第二話

「どうやら僕が、英雄に選ばれたらしい」


 全ての始まりは、その一言だったと思う。

 わたくしの婚約者であり、第一王子……そして未来の王太子と目されていたお方。まるで絵本に出てくる王子様であるかのように清く正しい金髪碧眼の美少年、そして十三歳にして国の騎士をも圧倒するほどの凄まじい剣の腕持つ神童として有名であったレオンの言葉。


 それを受けたわたくしは、ふっ、と頬を歪に吊り上げた。

 やはりこうなってしまいますのね、という失望を隠して、嗤う。


「おめでとうございます……と一応申しておきましょうかしら。お可哀想ですこと」


 本心から可哀想でならなかった。

 わたくしが憐んでいるのがひしひしと伝わったのだろう、レオンが悔しげな顔をする。


「どうしてそんな風に言うんだ、ベル」

「あら、まさかご自分が英雄に相応しいと思っていて? 王子という地位以外に何も持っていないのに」


 わたくしは王国の属国である公国の姫。同い年の幼馴染かつ互いに国家の長の子であるとはいえ、格が違うのだから完全に不敬である。

 でもレオンはわたくしを強く詰ったりしない。ただ、悔しげな顔をするだけだ。本当に優しくて、完全無欠の神童様だ。


 もっとも、彼はわたくしに勝てた覚えがないから強く出られないというのもあるけれど。


 彼に代わり、「ひどいです」と非難の声を上げる者がいた。

 英雄の供となる慈愛の聖女。その名を、シェリルという。


「あなたはわたくしの引き立て役。そのために仲良くしてやっていますのよ? 輝くのはいつも、わたくし一人ですの」

「……私たちが選ばれたことがそれほどまでにお嫌なのですか?」

「ええ、もちろん。特にシェリル、あなたは気に入りませんわ」


 ふわふわとした亜麻色の髪も、新緑色の瞳も、何もかもが愛らしい。

 きつい顔立ちのわたくしと違って、柔和な雰囲気のレオンの隣に立つとお似合いに見えて、それがたまらなく腹立たしかった。


「ベルティーユ様は、変わられたのですね」

「それは当然変わりもしますわよ。何せ、世界が変わってしまったのですから」


 その時世界は、混乱の最中にあった。

 長きに渡って均衡が保たれていた世界の情勢が数年の間に一気に傾ぎ、あちらこちらで紛争が頻発。平和が脅かされていたのだ。


 明らかな異常事態。やがてその原因は、わたくしの祖国で発見された古代の予言書となって明らかになる。


『異界より現れし悪しき魔族、人々の不安を煽り戦へ導かん。救世の英雄と慈愛の聖女によって魔族の王が討たれし時、平穏は再び来たるであろう』


 この世界にはたまに予言者というものが現れる。

 彼らが一体どんな原理で未来を見て、予言を下しているのかは知らない。ただ、残された予言に人々は縋った。縋るしかなかったのだろう。


 その結果としてレオンが英雄に、シェリルが聖女になった。誰も背負いたくない重荷を、適任だからと押し付けられるようにして。

 そんなのあまりに、不平等だ。平気な顔で請け負おうとしている二人のずるいことと言ったらない。反発の一つでもすればいいのに、どうして笑顔で受け入れるのか。


 ――だからわたくしが、悪役として、彼らの前に立つ。


「英雄として、聖女として選ばれるべく力を持つのはわたくしですのよ。選ばれなかったのは、わたくしを嫌う者たちの悪意によって不当に遠ざけられただけ。思い上がらないでくださいませ。模擬戦で一度もわたくしに勝てた試しがない雑魚レオン。慈愛しか取り柄のない聖女シェリル。わたくしは、あなたがたが主役になることを認めない」


 優しい彼らが、世界を救えるわけがないとわたくしだけは知っている。

 知っているからこそ。


「弱くてどうしようもないあなたがたを導いて差し上げましょう。わたくしについて来なさい」


 今度こそは・・・・・何が何でも守ろうと決めていた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 わたくしには今生きる世界とは似て非なる、もう一つの世界の記憶がある。

 今世と同じく、たった十三歳で英雄と聖女に選ばれた二人……わたくしは彼らの背中を見送り、旅立ちを祝った。


 不安がなかったわけではない。でも、理想の王子様を詰め込んだような自慢の婚約者であるレオンと、可愛くて強い友人のシェリルなら、きっと何でもないような顔で戻って来てくれると信じていた。


