ももたろえない伝説


 昔々。


 っていうほど昔でもない、具体的に言うと、高校のクラスで一人くらいがスマホなんてものを持ち始め、『ゆとり世代』終期の少年少女たちが「親の『太さ』って、ITインフラ的な観点での生活水準の高さにも、ちゃんと影響するんだなあ」と、のちに『さとり世代』と呼ばれる次代の子どもたちへと継承される【達観の精神性】を、その心中に宿しつつあったくらいの時代です。


 あるところにおじいさんとおばあさんがいました。


 あるところっていうのは大体、東京都とうきょうと北区きたく赤羽あかばね東十条ひがしじゅうじょうの間らへんの、かつての下町情緒じょうちょを残す町並みと、国道を走り抜けるトラックの排気ガスとが混ざり合って、なんかこう、逆にエモい感じになってるあのへんです。


 ある朝、おばあさんは、ご存じ一級河川荒川あらかわへ洗濯に、おじいさんは取引先の不動産会社へしばかれに行きました。


 おばあさんが、当時話題となっていた感染症を媒介するマダニの存在に怯えながら、荒川河川敷で洗濯をしていると、川上かわかみの方から、ドンブラコ、ドンブラコ、ザバーン、バッシャーン、ビッチャーン、ドッポーン、ビョーン、バビューン、ピョロローン、ポヨヨヨーン、ピヨーン、ピューンと巨大な桃が流れてきました。


 

おばあさん「これは見事な桃だ。お爺さんにも見せてあげよう」


 

 おばあさんは果敢かかんに荒川本流へと飛び込み、大きな桃に向かって泳ぎました。


 


◆◇◆◇◆◇◆◇


 

 

 数時間後――

 

 おばあさんが目を覚ますと、そこには見知らぬ天井がありました。

 


おじいさん「――何を考えているんだい、おばあさん。突然、荒川あらかわに飛び込むなんて」



 声のぬしの方へと目をやるとそこにはおじいさんがいました。


 おじいさんはおばあさんが横たわるベッドの横で丸椅子に座っています。


 どうやらここは病室のようでした。



おばあさん「ああ、おじいさん、わたし、洗濯をしていたんです」


おじいさん「どうやらそのようだね。もうやめろと言ったろう。荒川で洗濯をしても水道代の節約にはならん」

 


 おじいさんはそう告げると、手に持ったビニール袋から、きたねえ布切れを取り出します。


 それはおばあさんが洗濯していた衣料品一式でした。

 

 赤と青と黄色の絵の具をカオスに混ぜ合わせたみたいな色合いのその布切れは、ところどころ藻が付着したままになっており、手に取って嗅いでみるとちゃんとドブの匂いがしました。

 


おじいさん「なあ、ばあさんや。これ以上、ワシの心労を増やさないでおくれよ。ただでさえ、老後年金の支給額が減って、貯金が少ない人間はもう嘱託で働くことがほぼほぼ前提になってきている昨今に、ワシ、なんかもうリストラされそうになっているんだよ?」


おばあさん「それはそれはじいさんや。いったいぜんたい何があったと言うんです」


おじいさん「取引先から直接連絡があってね。昔、ワシが作業を担当した弱電じゃくでん工事に不備があったと」


おばあさん「不備?」


おじいさん「不動産管理やってる新入りのボウズが、顧客からクレームを受けて、プロバイダに直接連絡をしやがったみたいでな。現地調査の末、ワシが犯人としてでっち上げられたというわけなんじゃ」


おばあさん「なるほど。完成図書かんせいとしょの小綺麗な内容と程遠ほどとおい――じいさんのゴミみたいな配線センスが、時間を経てなんらかの通信障害を引き起こす原因になったということですね。弱電系の工事って大体、他の工事よりも後回しにされるから、なんだかんだ上手く覆い隠せてきた杜撰ずさん施工せこうが、今になって問題として噴出したと?」


