第2話 ゲルニカ・タトゥーの少女


「彼女は高校生モデルをやっているんですよ」


 山岸という男は少し自慢げに、隣にすわる制服姿の少女を紹介した。


 彼女の名前は、早乙女海蕾みらい、十七歳。

 都内の高校に通う高校生で、現在は雑誌のモデルをしながら演技の勉強をしており、ゆくゆくは女優の道に進みたいという話だった。


「へえ」

 ノートを開き、フリクション・ボールペンを手にした李一朗は感心してうなずく。


 なるほど、彼女は美しい。えらく整った顔をしている。シンプルなデザインの制服も、彼女が着るとすごく映える。


 なんというのだろう。女性の魅力にもいろいろある。美人とか可愛いとかセクシーとか。もし彼女の魅力を一言で表現するなら、それは「聖なる美しさ」だ。


 顔はちいさく、とがったおとがいが綺麗な線を描いている。

 ぱっちり開いた大きな目は宝石のような輝きを放っており、完全なるシンメトリーを形成する美貌は女神のそれだ。


 深淵のような黒瞳で見つめられ、ぱちぱちと音のするような長い睫毛を見開かれ、李一朗は思わずうつむいてしまった。目を合わせるのが怖いレベルの美しさ。


 ノートに視線を落とし、こんな美しい少女がこの世にはいるのかと李一朗は逆に感心してしまう。

 そう、女性にもいろいろあるものだ。たとえば、うちの七瀬店長をミニバンとするならば、彼女は最新型のフェラーリとかマセラティーである。


 美しく、優美で、洗練され、そしてもう、なんか格が違う。でも、全然それを鼻にかけたところがなく……。


 この早乙女海蕾という女の子は、こんなことでもなければ自分とは全く接点のない存在だったんだなと実感しつつ、ペンを走らせる。そう、UFОに誘拐なんてされなければ……。


「で、どんな状況だったのですか?」


 李一朗の質問には、彼女自身ではなく、隣に座る山岸マネジャーが答える。


「ひと月前に家族でキャンプに出掛けた時なんです。夕方河原を散歩しているときに、急にオレンジ色の光が彼女の上から襲い掛かってきて、それっきり意識を失ってしまったらしい。つぎに発見されたとき、彼女はそこから1キロ離れた藪の中にいて、その夜は無事に家族のもとへもどることができたのですが……」


 そこで山岸マネージャーは困惑したように言葉を切り、早乙女海蕾の横顔を見る。彼女はちらりとその視線を動かし、かすかにマネージャーへうなずいて見せた。


 当人の確認を得たマネージャーは、言いにくそうに口を開いた。


「発見されたときすでに、彼女の背中には一面、異様な入れ墨……一種のタトゥーです、それが施されていました」


 その言葉に李一朗ははっと顔をあげ、つい海蕾の方を見てしまった。彼女はつらそうに唇をかみ、うつむく。


「現在彼女は」李一朗の視線をそらすために、山岸は言葉をつなげる。「グラビアの仕事はすべて断り、モデルの仕事もドラマの話も、背中のあいたドレスを着ることがある内容のものはすべて断っています。が、このまま入れ墨タトゥーが消えない以上は……」


 芸能活動を続けていくことは難しい。それくらい李一朗でも分かる。


「ちなみに……」李一朗はききづらいことを尋ねねばならない。「どんな形の……?」


 山岸はまた確認するように海蕾を見る。海蕾はつらそうに唇を噛み、それでも気丈にうなずいた。

 山岸は彼女の気持ちをおもんばかり、「ぼくは少し席を外しますね」といって立ち上がった。


 彼が立ち去り、遠くに行ってしまうのを待ってから、海蕾は自分のスマートフォンを取り出す。白く清潔な端末をテーブルの上に置き、傷ひとつない画面を、白く小綺麗な指でなぞる。


 李一朗はすばやく周囲を確認した。


 ここは高層ビル最上階のレストランである。まだ時間が早いので店内はいている。テーブルは窓際の席から埋まっていくので、李一朗たちが座る壁際のエリアにはまだ、他の客の姿はない。


 それを確認したうえで、彼は海蕾のスマホに目線を落とした。そこにはぞっとするような画像が表示されていた。


 髪をかき上げ、白い背中をさらしたなまめかしい姿。

 透き通るような肌と細い首筋。脇腹のむこうにのぞく豊かな胸のライン。

 そして、その肌のほとんどを、無惨にも蹂躙する禍々しい文様。


 暗い部屋で、フラッシュを焚いて撮影させたと思しき陰影の強い画像には、くっきりと彼女の背中一面に刻まれたタトゥーが記録されている。


 ぐるぐると幾何学的に渦巻くミステリーサークルそのままの文様の中に、象形文字や畸形の図形がびっしりと書き込まれ、まるで異星の曼陀羅図のようだ。


 渦を巻く雷紋らいもん、引っ掻いたような櫛歯紋くしばもん、怪獣のような饕餮紋とうてつもん。なかには何かの電気回路のような文様までが、坩堝るつぼで煮込んでミキサーで攪拌かくはんしたようにごちゃごちゃに書き込まれている。


 それはまさに、象形文様のゲルニカだった。


「これは……」

 画面を見つめる李一朗が声を失くしていると、

「へえ、こいつはやばいね」

 いつの間にかテーブルの横に立った女がそれをのぞき込んでいた。


「あ」

 海蕾が小さい声をあげ、あわてて両手で画面を隠す。そして、抗議するようにその女を睨み上げた。


 海蕾と、そして李一朗に睨み上げられた女は、ふふんと鼻を鳴らして二人を冷たく見下ろす。あからさまな敵意を目に宿す海蕾だが、李一朗は深い驚きを禁じ得ない。


 ──この女、いつの間にここに来たんだ?


 そう。さっきまでフロアのこちら半分に人の姿は全くなかったのだ。なのにこの女はどこから、いつの間にこのテーブルのそばに現れたのだろう?


 派手な顔立ちの女だった。丈の短い黒ドレスに身を包み、ストッキングに包まれた腿を大胆に露出している。

 黒いヒール、胸に飾った赤いバラ。パーティーに行くのか葬儀に参列するのか不明なシックな正装。赤茶の髪を結い上げ、きついメイクを施している。


 目と口は大きく、全体的に派手な印象の顔。海蕾とはまた違ったタイプの美人で、どちらかというとアイドル系の顔立ちなのだが、その目は異様な光を放っていた。


 もしかしたら薬物中毒患者かも知れない。李一朗はそんな印象を受けた。そして、次の瞬間、自分の直感が間違いでないことを確信したのだ。


 黒ドレスの女は、ジャケットの中に腕をつっこむと、銀色の拳銃をするりと引き抜く。そして、それを李一朗へ向けるとにっこり笑ったのだ。


「動くな、怪物。この銃には六発の357マグナム弾が装填されている。いかに獣人のお前とて、人の状態でこれを頭に六発も喰らえば、絶命やむなしだろう」


 怪物。この女は今、間違いなく怪物と言った。


 李一朗の背中にいやな汗が吹き出す。


 ──知っているんだ、この女は。ぼくの正体を。ぼくがいったい何者であるかを!

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