5-9 エンタメ色に染まるセカイ

 会場はすでに感動と興奮に包まれている。

 このまま幕が閉じてもおかしくはない雰囲気だが――まだ、もう一つのメインイベントが待っていた。


 ポエッタとプルマがステージから捌け、翠奈一人が残される。

 この時点で、「何だ何だ」と客席がざわつき始めていた。


「改めまして、祝井翠奈です。皆、どうしてわたしだけがステージに残っているのか不思議に思ってますよね? その答えは、これです!」


 言いながら、翠奈はバックスクリーンを手で指し示す。

 スクリーンに映し出されたのは、「『何でも屋勇者のサブカルライフ』、アニメ化決定!」の文字だった。同時に、わあっと歓声が沸き起こる。まるで彩り豊かな花火が打ち上がるように、一人ひとりの喜びが爆発していた。


(そっか。わたしだけじゃなくて、エンターラの皆にとっても『何でも屋勇者のサブカルライフ』は大切な漫画なんだ)


 そんな当たり前の事実に、胸がじわりと温かくなる。

 プレッシャーはなかった。むしろ心が躍っているくらいだ。


「何で紺藤先生……コンキリオさんじゃなくて、わたしがアニメ化を発表してるのか。察しの良い人はもしかしたら気付いているかも知れませんね。……そうです! わたし、祝井翠奈がオープニングテーマを歌うことになりました!」


 胸を張って言い放つと、喜びの花火が再び打ち上がる。

 エンターラの皆が。『何でも屋勇者のサブカルライフ』を愛する皆が。自分のことを受け入れてくれている。

 嬉しくて、早くも涙腺が緩んでしまいそうだ。


「実は、ミラ様に連れられてエンターラにやってきた理由は、大好きな漫画のオープニングテーマを歌うのが不安だったからなんです。だけどわたしはエンターラのことを知って、ミラ様のことを知って、皆さんのことを知ることができました」


 へへっと微笑み、翠奈は溢れそうになる何かを拭う。

 やっと。やっとなのだ。

 大好きなエンターラの皆に、ようやく辿り着いた答えを示すことができる。

 こんなにも嬉しいことはないな、と思った。


「わたしは、皆さんからたくさんのエンターテイメントをもらいました。だから今度は、わたしがみんなにエンタメを届ける番です」


 しっかりと客席を見つめながら、翠奈はマイクをぎゅっと握り締める。



「聴いてください。『エンタメいろまるセカイ』」



 曲名を囁くが否や、ピアノのイントロが流れ始める。

 エンタメ色に染まるセカイ。

 TVアニメ『何でも屋勇者のサブカルライフ』のオープニングテーマ。

 歌唱と作詞は祝井翠奈で、作編曲はアニソン業界でも有名なクリエイターである瑞野みずの果織かおり

 ピアノの旋律が印象的なポップでアップテンポな楽曲だ。転調も多く、まさしくおもちゃ箱をひっくり返したような楽しさが詰まっている。


 翠奈は客席を見渡しながら、リズムに合わせて身体を揺らす。ドキドキと波打つ鼓動は緊張ではなくわくわくで。

 その気持ちを表現するように、翠奈は歌声を響かせる。




 やぁ こんにちは 初めまして ここは君のためのセカイだよ

 漫画 小説 カメラに アイドル 無限に広がる選択肢


 どうして私はここにいる?

 甘えるだけ甘えたってさ 惨めなだけだしつまらないじゃん

 って 本当に? 馬鹿じゃないの?

 瞳の色にも気付かずにさ


 ここは私のエンターテイメント

 好きと大好きが加速していく

 『ありがとう』を伝えられる私は

 誰よりも誇れる私なの

 お人好しがループする

 こんなセカイも悪くないね


 ねぇ 本当は 不安なんでしょ 私なんかがって思うでしょ

 愛も 希望も 光も 夢も いつかは消えちゃう魔法かも


 それがどうしたって勇者が笑う

 たくさんのサブカル抱えてさ 楽しそうにして馬鹿みたいじゃん

 って 本当は わかってるよ

 瞳は期待色に染まる


 ここは私のエンターテイメント

 好きと大好きが加速していく

 『ありがとう』を受け取った私は

 誰よりも幸せ者なんだよ

 それを教えてくれた君は

 やっぱりお人好しなんだね


 エンタメだとか サブカルだとか

 ありがとうだとか さよならだとか

 現実だとか 異世界だとか

 きっとそんなの関係ない

 楽しいものは いつだってここにある


 ここは私のエンターテイメント

 好きと大好きが加速していく

 『ありがとう』を伝えられる私は

 誰よりも誇れる私なの


 だから何度だって言うよ

 私を救ってくれた君へ


 ありがとう




 翠奈は決して語彙力がある訳ではない。

 だからどうしたって「ただの手紙だなぁ」と思ってしまうし、もう少しセンスのある歌詞にできたらと思ってしまう。


 だけど、後悔はなかった。

 自分の中にあるエンターラへの――ミラ・ラエトゥスへの想いは、しっかりと書き記すことができたから。


(…………あっ)


 ふと、翠奈はマイクを握り締めている右手の甲を見る。

 漫画と同じ、花の紋章。少しずつ花弁の数が減っていって、今朝には一枚だけになって、あとはもう、自分の気持ちの問題だった。


 そんな花弁が今、消えてなくなっている。

 きっとこのタイミングなのだろうという予感は何となくしていた。だから翠奈はふっと笑う。足元に現れた魔法陣にも驚かないし、あの頃みたいに「きっとこれはライトだ。インテリアだ」なんて現実逃避もしない。