おじいさん「なに!? ワシの施工が杜撰ずさんじゃと!? ネット回線なんて繋がればいいじゃろうが繋がれば!」


おばあさん「ちなみに当時の工事資料は? 例えば、配線図はいせんずとか」


おじいさん「……残ってない」


おばあさん「まじでクソだな」



 おばあさんは手に持ったドブ布をおじいさんの足元に放り投げました。


 おじいさんは小さい声で「ヒィ」とうめいています。


 しばらくの間、その様子に心底呆れかえったような眼差しを向けるおばあさん。


 項垂うなだれたまま、こちらと視線を合わせようともしないおじいさんに嫌気いやけが差したのか、やがて大きなため息を一つ吐き出し、静かに語り始めました。



おばあさん「わたしが溺れた原因ですけどね、荒川の上流から大きな桃が流れてきたんです」


おじいさん「桃……? 桃だって……?」


おばあさん「ええ、ドンブラコドンブラコと流れてくる――言わずと知れた例のアレです。源流のある秩父で雨でも降ったのか、川が増水していて、ドンブラコどころか、なんかもっとテンション高めのオノマトペを付けられそうな勢いでしたけれど」


おじいさん「ははあ、それでばあさんはその大きな桃を取るために……」


おばあさん「そういうことです。かの伝説によれば、桃のなかには愛らしい赤ん坊がいて、成人したあかつきにはオーガハンターとして荒稼ぎしてくれるとの話でしたから、わたしも老後の安泰が欲しくて……。もちろん、たかが老骨ろうこつでは、増水した一級河川にまったく歯が立ちませんでしたけれども」


おじいさん「まあ、川の名前自体が『あらぶる川』と書いて『荒川あらかわ』だもんなァ」


おばあさん「うるせェよ」



 ややあらめなおじいさんのリアクションに、おばあさんの口調が荒れた荒川あらかわなみに荒ぶり始めました。


 

おじいさん「そっかぁ、ワンチャン、feet.フィーチャリング桃太郎・金持ちウェイウェイできる可能性があったってことか」


おばあさん「ま、叶わない夢だったけどな。所詮、荒川に負けて、ももたろえなかったワナビだよ、わたしたちは」



 おじいさんは苦々しげに顔をしかめました。


 

おじいさん「ちくしょう。こんな世の中間違ってる」


おばあさん「……いや、世の中は何も間違っていないよ。間違っていたのは、何かあればすぐ世の中とか環境のせいにして、自分が変わる努力をしなかったお前だよ」


おじいさん「なんでそんなひどいこと言えるの」


おばあさん「事実だからだよ」


おじいさん「ぐうの音も出ん」


おばあさん「damnダム(訳:ちくしょう)! あー、マジで萎えるわ」

 

 

 おばあさんはシンプルに舌打ちをしました。


 

おばあさん「あーあ、泳ぎながら名前とかも考えてたのになー。赤ん坊の」


おじいさん「何て名前?」


おばあさん「中井ピイチ」


おじいさん「その人は桃って言うよりもプルーンのイメージが強いなぁ」


おばあさん「あー、まじで加入しとくべきだったなー、iDeCoイデコ(※)」



※※iDeCoイデコ個人型確定拠出年金こじんがたかくていきょしゅつねんきん)とは?

 iDeCoとは、公的年金(国民年金・厚生年金)とは別に給付を受けられる私的年金制度の一つです。

 公的年金と異なり、加入は任意で、加入の申込、掛金の拠出、掛金の運用の全てをご自身で行い、掛金とその運用益との合計額をもとに給付を受け取ることができます。

 公的年金と組み合わせることで、より豊かな老後生活を送るための一助となります。

(厚生労働省HPより抜粋)

 

 

おじいさん「……なあ、ばあさんや」



 激萎げきなえしているおばあさんを見かねてか、それとも仕事でポカした居たたまれなさもあってか、おじいさんはある『提案』をすることにしました。



おじいさん「生活保護ってどう思う?」


おばあさん「は? 生活保護?」


おじいさん「うん。ワシら老後に頼れる子どもも親戚もおらんし、最悪それで補填するって手もなくもない」


おばあさん「それってわたしらも受けられるもんなの?」


おじいさん「もろもろ条件鑑みると多分。ただ……」


おばあさん「ただ?」



 おじいさんは言いづらそうに続けました。

 

