ラピスラズリを纏って

千桐加蓮

ラピスラズリを纏って

 オノン大陸で起こった大きな南北戦争が終結して大陸中がさまざまな変化を遂げていく。

 政治、産業、個々の考え方。変化を恐れる人もいるけれど、変化を恐れないで前を向いている人が大半である。

 僕の上司である大尉が、再び陸軍内で働くことを耳にしたので、様子を伺うために大尉の病室を訪ねた。


 大尉の病室を訪ねるのが僕の日課であった。 

 けれど、一ヶ月前あたりから、大尉の元にたくさんの来客が訪れるようになった。

 そのため、僕は遠慮して自分の病室として与えられた団体部屋のベッドの上で読書をして過ごしたりして時間を過ごしていたのだ。

 僕の元にも来客は来た。お調子者の同士たちや、婦人陸軍部隊の奥さんや、軍医の先生など。みんな僕を可愛がってくれている。

 一方、大尉の来客たちはお堅い方々しかいない。偉い位の人だと思う。士官学校の同級生か先生だか。それらしき人たちが訪ねていた時もあった。

 初めは和らいだ表情で話していたにもかかわらず、大尉が楽しそうに喋っている姿は日に日に無くなっていった。

 その様子を見て、いつも僕が揶揄いに行っていた。元気になってほしい、なんて思っていた。

 最後に揶揄いに行った時にはあまり快く思っていなさそうな表情で、自分の病室に戻るように困り顔で話していた。

 


「あら、ジェスくんじゃない?」

 従軍看護婦のマーニーが、軍病院の廊下で僕の名前をニッコリと笑って呼ぶ。

 爆撃に巻き込まれ、帰らぬ人となった男から聞いた。マーニーは、南部の部落出身で、従軍看護婦になる前、美人であることが他の部落にも大きな噂となり、婚約の申し込みが後を絶たなかったという。

「ヒューゴ大尉のところに行くの?」

 若々しく弾むような歩き方で僕の近くにやってくる。

「そうです! 大尉、病室にいましたか?」

「ええ、ついさっき手当てをしに伺ったわよ」

 マーニーは真横の病室の団体部屋を指す。

「あら? 大尉、横になられているわ」

 マーニーは開いた扉から見える大尉を見て、「全くもう」と言わんばかりの表情で肩をくすめていた。

「ヒューゴ大尉が、陸軍内で再び働きになるお祝いをしに行くの?」

 マーニーは小さく首を傾げる。

「祝うっていうよりは、僕のこれからについてを聞きに行きます」

 マーニーは、息を呑む。

「僕は、このまま陸軍に残っても構わないのですが、大尉はなんと仰るかわからないですので。孤児院行きになるか、本部ではない駐屯地に送る可能性だってあるわけです。大尉は、僕のことを考えて下さっているかもあやふやですけど」

 すると、マーニーは当たり前のような口調で話し始めた。

「きっと考えて下さっているに決まってます。大尉はお堅い顔をしていらっしゃるけど、心は大海原のように広い人な訳だし」

 マーニーは真剣な目で僕を見る。お堅い顔、という印象を持っていることに思わずツッコミを入れてしまおうかと思ったが、心の中で留めておいた。お堅い顔をしていらっしゃるのは、きっと名のあるエリート軍家のお生まれで、様々な困難があったからに違いない。

