一本分の逢瀬

煙の中で

　煙草ですか。まあ、好奇心ですね。若気の至りってやつですよ、大学生で解禁されたらよくあるでしょう。煙草もそうですし、酒も試しにってやって、あんまりにも合わないとかなければずるずる続ける。大人ぶりたいモラトリアム人間の薄っぺらな虚勢みたいな感じかも。酒はともかく煙草は社会人になってから辞めるやつ多かったですね、そもそも屯するのに喫煙所が丁度良かったってくらいなんで……大学でも、近所のコンビニでも。それ以外で集まる理由なかったですから。なんとなく喋りたいときには都合が良かった。

　俺もそうだったんですけど、未だにやめられません。この通り。あとは……正直に言うとこっちが本命です。先輩が吸ってたからですかね。大学のときの。教えてくれたのがね、その人なんです。

　その先輩っていうのが、学部は違ったんですけど同じサークル入ってて、まあ……結構趣味が合ったんで出かけてたりしました。本やら音楽やらの趣味が合ったんです、趣味のこと喋れるひとが居ると嬉しいですよね。他の友人は大学で会って駄弁ってたまに飲みに行ったら各々好き勝手喋る感じだったんで。それも楽しかったですけど、やっぱ趣味のこと喋りたい。で、ちょうど良いのが先輩だったんです。

　出かけるったって近場ですけどね、駅前の本屋とか、レンタルショップとか。ちょっと離れたって都心のデカい本屋か、隣県のライブハウスくらいでした。交通の便があんまり良くなかったんでね、電車乗るまで遠いし、行きたいところがあっても乗り継ぎが面倒なとこです。やっぱりその辺でうだうだしようってなる。

　どっちもあんまり歩き回る質でもなかったんで、一番多かったのはお互いの部屋でした。なんとなく行って、映画見たり、酒飲んだり色々。ビデオデッキあったんで、俺の部屋の方が多かったです。先輩の部屋汚かったし。ゴミ屋敷ではないけど、ものが多くて足の踏み場がない。行ったらまず居座るところ確保するところから始まるんですもん。

　大学生っぽいですか、まあそうですね、あちこち行って経験積んで今後に生かす、みたいなのばっかが大学生活じゃないですもんね。……就活のときは困りましたけど。学チカなんか真面目に単位取りましたくらいしかなかったですもん。ここに入れたのも奇跡みたいなもんです。平々凡々どころかなんもない学生でしたから。……あんまり褒めすぎるとお世辞にしか聞こえませんよ。ありがたく受け取っときますけど。

　あとはそうですね、酒も煙草もギャンブルもやる人でしたね。バイト代を飲み屋と煙草とパチンコだったり競馬だったりに突っ込んでました。休みの日はだいたい部屋かその辺に居る感じで。競馬はね、馬が走ってるの見るのが好きで、面白い名前の馬に賭けてるって言ってました。パチンコはともかく、競馬は勝つのが嬉しいってよりか動物園と同じような感覚だったんじゃないですかね。動物園行くより断然近かったですし。

　そんなんでしたけど、生活費はなんとかできてたみたいです。とりあえず挙げてみましたけどよろしくないものとりあえず並べた感じ……そうですね、ダメなやつです。自己投資のじの字もなかったです。でもこっちに強制するようなことはしなかったし、喋ってるぶんには良いひとでしたよ。話も面白いし、法に触れるような悪いことはしませんでしたし。遵法は当たり前ったらそうですけど、飲み屋とかコンビニでも店員さんにちゃんとできるってのは人としてそれなりに好感持てる部分でしょう。ギャンブルもまあ……使っていい金でやってましたし。たまに飯たかられたけど。

　適度にサボるけどちゃんと単位は取れてる、教授からの評価もまあまあ良い。生活態度はともかく学業と人柄に関しては善良な大学生だったんじゃないですか。卒業はできませんでしたけどね。

　気になりますよね……別にね、家庭の事情とか、突然学業ほっぽり出して己の道を進もうとしたとか、そんなんじゃないですよ。多分。先輩ね、居なくなっちゃったんです。先輩が四年の夏でした。だから卒業できなかった。卒論出せなかったんですもん。当たり前。

　夏休みでしたけど、俺も先輩も別に地元に帰る予定もなかったし、大学生の所持金なんてたかが知れてるから遠出も出来ない。先輩に関しては出費が多いですしね、あんまり金使わないところが良い。

