悲しいほどに純粋な者たちや美しいほどに愚かな者たち

宮澤史郎

第1話

四〇年後に地上で死ぬ空中勤務者

俺は今、倒れたな。

平衡感覚を無くして、ふっと体の力が抜けた。立っていられなくなったのは、分かった。目の前が暗くなった。そして、倒れた。

左の頬を濡らしているのは、俺の血だろうか。生暖かい。べたつく感じだ。血の臭い。

戦場でもこれ程間近で、血の臭いを嗅いだことは無かった。臭い血だ。血の下の床は、頬に冷たい。

倒れるとき、手で体をかばっただろうか。多分できなかった。頭を床にぶつけた音を、聞いた気がする。頭にもどこにもほとんど痛みを感じないのは、かえって相当ひどい状態なのだろうか。

戦場には、痛くて泣き叫ぶ奴がいた。痛さに、必死に耐えている奴もいた。痛がることさえできない奴は、直ぐ死んでいった。

だるい。体のどこにも力が入らない。手も足も動かせない。どこも痛くはないが、息苦しい。俺は、このまま死ぬのか。

こんなものか、俺の死に様は。こんな幕引きが似合っているか。今更考えても、だな。

俺の人生の頂上は、九九双軽に乗っていたときか。同時に、戦争というどん底でもあったな。どん底の環境で人生の絶頂期、皮肉なのか、それとも、珍しくもないことなのか。人はどんな劣悪な環境にあっても、その中で最高の瞬間を得られるものなのかも知れない。

あるいは、そうでも思わなければ生きていけないものでもあるか。人間の欲望には限りが無いが、特攻にやらされる前夜でもなければ、その中でも何かの楽しみを見つける、どんな些細なことにでも喜ぶものだな。

かといって、飽くことなき欲望が醜くて、足るを知ることが美しいわけでもない。欲望が人生の原動力になる事もあるだろうし、諦めることが心の平穏、幸福の入口になる事もあるだろう。

多分俺は、今死ぬか、明日死ぬか、よっぽど運良く病院に運ばれても、何日かで死ぬだろう。今更ジタバタしても遅いし、意味が無い。生きたいという欲望より、生きたという事実を優先しよう。


一九八五年三月、まだ寒い新潟の早朝、永友美博(よしひろ)は、口から胃潰瘍の血を吹いて自宅台所で倒れた。赤黒い血が畳二枚ほども広がっている。永友は自らの六七年の人生を、映画を見るように思い出した。人生の忘れられない断片だけを。

永友は一九一八年、新潟、亀代(かめしろ)村の貧農に長男として生を受けた。農閑期の出稼ぎで漁船に乗っていた父を、遭難で早くに失った。一九歳の時、母と妹と二人の弟の生活を助けるために、高等小学校しか出ていない身には軍隊に入るのが最良の選択だと気付いた。軍隊という望んで得た舞台で、彼は自らの人生の主役を演じた。


陸軍の歩兵から始めて、一時は憲兵になろうかと試験を受けた。が、無理だった。大学出とは、とても競争にならなかった。小学校卒と大学卒の差を思い知らされた。

自分を馬鹿とは思わなかった。ただ、スタート位置が違った。大学卒は五〇メートル先からスタートして、五〇メートルだけ走ればゴール。俺は一〇〇メートル先がゴールだ。同じ条件の競争ではなかった。

これが、五〇〇メートル先がゴールなら競争になっただろうし、一〇〇〇メートル先なら俺が勝ったかも知れない。

金持ちの子は馬鹿でも学校に行けば、学ぶ時間は得られる。機会が得られる。貧乏人の子は機会が得られない。かといって、完全に平等な公平な社会など有るはずがない。もしそんな競争の無い社会なら、堕落して消滅するだろう。

人には、運の良し悪しもある。俺は五体満足で生まれ、軍隊でも生き残ってきた。まぁ、良しとする。

憲兵はだめでも飛行機くらいは乗れるだろうと、努力した。いつまでも鉄砲を肩に担いで行軍する歩兵は、それこそ馬鹿だ。

九九式双発軽爆撃機の操縦者になった。爆撃手、機銃手、通信手の三人の命を預かって操縦した。海軍の零戦に護衛させて、オーストラリアに爆撃に行ったこともある。

八年軍隊にいて、最後は曹長にまでなった。士官にはなれなかったが、下士官の最高位だ。

しかしそれが、飛行機が何だったのか。曹長が何だったのか。戦争が何だったのか。俺の青春は何だったのか。俺の人生は、戦争で死ななかっただけ、指の一本さえ無くさなかっただけましなのか。

だが、何も誇るものが無いなら、食って死ぬだけの人生だ。飛行機でも階級でも、人に誇ることは恥であっても、密かに自らに誇ることくらいは許されるとも思う。

俺はどうして結婚しなかったのか。どうして子供を残さなかったのか。妹には息子がひとり、上の弟には息子が三人、下の弟には娘がふたり。俺にはひとりもいない。

絶望だ。絶望があった。特攻にやられず終戦になって、その時はホッとした。その後、徐々に絶望した。軍、政府、女、社会、文化、理性、きっと自分への絶望もあった、それらが俺を結婚から遠ざけた様な気がする。

家族を持たなかったからというわけでもないが、こうやって血を吐いてひとりで死んでいくのが似合っていると言えるか。

まぁ、人生など、こんなものだ。戦争で死んだ奴は一杯いる。特攻にやらされた奴もいる。あいつらを特攻にやった戦隊長は生き残った。それはそうだ、天皇さえ生き残っているのだから。

六七年生きた。父親は三六で死んだ。母親は七七で死んだ。母親ほどは生きることはできなかったが、父親よりは大分長く生きた。人生の価値はその時間の長短では計れないが、赤ん坊で死んでは生きたことにならないし、二十歳かそこいらで戦争で殺されるのは辛い。そういう意味では、俺は生きた、な。充分だろう。

戦争の時代だった。ろくな教育を受けていないから、戦争の是非、善悪を考える能力が無かった。この国のどこにも、今でさえ、ろくな教育は存在しないし、ものを考える奴は一握りだろうが。

ともかく、戦争と軍隊に命を懸けた。くだらないものでも、命を懸けるものがあった。命を懸けて生きて、運良く生き残った。そして今日まで、老いさらばえることまでできた。

あの世があるとしても、父親や母親に会いたいとは思わない。戦友たちに会いたいとも思わない。戦隊長にひとこと言ってやろうかとも思わない。俺が爆撃で殺した奴に詫びたいとも思わない。あの世でも、俺はひとりで良い。第一、会えるはずがない。そうだ、死んだら、全て終わりだ。あの世は無い。

倒れてから一分経ったのか、二分経ったのか、時間の感覚が分からない。どうせ死ぬのだから、分かっても分からなくても良いが、もうしばらく過去を思い出して楽しめるのか。それとも、もう俺は死んでいるのか。そんなわけはないな。


撃つしかないのか

小林一等兵は、吐き気を抱えていた。

(撃つしかないのか。撃たなければだめか。撃ったら、あいつは死んでしまう。弾は外れるかも知れないが、中るかも知れない。中ったら、あいつはかすり傷か重傷か、下手をすると即死するかも知れない。俺は人を殺してしまうのか。人殺しになってしまうのか。戦争とはいえ、俺は人を殺すのか。

人を殺した後は、何を考えるのだろう。後悔するのか、意外に何ともないのか。最初は苦しんでも、次からだんだん楽になっていくのか。勲章を貰うために、もっと殺したいと思うようになるのか。

そんなはずはない。取り返しのつかないことだ。

だが、敵を殺さなければ、俺の方が敵に殺されてしまう。それだけは絶対に嫌だ。殺されたくない。俺は死にたくない。戦争などで殺されたくない。人のために、死にたくない。人に言われて、死にたくない。天皇のためになんか、死にたくない。日本の国が無くなっても、俺は生きていたい。

まだ、結婚もしていない。老人になるまで生きていたい。病気で死ぬなら、戦争で殺されるよりあきらめが付く。敵に殺されるより、国に殺されるより、病気で死ぬ方がましだ。

俺は人間だ。働き蟻や兵隊蜂じゃない。貧乏で飯が食えなかったから、軍隊に入るしかなかった。それが戦地に送られ、あげくに命まで取られるのか。貧乏だから、死ぬしかないのか)

小林一等兵がかまえる三八式歩兵銃の照門の先に照星があり、その一五〇メートル先に敵がいる。右手の人差し指は、引き金に掛かっている。

(敵は俺に気づいていない。狙いを付けたまま息を止めて、この人差し指をゆっくり絞るように、握るように縮めれば、撃鉄が落ちて一瞬後にきっと弾は敵に中る。

外れたら、敵は俺に気づいて撃ち返してくるだろう。その弾が中ったら、俺は死んでしまうか、手足を無くしてしまうだろう。そしたら、一生片輪で生きていくことになる。

撃たれて死にたくはない。死なずに済んでも弾が中ったら、肉が千切れて、骨が砕けて、痛いだろう。それが嫌なら、敵を殺すしかないのか。そうやって戦争は続いて行くのか。

殺したくもないし、殺されたくもないが、それでも戦争は続くのか。殺すか、殺されるかしなければ、俺の戦争は終わらないのか。

俺が死んだ後は、戦争が続こうが終わろうがどうでも良い。俺が生きているうちに、誰も殺さないうちに、戦争が終わって欲しかった)

帝国陸軍一等兵小林和夫は、実戦での最初の一弾を撃てずにいた。小林一等兵の銃口の先にあるのは板に描いた的ではなく、敵兵といえども生きている人間だ。

戦争とは言え、敵とは言え、人が人を殺すことは、そう簡単にはできない。殺してしまったら、人殺しになってしまったら、別の人間になるような、後戻りできないような、最低の人間になるような、自分でなくなるような、親に合わせる顔がなくなるような、いろいろな怖さを感じていた。

出征前はみんなから、立派に戦って来いと言われ、彼もその気だった。その時は、人を殺すことが想像できなかった。入営して訓練を受けているときも、人を殺すことがどういうことか、具体的に考えることは無かった。ただ、訓練がつらかった。

今、自分の意志で、指を一本動かすだけで人を殺せる瞬間になって、怖くなった。殺されるのも怖いが、殺すことも怖い。それが、正常な人間だろう。

背広や将軍の軍服を着て戦争することを決めた人間は、人間を殺したことがあるのか。自分が殺されそうになったことがあるのか。殺し、殺される怖さを知っているのか。

戦争をやると決めたら、その結果として自分には見えないところで何千、何万の人間を殺すことになるが、個人として、自分の手で、たった一人でも殺すことができるのか。鉄砲の弾が身体をかすめて、自分が殺される現実的な恐怖を感じたことがあるのか。その覚悟があって、戦争をやると決めたのか。言葉だけの覚悟ではない。自分の指一本でも切り落としてみろ。自分の娘の耳を切り落としてみろ。それをやってから、人を戦地に送れ。敵と撃ち合いをさせろ。

小林の周囲は、銃撃の音と硝煙と味方の叫び声と土埃に満ちていた。銃撃の音は腹に響き、硝煙は鼻を刺し、味方の叫び声は小林を僅かに勇気づけ、土埃は時折視界を遮った。そして、味方の悲鳴は小林に恐怖を与え、同時に理性を取り戻させた。

(殺せと命令する人たちは、殺したことが無いか、殺すことに何ら罪の意識を、僅かな心の痛痒さえも感じない、生まれながらの殺人者であり、異常者なのだ。

包丁を持った強盗に殺されそうになっているのなら、迷う余裕も無く反撃するかも知れない。敵わずとも、むざむざ殺されるよりはできる限り抵抗する。

だが、今、戦闘の真っ最中とは言え、あいつは俺に気づいていない。俺の方から一方的に、何も知らない、罪も無い人間を殺すことになる。親もいるだろうし、妻子がいるかも知れない。本人にも家族にも恐ろしく残虐なことだ。

それでも国は、天皇陛下は、人を殺せ、ひとりでも多く殺せという。俺が人殺しになる事は、そんな国に生まれてしまった俺の宿命なのか)

小林の周りにはまた、死そのものも満ちていた。敵に撃たれて動かない者がいる。おそらく死んでいる。撃たれたところを押さえて、呻いている者もいる。助かるだろうか。手や足がもげている者もいる。多分、助からないだろう。まだ戦闘は続き、血止めもしてやれない。

小林の心は、戦友ではある他人とそして自分自身の、死の恐怖で埋まっていた。それでもまだ、小林は引き金を引くことをためらっていた。

兵隊の誰もが引き金を引かなければ、戦争は成立しない。しかし、敵も味方もほとんどの兵隊が、引き金を引いている。撃ち合っている。殺し合っている。

恐怖でまともに考えられないが、迷ってばかりもいられない。撃つしかない。撃たないでいるより撃つ方が、少しは恐怖が紛れる。少しは生き残る確率も上がる。

(撃て。撃ってやれ。撃つぞ)

小林は決心した。決心と言うより、ヤケになって思い切った。人差し指を絞った。耳を襲う轟音と同時に、目の前に硝煙がパッと開いた。しかし弾は、狙いを付けた敵に中らなかった。引き金を引きながら、銃口を上にそらしたような気がした。無意識に、人を殺したくないという本能が、あるいはなけなしの理性が、銃口を敵からそらしたようだ。銃口の先にあったのは、標的ではなく人間の命だったから。

殺さずに済んでホッとしたような気もしたが、今度はあいつから自分が撃たれて殺されるかも知れないという恐怖が湧いてきた。

(戦争だから仕方が無い。例え戦争でなくても、殺さなければ殺される状況なら、殺してしまっても、正当防衛か緊急避難か知らないが、罪にはならないはずだ。いや、例え罪になっても、殺されるよりは生きて刑務所に入れられる方がましだ。殺人罪を課されようとも殺すしかない)

 小林も敵兵も国家に強制されて、殺し合いをやっているのだ。愚かで空しく悲しい現実の中で、しかし、本能は生き残れと言っている。

(俺は撃つ。殺して、生きる)

「毛唐、死んでくれ」

小林はつぶやいて、二弾目を発射した。狙いを外さないように、銃口を上げないように意識した。が、その瞬間だけ、目は瞑っていた。

照星の向こうで、敵がピクッと一瞬震えて崩れた。これが俗に言う手応えというものか。そんな何かを感じた。

(きっと死んだ。俺は初めて人を殺した。とうとう殺してしまった。あいつには妻がいたかも知れない。子供もいたかも知れない。あいつの人生だけでなく、あいつの家族にとってかけがえのない人を、奪った。

これから俺はあと何人殺すのか。何人殺せば戦争が終わるのか。それまで俺は生きていられるのか)

しかし、人を殺した恐怖と自分が殺される恐怖から少しでも逃れようと、一瞬後には直ぐに次の敵を探した。

砲弾が遠くではじける低い音と小銃弾が周囲を掠める高い音が、ひっきりなしに耳を打つ。それらが、戦場にいる事を小林に思い知らせ、いつまでも後悔などをさせてはおかない。次の敵を撃ち殺すのだ。生き残るために。

国という、訳の分からないもののためなどでは無い。ましてや天皇という、赤の他人のためでも無い。自分が生き残るためだ。あえて言うなら、父母兄弟のためだ。

銃の遊底を起こして引き、押し戻して下げる。すると空薬莢が排出され、次弾が薬室に送り込まれる。狙いを付ける。引き金を絞る。耳元で爆発する。五発で空になり、五発込めて繰り返す。

中ったのか外れたのか、分からない。中った方が良いのか外れた方が良いのかも、分からない。中れば、人殺しだ。外れれば、自分が殺される。

とにかく撃った。くそったれ、アメ公、くたばれ、馬鹿野郎、死んでたまるか、などと叫びなら、走り、匍匐前進し、穴に飛び込み、物陰に隠れて撃った。叫んだり走ったり撃っている瞬間だけ、死の恐怖を僅かに薄めることができた。


帝国陸軍一等兵小林和夫は福島県会津若松出身。農家の三男で、尋常小学校卒。

どうせいつか徴兵されるなら、いや、それよりも腹一杯飯が食えるなら、と一七歳で軍隊に入った。稲作農家でありながら、自分で作った白米を腹一杯食えない。それが天皇陛下の赤子、現人神(あらひとがみ)の子の現実だ。

訓練は厳しかった。言葉を覚えることから始まった。家にはラジオも無く、読書の習慣もない小林は、標準語というものを知らなかった。だから話すときの訛りは、直しようがなかった。入営当初は聞いても分からない言葉も多く、逆に自分の言葉を理解して貰えない事もしょっちゅうだった。

軍隊は出身地別に隊が構成されていても、実戦では別の隊に補充されたり、補充兵が来たり、出身地の違う隊同士がさらに大きな隊を構成したりもする。その時言葉が通じなくては、軍隊としての効率が著しく低下する。戦闘時の命令伝達や情報交換が不充分では、徒に損害が増える。兵隊は最初に、標準語を覚えなくてはならない。

次に、軍隊式の言葉を覚えなくてはならない。入ります、帰ります、自分は、上官殿、であります、などがある。

軍隊の階級名を覚え、階級章を覚え、軍人勅諭を覚え、銃の分解、清掃、組み立てを覚え、毛布のたたみ方を覚え、ゲートルの巻き方を覚えなくてはならなかった。行軍や射撃訓練の前に、山ほど覚えることがあった。覚えられないと、班長に殴られた。

訓練はつらかった。兵隊だから体を鍛えるのは当然だが、理不尽な制裁があった。納得できなくても抗議は許されず、殴り倒されても直ぐに立ち上がって、気を付けの姿勢を取らなければならない。さもないと、今度は蹴られる。ゲンコツではなく、革のスリッパで殴られることもあった。

装備を汚したり壊したりすると、天皇陛下からの預かり物である装備をなんだと思うのか、と殴られた。軍隊では、人間より銃の部品一個の方が大切なのだ。

差別もあった。天皇を神とし、それ以外の日本人をその赤子とする、日本人同士での差別と、志那や朝鮮や全てのアジアを劣った国とする、外国人に対する差別だ。

軍隊には論理や知性、理念は無いが、愚かさと暴力、矛盾は絶望的に有る。小林一等兵は、そんな環境での訓練をなんとか耐えた。そして戦線へ送られた。

小林は、元々は気の弱い男で、戦争で人を殺すことなど射撃訓練中でも想像さえしなかった。それが、今、敵を撃ち殺した。あの理不尽な訓練の成果なのか。人を、単なる人殺しの機械に変えるために、あの訓練が必要だったのか。