「じゃあ、また」

 僕はマーニーと別れ、大尉のいる団体部屋に入った。


「なんだ、ジェスか」

 表情が曇ったわけではないが、呆れた目を向けられた。大尉は、男性にしては、かっこよさというよりは強面を連想させるような切れ長の目を持っている。

「もっと喜んで下さいよ。挨拶くらいして下さっても良いのでは?」

「左足を負傷していただろう。松葉杖はどうした?」

 話が変わってしまい、僕は困ったものだと長いため息を吐いた。

「私は心配をしているのだ」

 大尉は寝転がっていた体勢を止め、起き上がり、ココア色の短髪を手櫛で整える。

「大尉が構ってくれない間に治しました」

 僕が口を尖らせ、ベッドのすぐ側の木材で作られた丸椅子に腰を下ろすと、大尉は「ああ」と回想に耽る息を漏らした。

「悪い。なんせ復帰の祝いやらなんやらで色々あったんだ」

「復帰する話は伺っていました。おめでとうございます」

 僕は敬意を表して頭を下げた。大尉は少し間を置いて顔を上げるように言った。なんだか少し声が吃っている。

「なあ、ジェス。君はこれからどう生きたい? 自分の故郷に帰りたかったら帰ればいいし、やりたいことがあるなら、私が心から手助けする」

 ここに来た理由を見抜かれていたらしい。もしくは、廊下でのマーニーとの会話が聞こえていたのかもしれない。大尉は耳がいいからなあ、と思う。

 僕は下唇を少し噛んで悩むような素振りをした。実際、頭の中では悩んでいない。

 少し大尉の困り顔が見たくなってしまった。

「大尉は、本当に陸軍に残る選択をすることに満足しているのですか?」

 すると大尉は、僕から目を逸らし、窓の外を見た。窓の外では、パラパラと雪が降っている。ここらの地方では珍しい。

「君を保護した日も、雪が降っていた」

「オノン大陸の北部地区に近い場所で、僕を見つけてくれましたね」

 少し間が空く。窓の外から入ってくる雪は、少し水っぽい。

「君も、そろそろ十三歳だったか」

「大尉は三十路になりますね」

大尉は鼻で笑って僕の顔を見て、口角を少し上げた。

「何か、買わせてくれ。活躍の褒美ではない。ただの男、ヒューゴが君に恩を返したいのだ」

 恩、僕は目をぱちくりとさせる。

「感謝祭に行こうと誘っているのだ。そこで色々話そう。すぐに返事をくれ。そしたら今日はもう戻れ」

 はは、っと力なく笑っている。

「……行きます、一緒に」

 僕はそれだけ言って、急足で廊下に出た。大尉が僕を感謝祭に誘った時の表情には驚いた。あんな風に悲しそうな顔を僕に見せたことが今まで一度たりともなかったのだ。




 五年前、僕とヒューゴ大尉はオノン大陸の北部地区で出会った。

 僕たちのファーストコンタクトは、大雪が降っている極寒の山であった。

 まだ八歳だった僕が、兵士のお遊びで薄着のまま、家の中から外に連れ出され、凍死しかけているのを見て、大尉が助けてくれたのである。

 大尉の軍とは対立している国の子どもの僕を、毛布包み込み、横になるように言い、「生きろ、生きるんだ」と何度も何度も繰り返していた。

 大尉は、僕の救世主なのだ。僕の方こそ恩を返したい。


 その後、容態が元通りになると、僕は兵士になることを志願した。大尉の部隊で最年少兵士として最前線に出ることもあったが、主に情報部隊にいることが多かった。負傷兵士の手当てや食事の準備も手伝った。

 そうやって、大尉の隣で育った。大尉の仲間が次々と帰らぬ人となっても、大尉は強がりに振る舞っていた。




 感謝祭になるまで、大尉のいる団体部屋には行かなかった。

 行ってはいけないような気がしたためである。


 

 感謝祭の日には、雪がすっかり止んでいた。 僕は擦れた防寒軍用パーカーを羽織り、軍病院の外に出ると、分厚めの生地で作られているチェスターコートを着た大尉がいた。

 大尉は、挨拶もせず、僕と目が合うと無言で歩き始めた。


 神妙な空気が漂う。大尉が用意したのであろう、街まで送ってくれる車の中では二人とも一言も喋らなかった。僕も、何を喋ればいいのかわからなかった。運転手の壮年も男も、何かを感じ取ったらしく、大人しく運転をしていた。

 僕は、大尉が幸せになってくれれば胸がいっぱいになる。それだけで僕も幸せだ。

 いつもツンとした顔をしているくせに、誰よりも兵士の体調を気にかけていた。誰よりも負傷兵の見舞いに来ては声をかけていた。亡くなった兵士への供養も丁寧で、心がこもっていた。


――ねえ、大尉。このまま陸軍に残ってていいんですか?


 きっと、心優しい大尉のことだ。大尉という地位よりも高い位を目指すことなく、ただ目の前にいる困った人を助ける。それだけで大尉の心は満たされていると思う。でも、そんな大尉だからこそ、軍のいう場所にはお似合いではない気がしてたまらないのだ。



 街の雰囲気はお祭りムードだった。陽気な音楽が流れていて、賑やかな人の声が聞こえる。僕たちは車か降りて、屋台の方に向かった。

 

