第四話

 勝負は、常人であれば目で追えないほどの速さで展開された。

 魔族の王の放った魔法によってわたくしの視界を闇で染め上げられる。それに構わずわたくしは突っ込み、鉄扇を振るい、その中に仕込んでいた闇魔法で一時的ながら身の自由を奪う。敵が動けない一瞬の間に視界を塞ぐ闇を振り払って、目を開けると魔族の王も自由を取り戻していた。


「ほぅ、闇魔法の使い手か。ごく稀に人間でも見られる属性だが、お前のは他のそれと比べ物にならぬほど強大なのだな。……まったく、惜しいことだ」


 魔族の王が何か言っていたが、耳を貸してやらない。さっさと次の攻撃に移る。

 だがすぐにかわされてしまって、尖った鉤爪で闇色のドレスが引き裂かれた。……これにはほんの少し目を丸くしてしまう。


 今まで圧倒的な力でねじ伏せてきた。洗脳された人間に限らず、魔族相手もそうだ。かわされるのは初めてのことだった。


「ベルティーユ様!!」


 背後でシェリルの悲鳴が上がる。

 わたくしのかけた魔法の影響で放心状態になったり気絶したりしている大勢の治療に奔走する彼女。彼女がわざわざ駆けつけなくてもいいように、独り言のように言って聞かせた。


「ちょうどいいですわ。これくらいではないと、張り合いがありませんものね」


 足が震えた。恐怖なんてしていない。そんな素振りは欠片も面に出すわけにはいかなかった。

 勝てないかも知れないなど、考えた時点で負けだ。わたくしは絶対に敗北するつもりはない。


 それから数度に渡って繰り返される激突。わたくしの玉の肌に傷はつけさせなかったけれど、わたくしもまた、一度も触れることは叶わずに次第に体力を削られていく。

 どうにか早めに決着をつけなければ。そう思うのに、攻撃と防御を繰り返すので手一杯で糸口さえも見出せない――そんなもどかしい状況の中、魔族の王が醜悪な笑みを浮かべた。


「そろそろ我に力が及ばぬことを認めてはどうだ?」

「あら、どうしてかしら。まだ前戯ですわよ? 死んだ方がマシと思える苦しみをあなたに味わせておりませんのに」

「口が達者なのだな。だが、言い訳をしたところでただの時間の無駄だ。そんなことより」


 鉄扇の先端を掴まれる。

 わたくしは瞬時に奪い返そうとしたが間に合わず、引きずられるようにして抱き込まれた。


 まるで愛しい人にするように抱きしめられたのだ。


「我の仲間になれ。お前の願いを叶えてやろう。あるのだろう? 英雄にも聖女にも縋らない、その理由が。我ならばお前の苦しみを取り除いてやれる。怒りでも、悲しみでも、苦しみでも。あるいは、呪いさえもな」