小林には、例え殺す権利は無くとも、生き残る権利は有る。だったら、生き残るために殺すことは、権利の行使として許されるのだろうか。


走っているうちに右足の靴が脱げた。長靴と違い、短靴はヒモが解ければ脱げることもある。命を懸けるには貧しい装備だが、天皇からの預かり物だ。かといって、戦闘中に靴を探すことはできない。もしこの戦闘に生き残ったら、またビンタか、と一瞬思った。自分の命よりも支給された靴を心配するのが、帝国陸軍一等兵だった。

敵の機関銃が咆吼している。銃口が光った一瞬後に発射音が聞こえ、それとほぼ同時に着弾の証拠に周りの土が跳ね上がる。目をつぶって、頭を下げる。

喉がからからだ。水を飲みたい。水筒は携帯しているが、飲む暇は無い。

歩兵銃はボルトアクションだ。一発ごとに空薬莢を排出し、次弾を装填する操作が必要だ。闇雲に撃っても、機関銃とボルトアクションでは勝負にならない。機関銃が自分以外を狙っているときに、できるだけ精密な狙いを付けて撃つことだ。恐怖の中のほんの少しの理性で、小林はそこに気づいた。

機関銃が沈黙した直後に敵を観察し、弾帯の装填時や排莢不良を起こしているときに、ゆっくり狙えと自分に言い聞かせて、敵兵の胸に狙いを付けて、撃った。結果を確かめる余裕は無い。素早く遊底を操作して、次弾も同じように意識的にゆっくりと狙いを付けて、撃った。

三発撃ったところで、弾倉が空になった。まだ、敵の機関銃は沈黙したままだ。

「やったのか」

しかし、安心はできない。敵兵が死んだとしても、機関銃が無事なら射手が代わるだけだ。弾丸を込めて五発全弾を、機関銃を狙って撃ち尽くした。機関銃は撃ち返してこない。それなら、次の標的を探すまでだ。

片方の靴を無くしたので、足をかばいながら走る事になる。それは危険だ。小林はできるだけ今の位置を維持することに決めて、次の殺すべき敵を探した。

胸を棍棒で叩かれた。そう感じた。息ができない。空気が吸えない。胸が壊れたと思った。

(撃たれたのか。弾が中ったのか。死ぬのか。やっぱり俺は死ぬのか)

硝煙と土埃の向こうに、青空が見える。

(俺は撃たれて、仰向けに倒れたのか。だから、青い空が見えても息ができないのか。

どうやったら、生き残れるのか。どうやったら、会津に帰れるのか。どうやったら、時間を戻せるのか。軍隊に入らなければ良かった。

息ができない。

どうせ死ぬなら、敵を撃たなければ良かった。人を殺さなければ良かった。

誰が戦争を始めたのか。毛唐が悪いのか、天皇が悪いのか。

どうして、俺は死ななければならないのか。苦しい。痛い。空気が吸えない。

母ちゃん、苦しい。人殺しの罰が当たったんだな。苦しい。

父ちゃんと母ちゃんに、人に迷惑を掛けるなと言われて育てられたのに、人を殺してしまった。

息ができない、母ちゃん、助けてくれ)

小林は全身を二、三度痙攣させて、二度と動かなくなった。指一本も動かず、まばたきもせず、呼吸もしなくなった。永遠に。故郷の会津若松から遠く離れた沖縄で。

一七歳で、国家に殺された。アメリカという国家か、日本という国家か、あるいはその両方に殺された。

たったひとりの兵隊が、たったひとりの敵兵が死んだことは、両方の国家にとって蚊に刺されたほどのこともなかった。自由のために、正義のために、国家のために、天皇のために、大東亜共栄のために、資源のために、金儲けのために戦争をしているのだから、多少の崇高な犠牲はやむを得ないのだ。必要経費であり、想定内なのだ。

この国では、天皇のために、と言う名目で兵隊はいくらでも集められる。かの国では、自由と正義のために、というスローガンで兵隊はいくらでも志願する。

天皇は如何程の者なのか。誰の自由と正義なのか。天皇や自由や正義は、人に人を殺させ、人が死ぬほどのものなのか。そうしなければ手に入らず、維持できないものなのか。

国家のメンツのため、国家の利益のため、敵をやっつけろという国民感情のため、戦争で儲ける財閥のために、愚かな政治家のために、小林は一七歳の命を奪われた。

そして小林は、靖国神社で神として祀られる。望んでも望まなくても。

だがきっと、小林は靖国ではなく会津若松に、父母の元に帰るだろう。死んだあとの自由までは、天皇でも奪えないだろうから。

小林の両親には、息子をお国に捧げたとして、名誉が与えられる。その名誉は、戦争が終わった時、世間的には無価値になるが、今でさえ、両親には無価値である。

父と母は、息子を失った哀しみを隠して生きて行く。息子を戦争で殺しただけでは飽き足らず、親に、息子を失った哀しみを表現することさえ許さない国家だから。


死ぬしかないのか

六七(ろくなな)重爆の星形一八気筒、二、〇〇〇馬力発動機は、二機とも調子良く爆音を響かせている。全ての計器は正常範囲内を示している。補助翼、昇降舵、方向舵の動きにも全く異常はみられない。きっと、爆弾が飛行中に外れ落ちる事も無いだろう。

(いよいよ、六七と五〇〇キロ爆弾二発を道連れに地獄行きだ)

帝国陸軍航空隊軍曹高旨征二は、覚悟を決めた。いや、これから何度も、飛行中も、敵目標を見つけたときも、目標に向かって急降下するときも、衝突のその瞬間まで、何度も覚悟を決めるのだろう。

彼はこれから、死にに行くのだ。自らの意志で自殺するのでは無い。国家の意思に従って、死ななければならないのだ。形式上は志願となっている。実態は、他に選択の余地がないのだ。

志願しなければ、臆病者、卑怯者、非国民、日本男子の面汚し、陸軍の恥などと最大級の罵倒がぶつけられる。加えて、親も兄弟も親戚も不名誉な誹りを受けるだろう。人の命の前に、志願だ、強制だ、と言葉をもてあそんでも意味が無い。

上官は美しい言葉で志願者を募った。おまえたちだけを行かせはしない、俺もいずれ後に続く、鬼畜米英からこの美しい国を守るためだ、天皇陛下に忠誠を尽くすのだ、潔く散って靖国で会おう、特別攻撃隊への志願は日本男子の本懐を遂げる名誉である、皇国は必ず勝つ、そして亜細亜の盟主となる、その礎になるのだ、、、。

飛行機の操縦をやるほどの者に、そんな言葉を信じる馬鹿はいない。全ては嘘であると知っている。戦局がここまで危うくなって、今更盛り返せるはずがないことも分かっている。

国とは何だ。国民ではないのか。国民を殺して、天皇と高級将校だけが生き残れば良いのか。

死んでしまった後で、靖国も蜂の頭もあるものか。こんな絶望的な作戦しかできない、武器も燃料も合理的思考も無い状態で、勝てるわけがない。分かっていて、何故認めないのか。戦争には、大和魂などより小銃弾一発の方が必要だ。

軍部は、どこまで犠牲を増やせば納得するのか。政府は、何故軍部を制御しようとしないのか。

天皇は、何を考えているのか。自分の名において、あと何人日本人が死ねば充分なのか。あと何人アメリカ人を殺せば満足するのか。

亜細亜の国々を侵略して、殺戮して、略奪して、なにが大東亜共栄圏だ。

軍が配付した遺書用の参考資料を充分に参考にした美辞麗句を羅列しただけの遺書を書いた戦友もいたが、高旨は検閲に引っかからないだろうギリギリの自分の言葉で遺書を残した。

(何故俺が、無意味に死ななければならないのか)

ついさっき覚悟を決めたつもりだが、高旨は心からの納得はできないでいる。


フィリピンの空は、青く美しい。空の二割ほどを占めている雲は、白く美しい。

六七の発動機は、相変わらず頼もしい爆音を放って軽快に回っている。

滑走路の脇に整列して帽子を振っている整備兵らに敬礼をする。

(将校の馬鹿どもが。特攻など考えやがって)

そう簡単に、生きることを諦めることはできない。ひとりになって、冷静になれば、特攻志願を募るという時は、募る方と志願する方を含めた集団が、なにか異常な心理状態にあったように思える。酒に酔うように、雰囲気に酔っていたように思える。

戦友の中には、心から望んで特攻に行く奴もいるかも知れない。しかし、このような時代で、このような世の中で、そのように教育を受け、現実的な選択が存在しない状況で、本当に自分で選んだ、決めた、望んだ、と言えるか。

純粋であるからこそ、疑問を持たないだけなのかも知れない。戦友の特攻死を決して冒涜はしないが、汚れを知らない子供が狡猾な大人に騙されるようなものではないのか。真っ白の紙は、どんな色の絵の具をも拒否しないように。

たとえ騙されたとか愚かだと言うことではなくとも、純粋な心につけ込んだ唾棄すべき人間がいたのではないか、と後生(こうせい)に検証して欲しい。

少なくとも飛行機の操縦者には、何百年も前の神風が昭和二〇年にまた吹いて、米英を撃退すると信じるやつはひとりもいない。

戦争が終わったら結婚しようと約束した加藤雅子のハンカチを、右手首に結んである。雅子の写真を、飛行服の胸ポケットに入れてある。

今、結婚の約束は、間違いなく果たせない。だから、二つ目の約束を雅子には守って貰いたい。もし自分が死んだら、自分のことは忘れて別の幸せを探す、という約束を。雅子を真実に愛しているからこその、嘘偽りの無い高旨の気持ちだ。

機は滑走路に出た。

発動機の回転を上げ、ブレーキを解除した。

六七はスッと走り出し、直ぐに背中が座席に押しつけられる加速を感じた。

発動機の回転計と速度計を確認する。

(良し、行くか)

操縦桿を引いた。六七は、二度と着陸することの無い最後の離陸をした。


高旨は、静岡県清水港の漁師の長男だ。長男だが、沿岸漁師の生活は貧しく、漁師になることを嫌って陸軍に入隊した。

一〇ヶ月前台湾での訓練中に負傷し、療養のために帰省した折、父の姉に加藤雅子との見合いをさせられた。高旨は、いつ死ぬか分からぬ身での見合いには乗り気ではなかった。

しかし、叔母のためにとやむなく会った雅子に、高旨は一目惚れした。俺で良ければ、なんとしても守ってやりたい、と思わせる女だった。殺伐とした戦場、がさつな軍隊、命懸けの爆撃の対極にあったのが、雅子だった。

戦地に戻ってからも、なんどか手紙を交換した。軍の検閲があるため気の利いた文句は書けなかったが、雅子の心に何かを積み上げることができた。

ひとつき前、飛行機の改修のために内地に帰った。

帰省して、雅子に会った。その時に結婚の約束をした。同時に、もし自分が死んだら自分を忘れてくれ、という約束もした。

雅子は泣いて、言った。

「必ず、生きて帰ってきて下さい。待っています」

高旨は答えた。

「生きて帰ってくる。帰ってきて、君と結婚する。君を守るために、行ってくるのだ。だが、戦争だから運悪く帰れないことがあるかも知れない。その時は、私を忘れて幸せになって欲しい」

飛行機の改修とは、体当たり機に改造することだった。高旨は特攻隊に編成された。

結婚が敵わない事は分かっていた。それでも、未練と思われようが、女々しいと言われようが、結婚を夢見た。自分の未来を、死なないことを、夢見たかった。


六七は五〇〇キロ爆弾を二発も積んでいるせいで、上昇率が悪い。本来の爆装は五〇〇キロ爆弾なら一発だ。もはや無用とされて、機銃や無線機などを取り外してはいるが、敵艦への損害を高めるために燃料を一杯積んでいることもあって、重い。

敵の電探(レーダー)に捉まらないように、目標付近までは対地高度三〇〇メートルという低空飛行だから良いものの、目標に対して急降下で突撃するために一旦上昇するときが心配だ。

六七重爆ばかり八機の編隊である。通常、爆撃機には戦闘機の護衛が付くものであるが、この特攻には護衛は無い。護衛する戦闘機さえ残っていないのだ。

電探で察知され敵戦闘機が邀撃に来たら、ひとたまりもなく撃墜されるだろう。爆撃機と戦闘機では、空戦能力は比べようもない。特攻も無駄死にだと思うが、その前に撃墜されれば、無駄死に以下だ。信じられないほど愚かで、残酷な戦術である。

清水の漁師の生活が余りに惨めで軍隊に入ったが、特攻は嫌だった。絶対に生きて帰れないという作戦は、世界の何処にも無いだろう。どんな激戦が予想される戦闘でも、死んでたまるか、という気持ちは持てる。しかし特攻には、死んでたまるか、は無い。死ななければならない。死にに行く。死んで、やっと終わるのだ。

高旨は右手首に結んだ白いハンカチを見た。結婚したかった。子供を持ちたかった。もっと生きたかった。漁師でも良い、貧乏でも良い、平和に暮らしたかった。家族を持って、平凡に生きたかった。死んでしまっては、貧乏も糞も無い。

気がつくと、景色が歪んでいた。両目に涙が湧いていたのだ。

飛行機の操縦では、前ばかりを見ているのではない。横も後ろも上も下も警戒しなければならない。泣いて、視力を落としてはいられない。高旨軍曹はマフラーで涙を拭い、周囲の警戒を再開した。

四番機が隊長機に接近した。高田の機だ。何か手で合図を交わしているが、ここからでは分からない。

高田が旋回した。きっと発動機の不調だろう。排気が白っぽい。

爆弾を投棄できる高度まで上昇できるか。五〇〇キロ爆弾は五〇〇メートル必要だ。そのあと基地まで発動機が保つか。あるいはどこかにうまく不時着できるか。

高田は運が良いのか、悪いのか。生きて地上に戻れたら、せっかくの死ぬ覚悟がやり直しになる。もう一度、覚悟をやり直さなければならない。かわいそうに。

いっそのこと、このまま敵艦に突っ込む方が楽かも知れない。高旨はそう思った。

そろそろ死地の半分まで来た。空は青い。今日はことさら空が美しく見える。

地上からの高度三〇〇メートルの低空を飛行しているので、深緑のジャングルが良く見える。あのジャングル、にどれほどの動物が暮らしているのか。生存競争はあるだろう。エサや雌の取り合いはあるだろう。だが、人間のように無意味な殺し合いは無い。戦争は無い。必要以上の欲望は無い。愚かしい意地や誇りも無い。

(俺は陸軍を脱走する勇気が無かった。特攻を拒否する勇気が無かった。不名誉を選択して生き残ろうとする勇気が無かった。雅子と結婚するために生き残る努力をする勇気が無かった。

有ったのは、つまらない意地や偽りの誇りの様なものだけだった。

そして、死ぬことに怯えている。俺は動物以下かも知れない。だが、天皇や政府や軍上層部はそれ以下だ。日本にとっての黴菌だな、あいつらは)

気が付くと、機はいつの間にか海に出ていた。周囲の警戒がまたおろそかになっていたようだ。運良く、ここまで敵の迎撃は無かった。


隊長機が上昇を始めた。それを見て、全機が付き従った。高旨も操縦桿を引いた。六七の機首は上を向いた。爆弾が重くて、いつもより上昇率が悪い。だが、もう、いつも、は無い。これが最後の上昇だ。

(三、〇〇〇メートルまで上昇したら、急降下だ。やはり、死ぬしかないのか。三、〇〇〇メートルから〇メートルの敵艦甲板まで急降下して、人生が終わるのか。

雅子でなくても、女を抱きたかった。雅子を心から愛したが、俺は女を知らずに死んで行く。慰安婦でもなんでも抱いておけば良かった)

首尾良く敵艦に衝突することができるだろうか。急降下では最後は速度が速過ぎて、操縦が思い通りにできなくなる。三、〇〇〇メートルから一直線に目標に向かって降下できるか。三、〇〇〇メートル下の、長さ二〇〇メートル幅三〇メートルの目標は余りに小さい。

(空母だろうが、戦艦だろうが、そんなもの沈めたところで、自分が死んだら意味が無いな。確かに飛行機一機と空母なり戦艦一隻なら、相撃ちでは釣りが来るが、その釣りを受け取るのは俺ではなく、天皇か、それともお国か。

お国とは何だ。雅子のためや親のためなら、死ぬしかないなら仕方ないが、それ以外の他人のためには死にたくない)

体が熱い。

(天皇など無くても、日本という国は存立するだろう。政府は唯一ではなく、交換できるだろう。単に政治家を代えれば良いのだから。軍隊が無ければ、白人に侵略されるか。しかし、軍隊が政府の上にある国は異常だ。そんな異常に、俺は死ぬことを強制されている。そして、従おうとしている。愚かだ)

手が震えている。

(死ぬ気になれば何でもできると言うが、俺は脱走も特攻拒否もできなかった。このまま飛んで逃げるか。爆弾を敵艦目がけて落としてから基地に戻るか。三〇ノットでジグザク走る艦を爆撃しても中らないだろう。最後まで操縦して甲板を狙う方が中る確率は高そうだ。今更逃げるところは無い。逃げても、いずれ燃料が切れる。ここまで来たら、逃げようとして一番無駄に死ぬより、突っ込んで二番目に無駄に死ぬしかない)

隊長機が急降下。

二機目、三機目と続く。

(俺も行く。でかいのが良いな。小さいのより少しは中りやすいだろう)

「天皇陛下、バンザーイ」

(急降下で重力が小さくなるな。体が浮くようだ。良い気持ちだ。もっと加速しろ。

敵の弾は中るなよ。中ってたまるか。狙いは良いか。

スピードが上がると、だんだん修正が効かなくなるぞ。あの戦艦だ。あの艦橋にぶち当たってやる。

もういい。もう死んでもいい。はぁ、はぁ、早く墜ちやがれ。早くぶつかれ。

ふぅー、ふぅー、もう沢山だ。ちきしょう、何が天皇陛下万歳だ。

あぁー、雅子―。かあちゃーん・・・)

