としていると思われてしまうかも知れないが、何だかんだ言って緊張していたのだ。

 今回のイベントはライブ配信もされていて、拍手や歓声だけではないリアルな感想もリアルタイムで届いてしまう。「ここのアニメ会社なら安心だな」とか、「イメージピッタリの声優さん!」とか、「キービジュめっちゃ良い……」とか。


 そんな感想の中には、もちろん翠奈の歌う『エンタメ色に染まるセカイ』に対するものもあった。「OP良い感じやん」とか、「瑞野楽曲安定だな」とか、「転移者視点の歌詞、意外だったけど良いな」とか。『何でも屋勇者のサブカルライフ』のファンには祝井翠奈を知らない層も多く、だからこそ楽曲に対する率直な感想が多かった。


 知らない歌手だから嫌だ。

 畑違いの歌手だから嫌だ。


 そんな感想も、もしかしたら探せば出てくるのかも知れない。でも、目につくのは好意的な感想ばかりで。


(良かったぁ……)


 ただ、「報われた」と翠奈は思った。


(でも、ちゃんと話せば良かったな)


 しかし、翠奈には一つだけ心残りがある。

 それは――原作者の紺藤桐生先生のことだ。一応、イベント前にあいさつはした。でもイベント前の翠奈は当然のように緊張していたのだ。「初めまして」「今日はよろしくお願いします」といった事務的な会話しかできなくて、紺藤先生も口数が少なかった。


 灰青はいあお色のベリーショートに、濃褐色のつり目。彼の容姿はインタビュー記事などで見たことがあったが、その時の印象と変わらないクールさがあった。

 だから何となく踏み出すことができなかったのだが、今の翠奈は後悔が残っていて。


「あっ」


 だからこそ、翠奈は瞳を丸々とさせて驚いてしまう。

 噂をすれば何とやら。イベント後の楽屋に彼が現れたのだ。

 翠奈が大好きな『何でも屋勇者のサブカルライフ』の原作者、紺藤桐生先生が。


「すみません、祝井さん。どうしてもお伝えしたいことがありまして」

「え、あ、はいっ! 全然大丈夫……というか、むしろ嬉しいくらいでっ」


 直立不動になりながら、翠奈は上ずった声を漏らす。

 すると紺藤先生はふふっと笑みを零した。同時に八重歯が覗いて、翠奈は「あれ?」と思う。イベント前に感じたクールさはいったい何だったのかと思うくらい、目の前の紺藤先生は温かい空気に包まれている。



「『サブカル色に染まるセカイ』、素敵でした。祝井さんの綴ったミラへの想い、しっかりと受け取らせていただきました。……本当に、ありがとうございます」



 紺藤先生の声は微かに震えを帯びていた。

 笑っているのに瞳は潤んでいて、だけど視線はまっすぐ翠奈に向いていて。まるで紺藤先生という存在自体が大きな花束のように見えてしまった。

 嬉しくて仕方がなくて、ぐにゃりと視界が歪む。


「い、祝井さん。大丈夫……ですか?」

「えへへ、すみません。大丈夫ですよ。ただちょっと……かなり、嬉しかっただけです。原作者さんの心にちゃんと届けられたのは、わたしにとって凄く大きなことなので」


 溢れる涙をハンカチで拭いながら、翠奈は恥ずかしさを誤魔化すように笑ってみせる。


「でも、本当にありがとうを伝えるべきなのはミラ様だと思ってるんですよ。ミラ様はエンターテイメントが好きで、自分の知らなかった『楽しい』を知ることが好きで、それをエンターラの人達に広めるのも好きで……。そんなミラ様の姿を見ていたから、わたしも一歩を踏み出せたのかも知れません」


 言いながら、翠奈はまた「えへへ」と笑う。

 ミラ・ラエトゥスはあくまでエンタメの世界で生きる勇者様だ。現実にはいない人物に対しての言葉だと思うと、若干恥ずかしい気持ちになってしまう。だけど、恥ずかしくても良いではないかと思う気持ちも確かにあるのだ。