 元々、感謝祭というのは、土地の豊作を祈る風習だった。だが、いつの間にか、土地を耕し、土地を愛するそれぞれの人間へ感謝する祭りへと変化していった。


「感謝祭は初めてか? 北部地域の方では、もっと大掛かりな舞踊だったりがあると聞いていたが」

 大尉は、沈黙に耐えきれなくなったのか口を開いた。

「初めてです。感謝祭には子どもがたくさんいますね」

「そうだな」

 大尉は、子どもに目をやる。

「あの子たちに感謝を伝えたいです」

「君から?」

 大尉が無表情で尋ねるので、僕は思わず吹き出した。

「そうです。一緒に戦ったようなものでしょ? 戦争中は、自由じゃなかったと思いますから」

 僕が言うと、大尉は少し面食らったような顔をして、「ああ」とだけ言った。相変わらず無愛想だ。でも僕はそんな大尉が嫌いではない。軍人らしいなあと思うからだ。

「……君は」

大尉は口を開いたが、すぐに口を閉じた。

「何ですか?」

僕は、大尉に視線を向ける。しかし、大尉は前を向いていた。

「いや」

 そしてまた沈黙が流れる。戦争が終わって、僕たちの間の空気いつもこうだ。会話がなかなか続かない。でも、それはそれで心地が良かった。

 次に口を開いたのは僕だった。

「あの、大尉。あの時助けていただいて本当にありがとうございました。僕を救ってくれた雪の日ことです。ちゃんともう一度お礼が言いたくなったので」

 僕が言った途端、大尉の顔が明るくなったような気がした。僕も自然と顔が綻んだ。

 しばらく無言の時間が続くと、大尉は僕の頭に手を置いた。

「好きなものを贈ろう。私も、君に感謝しているからな」

 大尉がやけに素直でなんだか新鮮な気持ちになる。僕が大尉に「少し歩きましょう」と提案し、人の波に逆らって歩き出した。


 僕たちは、屋台でホットドッグと飲み物を買い、広場のベンチに座る。僕はホットドッグを頬張り、大尉は少量ミルクが入ったコーヒーを口に含んだ。

「贈り物はホットドッグでいい」と伝えると、「わかった」と小さく笑って大尉は言った。


 そしてまた沈黙が流れる。

「君は、これからどうするか決めたのか? 出身地に戻るのか?」

 大尉が口を開いたので、僕も口を開くことにした。

「いえ、それはないです。僕の家はきっと今でも親が兵士に殺された血で、臭いが残っているような気がしますし。働くにしても、僕の今の年齢じゃ、受け入れ先が限られてしまいますので」

 僕が口を閉じると、大尉はもう一度コーヒーを飲んだ。

「君は、軍にいるのはもったいない人間だ。私としては、士官学校ではなく、大学に行ってほしいと思っている」

「なぜです?」

 僕は大尉の顔を覗き込みながら、尋ねた。

「君には才能があるからだ。戦場で観察眼が鋭くて、周りを良く見ていて、他の兵士を何度も救った。今はまだまだだが、それも年齢が解決してくれるだろう」

 僕は俯いた。褒められたことなんて初めてだ。いつも、軽くあしらってばっかりで僕に関心を持ってくれる人なんていなかったのだ。なんだか不思議な気持ちだ。

「君はそのままでいい」

 僕がパッと顔を上げると、大尉は強がりに口角を上げていた。

「どうして、大尉は陸軍に残るんですか?」

 大尉は、軍の人間よりも感謝祭の市場でホットドッグを売って、子どもたちと喋っている方がお似合いなのに。無愛想だと、僕のようにちょっかいをかける子どもだって現れるに違いない。

「君には話してもいいのかもしれない」

大尉は僕に視線を向けた。

「軍には私の身内がいるからだ。まだ生きているかは知らないが」

 僕は思わず目を見開いた。そして、何か言わなければと口をパクパクさせるが、言葉が出てこない。そんな僕を見て、大尉は笑った。

「私はな、本当は家族に捨てられたんだ」

 大尉はホットドッグを頬張りながら言うので、僕は何も言えずただ聞いていた。

「私の家系はエリートと称される軍家。私は、家の伝統を受け継ぐために育てられた。もちろん私も誇りに思っていた。だから、父の期待通りの成果を残そうと躍起になった」

 大尉は一口コーヒーをすする。

「でもな、私の弟は私に目もくれないくらい優秀だった。父も弟ばかりを褒めらようになった。私はそんな父が嫌になって、家を飛び出したんだ。そして陸軍に入った。軍家といっても、私の家は空軍に力がある。反抗するように、私は陸軍の士官学生になった」