最後の五〇メートルで、僅かに操縦桿が引かれた。本能の最後の、死に対する抵抗だった。


チョッサー

「錨を揚げろ(ヒーブアップ・アンカー)」

水先人(パイロット)が号令した。

「アンカー一二時の方向」

艏(おもて)の一等航海士(チョッサー)が、アンカーケーブルの方向をマイクで船橋(ブリッジ)に報告した。

一九四二年一一月三日、満州汽船から徴用された撤積み貨物船新陽丸(しんようまる)は名古屋沖でアンカーを揚げ、ガダルカナルに向けて出港した。帝国陸軍将兵一、〇三三名と武器、弾薬、燃料、糧秣、軍馬などの物資三、〇〇〇屯弱を積載している。

総屯数五、八四七屯の新陽丸の載貨重量屯数は一〇、二三二屯である。即ち、燃料や清水(せいすい)を含めて一〇、〇〇〇屯強積載することができる。燃料と清水、食糧など合わせて一、〇〇〇屯として、残り九、〇〇〇屯の貨物を積めるが、満載するまでの物資が内地にも無かったのだ。

名古屋からガダルカナルまで三、四三〇哩(マイル)、船団の航海速力は一三・〇節(ノット)。途中低気圧に遭遇するなどして速力が低下することがなければ、一一昼夜の航海である。

船団は五隻の徴用貨物船と二隻の護衛艦、合計七隻。貨物船は新陽丸の姉妹船の太陽丸(たいようまる)、晴海(はるみ)海運大進丸(だいしんまる)、新和商船晴洋丸(せいようまる)及び洋山丸(ようざんまる)。護衛艦は駆逐艦津軽と佐渡。

駆逐艦には、航空機を使用した哨戒や索敵能力は無い。

貨物船は武装していない。上甲板(アッパーデッキ)の前と後ろに木製の大砲を据え付けている。本物の大砲が無いのだ。ペンキで黒く塗った材木である。

これで、敵の巡洋艦や潜水艦の餌食にならずに、将兵となけなしの物資はガダルカナルにたどり着くのか。しかも、その重大な任務を背負わされているのが、民間商船乗組員である。兵隊と戦争遂行物資を運ぶのが、民間人ということだ。

船団はパイロットを降ろして、速度を微速前進(デッドスロー)から低速前進(スロー)、半速前進(ハーフ)、全速前進(フル)、そして航海速力(ナビゲーショナルフル)に上げた。航海速力は、船団で最も遅い晴洋丸の航海速力一三・〇ノットに合わせた。

出港スタンバイが解かれ、四―八(ヨンパー)当直(ワッチ)の佐藤和夫一等航海士(チョッサー)が船首(おもて)から船橋(ブリッジ)に上がってきた。同じワッチの平野喜久雄甲板手(コーターマスター)が話しかけた。

「チョッサー、船団の航路は沖縄、台湾、フィリピン、ニューギニア沖からガダルカナルですか。それともまっすぐガダルカナルを目指すんですか」

「海図(チャート)を見てみな。コースが引いてある。まっすぐだよ。島伝いに隠れるようなコースを取っても、航海日数が増えるから危険は変わらない。それに、物資と兵隊さんを早く届けなきゃならないし、船団の燃料も節約しなきゃならない。覚悟を決めて、行こう」

「しかし、私らは兵隊でもないのに、船乗りだというだけで損な役回りですね。死んでも恩給も出ないし」

「確かにそうだな。船乗りは軍馬、軍犬以下だと言って、兵隊は威張ってばかりいるし。しばらくは船酔いでおとなしいだろうけど、その先を考えるとうんざりだな」

「チョッサーは商船士官ですから、海軍に入っても直ぐ士官になれるのではないですか」

「どうか知らないけど、海軍でも商船でも船に違いは無いし、死ぬときは死ぬし、な」

「でも、軍艦なら武装しているから戦えますけど、本船の甲板(デッキ)にあるのは木の大砲ですよ。速力は軍艦の半分だし、きっと敵さんも魚雷を中てやすいでしょう」

「好きで成った船乗りだから良いんだよ。君だって海上経験を生かせば、海軍で下士官くらいには成れるだろう」

「私も兵隊や大砲の弾よりは石炭や鉄鉱石を運んでいる方が、お国のためにも世界のためにもなっている、と少しは誇りに思っていました。戦争が始まるまでは」

交代で夕食を摂ってワッチを続け、一時間もすると星が出た。

「よし、実測位置を出しておくか。平野君、ストップウォッチを持ってウィングに来てくれ」

チョッサーは六分儀で測定した星の角度と天測暦で緯度経度を計算し、チャートに位置を記録した。

機関室(エンジンルーム)では一等機関士(ファーセンジャー)と操機手(そうきしゅ)が、無線室では通信長(きょくちょう)がひとりでワッチしていた。

一九四五時、坂本長松三等航海士(サードオッサー)と田宮富士郎コーターマスターがブリッジに上がってきた。ワッチの交代だ。

「お疲れ様でした」

チョッサーはサードオッサーに引き継ぎをする。

「一時間前に天測で位置を出したけど、何処で敵にやられるか分からないから、できるだけ実測位置を出しておくように。霧が出たり曇ると推測位置しか出せなくなるから」

「諒解しました」

敵の攻撃を受けたとき救助が得られるかどうかは分からないが、少なくても本船位置はできるだけ頻繁に正確に記録しておいた方が良い。

サードオッサーのワッチは八―〇(パーゼロ)。朝八時から正午までと、夜八時から一二時までだ。殿様ワッチとも言われている。みんなが起きている時間で体も楽であり、何かあっても援助が得やすいからだ。

エンジンルームでは、三等機関士(サードエンジャー)と操機手が、無線室では三等通信士(さんせき)がワッチをしている。

サードオッサーは〇〇〇〇時に二等航海士(セコンドオッサー)と交代した。セコンドオッサーのワッチは深夜〇時から明け方四時までと昼一二時から夕方四時までだ。みんなが寝ている時間のワッチで、泥棒ワッチとも言われている。人が寝ている時間に仕事しているから、あるいは泥棒が入らないかの見張りをやるから、逆に食糧事情が悪いため食糧が減るのはゼロヨンのワッチが食ってしまうから、と諸説がある。

エンジンルームでは二等機関士(セコンドエンジャー)と操機手が、無線室では二等通信士(じせき)がワッチをしている。

名古屋を出港して四日目。海は時化ているわけではないが、兵隊はみんな船酔いでぐったりしている。食欲も無く、吐き気と眠気で元気が無い。ほとんどの兵隊は、ガダルカナルに着くまでこの状態が続くだろう。ガダルカナルに着いたら戦闘に参加する兵隊たちだ。せめて航海中はのんびりして貰おう。それが乗組員たちの気持ちだ。

そんな乗組員の気持ちを知ってか知らずか、兵隊の中にはなんだかんだと威張りたがる古年兵や下士官もいる。軍隊が民間より偉いと勘違いしているのだ。

「航海士や機関士は船では士官と言われているそうだが、軍隊の本当の士官ではあるまい。俺たちは命がけで戦争をしているんだ」

商船では資格を持った船長、機関長、航海士、機関士、通信士を士官と呼び、それ以外を部員と呼ぶ。事務長、事務員は士官待遇である。そして、有事の際は今航の様に、船員と船体が丸ごと海軍に編入されて戦争遂行物資を運搬することになり、海軍と何ら変わるところは無い。

偉ぶりたがってはいるが、望んで戦地に行く者はいないはずである。いずれかわいそうな兵隊である。

しかし、船乗りはもっと悲惨だ。望んで船乗りには成ったが、軍に徴用されることは誰も望んではいなかった。非常時、お国のため、戦争遂行のため、と言われて強制的に兵員や軍事物資を輸送しているのだ。

しかし身分は民間人であり、軍隊のような保障は一切無い。武器も持たない貨物船が、ろくな護衛も付けられずに航海しているのだ。むしろ軍艦の方が、戦闘能力があるだけ安全である。民間商船乗組員の損耗率は、海軍の損耗率の二倍以上なのであるから。


「当直士官(サー)、ソナーに反応があります。距離二、五〇〇ヤード」

「潜望鏡深度(ペリスコープデプス)に浮上、艦長(キャプテン)に報告しろ」

「承知しました(アイ・アイ・サー)」

 当直水兵(セーラー)の報告で、キャプテンがブリッジに現れた。

「キャプテン、一一時の方向に敵輸送船団発見、貨物船五隻と護衛の駆逐艦二隻です」

「距離一、五〇〇ヤードまで接近して確認しよう。全魚雷発射管に魚雷装填」

「アイ、アイ、サー」

合衆国海軍太平洋艦隊所属ゲイトー級潜水艦フラッシャーは、戦闘配置を敷いた。

「ジャップの輸送船団だ。コースからして、ニューギニアからガダルカナルに向かっている」

「キャプテン、魚雷装填完了しました」

「艦首魚雷発射用意」キャプテンが命令した。

「艦首魚雷発射用意」当直士官が復唱(アンサーバック)した。

「先頭の護衛艦から輸送船二隻、合計三隻に二発ずつぶち込むぞ」

「はい、キャプテン」

「次に反転して、艦尾魚雷を次の輸送船二隻に二発ずつだ」

「アイ、サー」

「ポート・テン」キャプテンは左に一〇度変針を命じた。

「ポート・テン」操舵士官が命令をアンサーバックして、舵を切った。

「ポート・テン、サー」フラッシャーの舵が左舷(ポート)に一〇度切れたことを確認して、操舵士官が報告した。

「ミッドシップ」キャプテンが舵中央(ミッドシップ)を命令。

「ミッドシップ」操舵士官がアンサーバック。

「ミッドシップ、サー」舵が中央に戻ったことを操舵士官が報告。

「一号、二号発射(ファイアワン、ファイアツー)」魚雷発射命令。

「一号、二号発射」魚雷発射完了報告。

「オーケー、魚雷三号、四号発射(ファイアスリー、ファイアフォー)」次の発射命令。

「魚雷三号、四号発射」魚雷発射完了報告。

「ポート・イージー」左に五度の変針命令。魚雷発射方向の修正だ。

「ポート・イージー」アンサーバック。

「ポート・イージー、サー」報告。

「ミッドシップ」舵中央の命令。

「ミッドシップ」アンサーバック。

「ミッドシップ、サー」報告。

「魚雷、五号、六号発射(ファイアファイブ、ファイアシックス)」発射命令。

「魚雷、五号、六号発射」完了報告。

「ハード・スターボード、コース一三〇」

「ハード・スターボード、コース一三〇」操舵士官は舵を右一杯に切って、コースを三一〇度から一三〇度に反転した。

「コース一三〇、サー」指定のコースに乗った報告。

「ステディ」針路維持(ステディ)の命令。

「ステディ」アンサーバック。

「艦尾魚雷、用意は良いな」

「キャプテン、一号、二号が目標に到達します」

一〇秒経っても静かだ。二本とも外れた。先頭の護衛艦は魚雷を発見して変針し、うまいこと躱したらしい。

「デッド・スロー・アヘッド」キャプテンは、残り四発の結果を確認してから艦尾魚雷を発射するために、艦のスピードを微速前進に落とす命令を発した。

「デッド・スロー・アヘッド」エンジンテレグラフ担当士官がアンサーバック。

「デッド・スロー・アヘッド、サー」命令したスピードになったと報告。

「キャプテン、三号、四号が目標に到達します」

五秒後、二回続けてショックを感じた。輸送船の一隻目には命中した。

「キャプテン、五号、六号が目標に到達します」

五秒後、二発とも命中したことが分かった。

「スターボード・イージー」キャプテンは潜望鏡をのぞきながら、魚雷の狙いを定めるために舵を右に五度切らせた。

「スターボード・イージー」アンサーバック。

「スターボード・イージー、サー」報告。

「ミッドシップ」命令。

「ミッドシップ」アンサーバック。

「ミッドシップ、サー」報告。

「艦尾魚雷一号、二号発射」発射命令。

「艦尾魚雷一号、二号発射」発射報告。

「スターボード・イージー」次の標的に合わせるために、もう一度舵を右に五度切らせた。

「スターボード・イージー」アンサーバック。

「スターボード・イージー、サー」報告。

「ミッドシップ」舵を中央に戻す命令。

「ミッドシップ」アンサーバック。

「ミッドシップ、サー」報告。

「艦尾魚雷三号、四号発射」命令。

「艦尾魚雷三号、四号発射」報告。

「キャプテン、艦尾魚雷一号、二号が目標に到達します」

五秒後、二発の命中が確認された。

「キャプテン、艦尾魚雷三号、四号が目標に到達します」

五秒後、一発の命中が確認された。

「護衛の駆逐艦が一隻残っている。爆雷を食らう前に離脱だ。全速前進(フルアヘッド)」

「フル・アヘッド」アンサーバック。

プロペラ回転が徐々に上がり、フル・アヘッドに到達した。

「フル・アヘッド、サー」報告。

「潜航開始、下げ舵一〇度、潜行深度一五〇フィート」

「アイ・アイ・サー」

艦首魚雷発射管六門、艦尾魚雷発射管四門から合計一〇発の魚雷を発射して、三発が外れ、七発が命中した。ジャップの輸送船が三隻沈没、駆逐艦が一隻大破、航行不能になった。しかしもう一隻の駆逐艦が無傷だから、一旦撤退することにした。

「航海速力(ナビゲーショナル・フル・アヘッド)」命令。

「ナビゲーショナル・フル・アヘッド」アンサーバック。

「ナビゲーショナル・フル・アヘッド、サー」報告。

 フラッシャーは潜水航海速力に到達した。


新陽丸チョッサー佐藤和夫は塚迫(つかさこ)キャプテンに進言した。

「キャプテン、スターボード・サイドに魚雷二発命中、浸水中です。沈没は免れません。総員退船命令をお願いします」

「よし、マイクを貸せ」

キャプテンは船内放送で総員退船を発令した。

新陽丸は客船ではなく、貨物船である。乗せている兵員一、〇三三名分の救命艇(ライフボート)は無い。一隻当たり二五人乗りのボートが両舷に各二隻、合計四隻で一〇〇人しか乗れない。しかし船体は魚雷が命中したスターボード・サイドに傾いているから、左舷側(ポートサイド)のボートは船体に接触するため下ろせない。使えるボートはスターボード・サイドの二隻だけだ。

佐藤は再びキャプテンに進言した。

「キャプテン、総員救命胴衣(ライフジャケット)を着けて海に飛び込みました。我々も退船しましょう。まさか、本船に残るなどと言わないで下さい」

「名古屋でアンカーを揚げたときに覚悟をしたよ。いや、海軍に徴用されたときから考えてはいた。私は残る。チョッサーは退船しなさい」

「しかしキャプテン、これは海難ではなく敵潜水艦の攻撃です。キャプテンが気象判断を誤ったり、操船ミスをしたのではありません。何の武装もしていない、ろくな護衛も付いていない貨物船が敵の魚雷攻撃を受けたのです。それで本船が沈んでも、キャプテンが本船と運命を共にする必要は無いと思います」

「理屈はそうだ。私も無念だ。しかしチョッサー、覚悟していたことだ。もう言うな。早く退船しないと本船の沈没に巻き込まれるぞ」

塚迫キャプテンは舵輪(ステアリング)に自らの体をロープで固定した。

「キャプテン、ご家族にお伝えすることは」

「いつかこんな馬鹿な戦争は終わる。諦めないでがんばって生きて行けと。それだけ、頼む」

「分かりました、キャプテン。きっとお伝えします」

「早く退船しろ。こんなつまらん戦争なんかで死ぬなよ」


度胸を付けろ

帝国陸軍兵力一〇万人と、志那国民党軍兵力一〇万人の激突が終わった。連合国側の飛行場を制圧することによる制空権奪回と、鉄道奪取を目的とした大本営の作戦は成功した。

国民党軍が敗走したあとの街には、砲撃による瓦礫と穴、硝煙と死体が残っていた。

燃えている建物もある。民間人の死体もある。うめき声を上げている瀕死の国民党軍兵士がいる。うめき声も上げられない、浅い呼吸だけをしている民間人もいる。

殺戮と破壊の跡。血と火薬の匂い。

腕、脚、内臓、片目の無い顔、半分吹っ飛んだ頭、人間の部品は何でもある。

何かが燃える音が時折するだけで静かだった廃墟に、日本軍の軍靴が志那の大地を踏む音が聞こえてきた。飛行場守備の任務を負う占領軍の到着だ。

占領軍は、自分たちの任務は飛行場を確保し続けることだ、と思っていた。

何処に逃げれば良いのか分からない、動けない親を置いて逃げられない、収穫しなければ生きていけないなど、いろいろな理由で街に隠れていた住民がぽつり、ぽつりと自宅に戻ってきた。彼らは、自分たちは非戦闘員であり、正規兵でもゲリラでさえもないから、日本軍に食料や住宅を供出させられるだろうが、それ以上の暴力は受けないだろうと漫然と考えていた。

どちらも誤っていた。いや、占領軍の個人個人も、住民の個人個人も誤ってはいなくても、煽動や命令や流言飛語や誤解や悪意、無知などが原因となって、正しいものを過(あやま)たせることがある。

「黒山一等兵、まずは食料を徴発してこい。戦闘が始まってから今日までろくなものを食ってなかったからな。豚でも鶏でも牛でも連れてこい、いいな」

「はっ、黒山一等兵は豚か鶏か牛を探しに行きます。対価はいかがしますか」

植木軍曹が目を剥いて答えた。

「ばかやろう、戦争をやっているんだ。俺たちは占領軍だ。そんなもの、ふんだくってこい」

「しかし、大隊長から略奪は禁じられております」

「貴様、俺の言うことが聞けないのか。そんなものは建前だ、建前。戦争で勝ったら何をやっても良いんだ。命がけで戦って、生き残ったんだ。それくらいの余録が無くてどうする」

「はっ、分かりました」

「近江一等兵、おまえも一緒に行ってこい。黒山は頼り無いからな」

「はっ、近江一等兵も黒山一等兵と一緒に食料徴発に行ってきます」

二人は勘でもって、家畜がいそうな方へ向かった。

「近江、鶏一羽でも見つけないとビンタだな」

「そうだな。やっと弾が飛んでこなくなったと思ったら、今度は泥棒のまねごとだ。一等兵はつらいな」

「黒山、ここまで来れば大隊から見えない。一服しよう」

「ふー、うまい。死んじまったら煙草も吸えないな」

「いつになったら戦争が終わって、内地に帰れるんだろうなあ」

「わからん。おまえは子供がふたりだったか」

「そうだ、女の子がふたりだ。おまえは」

「うちは男がふたりだ。殺風景だよ」

「ははは、じゃ、いつかうちの娘をおまえの息子の嫁に貰ってくれよ」

「本当か。そりゃいい。早く家に帰りたいな」

近江一等兵も黒山一等兵も、それぞれふたりの子供を持つ普通の父親だ。戦争が無ければ兵隊に取られて家族と別れることもなく、戦闘で敵兵を殺すこともなく、志那で鶏や豚の盗みを働くこともなかったのだ。

