Dear K

清瀬 六朗

この四次元のどこかでこの手紙を読むかも知れないKへ

 おまえが死んだと聞いて、おれはもちろん悔しかった。

 おまえのやりたいことの道半ばだったのは解ったから。

 でも、同時に、「おまえは、悔いなく、自分が進むべきだと思った道を生きた」と思った。

 それは、正直に言やあ、羨ましい。人間、おれも含めてだが、なかなかそんな生きかたができるもんじゃない。

 悔しいと思いながら、羨ましいと思うなんて、矛盾してるな。

 でも、人間なんて矛盾の集合体なのだし、そんなことはどうでもいいんだ。

 そんなことはどうでもいい。

 真に悔しいと思ったのは、おまえが死んだ次の年に、おまえの全集が出た、ということだ。

 なんだ。

 おまえ、生きているあいだに原稿料をもらったこと、あったんだったか?

 詩や童話はあちこちで発表してた。

 おまえを完全に無名だなんて言うやつがいるけど、そんなことはなかったはずだ。この国じゅうの詩人の、西暦一千九百三十二年の冬の関心事の一つは、病身だがなんか書いているらしい、というおまえの健康状態だったんだから。

 でも、原稿料、もらったこと、あったか?

 その生涯、おれとおんなじくらい生きて、ほとんどないはずだ。

 それなのに。

 おまえが死んですぐに、全集だと?

 じゃあ、どうして、生きてるうちにちゃあんと原稿料を払って、おまえの生活を支えてやらないんだ、と思ったよ、おれは。

 そうやっておまえの文筆生活ってやつを支えてやっても、それはおまえのことだから、農村に知識を普及する運動だのカネになる作物づくりの指導だの、そういう、尊い、でもどこか突き抜けすぎた行いはやめなかっただろう。

 けど、すくなくとも、重い石材を背負ってセールスのために東京なんかまで来てぶっ倒れるなんてことはせずにすんだ。

 それも、いま言ってもせんないことだ。

 いや、それより、その全集の、今度出る巻に、銀河の夜行列車の話が載るというではないか。

 書いていたんだな。

 おまえがそんな話を書くはずがないと思っていたぞ。

 おれが、彗星が銀河の夜行列車だ、という話をしたときに、どんな反応を見せたか、ちゃあんと覚えているから。

 おれの育った街と、おまえの育った街は、遠く離れてるが、共通点があった。

 それは、街の真ん中をでっかい川が流れていて、その川沿いに鉄道が走っている、というところだ。

 だから、おれには、鉄道とは川沿いに通っているものだという思いこみがあった。

 おまえも、きっとそうなんだろう。

 それで、覚えているか?

 あの日、若かったおれは、寮で同じ部屋だったおまえに、昔見た明るい彗星の話をした。

 銀河に寄り添う彗星は、ちょうど銀河という川の岸辺の線路を走る夜行列車のようだった、と言った。

 いちばん明るいところが機関車で、その後ろに光の淡い客車が続いている。

 機関車の焚き口のところがときどきカッと明るく見え、後ろの客車は鎧戸が開いていたり閉じて暗かったり。鎧戸が開いていても、客車の明かりは暗いので、遠くから見るとぼんやりとほの明るく、とても頼りなく見えるだけだった。

 そんな夜行列車を、おれは毎日見て育った。

 だから、天の銀河に沿って流れる彗星も、おれには、それと同じように、夜行列車のように見えたんだ。

 その話をしてやったときの、おまえの、まるで頓珍漢とんちんかんな答えはよく覚えているぞ。

 まず、彗星なんて、空に騒音をき散らしながら、まるでなってない軌道を進む暴れ者のようだと、おまえは言った。

 腹の立つことに、いつものとおり、しずかに笑った顔というので、そんなことを、大まじめに、ちょっと得意そうに言ったのだ。

 あの彗星の印象は、清冽せいれつで、騒々しいどころか、あたりの音をあの淡い尾で吸い取ってしまってるんじゃないか、というほどに、静けさに満ちていた。

 一部ではあの彗星を死の星と見立てて大騒ぎが起こったというが、それは、むしろ、あの星がたたえていたあまりの静けさに圧倒されてのことだったと、おれは思うぞ。

 ところが、そのあとおまえが言ったのは、もっと珍妙な話だった。

 星が罪を得て海に落ちたら海星ひとでになる。

 まあ、それはわからんではない。海星は、人間が星を描くときに描くような、ああいう形をしているからな。

 その続きで、彗星が罪を得て海に落ちれば海鼠なまこになるとおまえは言った。

 なんだそれは。

 それは、彗星の頭のところが「ぼう」と広がって、後ろに太い尾がついている、と見るなら、それは、砂地に落ちて、砂地の色に溶け込まない海鼠に似ているかも知れないが。

 いや、似てない。

 絶対、似てないと思う、おれは。

 だいたい、おまえの星についての見方は、ほんとうに独特だった。

 さそり座でいちばん明るい星は、蠍の胸のところにあるのであって、あれは目玉ではない、と、これも、何度も言ったよな?

 でも、おまえはずっとあの星を「蠍の目玉」だと言い続けた。

 いったい、おまえは、明るい星を見ると、なんでもかんでも「目玉」だと言った。

 そして、その「目玉」で、星は地上の自分らを見ているんだ、なんて言った。

 したがって、夜になったら、無数の目玉が地上のおまえを見ていることになる。

 そのくせ平気で岩の上で野宿したりしたのだから、おまえというやつはよくわからない。

 ともかく、おまえとおれとでは、同じようなものを見て、同じようなことを考えるようでも、じつはぜんぜん違うことを考えている。そんなことがよくあった。

 だから、おまえが書いたという銀河旅行の話も、たぶん、おれがあの彗星を見て想像した夜行列車の話とはぜんぜん違うものなんだろうな。

 だから、いっそう、読むのが楽しみだ。

 そして、あの、蠍のいちばん明るい星が目玉だという歌。

 譜は、いいと思う。

 いや。その蠍とか、普通は熊のしっぽの先のはずの星があたまのまんなかになってるとか、そういうところがへんだなと感じる以外は、ぜんたいいい歌なんだ。

 きっと子供らの歌として、ずっと歌い継がれていく。

 八十年や九十年の後に作られる映画にだって、もしかするとあの彗星の絵といっしょに、その歌は使われているかも知れないな、とおれは夢想するんだ。

 確かめることは、おまえにはもちろん、おれにもできないけどな。


 (終)

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