 

おじいさん「基準が世帯収入だから、もし受給したいなら、ワシら、別れんといけん」


おばあさん「別れる……つまりそれは……」


おじいさん「離婚するってことじゃ」



 おばあさんは、おじいさんをじっと見つめていました。


 おじいさんもまたおばあさんから目を離しませんでした。


 永遠とも言えるような、長い長い沈黙が二人を包んでいました。



おじいさん「なあ、ワシら元はお見合い結婚だったじゃろ。親の都合で無理やり縁を結んだ者同士じゃ。正直言って、ばあさんは肝が据わっとるし器量もよくて、ワシにはもったいないくらいの人じゃった。……本当、幸せな日々を送ったもんじゃ。それをくれたばあさんが苦しむくらいなら、ワシは……ワシは……」


おばあさん「この大馬鹿ヤロォォーッッ!!!!」



 その瞬間、おじいさんの頬に、おばあさんの鉄拳が炸裂しました。


 突然、脳の中身を揺さぶられたおじいさんは、座っていた椅子ごと崩れ落ちるようにして地面に倒れ込みます。


 その鉛のような重い一撃は、おじいさんのこめかみを――的確に捉えていました。



おばあさん「フシュゥゥ、フシュゥゥ――」


 

 おばあさんは――いつの間にかベッドから出て、おじいさんの前に仁王立ちしていました。

 

 額には青筋が浮かび、呼吸も荒々しくなっています。


 その顔は、まさに――鬼の形相でした。


 ここが……そう、この病室こそが、現代の鬼ヶ島おにがしまだったのです。



おばあさん「オデ……オデ、ハ……オノレ、ヲ、ハジテイル(訳:わたしは自分を恥じています)」


おじいさん「ば、ばあさん……?」


おばあさん「オデ……オマエ、バカ、ニ、シタ。デモ、オデ、モ、オマエ、ト、オナジ。ヨク、ナカッタ(訳:わたしはさっきおじいさんに『環境や世の中のせいにするな』と言いました。でも、かく言うわたし自身も、自分で状況を打破するということから逃げ、『桃太郎』という希望に縋ってしまいました。偉そうなことを言える立場ではありませんでした)」


おじいさん「ばあさん……待ってくれ。そんなことを言わんでおくれ。ワシじゃ、すべてはワシの責任だったんじゃ。この、甲斐性もなければ、ケーブル配線のセンスもないワシが」


おばあさん「オデ、オマエ、ナマカ。ホカ、ノ、ニンゲン、エサ。ウ(訳:わたしはおじいさんという夫を持てて、今までとても幸せでした。そして、私たちはこれからもずっと変わらず伴侶として、苦楽をともにしていくのです。たしかにわたしたちだけで生きていくのは大変なことかもしれません。他の人を頼りにしなければ生きていけないのかもしれません。それでも、私はあなたと最期まで添い遂げたいのです)」


おじいさん「……そうか、ばあさんの気持ちがよく分かったよ」



 おじいさんは立ち上がりました。


 軽い脳震盪のうしんとうの中、それでもしっかりと、力強い両脚で。



おじいさん「生きよう、ばあさん。これからも二人で」


おばあさん「ギャギャギャギャギャギャ」



 微かな希望の光を灯すおじいさんの言葉。

 

 それを聞いておばあさんは、ただ優しく微笑んだのでした。




◆◇◆◇◆◇◆◇



 

 こうして、イヌもキジもサルも出てこないままに、ももたろえなかった二人の物語は幕を閉じました。


 鬼ヶ島よりも過酷な現代で生きていくのはなかなか大変なことだけれど、だからこそ、信頼あえるような誰かと一緒に人生を歩むことができたのなら、それはきっと幸福なことだよね。


 ENJOY YOUR LIFE。そして、今を生きて行こう。


 いぇーい。

 

 めでたし、めでたし。



 

▲▲「ももたろえない伝説」――了

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【朗読歓迎!】よもやまだバナシ 山田奇え(やまだ きえ) @kie_yamada

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