第2話

 大きな独り言と吐瀉としゃを終えた後、血の興奮も肉のたぎりも過ぎて、アズラは身体の痛みを感じていた。


 アズラの意識とアオの意識は記憶を共有しあい、二人の意識がつながって、アオの人格が勝ちつつある。


「怪我を治療しないと。」


 アズラは出血を抑えるために、傷口に油を塗った。


 薬草を調合し祈祷を受けた聖なる軟膏というやつで、切り傷刺し傷によく効いた。上から布を巻いて包帯とする。


 穴だけでなく、ボロボロに壊れた鎖帷子を脱いで、血で真っ赤に染まった服だけを着る。鎖帷子がない分だけ身軽になった。


 ここで、アズラの意識が死体から右の耳を切り取る作業を始めようとした。戦果を報告する時に必要だった。


「えっ!人の耳を!?」


「やらないなら、金にならん!」


 アオの意識がアズラの意識を拒否したが、やるしかないという意識に定まった。


「えっと、南無阿弥陀仏。」


 アズラは生まれて初めて、手を合わせて拝んだ。


 気持ち悪いくらい静かだ。


 孤独には二重に慣れていた。


 アズラは勿論だが、前世のアオの方も孤独を抱えていた。


 中学で友達を作っていたのだが、ある日ネットで散々陰口を叩かれているのが分かってからは友達を信じられなくなっていた。


 目立たない存在になりきるのだ。そう思って友達から距離を置き、つまらない学校とつまらない日常を過ごした。


 今はそれを後悔している。


「要するに、僕は一度死んだんだ。」


 アズラの中のアオがそう呟く。


「死んで、違う身体に生まれ変わった。これって、転生ってやつか。」


 人が転生するのは、アニメで見た気がする。


 死んで転生して無双するという内容だ。死んだ後で前世を思い出すパターンもある。今がそうだ。


「ステータスとか見れるのかな。」


 作業中、手をかざしてみるが、何も起きない。


 アズラの記憶を辿っても、魔法はあるが、ステータスやレベルというものがない世界みたいだった。


「魔法があると便利だよな。」


 魔法は魔法使いや聖職者が使うものだ。怪しげな力であり、アズラは記憶では気味悪がって避けていたが、アオは興味があった。


 アズラは耳を紐に通しながら、死体にぶら下がった革の水筒に目が止まった。喉の渇きを感じる。


「ごめんなさい。もらいます。」


 死体から水筒を奪うと、革臭い水を飲んだ。それから、雇い主のところへとアズラは歩く。


 ミスラ族ジェム人の集落についた。


 水の争いほど切迫していない鉄という資源の戦争で、村人は自ら命を危険に晒したくなかった。


 そこで、鉄鉱石の資源収入を頼りに傭兵を雇って代理戦争させていたのだ。


 土地を持たず武具に金を注ぐ雇われ騎士や、ならず者の戦士たちが加わり、村は荒れたが活気はあった。


「耳はこれで全部だ。金をくれ。」


 ズラッと並んだ耳に、給金係の村民が顔をしかめながら金を渡した。


 地面に唾を吐く者もいる。侮蔑の目が並ぶ中、アオは居心地の悪さを感じていた。


「村長達が話し合い、土地の取り合いに決着がついた。もうお前は用済みだ。化け物。」


 アズラの意識だけなら、ミスラなど冷笑していただろう。


 だが、アオは剥き出しの差別を受け慣れていなかった。


「ありがとう。じゃあ。」


 アズラが感謝の言葉で金を受け取ると、村民がアズラを意外そうな顔で見た。


 この村は駄目だ。いっそ街に出るか。


 街はミスラ族だけでなく、数多くの人種と種族がいる。美しい種族も醜い種族も共通点は前世の世界より粗暴で差別意識が強いことだった。


 アズラは近くの川で血染めの服を洗った。


 血は簡単にはとれない。それでもマシにはなった。


 金を水と食料に使うと、荒野に消えていった。


 歩く、歩く、歩く。


 馬は高くて買えなかった。食料や日用品の入った袋を背に頑丈な足が前へと動く。


 スタミナが無限にある気がした。


 荒野のカラッとした空気で洗濯した服が渇き、代わりに汗が流れてきた。


 汚れた包帯がかえって感染症を起こしかねなかったが、不潔に強いハイオーガには平気だった。


「なぁ。」


 アオの意識により、アズラは独り言を始めた。


「あれが、戦争なのか?」


「そうだ。」


異世界ここでは人を殺しても罪にならないのか?」


「殺す相手によるだろうよ。文明のあるところでは人を殺せば捕まって、広場で斬首にされる。野蛮と言われる所でも、人殺しは人に殺されるか動物の餌になることで集落の秩序を保とうとするものだ。だが、襲ってきた奴を殺した所で罪にはならん。」