黒山が近江に声を掛けた。

「さて、食料を探しに行くか」

近江が返した。

「誰かいるぞ」

二人は三八式歩兵銃の遊底を操作して、薬室に弾丸を装填した。

「敵か」

「いや、住民らしい」

「油断するな。もし家畜を飼っていたら貰って帰ろう」

二人は人影を見た家に押し込んだ。老人がひとりいた。日本の兵隊を見て怯えている。

「近江、豚はズー、鶏はジー、牛はニューだったな」

「そうだ」

「おい、俺たちは、日本(リーベン)の兵隊(ジュンレン)だ。わかるな。俺たちは腹が減っている。ズー、ジー、ニューはいるか。ズー、ジー、ニューだ。いたら連れてこい。ズー、ジー、ニュー」

老人には、日本鬼子(リーベンクイズ)だと言うことは一目で分かった。食料として、猪(ブタ)か鶏か牛を探しているらしいと想像できた。

(日本鬼子などに盗られてたまるか。知らんふりをしよう)

老人はとぼけて、泣きそうな顔をして殺さないでくれ、助けてくれ、何も無い、誰もいないなどと繰り返した。

「黒山、この爺さん、話しが通じてないな」

「そうかも知れない。字を書いてみるか」

黒山は地面に指で猪、鶏、牛と書いた。日本語の豚は志那では猪と書くことは、志那に来て知った。多少違っても、漢字の字面で通じるだろうと二人は思った。

(日本鬼子め、字を書きやがった。読めないふりをしよう)

老人は首を振って、分からない振りをした。

「ズー、ジー、ニュー、ズー、ジー、ニュー」

近江はいらいらしながら二回繰り返した。相変わらず老人は知らない手振り、身振りだ。

黒山が言った。

「絵を描いてみよう」

黒山と近江は豚と鶏と牛の絵を地面に描いた。

(もう、とぼけられないか、日本鬼子めが。仕方がない、小屋から鶏を一羽だけ連れてこよう)

老人は鶏の絵を指さし、自分を指さし、二人を指さし、地面を指さした。鶏は自分が連れてくるから二人はここで待っていろ、のつもりだ。

「やっと分かったらしいな」

「鶏でもいないよりましだな」

近江が銃剣を突きつけて老人に言った。

「よし、一緒に行くぞ、案内しろ」

老人はもう一度、鶏の絵と自分と二人の日本兵と地面を指さしながら志那語で、ここで待っていろ、連れてくるから、と言った。

黒山が言った。

「爺さんが連れてくるという意味か」

「逃げるつもりかも知れない。鶏以外もいるかもしれいし、な」

「そうだな。一緒に行くか」

近江が老人に銃剣を突きつけて、案内を促した。

裏の小屋には鶏が一〇羽ほどと豚が四頭いた。二頭は子豚だ。

「爺さん、とぼけてやがったな。これだからチャンコロは油断できない。黒山、全部連れていくわけに行かないな」

「うん、豚はともかく、鶏は面倒だな。それに、豚の方が隊の連中も喜ぶだろう」

黒山と近江は、小屋から出たがらない豚四頭の首にロープをつないで引きずり出した。老人はあきらめ顔だ。

「爺さん、悪いが貰っていくぜ」

二人は豚のロープを引いて、意気揚々と駐屯地に向けて歩き出した。

老人は我に返った。銃を持った二人の日本兵が恐ろしくて呆然としていたが、鶏の二、三羽ならともかく猪を全部持って行かれたら生活できないことに気づいた。

(くそ、このままじゃ家族が飢え死にだ)

老人は家畜小屋からホークを持ち出した。洋食器のフォークを大きくした、藁や草などをすくったりかき寄せたりするための農機具だ。老人が何かを叫びながらホークの先端を突き出して、黒山と近江に向かって走った。

「近江、逃げろ」

「なんだ」

二人は豚のロープを一旦離して走って逃げ、五〇メートル程引き離して止まった。

「あの爺さん、俺たちを刺す気だったな」

「ああ、危なかった。どうする、豚は諦めるか」

「馬鹿野郎、諦めたら軍曹にビンタだ」

「じゃ、どうする」

「よし、爺さんを脅かしてやろう」

近江は、歩兵銃を老人に向けた。

「撃つのか」

「脅かすだけだ」

そう言って、近江は老人の足下を狙って撃った。

銃声が聞こえると同時に、老人の足下の地面が弾けた。老人はビクッとして立ち止まった。弾が身体に中っていないことが分かると、また叫びながらホークを持って向かってきた。

黒山も一発、老人の足下に向けて撃った。今度は、老人は立ち止まらなかった。

「おい、どうする」

「仕方ない、撃つか」

「兵隊じゃないぞ」

「撃たないとホークで刺されるぞ」

「豚を返してやればいいだろう」

「そんなことできるか」

老人が迫ってきた。

近江は、今度は外さなかった。老人の胸の真ん中に狙いを付けて撃った。

老人は後ろに倒れ、動かなくなった。

「撃ちやがったな」

「仕方ないだろう」

「豚が欲しくて人を殺したのか」

「チャンコロだよ」

「人を殺してまで豚が食いたいのか」

「おまえだって腹が減っているだろう。隊にはろくな食料が無いからな」

黒山と近江は逃げた豚を捕まえて隊に戻った。

近江一等兵が植木軍曹に敬礼し、報告した。

「黒山一等兵と近江一等兵は、豚を四頭連れてただいま帰隊しました」

「よし、良くやった。今夜はうまい飯が腹一杯食えるぞ」

その晩、黒山は豚を食えなかった。近江に撃ち殺された爺さんの姿が目に浮かんで、豚だけは食えなかった。

(半分は俺が殺したようなものだ。豚を食うために爺さんを殺した。そんな豚は食えない。いくら志那人でも、人は人だ。爺さんも豚を取られたら食っていけないから、必死だったのだろう。かわいそうに)

その夜、黒山は空きっ腹を我慢して眠りについた。


駐屯地に起床ラッパが鳴り響いた。

朝飯のあと、萩嶺伍長が斎藤一等兵と杉山一等兵に言った。

「今日はお前たちに度胸を付けてやる。いいな」

「伍長殿、どういう事でありますか」

斎藤一等兵が訊いた。

「銃剣の訓練だ。お前たちは、弾は撃てるようになっただろうが、銃剣を実際に使ったことは無いだろう」

「はっ、ありません」

斎藤一等兵と杉山一等兵が答えた。銃剣を実際に使うという意味が、ふたりとも分からなかった。

「玉置(たまおき)一等兵、スパイを二人ほど連れてきて、その杭に縛り付けろ」

駐屯地の一角にある小屋には、スパイ容疑という名目で日本軍に反抗的な住民を一〇人ほど監禁していた。

玉置一等兵は萩嶺伍長の命令に従って、小屋から住民をふたり連れてきて、杭に縛った。

縛られたふたりは自分たちの運命を知って、泣き出した。殺さないでくれ、何でもするから殺さないでくれ、と泣き叫んだ。

斎藤も杉山もまだ何が起こるのか、何をやらされるのか分からなかった。

「着剣」

萩嶺が命令した。

斎藤と杉山は、三八式歩兵銃に銃剣を装着した。

「気をつけ。今からお前たちはスパイを処刑する。奴らは日本の敵だ。銃剣で一突きにしてやれ」

斎藤と杉山は顔を見合わせた。互いに不安そうな顔をしている。武器を持つどころか、縛られて抵抗できず泣き叫んで命乞いをしている人間を、例えスパイとは言え迷い無く殺すことはできない。

戦闘とは違う。戦闘は、敵も武器を持って撃ってくる。こちらも撃ち返さなければ、自分が死ぬ。夢中になって撃ち返すことができる。

「斎藤、杉山、貴様ら、命令が聞けないのか」

銃は、遠く離れて相手を倒せる。銃剣は、相手の間近に迫らないと刺せない。

「貴様らッ」

萩嶺は斎藤と杉山を殴り倒した。

「スパイを処刑できない腰抜けか。それでも帝国陸軍軍人かッ」

銃は、引き金を引くだけで敵を殺せる。銃剣は、剣を敵の体に刺すという生々しさがある。

「気をつけ。今度こそ行けよ、いいな」

銃は、相手の血が見えないが、銃剣は、相手の血を浴びるだろう。

「突撃」

ふたりは動けなかった。ふたりとも震えていた。人を殺すことと命令に従えないことに対する極度の緊張のせいだ。

「玉置、銃を貸せ」

萩嶺は玉置の銃を空に向けて一発撃った。銃声で、斎藤と杉山は緊張が解け、萩嶺の方を向いた。

「貴様ら、上官の命令は、気をつけ、天皇陛下の命令だぞ。それが聞けないのか」

『天皇陛下』という単語の前には、『気をつけ』という命令語が前置され、その場にいる全員は自身を含めて、気をつけの姿勢を取ることになっている。『天皇陛下』という言葉は、気を付けの姿勢で話し、聞かなければならないという、滑稽な習慣が軍隊にはあった。

ふたりとも泣きそうな顔だ。殴られるくらいで済むなら、殺したくはない。しかし、軍隊はそれでは済まない。

(どうしようもない、逆らえない、やるしかない、戦争だ、これが軍隊だ)

ふたりは同じようなことを考えた。

「銃剣を構えろ。突撃」

「うおぉーーー」

「だあぁぁぁ」

それぞれ奇声を上げながら、着剣した歩兵銃を構えて走った。数秒で目標に到達した。腕で銃を突き出すことはできず、体ごと目標に衝突した。剣が肉に刺さる嫌な感触を全身で感じた。

「ぎゃー」

「あうぅーーー」

絶叫が上がった。そのあと、耳の直ぐ近くでうめきが聞こえた。

「もう一度刺せ」

杉山は何も考えられず、両手で銃剣を引き抜き、再び突き出した。また、肉に剣が入って行く感触があった。吐き気がした。何かを叫んだ。

斎藤は思った。

(どうせ助からないのだから、早く楽にしてやろう)

銃剣を全身で引き抜き、もう一度刺した。骨に当たったような抵抗があったが、剣はさらに奥まで進んだ。

杭に縛られたふたりは、もう叫び声を上げることはできなかった。かすかな呼吸とうめきだけが、分かった。

杉山は吐いた。

斎藤はもう一度、楽にしてやるために、刺した。そして、斎藤も吐いた。

「ゲロなんか吐きやがって、たるんでるぞ。貴様ら、それでも帝国陸軍軍人か」

萩嶺伍長は、知性のかけらも無い決まり文句を繰り返した。

「気をつけ、歯をくいしばれ」

杉山と斎藤は一発ずつビンタを食らった。

(無理矢理人を殺させられて、殴られて、俺は志那まで来て何をやっているのか。軍隊も戦争も嫌だ。内地に帰りたい)

杉山の、声に出しては決して言えない思いだった。

(萩嶺の野郎、今度の戦闘で俺の前にいたら、後ろから撃ってやる。無抵抗の民間人を面白半分に殺させて、何が度胸を付けてやる、だ。おまえはろくな死に方をしないぞ)

斎藤は今日の事がきっかけで積もり積もったものが爆発して、本気で荻嶺伍長を撃ってやろうと思った。


敗走

アメリカ軍がテニアンに上陸した。

テニアンは、北マリアナ諸島を構成するサイパンの南南西八キロにある島である。第一次大戦後、国際連盟により日本の信託統治領となり、多くの日本人が入植している。

日本軍には、食料も医薬品も武器も弾薬も降伏もほとんど無かった。食料が無ければ、生きていけない。医薬品が無ければ、無駄に苦しんだあげく、死ぬしかない。武器が無ければ、撃てない。撃つ弾が無ければ、敵の弾が中るのを待つだけだ。降伏できなければ、無意味に死ぬことになる。兵隊や民間人をそのような状況に置いた軍の司令部や内地の政府は、弾の飛んでこないところでうまいものをたらふく食ったあと、鼾をかいている。


藤井軍曹が、小隊の指揮を執ることになった。小隊の士官は全員戦死し、下士官も藤井軍曹しか残っていない。

「軍曹殿、弾も残り僅かです。一斉突撃しますか」

生きて虜囚の辱めを受けず、を叩き込まれた角田一等兵は仕方なくそう訊いた。このまま塹壕に隠れて敵を撃っても、弾は直ぐに無くなる。それならいっそのこと、敵陣めがけて斬り込むしかない。その時は、指揮官である軍曹に先頭に立って貰いたい。

「待て。ここから敵陣までは遠すぎる。それに、どうせやるなら夜になってからの方が良い」

藤井は臆病風に吹かれていた。今までさんざん二等兵や一等兵にビンタを食らわし、偉そうな事を言っては来たが、現状に怯えていた。捕虜になってでも、死にたくはなかった。

「軍曹殿、二日も飲まず食わずです。斬り込むなら、体力の残っている早い方が良いと思います」

「そんなことは分かっている」

「このままでは負傷兵が増えるだけです」

「分かっていると言っているんだ。誰がこの中隊の指揮を執っているんだ」

「はッ、軍曹殿であります」

「そうだ。そして俺の命令は、気をつけ、天皇陛下の命令だ」

天皇が虎ほど立派かどうかはともかく、藤井は虎の威を借る狐そのものだ。

誰も惨めに死にたくはなかった。戦争で、どうしても死ななければならないなら、せめて敵と撃ち合って、戦闘で死にたいのだ。弾が尽きて、ただ撃ち殺されたくはなかった。糧秣が尽きての餓死はしたくなかった。

何より、俘虜にはなりたくなかった。内閣総理大臣兼陸軍大臣吉川現(きっかわげん)の戦陣訓に、生きて虜囚の辱めを受けず、の一文があり、俘虜になることは兵隊の最大の恥辱とされていた。今まで命がけで訓練を受け、実戦で戦ってきたことが全て無駄になる。俘虜になると、卑怯者、非国民になる。角田一等兵は、弾薬と体力のあるうちに華々しく散ってやれ、と思って藤井軍曹に進言したのだ。

(藤井軍曹の野郎、怖じ気づいているな)

 戦場という極限環境では、感覚が鋭くなる。角田には藤井の胸の内が読めた。

(今までさんざん威張り腐りやがって、いざとなると腰抜けか。よく軍曹になれたものだ。よし、夜まで弾を節約して、一休みだ)

 (くそ、援軍は望めんし、弾も糧食も無しじゃ玉砕か。こんな南方のジャングルで犬死にだ。何がお国のためだ、何が天皇陛下のためだ、命あっての物種じゃねえか、あほらしい)

藤井の本音だった。国家や天皇が全てではないと考えるだけの合理性が、彼が生き延びて軍曹にまで昇進した理由かも知れない。

小隊で生き残っているのは一八名、うち四名は重傷で戦闘能力は無い。弾薬は、銃を撃てない重傷者の分も分配してひとり当たり一〇発。水も食料も無い。降伏できない皇軍兵士にあるのは、玉砕と虚飾する全滅だけだ。無駄死に、犬死にである。

捕虜なら、脱走してまた戦闘力に戻る可能性もある。戦争終結後は故郷に帰還して、社会に貢献する可能性もある。捕虜になるまで戦った、という名誉もある。何より、命を粗末にしなくて済む。

ひとりの狂人が戦陣訓で捕虜を否定し、周囲の多くが盲目的に賛意を示し、以来、人の命がゴミのように捨てられることになった。命令に従い、自分の命に代えても国を守ろうと、家族のためにと、死んでいく兵隊の心は純粋であり、美しい。しかし、哀れだ。

日が暮れた。日光に照りつけられない分だけ、暑さが減った。皆、水が飲みたかった。一口でも水が飲みたかった。腹も減っている。明日になれば、とても突撃などできなくなる。

鈴木一等兵が覚悟を決めて、藤井軍曹に進言した。

「軍曹殿、鈴木一等兵は今ならまだ走れます。突撃命令をお願いします」

「貴様の意見など訊いておらん」

藤井は、捕虜になる度胸も無かった。敵が捕虜をどう扱うか見当が付かないのだ。帝国陸軍のように虐待するなら、いっそのこと突撃するしかないとも思い始めていた。

敵の砲撃が止んだ。今までの経験で、今夜はもう戦闘は無いと考えても良さそうだ。

藤井がやっと決断を下した。

「貴様たち、四時間後に敵陣に切り込みだ。それまで好きにしろ」

 深夜、敵が寝静まってから突撃を敢行することにした。むろん歩哨はいるが。

全滅するのだから、手紙や遺書を書いても意味が無い。遺族に届ける者がいない。食うものは無い。水も無い。少しでも寝ることだ。寝ている時間だけは、空腹も乾きも恐怖も遠くに行っていてくれる。それに、極度に疲労もしていた。小隊の生き残りは、見張りのふたりを残して最後の睡眠を取った。

今更意味の無い日付が、変わろうとしていた。一八名に人生最後の日が訪れるのだ。戦闘能力の無い四名には手榴弾が二個残された。ふたりで一個、自決用である。

一四名は、着剣した歩兵銃と鉄兜と僅かな弾薬以外の装備を捨てた。捨てた装備と言っても空の水筒と背嚢くらいだ。もはや、装備と言える程の装備も無かった。

誰も死にたくはなかった。しかし、水も食料も弾薬も降伏も無い現状では、餓死するより突撃して死ぬしかないことを知っていた。その方が早く楽になれることを、知っていた。

藤井軍曹が叫んだ。

「貴様ら、行くぞ。天皇陛下、バンザーイ」

小隊の生き残りが応じた。

「天皇陛下、バンザーイ」

一四名は歩兵銃を構えて敵陣に走った。

後方で手榴弾の爆発音がした。数秒後、もう一度した。四名の負傷兵は一足先に、自ら人生を閉じた。

小隊の銃声に、米軍は機関銃で応戦してきた。ボルトアクション銃でしかも体力を使い果たした小隊は、機関銃の射撃訓練用標的の様だった。直ぐに片が付いて、銃声がやんだ。

銃声で飛び起きて、テントから走ってきた米軍の兵隊が言った。

「おい、俺の分のジャップを取っておかなかったのか」


テニアン在住の民間人は、帝国陸軍に捨てられた。その意味において帝国陸軍は、日本を防衛するため、即ち日本人を保護するための軍隊ではなかった。他国を侵略するための軍隊だった。