　そんなだから、暇だし近場でなんかやろうと思って、夏休み始まってしばらくしてから予定聞こうと思って連絡したんです。そしたらメッセージアプリに既読つかないし、電話してみても繋がらない。何回かけてもおかけになった電話は……ってなる。

　夏休み入るまではちゃんと出たのに。休み入って、なんか用事でってならわかるんですけど。色々ありますしね、やっぱ実家帰るとか、シフトたくさん入れたとか。放蕩癖、みたいなのも若干ありましたし。ふらっと二、三日開けて、何事もなかった顔でお土産渡してくる。へんな文言の入ったTシャツとかもらいました、都心の修学旅行の定番スポットで買えるやつ。そんときも、だいたいそんなもんだろうと思ってたんです。でもね、休み開けても先輩は帰ってこなかった。

　あとは噂だけです。ただの後輩が実家の電話番号とか知ってるわけないし。共通の知人からの出どころのわからない話でしか知りようがない。って言ったってみんなどこ行ったのか分かんなかったんですけどね。

　忽然と消えちゃった、そんな感じです。先輩バイク乗ってたんで……事故ったらそのへんでちゃんと噂になるだろうし、なにかしらあったら俺にでも他の友人にでもなにかしら言ってくれる……と思ってました。本当はなにかあって大学行けなくなったのかも知れません。でも、誰も先輩の行方を知らなかった。まあ、大学の交友関係ってそういうもんって、割り切れたら良かったんですけど。……そうもいかなくなっちゃって。

　誰も先輩のこと話さなくなったころからね、た（・）ま（・）に（・）見（・）る（・）ん（・）で（・）す（・）よ（・）。

　先輩をです。いや……帰ってきたとかじゃなくて、こう、あり得ないシチュエーションで。夜にね、部屋で煙草吸ってるときに――換気扇の下で寝る前に一服してると、いつの間にか隣に立ってるんです。あんときと変わりません。っても今だってまだ数年しか経ってませんからイメチェンしようと思わなきゃそう変わるもんでもないと思いますけど。あいかわらずのやせぎすで、趣味の悪い柄のシャツ着てね、気づかないうちに立ってる。

　最初はそりゃ驚きましたよ。いままで行方知れずだったひとが、突然音もなく俺の部屋に居るんですもん。玄関でも窓でも、入ってきたら気づかないわけないじゃないですか。それに俺ちゃんと戸締りは確認するし、先輩だって呼び鈴押さないで、ましてや鍵こじ開けてまで入ってくるような人じゃなかったし。

　そんでね、隣に立ってなにするかって言ったら、一本くれって言うんです。煙草。細長い指こっちに差し出して……居なくなる前みたいに。

　あげますよ、先輩だし。そしたら普通に吸い始める。前とおんなじで。大学んときもね、部屋に上げるといつもそうでした。俺が吸いはじめると隣に来て、一本ねだる。それくらい良いかって、毎回あげてたんです。あとで俺も貰うんですけどね。同じ銘柄でしたから……。

　それだけです。酷いもんですよ、それ以外はなんにも喋ってくれないんです。一本だけねだって、それだけ。吸い終わる頃には煙みたいに消えちゃうんです。

　一本分くらい、なんか言ってくれても良いじゃないですか。なんだったら何本でもあげるから、しばらく隣に居てほしい。煙草一本の対価として、出るだけってのは割に合わないと思うんですよ。……いや、合うのかな。せいぜい一本３０円ですしね、それだけで姿見せてくれるなら。

　まあ、そんなだから……死んでるんでしょうね、先輩。そんな気はしてましたけど。黙って居なくなるなんて猫みたいでしょう、気まぐれなひとでしたからね。

　高い線香でもあげたらなんか喋ってくれたりするんですかね。でも誰も線香あげないせいでまだ迷ってる挙句うちに出るなら、あげない方が良いんですか。わかりません。なんで、多分今後も煙草一本あげるだけです。成仏なんかされたら元も子もない。

　あんまり望みすぎると全部失うって、よく言いますもんね。夜に一本だけ、その間だけ見えて、一緒に吸えるなら良いんだと思います。俺は。

　だからね……先輩が出てくれるから、やめらんなくなっちゃいました、煙草。