 二人は恐れを知らなかった。

 闇魔法を持つことで両親や兄弟から嫌われ、公女でありながら社交界でも遠巻きにされていたわたくしに微笑みかけて、手を引いて、一緒に遊んでくれた。


 わたくしなんかにどうして構うの、と何度も訊いた。

 その度に二人は笑って言うのだ。


『だって僕たち、婚約者だろう? 仲良くして悪いことなんて何もない』

『ベルティーユ様はもっと自信を持ってください。美しくて格好いい、素敵な公女様なんですから!』


 婚約者といえど、レオンとは政略結婚のために選ばれただけの関係だった。いくらでも放っておくことができたろうに。

 金で成り上がった男爵家の娘で、貴族社会のことをよく知らない元平民のシェリルに少し礼節を教えてやっただけだ。感謝される謂れはない。格好いいなんて思われるようなこともしていないのに。


 わたくしはいつも、彼らに救われていたのだと思う。


 ……そんな二人だからこそ、信じられたはずだった。

 でも、旅立ちから四年を経て戻って来たのは、血まみれになって今にも息絶えそうな少年が一人きり。


 ずいぶん成長したが見間違えるはずもない。彼はレオンだとすぐにわかった。


『レオン……シェリルは? それに、その傷はっ』


 レオンは語った。シェリルは、悪辣な魔族に騙されて、道半ばでその命を落としたのだと。

 レオンは語った。魔族の王と相対したレオンが、闇魔法で洗脳された大勢の人間と殺し合い、その末に務めを果たしたのだと。


『たくさんの人殺しをした自分は英雄なんかじゃない。でも最後にどうしても、ベルに会いたくて。なんて、わがままなんだろうな』


 謝ることなんてないのに、ごめんなと謝られた。

 謝りながら、レオンの体はどんどん冷たくなっていって。


 わたくしはただ涙を流しながら、自分の無力を呪うしかなかった。


 そのあとはどうなったのかわからない。

 わたくしの中からどす黒い魔力が溢れ出して、何もかもを塗りつぶしたところまでは覚えている。


 そして気づけば、わたくしは八歳くらいの子供の姿になっていた。


 当然ながら戸惑ったし、もしかするとこれは性質の悪い夢で、すぐに覚めるのではないかと期待した。けれども、一向に現実に回帰することも、体が元の大きさになることもなかった。

 時を巻き戻してしまったのだ――そんな荒唐無稽にもほどがある現実を受け入れるのにどれほどの時間を要したろうか。


 死に物狂いで文書を漁りまくって闇魔法に時を歪める魔法が存在することを知った。ごく少数の者のみが使える、呪いのような魔法だと。

 闇魔法の中でも禁忌を超えた禁忌である故に、己の犠牲をも覚悟しなければ発動しない魔法だという。行使するには代償を必要とするからだ。それは――わたくしの寿命。


 魔法を行使した歳、すなわち十七歳以降は生きられない。


「構いませんわ、そんなこと」


 あの、優しくて愚かな二人を救えるのなら、それで充分だ。


 彼らが選ばれることはきっと避けられない。だからわたくしが彼らを背に庇い、最前線に立とう。

 大人しく助けられるだけのか弱い乙女は卒業だ。シェリルがかつて言ってくれた『美しくて格好いい、素敵な公女様』になってやる。


 闇魔法は魔族に対抗するにはちょうど良かった。忌々しい魔法も役に立つことがあったのかと驚いた。

 この力でレオンよりも……誰よりも強くなろう。誰よりも悪くなろう。悪辣な魔族に負けないように。二人を遺して死んでも、悲しまれずに済むように。


 レオンと模擬戦と称して戦い、魔法で痛めつけた。シェリルを執拗に嫌って馬鹿にする素振りを見せた。そうする度に胸が痛んだ。

 恐怖に足が震える日があった。わたくしがいなくなればレオンとシェリルは結ばれるのだろう、そう考えて涙を流したくなる日があった。


 本当はレオンの隣に並んで、妃として生きてみたかった。

 本当はシェリルとずっと親友でいたかった。


 ――けれど、だからどうした。


 自分を奮い立たせるようにわたくしは高く笑い、嗤いながら、戦場を駆け抜ける。

 己の命の灯火が消えるその時まで、決して膝を屈するわけにはいかないのだ。

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