「兵隊さん、少しはここで敵を食い止めて貰えないか。せめて、女や子供だけでも逃がしてやりたい」

「馬鹿者。我々は敵を討つための作戦で動いているんだ。命令以外の勝手な行動はできない。おまえたちは自力でなんとかしろ」

軍隊が、真っ先に転進と呼ぶ敗走はしても、民間人を逃がすための楯になることはけっしてなかった。軍は軍で逃げ、民間は民間で逃げろ、と言うことだ。民間人は元々武器を持っていない。食料も無い。軍医や衛生兵、医薬品も無い。女も子供も老人もいる。それで、何をどうしろと言うのか。軍隊は何のためにあるのか。

村上家は五人家族。一彦、妻美千代、長女朋子は一五歳、次女の真紀子一二歳、長男則夫はまだ四歳だ。家財道具は全て諦めて、貴重品と着替えだけを背嚢に詰めての避難が始まった。

朋子と真紀子も、自分たちの着替えなどを背負っている。則夫は父と母に交代で抱かれながらも、ぐずっている。

一彦は、家族全員を無事に避難させることだけを考えている。最後は自分と美千代が犠牲になっても、三人だけは生かしてやりたいとまで思っている。美千代は子供たちのことだけを考えている。特に、まだ四歳の則夫がかわいそうだ。

何処に逃げれば良いのか分からない。何処が安全なのか分からないのだ。ただ、米軍が上陸した地点の反対側に向かっているだけだ。みんなの行く方向に、今は行くしかないのだ。

後方から戦闘音が聞こえるが、民間人の避難と同じ方向に撤退している兵隊も見える。弾の飛んでこないところで兵隊に命令を出し、逃げるときはいち早く自動車で逃げるのが司令部であり、戦闘で負傷してもまともな手当も受けられず、よろめきながら重い銃を担いで歩いているのが兵隊だ。

(避難するにも軍に頼れないと言うことは、島を脱出するときも軍の船には乗れないと言うことか)

一彦は絶望しそうになったが、なんとしても家族を生かさなければならないと思い直した。

(いっそ、米軍に投降するか。奴らは軍が言うように、本当に民間人をも皆殺しにするのだろうか)

子供たちは腹を空かせている。則夫は、我慢できる歳ではない。朋子も真紀子も、歩き疲れてへとへとになっている。今にも泣き出しそうだ。どうやったら子供たちを助けられるのか。

何か食わせてやりたい。水を飲ませてやりたい。軍が少しでも水や食料を分けてくれないだろうか。

一彦は自分たちを追い越していく兵隊に頼んでみた。

「子供たちに水と何か食い物をくれないか」

「悪いが俺たちも三日食ってないんだ。将校に訊いてみてくれ。何か持っているかも知れない」

兵隊の返事だった。

一彦は自動車を止めて、同じ事を頼んだ。将校の返事は冷たかった。

「難儀していることは察するが、軍はこれから敵と戦わなければならない。食料は武器と同じほど貴重なもので、民間人に分けるわけにはいかない。自分たちで何とかしてくれ」

「子供三人に一食分で良いのです。握り飯一つずつで良い」

「いい加減にしろ。軍は貴様らを守るためにも戦っているのだぞ。邪魔だ。速やかに道を空けろ」

戦わなくて良いから、握り飯を三個くれれば良い。それが一彦の本音だった。

(米軍は、子供たちにパンのひとかけらでもくれるだろうか。それとも日本軍が言うように、皆殺しにされるのだろうか)

「さっきの将校さんは私たちを守るために戦うと言っていたけど、嘘ね。逃げているだけ。威張り腐って」

美千代の口から、怒りに絶望が混じった言葉が出た。

「とにかく歩こう」

希望の無い避難を続けるしかなかった。

動けなくなった兵隊がいた。左腿の軍袴が破れて血で染まっていた。戦友からも見放されてしまったらしい。

「連れて行ってくれ」

息も絶え絶えに言った。

「連れて行ってやりたいが、子供が三人いてどうにもならない。食料を持っていないか」

「何も無い」

その数十メートル先に、もうひとりいた。彼も力が尽きてしまったようだ。ぎりぎりまでさっきの兵隊とかばい合って、ここまで来たのだろう。

「待ってくれ」

「連れてはいけないんだ」

「そうじゃない。これを持って行け。いざという時のために」

兵隊は一彦に手榴弾を手渡した。米軍の手に落ちそうになったら使え、と言うことか。

「あなた、則夫はもう泣く元気も無くなったわ。何処まで歩けばいいの」

「分からない。おまえも疲れたろう。則夫を寄越しなさい。俺が抱いていく」

朋子と真紀子も泣き出した。もう疲れて、空腹で歩けないという。

ここで米軍を待って投降するか、さっきの兵隊から貰った手榴弾で自決するか、一彦は考えた。子供たちを殺したくなかった。だが、いっそのことみんなで死ぬか、という考えも浮かんだ。

美千代には、こんな残酷な相談はできない。せめて自分ひとりで決めて、決めたとおりやるしかない。一彦は自分の責任を確認した。

これ以上は動けない。それより、子供たちに水だけでも飲ませてやりたい。

「美千代、子供たちとここにいてくれ。俺は水を探してくる。できれば何か食うものも」

もしもの時のために、手榴弾を美千代に渡そうとも考えたが、自分だけが生き残るのはつらい。死ぬなら家族全員一緒だ、と思い直した。

倒れている兵隊五、六人の背嚢を調べたが、食い物は無かった。あるはずがなかった。兵隊たちも、何日も食っていないのだ。水筒も空だった。空の水筒をひとつ貰った。水が見つかった時のためだ。銃剣も一本貰った。

一彦は道を外れ、ジャングルに分け入って、奇跡的に椰子をひとつ拾った。青臭くてうまいものではないが、今はこれだけでも充分過ぎるほどだ。

直ぐに戻って、子供たちに椰子の水を飲ませた。三人とも喉を鳴らして飲んだ。銃剣で椰子を割って、中の白い実も食った。五人はやっと一息ついた。子供たちに少し元気が戻ったのが、一彦と美千代にはうれしかった。

後方の砲撃音が近づいてくるような気がする。逃げなければならない。一彦と美千代は子供たちを励まして、歩き出した。

赤ん坊を連れた若い夫婦が倒れていた。一彦と美千代は、視線を向けずに通り過ぎようとした。母親から声を掛けられた。

「すいません、水を貰えませんか」

一彦は持っていた水筒を振って見せた。

「空なんですよ。見つかるかどうか分かりませんが、私はさっきジャングルで椰子をひとつ拾いました。探してみてはどうですか」

「妻も私ももう動けません。この子を連れて行ってくれませんか。このままじゃ、直ぐに死んでしまう」

一彦と美千代は顔を見合わせた。互いの考えが一致した気がした。

「うちにも小さい子がいて、申し訳ないが連れて行けない。我々も何処まで歩けるか分からないのです」

美千代は赤ん坊を見ないように、腕の中の則夫を見つめた。

「兵隊に貰ったのですが、これを置いていきましょうか」

一彦は手榴弾を見せた。

美千代は複雑な気持ちで一彦を見つめた。もしかすると自分たちにいつか必要かも知れないという思いと、自分たちに今まで使わずに済んで良かったという思いが、半々だった。

若い夫婦は見つめ合い、頷き合い、夫がそれを受け取った。

一彦たちがふらふらと歩き始めて五分もしないうちに、後ろで爆発音がした。五人はビクッとして立ち止まったが、振り返らずに再び歩き始めた。


軍と一緒に撤退行動している従軍看護婦たちがいた。兵隊たちのようにただ撤退しているのではなかった。傷病兵の看護をしながらの撤退である。

「看護婦さん、足が痛い。軍医殿に痛み止めを頼んで下さい」

松本一等兵の右腿には、ウジが湧いていた。

「松本さん、お気の毒ですが痛み止めはもうありません。包帯を交換しますから、もう少し我慢して下さい」

敗走する日本軍には、医療器も医薬品も無かった。竹田看護婦は松本一等兵の汚れた包帯を解き、ピンセットでウジを取り除いてから、洗ってある包帯を巻いた。傷口に塗る消毒液さえも無かった。

お国のために、兵隊さんたちのために、と外地勤務を希望した竹田だが、ろくな看護もできない状況に失望していた。傷病兵をもっと助けたい、もっと楽にしてあげたい、痛みから救ってやりたい、と思っても、何もしてやれなかった。がんばって下さいと声を掛け、ウジを取って包帯を交換することしかできないのだ。

軍医の罵倒が聞こえた。

「中島、例え体温計一本と雖(いえど)も軍の大事な機材である。それを割るとは、たるんでいるぞ」

その時、中島看護婦は悔し涙を堪えた。自分の失敗が悔しいのではない。敵から逃げている軍でありながら、より弱い立場の看護婦に当たるしか能のない軍医の元で働かなければならないことが悔しいのだ。

看護婦が体温計一本を過って割ったことに激怒する軍医は、医薬品の入手さえできず、お国のために傷付いた兵隊たちを見殺しにしている。それ以前に、歩けない兵隊たちを殺していた。血管に空気を注射して殺したのだ。戦陣訓の一節、生きて虜囚の辱めを受けず、に従った処置だ。

国家のため、天皇のためと戦場に送られ、戦闘で傷付き、あるいは食料の欠乏による体力低下で病気になり、風土病にやられ、最後は自力で歩けないから、と軍医に殺された兵隊が数多くいるのだ。

米軍では、捕虜になることは、最前線で武器弾薬が無くなるまで戦った勇敢な戦闘の証拠であり、依って名誉である、としている。そして脱走するのは捕虜の義務である、という。捕虜としての戦いである。

日本軍においても、たとえ名誉とまで考えなくても、捕虜となることを承認していたなら、多数の命が救われたはずである。

戦闘を継続すれば全滅する事が分かっていて全滅した部隊、捕虜になることが許されず絶望的なバンザイ斬り込みをした兵隊たち、捕虜になるくらいならと自決した兵隊たち、味方に殺された傷病兵たちを合わせれば、相当の命が無駄に戦場に廃棄されたことになる。

愚かという言葉で表現するには余りに空しい戦陣訓である。狂っている。

看護婦たちも着たきりで、兵隊と一緒に行軍している。汚れ放題である。兵隊は銃を担いで歩いているだけだが、看護婦は傷病兵の看護をしたり、包帯を洗ったり、兵隊よりも負担が大きいのだ。

「看護婦さん、この腕はもう駄目なんでしょうね。腐って、臭っています。切るしかないですか」

「杉浦さん、痛いでしょう。傷口を洗って、包帯を換えましょう」

岡村看護婦は答えをはぐらかした。杉浦一等兵に与えるべき、鎮痛剤も化膿止めも無かった。洗う水さえ、無い。切るにしても、麻酔も無い。メスも無い。そんな状況で、腕は切り落とすしかない、とはとても言えなかった。

赤十字所属の看護婦たちは、日本軍が勝っているときに外地勤務を志願したが、今は後悔していた。身の危険も感じるし、軍と一緒の行軍も体力的につらい。そして、看護婦として病人、けが人に尽くせないことが歯がゆかった。

滋養のある食事、点滴、薬、清潔なガーゼや包帯、手術器具などがあれば、軍医を補助して命を救えたり、痛みを取り除いてやれる。看護婦である自分には、それができる。そのために、祖国から何千里も離れた外地に来ている。包帯交換だけなら、兵隊でもできる。そんなことのために看護婦になったのでも、外地勤務を希望したのでもない、という誇りがある。

しかし慰安婦の定期検査をしているときは、実に複雑な気持ちになった。戦場にいる女は、自分たち看護婦と彼女たち慰安婦だけである。

「異常ありません。また次回、忘れずに来て下さい」

「わたし、いつまてこんな生活つつくのか、早く朝鮮に帰りたいな」

「あなたは朝鮮から来たの」

「日本人にたまされて連れて来られたよ」

「お金を貰って、納得して来たのではないですか」

「嘘たよ、たまされたよ。日本人は女子愛国奉仕隊というしことたと言った。私の親は私を行かせたくなかったけと、日本人は無理矢理私を連れて行った」

「愛国奉仕隊と言われたんですか」

「それ、何かちぇんちぇん分からなかった。ここに来て分かった。ても、もう遅い。朝鮮に帰りたいけと、帰ってとうなる」

慰安婦は高給の募集に応募した者たちだと聞いているが、金儲けのために騙して集めた日本人もいたのかも知れない。なんと哀れなことか。同じ女として心痛い話だが、軍の方針なら批判的なことは決して言えない。言っても、非国民のひとことでかたづけられるだけだ。

とにかく同じ女性が、命がけで戦場に来ている。看護婦には看護婦という誇りがあるが、慰安婦の中には騙されて連れて来られて、しかも売春を強制されている者たちがいる。女性にとってこれ以上不幸なことは無い。

男というものは、戦場でも女が欲しいものなのか。何処の国の軍隊でも、そうなのか。看護婦たちには考えても分からなかった。

食料の欠乏、医薬品や器材はとうに無く、助けられるはずの傷病兵も回復しない。そして軍医が、敵の捕虜にならないようにという配慮で、助からない傷病兵に適切な処置を行う。

栄養失調でふらふらになりながら歩き、包帯を交換し、着替えも無く、風呂にも入れず、赤痢、チフス、マラリアに罹患し、希望無くまた歩く。

何故降伏しないのか。何故看護婦や慰安婦までが、敗走する軍と一緒になって移動しなければならないのか。俘虜にならないのであれば、何故戦わないのか。何故食料や武器弾薬を補給しないのか。何故傷病兵を味方が殺すのか。このような軍隊が敵に勝てるのか。そんな率直な疑問は湧いた。しかし、看護婦も慰安婦もそのようなことは決して言葉にはできなかった。


黄色い猿

ワシントン特別区(DC)ペンシルバニア通り(アベニュー)一六〇〇番地(ホワイトハウス)で、車いすに座ったボブ・グラハム大統領が、ボブ・チャンバレン国務長官、トム・ステファン国防長官、スティーブ・ウォーターズ統合参謀本部議長、キース・アッカーマン陸軍参謀総長、デニス・ワグナー海軍作戦部長、ビル・シュミット空軍参謀総長、ドン・バークマン海兵隊総司令官らと、日本との戦争遂行に関する議論をまとめようとしていた。

「要するにだ、諸君、極東のくそったれ(ファッキング)黄色い猿(イエロー・モンキー)には、我々白人と同じ様に植民地を経営することは許さない、と言うことだ」

「次回の日本側全権との交渉では、決して呑めない条件を最終条件として提示しましょう」

「すると、ジャップは戦争を仕掛けてくるかも知れません」

「仕方がない。合衆国の世論は未だに戦争反対だ。となれば、向こうから仕掛けさせるしかない」

「我が海軍が日本海軍の無線を傍受したところ、ハワイの真珠湾(パール・ハーバー)を攻撃するような暗号が行き交っていることが判明しています」

「何だと(ブルシット)。対策は万全でしょうな。必要でしたら空軍も援護しますよ」

「いや、パール・ハーバーの艦船はジャップにくれてやろうと思っています。それで世論が日本との戦争やむなし、となれば安いものです。艦船などいくらでも建造できる」

「世論操作ですか」

「合衆国の利益のためだ」

「暗号を解読していることも敵に悟られずに済むな」

「戦争はどれくらい続くかな」

「そうですね、三年から三年半でしょう」

「占領後はどうする」

「まずは京都見物です。従って京都は空爆目標から外します」

「天皇(エンペラー)は」

「廃止だ」

「アメリカ国籍を持つ二世を含めた日系人の措置は」

「二世を含めて収容所に入れましょう」

「ドイツ系やイタリア系移民はそのままですね」

「ジャップは最近の移民だ。それに、やつらには表情というものが無く、何を考えている分からない不気味さがある」

「日本語を理解できる二世なら、情報収集に使える。合衆国に忠誠を誓う二世は使い道があると思うが」

「それもそうだ」

「原子爆弾開発の進捗はどうだ」

「今はまだ検討委員会の段階ですが、開発プロジェクトが発足すれば三年から四年で完成する見込みです」

「戦争終結までに完成したとして、使用するのですか」

「必要があれば、だ」

「ドイツやイタリアには」

「必要無いだろう」

「ニップが日清戦争で志那(チャイナ)に勝ったのは、良しとしよう。しかし、日露戦争でロシアに勝ったのは生意気だ。有色人種(カラード)が白人(ホワイト)の領域に入り込まないように、適切な対策を取ることにしよう。これ以上つけ上がらせてはならない」

感情が激して、ボブ・グラハムは手に持っていたシェーファーを折ってしまった。


ジャック・柏木は迷っていた。陸軍への志願の締め切りは明朝だ。

父の米蔵は、好きにしろ、と言ってくれた。母のキミは、大反対だ。

ジャックの迷う理由は、父母の意見の相違ではない。ジャック自身は、自分の決めたことはやる性格だ。しかし、その決定ができないでいた。

日系人は戦争前も差別されてきた。父母は国籍を取得できない。

国籍を持っている自分も、戦争が始まってから収容所に入れられている。アメリカ人であるにもかかわらず、日系だからという理由だけで自由を奪われている。だから、アメリカという国を恨んでいる。

ジャックは同時に、日本という国も恨んでいる。日本がパール・ハーバーをアタックしなければ、収容所に入れられることは無かったのだ。

命がけで合衆国に忠誠を尽くすことで、収容所から出られ、いずれ日系人への差別も軽減されていくことを期待するか、一切合衆国には忠誠も協力もせず、このまま収容所に閉じ込められているか、結論が出せずにいた。

犯罪者でもないアメリカ人である自分が、刑務所と変わり無い収容所に入れられ、そこから出るには命をかけて軍隊に志願しなければならないとは、余りに理不尽だ。

もちろん白人にも、戦場で戦うことを志願した者は多数いる。しかし彼らは自由意志で、あるいは市民の義務と信じて志願したのだ。強制ではない。日系人の場合は、収容所に残るか戦場に出るかの選択なのだ。