 だからもう、大丈夫だ。

 はっきりとした決意を固めながら、翠奈は何気なく舞台袖を見る。


「……もう」


 ミラがこちらの様子を窺っている。近付こうか、やめようか、珍しく迷っているようだ。最後の最後に可愛い姿を見せるなんて、まったくもって反則である。ついつい駆け寄って抱きしめたくなるが、それも何だか違う気がした。


「ミラ様」


 そっと手招きをすると、恐る恐るミラがステージへとやってくる。

 翠奈ちゃん、と囁く声はあまりにもか細くて。翠奈は思わず笑ってしまう。お別れの瞬間に弱々しい姿を晒してしまう――それもまた原作通りだった。



「これからもよろしくお願いします」



 感謝の気持ちはアニソンで伝えられたと信じつつ、翠奈は大きくお辞儀をする。

 自分はもう、『何でも屋勇者のサブカルライフ』の主題歌アーティストだ。だからさよならを伝えるのは何かが違う気がして、むしろ「よろしく」を伝えるのが正しいと思った。


「ああ、そうだな。よろしく、翠奈ちゃん」


 涙を拭い、ミラは手を差し伸べてくる。

 今まで何度も力を分けてもらってきた、ミラの手のひら。でも、今は違う。

 これは決意を示すための握手であり――。



 わたし達にとっての、始まりの握手だ。



 ***



「ぅわっ」


 ぱちぱちと何度も瞬きをしながら、翠奈はフライパンの中の目玉焼きを見つめる。


「え、嘘。わたし、朝食作ってる最中に意識が飛んで……?」


 そんな馬鹿な、と翠奈は思う。

 確かに自分はさっきまで酷いネガティブにさいなまれていた。

 翠奈にとって初めてのアニメタイアップの話が舞い込んで、「今までアニメタイアップのなかったアイドルが主題歌を担当」という事実に頭を抱え、無理だよ無理無理と匙を投げかけて――。


「だからって普通、意識飛ぶ……? うぅん、今日は無理に作詞するより休むべきなのかな」


 呟き、眉間にしわを寄せる。

 だけど手はテキパキと動いていて、目玉焼きをフライパンの端に寄せてソーセージを炒め始めていた。ちなみに、目玉焼きはウスターソース、ソーセージはケチャップ派である。

 目玉焼きとソーセージを皿に乗せると、ちょうど良くトーストも焼けたようだ。たっぷりのバターと毎朝飲んでいる牛乳を用意して、ダイニングテーブルへと移動する。


「……あれ?」


 いただきますと手を合わせ、いつも通りの黙々とした朝食タイムを過ごしていると、ふとした違和感に気が付いた。


「ネガティブ…………だったんだよね、わたし」


 小さく首を捻る。

 料理中に意識が飛んだ。その事実はもちろん変わらないし、「大丈夫かわたし?」と不安になる。だけど一つだけはっきりと言えることがあった。


 明らかに頭がスッキリしているのだ。

 さっきまでネガティブモードが夢だったのではないかと思うほど、胸の真ん中に火が灯る感覚。むしろ、先ほど呟いた「今日は無理に作詞するより休むべきなのかな」に疑問を覚えてしまうほど、翠奈の心はやる気の色に染まっていた。


「エンターテイメント、か」


 ほとんど無意識のうちに、翠奈は言葉を零す。

 翠奈はアイドルだ。「ありがとう」を受け取る側も、伝える側も、どちらもかけがえのないものだということを翠奈は知っている。


「そっか。わたし……ミラ様にありがとうって伝えたいんだ」


 ミラ・ラエトゥス。『何でも屋勇者のサブカルライフ』の主人公であり、物語の中で何度も翠奈の心に手を差し伸べてくれた勇者様。


 そんな彼女に感謝を伝えられるチャンスがやってきた。

 そう思うだけで、今まで不安な気持ちが吹き飛ばせそうな気がする。


「作詞、頑張ってみようかな」


 ただの手紙みたいになってしまうかも知れない。

 でも、伝えたい言葉は自然と頭に浮かんできて、むしろ「やってみたい」というポジティブな気持ちが流れ込んでくる。


「今朝のネガティブって、単にお腹が空いてて頭が回ってなかっただけなのかも」


 自虐的に呟き、はは、と笑う。

 だけど――何故だろう。

 胸に灯る温かさはどこまでも優しくて、ぎゅっと心が苦しくなる。まるでミラ・ラエトゥスが本当に自分を見守ってくれているようで、翠奈は馬鹿だなぁと思った。


「こんな妄想しちゃうくらい好きなんだなぁ、わたし」


 ミラ・ラエトゥスというお人好しな勇者も。

 エンターテイメントを愛してくれているエンターラの人々も。

 好き好きでたまらないからこんなにも悩んで、迷って、だけど最終的には前を向くことができたのだろう。



「さてっ、書きますか」



 朝食を済まし、翠奈はからりと言い放つ。


 祝井翠奈、十八歳。

 彼女は自他共に認めるアニメオタク系アイドルであり――。



 これから、『何でも屋勇者のサブカルライフ』のオープニングテーマを担当することになるアーティストだ。

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