「命って、もっと重たくて大事だと思ってた。」


「大事に決まってる。だが、それで剣を持つ手を緩める馬鹿はいない。相手の命より自分の命だ。」


「思いやりとかないの?人を助けたいとか。」


「文明人が頭の中に住み着いたのか。だったら答えはこうだ。他人を思いやるなら、奴隷なんていない。だろう?」


「僕の世界では奴隷なんていなかった。」


「こっちの世界にはいる。亡霊め。神や幽霊なぞ目には見えないし存在しないと思っていたのだが、糞の匂いと同じで目に見えなくても存在するらしいな。仕方ない。街についたら、祈祷師に頼んで追い払ってもらう。」


「非科学的だね、おじさん。」


 腹が出ていて30年も生きてる連中をおじさんと呼ぶのだと思ったが、アオを自分より年下のガキだと思ったアズラは敢えて黙った。


「お前の世界を覗き見た。美味い飯、良い服、理解を超えた魔術。ミスラのいう天国に近い素晴らしい世界なのに、死んでしまうとは残念だったな。」


「天国、でもないよ。裏で陰口を叩かれたり、死ねとか書くとイジメがバレるからって絵の落書きが机一杯に描かれていたり。花瓶で花が飾られてたり。僕は目立たないようにイジメを受けてた。引きこもるにも両親が厳しくて、学校で空気になろうとしたんだ。」


「よく分からんが、敵がいたのだろう?そんな奴等を殴らなかったのは何故だ?」


「暴力は最低だし、許せる訳がないよ。」


「ハッ。ヤワな文明人だ。殴らないと分からない奴には拳で黙らせるのが一番だ。俺を貶すやつは、俺に殴られて当然なのだから。ミスラ族の子供ですら侮辱した相手を柔らかい拳で殴ると言うぞ。」


「殴ったら殴られるし、最悪訴えられる。暴力で何でも解決してきたから、そんな乱暴なことが言えるんだ。」


「なら、口でフニャフニャと呪文でも唱えて、命乞いでもするのか?」


 アズラが嗜虐的な笑みを浮かべる。


「毅然とした態度で、やめてくれという。それだけでも違ったんだろうけど。」


「やめてくれ、で侮辱が止むのか。良い世界だな。俺の場合は相手の首を落とさないとやめてくれないことが多い。」


「物凄く野蛮な世界だ。僕は何でこんな世界に転生したんだろう。」


「俺が知るか。悪霊よ。」


 食料の節約か、荒野のウサギを投石で撃ち殺し、川の水で煮てスープにして食った。


 乱暴にはいだ毛皮は脂肪を落とし、くるくると巻いて剣の血ふきに使う。


 4日間歩いて、象の牙と言われる銀色に湾曲した塔が遠くから見えた。街だ。


 塔には魔術師が住んでおり、街の治世を統率している。


 日夜怪しげな宗教儀式があっており、若い娘が街から突然いなくなる。そんな噂があった。


 実際には人買いや人攫いがあっているからなのだが、治世より研究を重んじる学者の街では治安が他よりもマシだが良いとは言えなかった。


 そんな街だからこそ、アズラを白眼視するものは少ない。


 アズラは街で布屋にいき、血のついてない部分を端切れにして売り、袖なしの皮のチョッキを来た。

 ズボンの破れに継ぎを当ててもらう。


 アズラは針仕事は上手くない。アオは授業でマスクを縫った事があるが、ミシンを使っていた。


 ふんどしに似た三角巾の下着姿になったアズラは、布屋が縫い終わるまで自分の身体を点検した。


 包帯をとっても傷は跡になっていた。奇跡の軟膏のおかげである。高くつくが治りがいい。


(すごい体だ。)


 アオの意識がアズラのゴリマッチョな身体に驚く。肩幅は広く、首は太く、腹筋は割れ、全体的にがっしりしており、脂肪は臓器を切られないように薄くのっているという感じだった。


(俺の背中にはムチの跡があってな。タトゥーで隠しているが、それでも裸でいるのは好きじゃない。)


 アズラは背中に黒い翼を思わせるタトゥーを彫っている。盗賊の仲間だったときに、略奪で捕まえた刺青師の男に彫って貰ったものだ。


 天の国に行ける善良な者がもつ翼といった彫師の言葉を覚えている。


 人身売買の時、アズラは背中を見せて彼の値段を吊り上げて売り、その日は美味い肉を食った。


 盗賊の頭が、若いからという理由で当時のアズラの分け前を減らしてきたので、口論の末、アズラは盗賊達と死でもって別れた。勿論、死んだのは盗賊の連中だった。


 手のつけられない乱暴者。人を人とも思わない鬼。それがアズラだった。


 修繕されたズボンと皮のブーツをはいて、筋肉に皮のチョッキを被せ、毛皮のついた革紐を腰に巻いて剣を下げたアズラは、次に酒場に向かった。

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