第3話

 酒場には多くの胡散臭いやくざ者や犯罪者達がたむろしていた。


 風呂に入っていない人間は臭い。酒と体臭と香辛料の匂いにアオの意識は胸焼けした。


 略奪好きなシュラ人が木のジョッキをあけ、詐欺師を多く輩出してきたチフロ人がひそひそと話し合い、マンドラ人がよだれを垂らして肉にかぶりつく。


 思いも思いに食事しているが、賭け事をやって殺し合う奴らもいなければ、金持ちにたかる娼婦もいない。


 つまりは、普通の酒場だった。


 吟遊詩人が音楽を鳴らしているのは、場の空気を殺伐とさせない効果があった。


 アズラが入ってきた時、警戒する空気が立ち込めたが、酒場の給仕に


「お酒を下さい。」


と間の抜けた敬語を喋った瞬間、元の空気に戻っていった。


 木のジョッキがきた。炭酸があり、黒いビールに似ている。


「いただきます。」


 味はアズラには馴染みのある酒だったが、アオには初めての飲酒になる。冷たくて、焦げた匂いがして、苦い。


「プハー。」


 アズラはこんな声は出さない。


 近くにいたリューカ人がバカにした笑い声をあげた。


 アオは無視したが、沈みゆくアズラの意識は顔から火が出そうなほど恥ずかしがった。


「おい、ご機嫌じゃねぇか、兄ちゃん。」


 白髪頭の太った男が声をかけてきた。


 大きな鷲鼻で目が小さく、注意深く周りをチロチロと見ている。卑しい風体だが、敵に回すと厄介そうだった。


「どなたですか?」


 アオの意識が敬語を使う。


「どなたですかと来たか。俺が音に聞こえたフロン・バックス様だ。」


「すみません。知りません。」


 アズラの低い声が警戒に染まる。


「知りません、て、兄ちゃん。この大商人を前によく言えたな。」


「はあ。」


 アズラの記憶がフロンの名前に反応した。人買いフロン。人攫いの連中と奴隷買いとの仲介に立つ人身売買をやっている。奴隷商人というやつだ。


「何か用ですか?」


 アオは奴隷商人への憎しみを抑えた顔をしたが、それが怪訝な表情に見えたらしい。フロンが口角を上げて口だけで笑った。


「明日の朝、とある人たちを護送するんだが、人手が足りなくてね。あんたの体格といい腰に下げた剣といい慣れてるかと思ったんでよ。銀貨10枚でどうだ?」


「どこからどこまで行くのですか?」


「このエレファからキビナスまでだ。」


 アオがアズラの記憶を辿る。3日ほど。一日銀貨3枚分はそれなりの値段だった。


 アズラの意識が、この奴隷商人の顔面に唾を吐いてやれと喚いたが、アオは躊躇った。沈黙を迷いとみてフロンが畳みかける。


「食事はこちら持ちだが、危険手当はなしで頼む。死んだら自己責任だが、死ねとは言わんから安心してくれ。ファ、ファ、ファ。」


 フロンが歯の抜けたような笑い声を上げた。冗談を言ったらしい。


「分かった。報酬は銀貨10枚で、翌日の朝出発で、キビナスまで人を護衛すればいいんだね。」


「そうだ。兄ちゃん。オーガのわりに飲み込みいいね。」


 フロンが今度はニタリと笑った。


 夕方から夜になろうとしている。


 アズラは村でもらった金貨を一枚、靴の中に隠し、他の金で武装を整えた。


 兜は人間サイズでは小さいので、額に鉄の裏打ちがある革のバンドを巻く。手首には革のリストバンドを締めた。


 中世ファンタジーの武器に憧れていたアオが、腰のボロボロになった剣の代わりを探したが、鍛冶職人の店にあった武器はどれも高すぎて買えなかった。


「剣は並んでるやつよりも敵から奪えばいい。それより盾か両手の武器だ。」


 アズラの意識で、木の盾を手に取った。


「あんた、聞き捨てならないことを言ったな。」


 鍛冶屋の親父が黒い髭に手を当てて、アズラを指さした。


「俺の武器をそこらのなまくら扱いするな、この汚いオーガめ。」


「あ、すみません。良いけど高くて。」


 喧嘩を売ったのにお辞儀してきたオーガに、親父が目を白黒させた。


「なんだ?あんた、ウチの剣を馬鹿にしたんじゃないのか?」


「はい。高くて手が届かないから…。」


 アオは腰に下げた剣を取り出し、刀身を見せた。


「すぐボロボロになってしまうみたいで。折角の剣なのに。」


「そういうのは研げばいいんだよ。手入れしないならウチの武具は売らねえぞ。」


「すみません。きちんと手入れしますので。」


 親父はフンッと鼻を鳴らし、綺麗に頭を上げたオーガを見た。


「その礼儀。どこで覚えた。」


「あ、はい。日本で。」


「ニホンって所の連中はオーガまで礼儀がいいんだな。」


「え、あ、はい。」


「なんか頼りないな、あんた。ほれ。」


 親父は特価と書かれた両刃の剣を鞘ごと投げるように寄越した。アオは剣を取る。


「俺が手草てぐさで作った奴は売り切れてな。俺の弟子が研鑽のために打ったツマランもんだが、そいつより頑丈だ。」


「あ、お代は。」


「腰のナマクラと銀貨10枚でどうだ。無いとは言わせん。あんたの態度からして盗んだものでも無さそうだが、そんなブツを手にくたばるのは人の恥だぞ。」


「ありがとうございます。」


 アズラは人に頭を下げることはしない。アズラの意識は不快で一杯だった。


 礼儀に慣れない人間は、人から頭を下げられるとほだされたような気分になることがある。この親父はそういう類の者だった。


「これが砥石だ。手入れしてなかったらぶっ飛ばすからな。また来い。」


 アズラは頭をまた下げたが、鍛冶屋はそう呟くと別の客の所に行った。 


 軟膏や包帯、アオの意思で薬草とされる草も買った。


「これ、田舎にあったヨモギと似てるんだ。こっちはアロエ。切り傷とか擦り傷にも効くよ。」


「ほう、物知りじゃないか。」


「少しは知ってる位だよ。傷なら水で洗って消毒したりするのが大事だし。薬草って食べたら回復するかな。」


「腹の中の傷が治れば良いんだがな。」


 アズラの独り言を聞いた女が、怯えた顔で夫にしがみついて去っていった。

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ヒロイックファンタジー物 星一悟 @sinkin

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