 背筋にゾッと冷たいものが駆け上がる。

 魔族の王の行動がまるで理解できなかった。わかり合えないことは最初からわかり切っているが、魔族というものはこれほどに歪な生物なのか。

 内容はわたくしの心を見透かしているかのよう。それなのに、告げられた言葉も、わたくしを見つめる濁った瞳も全てが嘘臭くて薄っぺらい。


 ただ一つ分かったのは、矜持も何もないからこそ、気高き英雄が打ち倒すには向かなかったのだろうということだけである。


 魔族の王は、こちらの弱点を本当に見抜いているらしい。もしかすると願えばわたくしの寿命を引き延ばしてくれるのではないか、そう思わないわけではなかった。

 けれど、明らかにこいつはわたくしを利用しようとしている。一人でも多くの人間を喰らうために。

 魔族の主食。それは、死骸……特に人間のそれだ。


 そんな相手に縋りたくはない。絶対に。


「我を疑うか? それなら、今この場で解いてやろうか。お前の体に絡みつく、呪いのような闇魔法――」


 つらつらと垂れ流される魔族の王の戯言。

 それと同時に顎を掴まれ、そのまま互いの顔面が近づいて――。


「ベルを穢すな、魔族風情が」


 魔族の王の唇から血の花が咲いた。魔族の血は黒く、そして腐ったような匂いがした。

 目を背けたくなる壮絶な光景だった。思わず喉を引き攣らせるわたくしは、血飛沫を真っ向から浴びそうになって、直前で突き飛ばされる。


 驚いて咄嗟に振り返ると、そこにレオンが立っていた。

 その表情は今まで見たことがないほど静かな怒りを湛えている。握りしめる剣の先端が黒く濡れているのを見れば、彼が手を下したのは明らかだった。


「レオン!」

「最後くらい、活躍してもいいだろう? 何のために英雄に選ばれたと思っているんだ」


 ほんの少し優しい顔になってレオンは笑う。 

 彼の後ろ姿は力強く、英雄然としていた。


 わたくしは彼のそういう姿が一番好きで、なのに何よりも恐ろしい。

 また死んでしまうのではないかと、そう思えてしまうから。


「出しゃばらないでくださいませ。わたくしは、わたくしの手で勝利を掴みますのよ!」


 だからわたくしは、レオンの手からするりと騎士剣を引き抜いた。

 本当はレオンに敵を斬らせたくはなかった。格好をつけておきながら圧倒的な力を見せつけられなかっただけではなく、生きる意味まで肩代わりされてたまるか。


 でも、レオンのおかげで勝ち筋が見えた。

 闇魔法に闇魔法で対抗しようとするからいけなかったのだ。物理ならば、魔族の王にも届く。


 魔族の王の肩に剣を突き刺して、それを支えにしながら飛び上がった。

 ドレスをふわりと膨らませ、頭上高くへ。そこからハイヒールの踵を敵の脳天に蹴り下ろし、その衝撃で奪い取られていた鉄扇を地面に落とさせた。


 地上に舞い戻ってサッと回収してから、即座に扇の柄で鼻っ柱を殴りつける。魔法の込められていない、純粋なる鈍器だ。

 肩を切り落として剣を手の中に戻し、それを盾としながら、返り血を避ける。


「……っ!?」

「ホホホ。口は裂かれ鼻も潰され、無様ですこと」


 形勢逆転。


 虚をついて押し倒し、と同時に、股間を思い切り踏んでやった。

 ギィィィ、と、耳障りな絶叫が城中に響き渡るのが小気味いい。魔族も人間と弱点は同じだったようである。


 それから何度も何度も腹や胸などを踏んでやり、その度にぎゃんぎゃん鳴くので嗜虐心が刺激された。

 たっぷりと苦しみ抜き、汚らしい声で許しを乞えばいい。わたくしは許すつもりは微塵もないけれど。


「ただの鉄扇と、英雄の剣とは名ばかりの安物の剣に負かされるだなんて、お可哀想に」

「お前……やめろ……ッ」

「次は目でしてよ」

「あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛! だずげ、ろ゛、やめでぐれぇ゛ぇ゛ぇ゛!!」


 魔族の王を甚振る間、今までのどの瞬間よりも残虐な悪女らしい顔をしていたと思う。


 そんなわたくしをレオンは、咎めるでもなく恐ろしがるでもなく、魔族の王の体が無惨に破壊され尽くして塵となって消える様をただじっと見つめていた。

 どこか満足そうだったのはきっと、彼の一撃が魔王を討ち取れた大きな一因になったからだろう。決して感謝していないわけではないけれど、その顔が少し憎らしかった。


 ――以上が、最終決戦の顛末。

 慣れない殴る蹴るの戦いをしたせいで体力的に限界だったのか、うっかり倒れてしまってシェリルに面倒をかけたが、それくらいは良しとしてほしい。

 レオンもシェリルも、死なないどころか傷一つつけさせずに戦い抜くことができたのだから。

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