日本人の血が流れていることに間違いは無いが、生まれた国はアメリカだ。アメリカで育ち、教育を受け、生活をしてきた。家では日本語を使うが、読み書きはできない。母国語は英語であり、日本語は外国語だ。

日本人と戦闘すること自体に、迷いは無い。ただ、一方的にアメリカの思うつぼにはまるのが腹立たしいのだ。

自分の自由を得るためには、戦場で戦うしかないのか、とも思う。アメリカ人の先祖も独立戦争を戦った。ヨーロッパの食い詰め者が新大陸(アメリカ)に渡り、母国から独立するために銃を執った。日本の食い詰め者がアメリカに渡り、その息子がアメリカから自由になるために父母の母国と戦うのも大差ないのか、とも思う。

父は、ジャックを大人として、独立した人格として認めてくれている。だから、このまま収容所に留まろうと軍隊に志願しようと、思うとおりにすれば良いと言う。ありがたいと思う。

母は、自分の産んだ子が死ぬかも知れないということに、耐えられない。当然の感情だと思う。

弟のマイクがどうするのかも考えてしまう。自分の影響でマイクまで志願し、二人とも戦死したら、父母の落胆はどれほどか。かといって自分は志願するが、マイクに父母を頼む、とは言えない。父が自分の意志を尊重してくれるように、兄は弟の意志を尊重しなければならない。それに気づくと、ジャックは父の苦悩の深さを知った。勇気を知った。強さを知った。覚悟の深さを知った。

人生は一度しか無い。後悔の無い人生を過ごしたい。長短ではない。だからこそ、父もジャックの判断に意見を差し挟まないつもりなのだ。

収容所で腐って生きるか、前線で戦死するか。収容所で安全に生きるだけの人生を選ぶか、戦争を生き残って自由を手に入れる事に賭けるか。

明け方まで考えてジャックは、人生は挑戦(チャレンジ)するもの、と決めた。軍への志願は、この現状を変える(チェンジ)為の機会(チャンス)と捉えた。

朝食のコーヒーをひとすすりして、ジャックが言った。

「お父さん、お母さん、僕は軍に志願することに決めた」

「お母さんは反対よ」

「お母さん、ジャックはもう大人だ。軽はずみな判断をした訳じゃない」

「じゃあ、お父さんはジャックが戦争で死んでも良いの」

「そういうことを言っているんじゃない」

「同じ事よ」

「ジャックは我々の息子だ。お母さんのそんな気持ちも分かって決断したはずだ」

「ジャックが死ぬなんていやの」

「死ぬと決まった訳じゃない」

「白人じゃないから、きっと危ない任務に就かされるわ」

「ジャックは勇敢に任務を果たすだろう」

「父親はそれで良いかも知れないけど、母親は耐えられないのよ」

「兄さん、勇気は大事だけど、無謀な事はしないで欲しい」

「分かっているよ、マイク。おまえが将来どうするかは自由だが、ここにいる間はお父さんとお母さんを頼む」

「ああ、もちろんだ。いつか戦争は終わるだろうし、そうすればここからも出られるはずだ。僕は大学に行くかも知れない」

「その頃はお父さんも庭師(ガーデナー)に戻っているな」

ジャックはハイスクールの同級生だったアーチ・石川、トム・戸ヶ崎と共に、合衆国陸軍に志願した。日本語能力が高ければ語学兵として、太平洋戦線において前線から一歩退いたところで日本軍の情報収集任務に就く道もあったが、ジャックもアーチもトムも一般の歩兵としてヨーロッパ戦線に送られた。

日系人部隊は、ドイツ軍に包囲されて身動きできないテキサス大隊を救出する任務に就いた。それまで白人の救出部隊が、何度も挑んで成功できなかった作戦だ。日系人部隊は任務を成功させ、三人は彼らにとって最後の戦闘を勇敢に成し遂げた。ここにも人種差別があった。


戦争協力

「相木さん、海軍に協力をお願いできませんか」

「島崎さん、協力したいのは山々ですが、目が駄目になってしまったんですよ。もう歳ですから」

海軍報道部の係官島崎が、洋画家の相木(あいき)繁史(しげし)を訪問していた。海軍省嘱託従軍画家として、志那戦線を題材とした戦意高揚の絵画を描かせるためである。

「いや、ご謙遜を。最近の先生の絵もご立派なものです」

(絵に、立派も糞もあるものか)「自分で納得できない絵は、人様にお見せできません」

「実際の所、先生のお名前、実績も重要なのですよ。先生が描くことに、意義もあるのです」

(そういうことだろうと思った。下らない権威主義だ)「私なんぞ、ただの老いぼれで、もう絵も描けないし、従軍する体力も無いのです」

「従軍については、現地の方で充分に考慮します。やたらにあっちこっちと、引きずり回したりしないことはお約束します。それに、なんと言いますか、美術というか、芸術というか、美しいだけの絵が欲しいのではなく、戦意を高揚する絵が欲しいのです。先生なら多少、その、目が、全盛期ほどでないにしても、すばらしい絵が描けるはずです」

(戦争になど協力したくないのだ。戦争は芸術の敵だ。言ってもわからんし、言ってはとんでもないことになるが)「なんと言われても、今の私にはそのような力はありません、悪しからず」

「しかし、先生、今は非常事です。米英と戦争をやっているのです。そのような個人のわがままも、ある程度は制限して戴きませんと。兵隊は、戦地で血を流しています。女学生でさえも、軍需工場で兵器を生産しています。画家の先生には、絵で戦争に協力して貰いたいのです」

(しつこいやつだ。私は芸術の奴隷にはなるが、軍の奴隷にはならない)「私の絵は、ご存じの通り裸婦が多く、軍からは、時勢にふさわしくないとか、堕落しているとか、軟弱だとか、全く評価されていないはずです」

「だからこそ、巻き返しの好機ではありませんか。ここで軍に協力しておけば、評価も違ってきます」

(そんな評価には、意味が無い。軍にしっぽを振ったら、それは、芸術の自殺だ)「女の裸を描いてきた私に、海軍が望むような絵が描けるでしょうか」

「もちろんです。それに、カンバスや絵の具も優先的に提供されます」

(今度は、協力しなければ画材をくれない、という脅しか。低俗な軍の考えそうなことだ)「私は筆を置こうと考えています。もはや人様にお見せできる絵が描けないのですから」

「どうあっても協力しないと言うことですか。まさか、アカという訳ではありませんね」

(何でもかんでも政府や軍に反対するものはアカか。単純な頭だ。赤の美しさを知らないのか。色のことだが。)「アカなどとんでもない。ただの絵描きです。それが、歳で目が悪くなって、絵が描けなくなったのですよ」

「軍に協力しないと、これからは絵の具も手に入りませんよ」

(芸術は戦争に協力しない。協力したとき、それは芸術ではなくなっている。そうはっきり言ってやりたいが、こんなやつには理解できないだろう。それに、特高に引っ張られるかも知れない。家族も、ただでは済まない。戦争画を描かないことだけが、自分にできる最大限の意地だ)「目が悪くて描けないのですから、絵の具も筆ももう要りません」

「画壇からも排斥されますよ」

(軍が怖くて喜んで戦争画を描くような奴らがうようよ居る画壇なら、こっちから願い下げだ。)「絵が描けなければ絵描きでもありませんから、必然、画壇にもいられないでしょう」

「後になって、協力させてくれと泣きついても知りませんよ」

(誰が軍に泣きつくか)「お役に立てなくて残念です」

相木繁史は海軍への協力を断った。戦争もいつかは終わる。それまでは、発表できなくても、絵の具が手に入らなくても、何とか工夫して絵を描き続けるつもりでいた。

ただ、大量殺戮である戦争に協力は絶対にしたくない、と思った。自国への侵略に対する抵抗であるなら、考えるところもある。しかしこの戦争はその逆で、他国を侵略しているのだ。

確かに戦争を選択せざるを得なかった事情はあるかも知れないが、日本人にとってもアジア諸国にとっても悲惨なこの戦争の進め方には納得できない。戦意高揚など絶対にしてはならないこと、と信じていた。芸術家の良心であった。


小説家柴原(しばはら)清義(きよし)は、陸軍報道班員として南方を従軍取材して、戦意高揚小説を書いていた。

柴原は文壇にデビューして四年、まだ確固たる地位を築いてはいなかった。だから、仕事があれば断らずに書いてきた。質は量をこなせば上がってくる、と信じていた。仕事を選ぶほど実力がある、とは思っていなかった。書かせてくれるなら書いて、実力を付けて、いつか質の高いものを書けるようになりたい、それが精進だと信じていた。

陸軍から戦意高揚小説執筆の依頼があったときも、ひとつの機会として有効に利用しようと考えた。南方への従軍取材も、小説家として貴重な経験になるだろうと期待した。

一九四二年一月一一日、帝国陸軍第五師団は英領クアラランプールを占領した。柴原も誇らしく入城した。柴原から見ても、帝国陸軍は勇敢で強力であった。

柴原は占領前の戦闘から安定的な占領を実現するまでを、後日小説として発表するためにメモを付けていた。

昭和一七年一月一日

皇紀二六〇二年が目出度く明けた。しかし、皇国の兵士には大晦日も元日も無い。

馬来(マレー)半島クアラランプールを一日も早く占領せんと、帝国陸軍第五師団は今日も敵を討つ。

昭和一七年一月六日

皇軍の士気はますます高く、統率に乱れ無し。

武器弾薬に不足無く、糧秣は潤沢、補給に不安無し。

昭和一七年一月九日

敵は徐々に後退、皇軍は進撃。負傷兵は後方へ送り、治療。

敵の捕虜多数を捕獲。

昭和一七年一月一一日

遂に皇軍クアラルンプールを占領。目にも鮮やかな日章旗が、馬来の空に翩翻と舞う。

現地民は英国の支配から解放され、皇軍将兵を歓迎す。

昭和一七年一月一五日

占領は順調に推移し、治安は回復。現地民は安寧な生活に戻りつつあり。

しかし帝国陸軍に油断無く、日々の任務を粛々と遂行。

昭和一七年一月二一日

非番の皇軍兵士、連れだって市内見物。微笑ましくも、現地民とバナナと煙草の物々交換などあり。

昭和一七年一月二四日

現地民三名、英国のスパイ容疑で銃殺。さらに二名、銃剣にて刺殺。スパイの処刑はやむなし。

昭和一七年一月三〇日

皇軍兵士の一部に、現地民財産の略奪ある模様。家畜は食料とするため。その他家財道具、女性の服飾品などを奪う者あり。略奪者に将校はいないと思われる。命がけで戦闘した兵隊の憂さ晴らしか。

昭和一七年二月一一日

紀元節。一同宮城に向かって遙拝。

クアラルンプール占領からひとつき経過。

皇軍兵士の中に、現地民女性に暴行するもの少なからずある模様。

皇軍の士気の乱れを感ず。慰安婦がいれば、と思う。残念。

柴原は軍にとって余計と思われる部分を省いて、クアラルンプール占領の小説をまとめ、発表した。当然、軍の検閲を受けたが、特に問題となる部分は無かった。


三年後、昭和二〇年二月、柴原は硫黄島にいた。

自身が死ぬかも知れないことに、気づいていた。兵隊は所謂玉砕させられる。生き残る者がいれば、それはむしろ事故と言える。誤って生き残った、ということになる。そうとしか思えない戦闘条件だった。

兵力と物量の比較で圧倒的不利であるにもかかわらず、援軍は望めなかった。司令官の古閑中将は玉砕を覚悟し、それをどれだけ遅らせることができるかだけを考えていた。

戦闘員ではない柴原も、おそらく死ぬだろうと諦めざるを得ない状況だ。死ぬことが避けられないなら、最後の作品くらいは真実を書きたいと思った。

もはや逃げる手段は無い。兵隊達は全員死ぬ。自分だけがじたばたするのはみっとも無いのもあるが、本来、戦闘を取材して作品にまとめるのが自分の仕事だ。今回だけは、軍に気に入られなくて良い。兵隊達の真実と戦闘の現実を書いてやる。万にひとつでも生き残ったら、本当の戦争を内地の人たちに教えてやる。柴原はそう覚悟した。

古閑中将は真正面からの戦闘ではなく、ゲリラ戦を考えた。いずれ玉砕は覚悟の上での、時間稼ぎのためだ。その稼いだ時間で本土防衛準備ができれば良い、米軍の本土空爆が一日でも遅くなれば良い。

古閑は兵隊にトンネルを掘らせた。トンネルを行き来して、神出鬼没の小規模攻撃を果てしなく繰り返そうという戦術だ。

食料と水を制限した。米軍艦船が島を包囲し、制空権も無い状況で補給は得られない。食料と水が無くなるとき、弾薬も無くなり、兵隊達の命も無くなるのだ。どれかひとつでも残っては、もったいない。全てを使い切るまで、米軍に抵抗するのだ。

大本営は、負けることが分かっていながら、硫黄島の守備を古閑に命じた。古閑は一三、五〇〇名余りの兵隊を全員殺す覚悟をして、そのために最も価値のある死なせ方を考えたのだ。

米軍の、上陸に先立つ空爆が始まった。古閑はじっと身を潜めて、やり過ごした。帝国陸軍に、B―二四爆撃機の飛行高度に到達する高射機関砲は無かった。

六〇日間にわたる空爆の後、艦砲射撃が始まった。砲弾はまさに雨のように降ってくる。帝国陸軍は、やはりトンネルに避難して艦砲射撃を躱した。

三日間の艦砲射撃の後、上陸用舟艇が浜に乗り上げてきた。古閑は、応戦させなかった。上陸を阻止するための応戦は、自軍の損害も大きくなる。それより、兵力を温存して、トンネルを使用したゲリラ戦に備える考えだ。

日本軍の抵抗が無いことを訝りながら米軍は上陸し、物資を陸揚げした。空爆と艦砲射撃で日本軍にダメージを与えたとしても、おそらく一〇、〇〇〇名以上の兵力が残存しているはずで、このままで済むとは思っていなかった。

米軍は偵察機を飛ばすが、日本軍の基地は発見できなかった。

満を持して、日本軍のゲリラ戦が始まった。一〇名から二〇名の単位で米軍の基地や偵察隊を補足すると、歩兵銃で狙撃したり手榴弾を投げて、直ぐにトンネルに逃げ込んで逃走した。

基地が分かれば空爆や艦砲射撃、陸上から砲撃ができる。米軍には、弾薬は使い切れないほどある。だが、トンネルを使用したゲリラ攻撃は、米軍を悩ませた。

今まで経験した日本軍ではなかった。死ぬことを前提に、ボルトアクションの歩兵銃や日本刀(サーベル)を振り回しては突撃してこない。突然攻撃され、敵の位置を確認する前に消えてしまう。古閑中将の作戦指揮に、米軍は恐怖を感じた。

苦戦しながらも米軍は圧倒的な兵力、武器、弾薬によって日本軍を攻撃した。トンネルには、火炎放射器を使用した。ガソリンを流し込んで火を点ける作戦も採られた。

日本軍は食料が乏しく、何より水の無いことが極めて深刻だ。

一等兵が訊いてきた。

「柴原さん、水が残っていたら一口分けてくれないか」

「いや、私も昨日から一滴も飲んでいないのです」

「そうですか。上等兵殿、自分は水を探しに行ってきます」

「いかん、まだ明るい。日が落ちるまではトンネルから出てはならん」

「では、上等兵殿の水を下さい」

「馬鹿者、貴様、俺に逆らうのか。それに、俺も水は無い」

「もう我慢できません。アメ公を撃ち殺して、水筒を取ってきます」

「だめだ。おまえが発見されると、ここにいる全員がやられる」

「うるさい。俺はもう我慢できない。水が飲めないなら、殺してやる」

一等兵が上等兵に小銃を向けて、遊底を引こうとしたが引っかかった。その隙に、上等兵が自分の小銃で一等兵を撃った。一口の水のために同じ隊の者同士が殺し合いをしたことを、柴原は後でメモに残した。

勝ち戦の時は深く考えなかったが、死が自分の身に降りかかって疑問が湧いた。大本営の作戦は、正しいのか。何故、援軍を送って寄越さないのか。何故、食料も水も無く、戦えと言うのか。俘虜になることは、何故恥ずかしいことなのか。

分かってはいる。戦局が厳しくなっていることは感じていた。制空権を失い制海権も無い状況では、補給はできない。現実、援軍として割ける兵力も無いだろう。だが、食料も水も弾も無くて、どうやって戦えと言うのか。

精一杯戦ったら、降伏しても良いのではないか。食うものが無く、水が無くて、味方同士で殺し合いをしている。弾も尽きる寸前だ。本土防衛のために、やれるだけはやった。せめて、生き残っている兵隊を降伏させてやってはどうか。ただの無駄死にをさせるのは、何のためか。米軍に投降しようとした兵隊を、別の兵隊が撃ち殺したのも見た。

虜囚の辱め、とはどういう意味なのか。軍上層部は、前線のこの状況を知っているのか。知るはずが無い。現地司令官はひびきの良い言葉で玉砕の覚悟を大本営に打電する、というのが習わしになっているのだから。

米軍では、部下の損害の多い指揮官はその指揮能力を疑われる、と聞いたことがある。

日本軍は、全員死ね、と言う。

柴原は万一生き残ったら、どちらが正しいのか世に問う小説を書こうと、胸の手帳を服の上から押さえた。ここで生き残ったら、その小説を発表した後に特高や軍に殺されても良いとさえ思った。


大本営陸海軍部発表

大東亜速報は、日本で最も権威があるとされている日刊紙である。その記者大谷幸平は、いつもの通り大本営に詰めいていた。

大谷は五二歳。特ダネを求めて飛び回る体力も気力もいつか無くなり、今は大本営の発表を受けて、それを記事にするだけの仕事に疑問も無く振り返ることもせず、淡々とこなしている。

『大本営発表(昭和二〇年三月一〇日一二〇〇時)

本三月一〇日〇時過より二時四〇分の間B二九約一三〇機主力を以て帝都に来襲、市街地を盲爆せり。

右盲爆により都内各所に火災を生じたるも宮内省主馬(しゅめ)寮は二時三五分、其の他は八時頃迄に鎮火せり。

現在迄に判明せる戦果次の如し。

撃墜一五機。

損害を与えたるもの約五〇機』

『大本営発表(昭和二〇年三月一二日一六時三〇分)