 大尉は僕を見てか細く笑った。僕はその笑みの意味がわからなかった。

「父は私を探そうとも思わなかったのだろう。私は、そのおかげで自由に生きることができたんだ」

「じゃあ、どうしてわざわざ陸軍の士官学生に? 自由な道を選べば良かったのでは? そもそも軍に関係ないことをすれば良かったのに」

 僕は、ホットドッグを頬張るのをやめた。

「ヒューゴは、軍人なんてお似合いじゃない!」

 僕は早口でここまで言うと、言い過ぎたかもしれないという気持ちでいっぱいになる。

 恐る恐る大尉の顔を見ると、穏やかに笑っていた。

「その通りだな。私は軍人に向いていない」

 大尉はコーヒーを飲み終わり、ベンチから立ち上がった。

「情けをかけるし、敵を殺す時には一瞬躊躇ってしまう。戦場で優しさが薬になることはあまり無かった」

 そして、僕を見下ろす。

「でも、私はこの道を選んだのだ」

 大尉の目には強い意志が感じられた。僕は思わず息を飲む。

「でも、陸軍部隊に所属しなければ、君に出会うことはなかった」

 大尉はそう言って僕の頭を軽く叩いた。僕はなんだか気恥ずかしくなって俯いた。

「ありがとうございます」

 僕がやっとのことで絞り出した言葉はそれだけだった。

「ああ」

 大尉は僕の頭に置いた手をそのままに、言った。

「君は、これからどうしたい? 私は君には自由でいて欲しいんだ。この軍に残ってくれるのも嬉しいが。でも、それは私のエゴだ。だから――」

大尉の手が頭から離れていく。僕は思わずその手を掴んだ。

「――大尉! 僕と一緒に逃げましょう!」

 大尉は驚いた顔をした後、無邪気な笑みを浮かべた。

「そうだな、それもいい。だが、私は、十分逃げていたぞ」

「では、一緒に戦争孤児の子たちを救う施設を作るのはいかがでしょう?」

 僕は必死だった。何より、大尉の側を離れられなかった。これじゃ、親鳥から離れられない子鳥だ。

「それはいいな」

 大尉は僕の手を掴んだ。そして、そのまま歩き出す。僕は、慌ててついて行った。手にホットドッグを持ったままである。

「だがな、私はこの道を選ぶよ」

 大尉は僕を見て言った。僕は思わず足を止める。

「どうしてですか?」

 僕が意味がわからないと唇を軽く噛んで尋ねると、大尉も足を止めた。

「私がここに残ることで救われる命もあるだろう」

 大尉は笑った。その笑顔にはどこか寂しさが感じられた気がしたが、僕にはその意味がわからなかった。

「そうですか」

 僕はやっとのことでそれだけ言うと、大尉の隣を歩き出した。大尉は僕の歩幅に合わせて歩いてくれた。

 

 僕たちは広場のステージの方で、ホットドッグを食べながら踊りを見ることにした。踊っているのは子どもたちだ。みんな笑顔で楽しそうだ。僕と大尉も自然と笑顔になった。

「君は、オノン大陸で起こった南北戦争が終わった、と思うか?」

 大尉が唐突に口を開いたので、僕は思わずホットドックを落としそうになる。慌ててキャッチして、口に押し込んだ。

「まだ、人々の傷は癒えていません。亡くなった兵士たちの家族や、孤児だってあちらこちらで彷徨っていることを聞いていますから」

「では、それを解決させることも私の仕事だ。私の仕事がまだ軍に残っているのだ」

 大尉は僕を見て笑った。僕はその笑顔に見とれていた。

「この戦争を終わらせようと思う」

 大尉は僕の手を取った。僕は胸が締め付けられるような気持ちになった。

 きっとそれは嬉しさや切なさが織り混ざった気持ちなのだと思う。大尉の意志は、硬くて丈夫な、強い宝石のようだった。強がりの大尉を表すのににはピッタリな言葉だと思われる。

 僕たちは踊りを見ながらホットドッグを食べた。


「ねえ、大尉。プレゼントがあります」

 僕はパーカーのポケットに入れていた小さい箱を取り出し、大尉にラピスラズリのメンズジュエリーを手渡した。大尉はいつ買ったんだとか、何で俺に? と訴える視線が伝わる。

「幸運に導いてくれるお守りです。少し外れの島国では瑠璃と呼ばれているみたいですね」

 僕が大尉に微笑むと、彼は嬉しさが溢れた目で、僕をまっすぐ見た。



 その後、僕は大尉の側にいたいと申し出た。

 大尉と僕は、海が見える陸軍基地の近くの小さな家に住むことにした。軍からの援助金と僕たちの貯金で生活していけるくらいのお金はあったので、特に問題はない。

「ヒューゴ、三十歳の誕生日おめでとう」

 僕が作ったフルーツパイをテーブルに置くと、大尉は目を細めて笑った。 

 僕は結局、軍を辞めた。だから、もう大尉と呼ぶことはせず、大尉のことはヒューゴ呼んでいる。

 今の僕は、孤児院で文字の読み書きを教えている。

 ヒューゴは、軍の仕事をしつつ、戦争孤児たちの支援に積極的に取り組んでいる最中であった。

「ありがとう」

 ヒューゴは、幸せそうにも見える鼻笑いをして、コーヒーを口に含んだ。

 幸せそうなヒューゴを見れて僕はそれだけで満足していた。


 そうやって、争いが減り、笑顔が増えていくきっかけになりたいと僕は思っている。ヒューゴも同じことを思っているのだろう。ヒューゴはよく笑い、孤児院にいけば子どもたちに囲まれている。

 答えがない争いではなく、今思っている幸せな感情や、自分の中で作られた好きなことを共有する方が、幾分か素敵だ。心からそう思う。

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