 それくらい、ミラと『何でも屋勇者のサブカルライフ』には感謝をしているのだから。


「あっ、そうだ。紺藤先生」


 嬉しくて、恥ずかしくて、心がふわふわしてしまう。

 紺藤先生の言葉を聞くことはできた。だからもう、翠奈の心は満足している。

 だけど、せっかくこうして紺藤先生と向き合っているのだ。何か言うことはないかと頭を巡らせて、翠奈ははっと気が付く。


「『コンキリオ』って言葉、知ってますか?」


 問いかけると、紺藤先生は何故か瞳を大きく開いた。口も半開きになっていて、傍から見ると酷く動揺しているように見える。

 どうしたのだろうと思いつつも、翠奈は言葉を続けた。


「作詞をしている時に、色々調べていたんですよ。そしたら『コンキリオ』っていう言葉を見かけて。ラテン語で結び付ける・繋がる・大切さ・想い寄るっていう意味みたいなんです。世界観にピッタリって思ったんですけど、紺藤先生の名前を彷彿ほうふつとさせるので結局使うのは諦めちゃったんですよー」


 言って、翠奈は照れ笑いを浮かべる。

 色々調べておいて、歌詞の中には英語すら一つも入っていないのだから笑ってしまう。だけど原作者である紺藤先生には何となく『コンキリオ』というワードを伝えたくなってしまったのだ。


「すみません、変な話題でしたよね」

「いや、そんなことないですよ。……僕、知ってるんです。『コンキリオ』って言葉」

「えっ、そうなんですか! あ、今後そういうキャラクターが出てくるなら頑張って記憶を消しますけどっ」

「いやいや、そういうことじゃなくて」


 わかりやすく焦り出す翠奈に、紺藤先生は優しく微笑みかける。

 ついさっきまで動揺していたはずなのに、彼の瞳は驚くほどに優しい色をしていた。


「紺藤桐生って、本名じゃなくてペンネームなんですよ」

「あ、もしかして『コンキリオ』がペンネームになる可能性もあったっていう話ですか?」

「…………まぁ、そんな感じです」


 何故か目を伏せながら、紺藤先生は呟く。


「まさか、祝井さんの口から『コンキリオ』なんて言葉が聞けるとは思っていなかったのでビックリしましたよ」

「わたしも、まさか『コンキリオ』が通じるなんて思いませんでした」


 呟きながら、翠奈は紺藤先生の顔を覗き込む。

 少々距離が近すぎただろうか? だけどここにはクールな紺藤先生の姿はなくて、照れながらも八重歯を覗かせる紺藤先生がいる。

 大きな花束を受け取って、『コンキリオ』で通じ合って……あとはもう、アニメがスタートするのを待つだけだ。

 当たり前のようにそんなことを思ってしまった。


「紺藤先生。わたし、『何でも屋勇者のサブカルライフ』が大好きです。大好きな作品に関わることができて嬉しいんです。だから……」


 小さく息を吸って、紺藤先生を見据える。

 最初は不安だった。「わたしなんかが」と思っていた。

 だけど、大好きなものへと飛び込んでいく勇気はたくさんもらったから。



「わたしも、歌で想いを繋げます」



 しっかりと紺藤先生を見つめながら、翠奈は宣言する。

 同時に手を差し伸べると、紺藤先生は迷わずに握り締めてくれた。手を差し伸べるという行為はミラがよくしているイメージだが、今日くらいは自分がしても良いだろう。

 だって、



「祝井さん。『何でも屋勇者のサブカルライフ』をこれからもよろしくお願いします」



 たった今、大好きな作品とともに大きな一歩を踏み出したのだから。



                                         了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

勇者とわたしのアニソン制作記 傘木咲華 @kasakki_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