本三月一二日〇時過より三時二〇分の間B二九約一三〇機主力を以て名古屋市に来襲、市街地を盲爆せり。

右盲爆により熱田神社に火災を生じたるも本宮、別宮等は御安泰なり。

市内各所に発生せる火災は一〇〇〇時頃までに概ね鎮火せり。

現在迄に判明せる戦果次の如し。

撃墜二二機。

損害を与えたるもの約六〇機』

『大本営発表(昭和二〇年三月一四日一二時)

昨三月一三日二三時三〇分より約三時間に亘りB二九約九〇機大阪地区に来襲、雲上より盲爆せり。

右盲爆に依り市街地各所に被害を生ぜるも火災の大部は本一四日九時三〇分頃までに鎮火せり。

我制空部隊の邀撃(ようげき)に依り来襲敵機の相当数を撃墜破(こうむら)せるも其の細部は目下調査中なり』

『大本営発表(昭和二〇年三月一四日一六時三〇分)

昨三月一三日夜半より本一四日未明に亘り大阪地区に来襲せる敵機の邀撃(ようげき)戦果次の如し。

撃墜一一機。

損害を与えたるもの約六〇機』

『大本営発表(昭和二〇年三月一七日一六時)

本三月一七日二時三〇分頃より約二時間に亘りB二九約六〇機神戸地区に来襲、市街地に対し主として焼夷弾による無差別爆撃を実施せり。

右爆撃により市街地に相当の火災発生せるも其の火勢は一〇〇〇時迄に概ね制圧せられたり。

我空地制空部隊は果敢に之を邀撃し其の二〇機を撃墜、他の殆ど全機に損害を与えたり』

『大本営発表(昭和二〇年三月一九日一四時三〇分)

本三月一九日〇二〇〇時頃より約三時間に亘りB二九、百數十機、一機若くは数機編隊を以て名古屋に来襲、主として焼夷弾により市街地を爆撃せり。

右爆撃の為火災により市街地に被害を生じたり。

来襲敵機に相当の損害を与えたるも詳細は目下調査中なり』

『大本営発表(昭和二〇年三月二一日一二時)

一、硫黄島の我部隊は敵上陸以来約一箇月に亘り敢闘を継続し、殊に三月一三日頃以降北部落及東山附近の複廓字陣地に拠(よ)り凄絶なる奮戦を続行中なりしが、戦局遂に最後の関頭に直面し「一七日夜半を期し最高指揮官を陣頭に皇国の必勝と安泰とを祈念しつつ全員壮烈なる総攻撃を敢行す」との打電あり、爾(じ)後(ご)通信絶ゆ。

二、敵兵同島上陸以来三月一六日迄に陸上に於て之に与えたる損害約二三、〇〇〇名なり』


大谷にはふたりの息子がいた。一九歳の長男が一(はじめ)、一六歳の次男は二三(つぎぞう)という。

昭和二〇年三月下旬の夕食時である。一が大谷に言った。

「父さん、今月も相当回数の空襲があるね」

「ああ」

二三も話しに加わった。

「灯火管制で電灯もまともに点けられないから、寂しい食卓がよけい寂しく見えるしね。あ、母さんの料理の事じゃなくて、配給の食糧が乏しいと言うことだからね」

大谷の妻、道代が返した。

「食料だけじゃなくて、醤油だって砂糖だって何だって配給だから、食べ物も少ないけど、味付けも思うようにはできないの」

「戦争をしている、非常時だ、というのは分かるけど、食うものもなく、こうしょっちゅう本土空襲されるようじゃ、日本は危ないのかな」

「兄さん、そんなこと誰かに聞かれたら」

「分かっている。家族だから話しているんだ」

「父さん、大本営発表はどの程度正しいのかな。確かに真珠湾攻撃からしばらくは正確だったと思うけど、この頃はどうかと思う。多分最初は確かに大本営の言うとおり勝っていたんだろうけど、空母を失ったり、転進したり、食糧やいろんな物資が欠乏してきたり、本土が空襲されたりしていることを考えると、おかしいと思う」

「兄さん、作戦によって勝つときも負けるときもあるけど、最後は日本が勝つよ。ねぇ、父さん」

「そうだな。一(はじめ)、二三(つぎぞう)が言ったように、そんなことは決して外では言うなよ」

「分かっているって。父さんは、大本営発表を信じているの」

「信じているから、その通り書いている」

「とうとう硫黄島が玉砕したと発表されたけど、そうなると硫黄島からの米軍爆撃機による本土空襲がもっと増えることになるね」

「かも知れないな」

「それに対して大本営は、どういう風に対応するとも何も言わないのはどうして」

「それは当然軍事上の機密事項だ」

「作戦機密はともかく、方針だけは示して欲しいと思うけど」

「おまえはどこからそんな考えを仕入れてくるんだ」

「新聞やラジオ。新聞もラジオも、大本営発表は同じだけど、あとは自分で考えている」

「おまえ、毛唐の放送は聞いていないだろうな」

「家にはそんなラジオは無いよ」

「おまえは大本営発表を疑っているのか」

「敵に情報収集力を知らせないために、あえて知らないふりをするとか、国民に全ての情報を即時に開放することはできないかも知れない。米英だって情報管理というか、国民に秘密にしていることはあると思う。だけど、ある程度の真実は知らせて欲しい。僕も二〇歳になったら学徒出陣だから」

四人とも、茶碗一杯の雑炊の夕食は直ぐに終わった。

「大本営も本土空襲や硫黄島玉砕を発表しているだろう」

「それは、隠しきれないからだと思う。退却を転進と言い換えたり、全滅を玉砕と飾って、少しでも誤魔化そうとしていように思えるんだ。本土を空襲したB二九だって、本当に撃墜しているのかどうか分からない」

「いい加減にしなさい。普段からそんなことを考えていると、つい他人にも漏らしてしまうかも知れない。特高に密告されたら殺されるぞ」

「僕はアカでもないし、学徒出陣も仕方ないと思っている。非国民になるつもりは無いよ。ただ、国家が国民に忠誠を求めるなら、国家も国民をもう少し信じても良いと思う」

「その考え方を、世間ではアカと言うんだ」

「世間は、面倒なことは何でもかんでもアカの一言で片付けるけど、本当に共産主義の意味が分かっているのかどうか」

「兄さんは分かるの」

「共産主義には、無理があると思う。蘇連(それん)はいずれ破綻するはずだ」

「どうして」

「人間の欲望と共産主義は相容れないからさ」

「ふたり共いい加減にしなさい」

一は自分の言葉に酔っていた。父とこのような話しをしたのは、初めてだった。あと数ヶ月で戦場に送られるかも知れない、という恐怖もあった。自分という人間、自分の考えを、誰かに伝えておきたい、という本能のような願いもあった。

「父さんには育てて貰ってありがたいと思っている。父さん個人を絶対に批判する訳じゃないけど、新聞社は海外の情報を仕入れて、それを報道することはできないのかな」

「検閲がある。下手をすると紙の配給が止められる」

「やっぱり経営があって、給料も払われるわけだね。そうだなぁ」

「何が言いたい」

「大本営発表だけじゃなくて、外国のラジオ放送を傍受して、内容を分析して、記事にするとか、そういうことはできないのかと思って」

「そう思っているやつも、いるにはいる。しかし、特高もいるし、検閲もある」

「せめて、軍に協力しない、と言う立場も取れないだろうね。そうしたら紙の配給が無くなって会社がつぶれるから」

「その通りだ。おまえは戦争に反対なのか」

「分からない。戦争を仕掛けたのは日本かも知れないけど、そう仕向けたのはアメリカだと思う。仕方がない、と言う面もあったと思う。始めたからには勝ちたい、とも思う。けど、内地空襲で非戦闘員の子供や年寄りや女も無差別に殺されている。アメリカ人は正に鬼畜で、人種差別があって、日本人なら女子供でも平気で焼夷弾で焼き殺す。だからどこかで戦争を止めることも考えないと、国そのものが無くなるよ」

「おまえは学徒出陣が怖いから、そう言うのか」

「そりゃ怖いけど、それだけじゃなく、理性的に考えてみれば僕の言ったことは間違ってないと思う」

「日本人の多くがそう思うようになれば、政府や軍も考えるだろう」

「でも国民は大本営発表だけじゃ、真実の状況を理解できない。それに、自由な意見も言えない」

「じゃ、どうすればいい」

「だから、報道だよ。政治家は全くだめだから。新聞、雑誌、ラジオがこういう時に立ち上がるべきだと思う。」

「おまえは父さんが会社を首になったり、特高に引っ張られても良いのか」

「そう訊かれると、困る。だから、自分も情けないひとりの日本人と言うことだね」

「確かに新聞も雑誌もラジオも、小説だって絵画だって音楽だって、戦争一色だ。戦争に協力している。子供は学校に行けずに、軍需工場に行っている。子供に教育を与えず、食べ物も与えず、国の将来はどうなるのかと思う」

「あなたまでそんなこと言って」

「そう思っても、個人じゃどうにもできない。自分の生活を守るだけで精一杯だ。正義というものは、時代や状況に依るものらしい。今は、軍に協力するのがこの国の正義だ。絶対的な正義など、自分の良心の中にしかないだろう」

「父さんのおかげで生活できているのは分かっている。感謝もしている。全部分かっているつもりだけど、言わずにいられなかった。多分、戦争に行くのが怖いから。誰かに自分の考えを一度言っておきたかったのだと思う」

「俺だって母さんだって、息子を戦争にはやりたくない。非国民と言われても、子供を死なせたくない。それが本心だ」

「それだけ聞けて良かったよ」

「もうひとつ、大本営の嘘っぱちをそのまま記事にしている俺は、新聞記者じゃない。報道こそが国民に真実を伝え、国民に判断材料を提供すべきだと思っている。命を賭けてでも。家族の生活のためと言いながら、俺も特高や軍が怖いだけだ。本来は、報道はいつの時代も国家に弾圧される存在であるべきだ。それが健全な報道だ」

たまらず、一が言った。

「父さん、もういいよ」

二三はいつの間にか涙をこぼしていた。一の目にも涙が溜まっていた。道代も割烹着で涙を拭っていた。


日系アメリカ人と日本人

ロサンゼルスの西六〇マイルに、ポート・ワイニミという小さな町がある。その町で、日系移民の岡田康吉(こうきち)と妻のヤスは仕立屋(テーラー)で生計を立てていた。

康吉が移民して四年後に、ヤスが写真花嫁として来てくれた。その後二人で二二年間必死に働いて、やっとテーラーを開店したのが四年前だった。

男の子が二人生まれた。長男はダニエル、次男はチャールズ。それぞれ、ダン、チャーリーと呼ばれている。ダンは二一歳で、自動車修理工として働いていた。チャーリーは一七歳の高校生だった。

故国に錦を飾るとまでは行かないが、どうにかこうにか店の経営も安定してきたと思った頃、日本軍によるパール・ハーバーへの奇襲攻撃(アタック)があった。ダンは修理工場を解雇された。チャーリーも高校に通えなくなった。あからさまな嫌がらせと差別である。

テーラーの売り上げは三分の一に落ち込んだ。康吉とヤスの仕事の丁寧さ、顧客に対する誠実さが、かろうじてテーラーを生き残らせていた。投石で窓ガラスを割られたり、壁にペンキでジャップは地獄に堕ちろ(ゴートゥーヘル)と書かれる嫌がらせはあったが、仕事を依頼してくれるお得意もいた。

ハワイを奇襲攻撃した敵国人が経営するテーラーにもかかわらず何とか経営を維持してきた岡田一家も、遂に一九四二年七月マンザナー強制収容所に監禁された。

ふたりの二六年の苦労の賜物が、僅か二週間という猶予のうちに買い叩かれた。康吉とヤスに残されたのは、ダンとチャーリーだけだった。

いつ戦争が終わるのか、いつ収容所から出られるのか、出たあとどうやって生活して行くのか、何も分からなかった。

刑務所でさえも、終身刑以外は何年いればいいのか最初から分かっている。恩赦もあるかも知れないし、刑期満了前に仮釈放があるかも知れない。しかし、人種差別の拘束年数は不明、恩赦も仮釈放もあり得ない。犯罪者の方が、より人間的に扱われている。

何よりもまず、犯罪に対する罰則であれば刑務所入りは当然のことである。ところが、日本人である、日系アメリカ人である、と言う理由で強制収容されることは、どう考えても納得できなかった。

ドイツ系やイタリア系は、強制収容されていない。日系だけへの、有色人種に対するあからさまな人種差別だ。

志那系や朝鮮系と違い、白人に脅威を与えるほど経済的に成功する者がいることも、日系への差別を助長した。

誰でも挑戦(チャレンジ)する権利があり、誰でも機会(チャンス)を得る権利があり、誰でも成功(サクセス)する権利があるのがアメリカであるはずだ。そのアメリカを、白人自らが否定したのだ。自分や自分の先祖が、ヨーロッパでの迫害や貧困から逃れるためにアメリカに来たことを忘れてしまったのだ。

チャーリーには、ハイスクールのクラスメートだったミンディという恋人がいる。しかし、ポート・ワイニミとマンザナーは二五〇マイルも離れており、今は手紙を交換するだけだ。

『親愛なるチャーリー

二週間前の私の手紙は届きましたか。あなたから返事が来ないので、またこの手紙を書いています。

やはり、あなたの最後の手紙は理解できません。どうしてあんな悲しいことを書いて寄越したのですか。

私も状況は知っています。あなたの両親の祖国と私たちの祖国であるアメリカが戦争をしていること、私たち一家はアイルランド系移民であること、日本人と日系アメリカ人は合理的な理由も無く大統領命令で強制収容所に入れられていること、、、。でもそれは、私たちの周りの状況であって、私たち自身の問題ではありません。

あなた方一家をそんなところに閉じ込めた白人たちを、あなたのご両親もきっと恨んでいるでしょう。でもそれも、私たちふたりが別れる理由にはなりません。愛し合っているのは私たちふたりであって、それが何より大切なことだと信じています。

もちろん、私もあなたのご両親に祝福されたいし、私の両親にも分かって欲しいと思いますが、あなたさえ私を愛してくれたら、私は幸せです。

戦争はいつか終わります。その時、あなたの一家も、ここに書くだけでも嫌な言葉、収容所から解放されます。私はそれまで待ちます。手紙も書きます。できれば、会いにも行きます、きっと。だから、もうあんな悲しい手紙は書かないで下さい。

あなたからのすてきな返事を待っています。近況だけでも知らせて下さい。

ミンディより、愛を込めて』


『大好きなミンディ

手紙をありがとう。君の強い気持ちが良くわかった。確かに君の言うとおりだ。僕は周囲の状況のせいで、君を幸せにできないと思い込んでいた。君を不幸にするくらいなら、別れた方が君へのダメージは少ないと思った。でも、僕は自分が間違っていた事を素直に認めて、君に謝る。

君の手紙の他に、もうひとつ僕の気持ちを変えたものがある。実は、早くここから出るチャンスが転がり込んできた。僕はそれを利用するつもりだ。

先週、出所許可申請書というものが配布された。ここの収容者に対して、アメリカへの忠誠を確かめる質問書だ。それに適切な回答を行えば、陸軍に志願できるかも知れない。

出所したら君に会いに行く。それから、軍隊に入って早く戦争を終わらせる。そしてまた、君に会いに行く。君を迎えに行くんだ。

チャーリーより』

チャーリーは、封にSWAK(キスで封をした)と記して投函した。


一九四三年二月、一八歳以上の収容者に対して出所許可申請書による三三項目の質問が課せられた。

その中の質問二七は、もしあなたに機会が訪れ資格があるならば、陸軍、看護婦部隊または陸軍女性補助部隊に志願したいと思うか、というものであり、

質問二八は、あなたはアメリカ合衆国に無条件の忠誠を誓い、日本の天皇やいかなる外国政府、権力または組織に対しても服従をしないことを誓うか、というものである。

チャーリーは、イエス、イエスと回答した。

兄のダンはノー、イエスと回答した。

彼らは日系ではあるが、アメリカで生まれ、アメリカで育ち、アメリカの教育を受け、国籍を持つアメリカ人だ。だから何の躊躇も無く、質問二八にはイエスと答えた。

チャーリーは、軍に志願して自分や他の日系人をアメリカに認めさせようと、質問二七にもイエスと答えた。

ダンは、自分を差別するアメリカのために命は捨てられないと、質問二七にはノーと回答した。

康吉とヤスはノー、ノーと回答して、ダンと共にツールレーク強制収容所に転送された。康吉とヤスは日本で生まれ育ち、日本の教育を受け、日本での生活が立ち行かないためにやむなくアメリカに移民したが、アメリカで迫害され、国籍を与えられなかった。ふたりは、そう答えるしか無かった。

三三項目の質問には、姓名から始まって性別、身長、体重、配偶者の人種、日本の親戚の名前、住所、関係、職業、国籍、受けた教育、外国旅行、宗教、日本語や他の外国語能力、スポーツと趣味、国外に持つ資産や投資、購読した雑誌と新聞、子供を日本に行かせたことがあるか、というものも含まれていた。

イエス、イエスと回答したチャーリーは収容所から出て、ミネソタ州キャンプ・サベッジの陸軍情報部語学学校で六ヶ月間日本語の訓練を受けた。訓練の後、前線に行く前に二週間の休暇が与えられ、チャーリーはツーレークの父母と兄に会いに行った。

六ヶ月ぶりに会う父と母は幾分やつれたようだったが、笑顔を見せてくれた。しかし、語学兵として前線に行くことを話すと父は沈黙し、母は泣いて止めた。

康吉は、チャーリーが日本人と戦闘することがやりきれなく、言葉が出なかった。ヤスは、息子が戦死するかも知れないことが、耐えられなかった。

チャーリーは、語学兵は戦闘ではなく情報収集が主任務であり、白人の護衛も付くことを説明したが、両親にとっては、とにかく息子が兵隊になって前線に出て行く、それは危険だ、という理解しか無かった。

ダンはチャーリーの説明を理解し、とにかく生きて戻れ、と言った。自分には自分の信念があって、質問二七にはイエスと答えなかったが、父母の事は自分に任せて、おまえは自分の信念に従えばいい、とも言ってくれた。

