テールランプと遠い月

あめのちあめ

テールランプと遠い月

外灯を頼りに部屋の鍵をかけて、キーリングから外したそれをポストへ投げ込む。皮でできたタグがついたキーリングにはまだ四つ鍵が残されていた。

ボストンバッグの重みに生活の長さを感じながら、駐車場へと向かう。澄んだ空に浮かぶ三日月を見上げて、一番小さな車のキーを運転席のドアノブにねじ込む。指先に引っかかりを感じてからはゆっくりと捻って戻す。今どきの車はこんな動作しなくてもいいのだが、この車はエンジン始動時にもキーを必要とする。

ガチャリと重い音を立てるドアを開けて運転席に滑り込んで、ボストンバッグを助手席へ置いた。右手でイグニッションキーシリンダーに解錠時とは別の鍵を挿入して、パーキングブレーキレバーを引き上げてから、ニュートラルを左手で確認する。

そのあとは中央パネルにあるチョークレバーを引き、アクセルペダルを軽く踏み込み、右手でイグニッションキーを作動させる。軽く車体が揺れてから、年代物のエンジンが始動した。

エンジンの鼓動が安定するまで一旦車外に出る。煙草に火を付けて車体後方に周り、か細いマフラーから出る排煙を確認する。ドッドドドッドッとマフラーは不規則に震えながら、段々と安定した動きになってくる。その頃には手元の煙草も灰になり、準備は万端だ。

飾り気のない車内に戻り、こもった空気を逃がすため、運転席のドア下部にあるハンドルをくるくると回して窓を開ける。今どき、軽トラでもパワーウィンドウだろうに。同じようにして助手席側の窓も開ける。もう感じることのない重く温い風が車内を巡ったことを確認したら、ギアを入れてパーキングブレーキレバーを慎重に下ろす。ここから私の旅は始まる。

小さなスイッチをパチンと切り替えて前照灯を光らせる。人気のない真っ暗な駐車場を出て、一般道から最寄りのインターへ向かい、高速に乗る。最高時速百キロの小型車のミラーには、まばゆい光が押し寄せてはテールランプの赤が追い抜かしてゆく。

田園風景を両脇に抱えながら、高速道路は緩やかにうねるのみ。眠気覚ましに煙草を咥えてシガーライターで火を付ける。

しばらくすると、等間隔に並んだトンネルの暖色が車の脇をすり抜けて、防音壁が高くなり、夜景が眩しくなる。ようやく県を跨げたようだ。いつの間にか、真上にいたはずの月が雲の向こう、後方に行ってしまった。

思えば遠くまできたものだ、自分の選択を信じて愛車と煙草と少しの荷物、それだけを頼りに始めた旅路。緑と白の看板に誘われてパーキングエリアに寄る。

ガラガラの駐車場に車を停めて、小さな愛車の中ガラス越しに見つめた。助手席の小さなボストンバッグについて、ぼんやりと考える。この荷物が増える頃にはなにかが変わっているのだろうか、そんなどうでもいいことを思う。

根を下ろす安定よりも刺激に目がくらんだ、そうしてるうちに何もかもが遠くなってしまった。自由も大事なものも取りこぼすことに慣れてしまってからそれに気付いた。雲に隠れて控えめに浮かぶ月に左手をかざして、薬指の隙間から溢れる光を自由にすることにした。

さようなら、愛しかった不自由な日々よ、ありがとう、仮初めに私を満たしてくれた日々よ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

テールランプと遠い月 あめのちあめ @ame_mtr

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