チャーリーは、ツーレークからポート・ワイニミへ向かった。ミンディの家を訪ねるためだ。ミンディには手紙で知らせておいた。

ミンディだけではなく彼女の家族にも会って、自分の考えを伝えたいと思っていた。例えなんと言われようと、生きてミンディや家族に会えるのはこれが最後の機会かも知れなかったから。


チャーリーはドアをノックした。ミンディの父、ジョージ・ティーキャッシュがドアを開けた。

「こんにちは、ジョージ」

「やぁー、チャーリー。さぁ、入りなさい」

ジョージはチャーリーと握手を交わして、招き入れた。ミンディがいた。

「ミンディ」

「チャーリー」

ふたりは互いに駆け寄り、軽い抱擁をした。

妹のジェニファーとミンディの母、スーザンも声を掛けてきた。

「こんにちは、チャーリー」

「こんにちは、ジェニファー」

「さぁ、チャーリー、座って。コーヒーはどう」

「ホワイ・ノット(いただきます)、サンキュー、スーザン」

ミンディが訊いた。

「チャーリー、陸軍に入ったの」

「ああ、情報部だよ。収容所を出たあと日本語学校に六ヶ月行って、これから語学兵として南太平洋地域で日本軍の情報収集任務に就くことになっている」

ジョージが訊いた。

「軍に入るという条件で収容所から出られたのか」

「そのとおりです。ダンは軍への志願を拒否して、両親と一緒にツーレークの収容所に移されました」

「私個人は、日系人だけが不当な差別を受けていると思っている。それなのに何故、君はアメリカのために命を賭けるのだ」

「僕はダンが間違っているとは思いません。同時に、僕も間違っているとは思いません。僕は、認めさせたいのです。僕や日系人を、この国やミンディ始めあなた方家族にも」

「私たち家族は日系人を差別するつもりは無いよ」

「だからこそ、あなた方のようなアメリカ人のためにも早く戦争を終わらせたいと思います。そのために、情報収集という仕事で貢献できればうれしく思います」

スーザンがコーヒーカップを持ってきて、言った。

「ミンディのためには、あなたが不自由でも安全な収容所にいた方が良いのか、少しでも自由のある、でも危険な戦場にいる方が良いのか分からないわ」

「語学兵は、一般の戦闘員よりは安全だと聞いています。でも、残念な話ですが、アメリカ軍の軍服を着ていても味方から撃たれるかも知れないからと、白人の護衛が付くそうです」

「何ともひどい話しだ」

ミンディが訊いた。

「収容所はひどいところだったの」

「ひどかった。家族はまだそこにいる。ひどいところだよ。例えばトイレに仕切りが無い。刑務所のトイレだって、仕切りくらいあるだろう」

「しかも、何も悪いことをしていないのに。私、大統領に手紙を書くわ。そんなことは間違っているって」

「それに、財産は全て失ったよ。父と母が二六年間懸命に働いて手に入れてきたものを全部だ。収容所に入れられるまでに二週間の猶予しかなかったから、持っていた物は全てただ同然の値段で買い叩かれた」

「なんということだ(マイ・ゴッシュ)」

ジョージが同情した。

「日本がパール・ハーバーをアタックしたことは許せないが、康吉やヤスの責任では無い。ましてや君やダンは、アメリカの国籍を持っている。日系人への処遇は、アメリカ人として恥ずべき事だと思う」

「ありがとう、ジョージ。あなた方のようなアメリカ人もいるから、僕も救われます」

「私は、日本人はすばらしい民族だと思う。勤勉で、親は自分を犠牲にしても子供に高等教育を受けさせ、将来少しでも良い生活ができるように願っている。子供は親を尊敬し、大切にする。どんな国の移民より優れた点がある」

「僕は、あなた方のような家族と知り合えたことを誇りに思います」

ジェニファーが初めて口を開いた。

「きっと、ミンディとチャーリーはふたりきりで話したいんじゃないの」

「その前に、皆さんにも聞いて欲しいことがあります。今日来たのは、ミンディにさよならを言うためです。」

「それはどういう意味」

ミンディが驚いて言った。

「君も君の家族も、僕を差別しないでアメリカ人として扱ってくれる。でも、社会はそうじゃない。現に日系人は全員強制収容された。適性外国人と付き合っていると、いずれ皆さんにも迷惑がかかるも知れない。それと、僕はこれから戦地に行く。死ぬかも知れないし、いつ帰れるかも分からない。だから、いつまでも僕を待っていることはないと思う。それが僕の結論だ」

「チャーリー、あなたの考えは分かったわ。今度は私の考えを聞いて。私も私の家族も、人種差別的な考えは持っていないわ。むしろ、白人として恥じているくらいよ。これが自由の国、民主主義の国と言えるかしら。それと、私はあなたが帰るのを待ちたいのよ」

「君だけの問題じゃない。ジェニファーだって、僕のせいでボーイフレンドができないかも知れない。ご両親にも社会的な付き合いがあるから、日系人がかかわるのは良くない。ただ、皆さんにはとても感謝している」

「私があなたを待つのは、私の自由だわ」

「チャーリー、性急に結論を出さなくても良いだろう。ミンディは君を待ちたいと言っている。戦場が危険なことは分かっているが、君も言ったように語学兵は戦闘任務には就かないのだろう。確かにいつ帰れるか分からないが、しばらく様子を見てはどうかね。案外早く戦争が終わるかも知れないし、政府もいつまでも強制収容というような愚かな政策は続けないと思う」

ジョージが、チャーリーとミンディの会話を取りなすように言った。

「ありがとう、ジョージ、分かりました。ありがとう、ミンディ。僕が戻ったら、また話そう。僕は絶対に生きて帰るつもりだけど、でも、いつまでも待っていて欲しいとは言えない。それは自分で判断して欲しい」

「それが日本人的な考え方なのかい。自分の望むことを遠慮無く言うのではなく、相手の身になって考える。美しい考え方だとは思うが、我々白人には思いつかない考え方だよ。とにかく、君は軍で日系人の存在意義を示し、合衆国への忠誠心を示す。ミンディは君を待つ。そういうことだ」

「そうね、チャーリー、私もミンディと一緒に待っているわ」

スーザンが言った。

「チャーリー、私も待っている」

ジェニファーも目に涙をためて言った。


チャーリーはサイパンに送られた。

護衛兵としてブライアンが付けられた。

サイパンでは、補給が得られない日本兵がゲリラ戦を展開していた。

チャーリーの仕事は、戦闘終了直後に日本兵の死体から情報収集の材料にするため手帳や手紙、メモなどを探る事から始まる。

アメリカ兵の中には、土産や記念品にするために日章旗や日本刀などを漁る者もいる。戦友の復讐だと言って、日本兵の死体を蹴飛ばしたり、顔を踏みつける者もいるし、もっと残虐なことも目にした。

収集した材料を前線本部に持ち帰り、翻訳、分析するのが、チャーリーの次の仕事だ。

日本兵に投降を呼びかけるビラを作ることもある。捕虜になるなら死ね、と叩き込まれている日本兵を、一枚のビラで翻意させるのは不可能に近い無駄な努力とも思われたが、少しでもアメリカ兵の損害を減らし、さらに日本兵の命を救えるなら、とチャーリーは奮闘した。

「ヘイ、ジャップ、有益な情報を見逃さないでくれよ。俺はこの戦闘で戦友をひとり失ったんだから」

同じ隊内でも、チャーリーはジャップと呼ばれることもる。それが、現実だった。ジャップやニップと呼ばれなくなるために、チャーリーは軍に志願し、前線で任務を誠実に遂行している。

第一〇〇大隊や第四四二連隊は当たって砕けろ(ゴー・フォー・ブローク)を合い言葉に、驚異的に高い損耗率でヨーロッパ戦線を戦っている。それでも、まだ足りないというのか。

サイパンの北端に近いマッピ山の麓で局地的な戦闘があった。進軍していた米軍に対し、ジャングルに潜んでいた日本軍が反撃してきたのだ。島の南西部海岸から上陸した米軍は、バンザイ突撃にうんざりしながら次第に日本軍を島の北部に追い詰めてきていた。弾薬も糧秣も援軍も無い日本軍守備隊は、全滅は避けられないと覚悟の上の、文字通り死にもの狂いの抵抗を継続した。

そして戦闘が終了したと報告を受けて、チャーリーと護衛のブライアンは現場に向かった。

銃で撃たれ、砲で吹き飛ばされ、戦車に引き千切られた無惨な両軍の死体が、ジャングルに散らばっていた。血が地面に染み、ジャングルの木々に塗られていた。硝煙の臭いと血の臭いがする。死体にはもう蝿が集っている。

チャーリーはいつの間にか、吐き気を堪えることができるようになっていた。

米兵の死体から、認識票(ドッグ・タグ)が回収されている。日本兵の死体から、戦利品を物色している兵隊もいる。

チャーリーは、日本兵の死体の階級章を一通り確認した。階級の高い者から順に、その所持品を検査するためだ。片膝をついて、少尉の死体から回収した手帳をめくっているとき、銃声が聞こえた。

チャーリーは伏せた。そばに立っていたブライアンが倒れた。チャーリーが叫んだ。

「ブライアン」

彼は目を開けることさえ無かった。

語学兵のチャーリーは、小銃を携帯していない。腰のホルスターからコルト・一九一一を抜いて、周囲を見回した。

数人の味方がジャングルに向けて撃っているが、敵は見えない。悲鳴が聞こえた。また、味方がひとりやられたらしい。

チャーリーは叫んだ。

「敵は何処にいる」

誰かが答えた。

「分からない。とにかくぶっ放せ」

チャーリーにとっては初めての戦闘だ。そのせいか、恐怖はあったが意外に冷静な部分もあった。

(マガジンの予備(スペア)は二個しかない。弾丸の合計は二一発、威嚇射撃も必要だが、無駄撃ちはできない)

チャーリーは、敵の姿か発砲炎が確認できるまでは撃たないことにした。そう決心しながらも、体は恐怖で震えていた。死ぬかも知れないと、現実的な恐怖を生まれて初めて感じた。

戦闘は終わったものと判断され、残っていた米兵は戦利品漁りの三、四名だけだった。それに語学兵のチャーリーと、護衛兵のブライアン一等兵。ブライアンは死んだ。もうひとりの兵隊も死んだらしい。チャーリーは拳銃しか持っておらず、実戦経験が無い。残りの二、三人の兵隊が頼りだ。

また悲鳴が聞こえた。

「ちくしょう(ファック)、肩をやられた」

相変わらず銃声の方向を見ても、敵の姿が見えない。狙撃兵かも知れない。

チャーリーは肩を撃たれた兵隊に駆け寄った。

「ジェイソンか、俺につかまれ。一緒に逃げよう」

「ありがとう。これからはジャップとは呼ばない」

「遠慮せず、もう一度ジャップと呼んでみろ。だが、上官侮辱罪で軍法会議にかけてやる。他に誰がいる」

「ブライアンとクリスがやられたから、あとはティムだけだ」

チャーリーが叫んだ。

「ティム、無事か」

直ぐに返事があった。

「ああ、ここにいる」

「逃げよう。ジェイソンが肩を撃たれた」

「分かった。俺が援護するから、ジェイソンを連れて退却してくれ」

「三人一緒だ」

「いや、あんたは護衛兵がつくほどの貴重な戦力だ。俺が援護するから逃げろ」

「分かった。二五ヤード退却したら今度は俺が援護するから逃げるんだ、いいな」

「分かった。行け」

ティムが叫ぶのと同時に、チャーリーはジェイソンの左腕を抱えて走り出した。

一〇ヤードも行かないうちに、チャーリーの右腿にバットで殴られたような感触があった。次に激痛が襲った。ジェイソンと一緒に倒れた。

(ちくしょう(ガッデム)、撃たれたな)

傷を確認した。弾は腿の肉を幅一インチほど削いで、擦っていったようだ。チャーリーはベルトで太ももを縛って、血止めをした。

「ティム、俺も撃たれた。かすり傷だが足に当たって走れない。俺が援護するから退却しろ」

「分かった。頼むぞ」

チャーリーは一九一一を、ティムが撃っていた方向目がけて撃った。

ティムが上半身を低くして走ってきた。

コルト一九一一とは違う銃声が一発、響いた。

ティムが前のめりに、手もつかずに頭から倒れた。

(何てことだ(ワッタヘル)、ティムもやられた)

「ジェイソン、ティムもやられた。おまえは肩を撃たれて小銃を捨てているし、俺は足を撃たれて一九一一とスペアマガジンが二個あるだけだ。くそ忌々しいが、降伏しよう」

「ジャップは捕虜にならないそうだが、我々の降伏を受け付けるのか」

「白旗くらい分かるだろう」

チャーリーは木の枝を折って、白いハンカチを結んで振った。そして、日本語で叫んだ。

「おーい、降伏する、撃つな、撃つな。聞こえるか」

日本兵が応答した。

「おまえは誰だ。アメリカ軍じゃないのか」

「アメリカ軍だ。降伏する。ふたりとも負傷している」

「日本語が分かるのか」

「僕の両親は日本からアメリカに移民した」

「貴様、日本人のくせにアメリカの味方をしているのか」

「両親は日本人だが、僕はアメリカ生まれのアメリカ人だ」

「二世か」

「そうだ。いいか、出て行くぞ。撃つなよ」

前田伍長が指揮官の石塚少尉に言った。

「少尉殿、毛唐の味方をするやつが出てきたところを撃ってやりましょう」

「止めろ、伍長。白旗を上げている敵を撃ってはいかん」

「やつは日本人のくせに、アメ公の味方についているんです」

「やつは日本語を喋っても、アメリカ生まれのアメリカ人だ」

「そうですか」

前田伍長はふてくされて、地面につばを吐いた。

石塚少尉が呼びかけた。

「よし、両手を挙げてゆっくり立ち上がれ」

「ひとりは肩を撃たれて、右手が挙げられない」

チャーリーは両手を挙げ、ジェイソンとゆっくり立ち上がった。

日本兵が八人近づいて来た。

石塚が訊いた。

「名前と階級は」

チャーリーが答えた。

「こっちはジェイソン・ウィーマン上等兵。僕はチャールズ・オカダ准尉」

「手当をしてやりたいが、医薬品は底をついている。できるのは血止めくらいだ」

「ジェイソンの血止めをさせて下さい。消毒剤と包帯は携帯しています」

チャーリーは、ジェイソンの肩の傷に消毒剤を振りかけ包帯を巻いた。次に、自分の腿の傷にも同じ事をした。

ふたりは日本軍の拠点に連行された。拠点と言ってもテントで、兵員はジャングルで会った八人だけだ。

ざっと見回して、資材の少ないことが分かる。トラックもジープも無い。燃料のドラム缶も無い。無線機はある。武器は各自が携帯している小銃と、機関銃が一挺だけ見える。砲は無い。弾薬も食糧も乏しそうだ。

肩を負傷しているジェイソンは両手を前にして、チャーリーは後ろにして、縛られた。ジェイソンは出血が多いせいか、座っていても苦しそうだ。チャーリーは腿を撃たれているので、杖を使っても歩くのがやっとだ。

石塚が言った。

「貴様達を尋問する。所属部隊は」

チャーリーが答えた。

「こっちはジェイソン・ウィーマン上等兵。認識番号は」

チャーリーはジェイソンの認識票(ドッグ・タグ)を手に取って読んだ。

「八〇八二四一三九。僕はチャールズ・オカダ三等准尉、認識番号O(オー)二三〇〇〇七八」

石塚がいらいらして言った。

「違う。所属部隊だ」

「少尉、我々捕虜は、姓名、階級、認識番号のみ答えます」

「生意気なことを言う。おまえは日本語ができるから、我が軍の情報収集をしているのだろう」

「僕は与えられた任務を果たしています」

「その任務とやらは何だと訊いている」

「アメリカ合衆国陸軍三等准尉、チャールズ・オカダ、認識番号O(オー)、、、」

「黙れ。いつまでそんな強がりが通用すると思っている。大体、捕虜になって恥ずかしくないのか」

「捕虜は恥ずかしいことではない。前線で戦っていたからこそ捕虜になるのだから、むしろ名誉だ。それに、絶望的な戦いは無意味だ。無駄に死ぬくらいなら捕虜になって、脱走を考える方が良い」

「脱走できると思っているのか」

「まだ分からないが、脱走するのは捕虜の義務だ」

「ははは、、、アメリカ人の考え方はおもしろいな。捕虜になることが名誉で、負ける戦いはしない、脱走することが義務だとは、な」

「日本軍は、生きて虜囚の辱めを受けず、と教育されていることは知っている。全滅するまで戦うことも知っている。でもどうして、捕虜が恥なのだ。味方の情報を漏らしたりすれば恥だが、降伏すること自体は恥では無い。補給も援軍も無しで、全滅するまで戦うのは、非合理的だ。それなら一旦捕虜になって、脱走の機会を狙うべきだ。そうすれば、また祖国のために戦える」

「黙れ。アメ公に何が分かる」

「僕はアメリカではジャップと呼ばれ、日本人にはアメ公と呼ばれている」

ジェイソンがぐったりと地面に横たわった。

チャーリーが石塚に訊いた。

「ここに軍医か衛生兵はいますか」

「ここにはいない。医薬品も無い。助けてやりたいが、な」

「どこかに軍医はいないのですか」

「どこかにいるかも知れないが、我々も知らない」

「水をやって下さい」

「水は貴重だが、仕方ない。澤村、腕の縄を解いて、水をやれ」

ジェイソンは水筒を受け取って、一口、二口と飲んだ。二口で取り上げられた。それでもジェイソンは礼を言った。

「サンクス」

チャーリーが唇をなめ回した。

石塚が澤村一等兵にうなずいた。

チャーリーも縄を解いて貰い、が水筒を受け取って二口飲んで、澤村一等兵に返した。

「貴重な水をありがとうございます」

「貴様はアメリカ人かも知れないが、両親は日本人だろう。それに、両親とは日本語を喋っていたのだろうから言葉も達者だ。顔つきも、どう見ても日本人と変わらない。貴様は我々を敵と考えているのか。貴様の生まれはアメリカか知らんが、貴様の両親の祖国と戦うことに何の疑問も無いのか」

「少尉、あなた方も、ジェイソンは当然ですが、私を敵と考えていますね。日本人の顔をしながら、日本の情報を収集して、英語に翻訳する敵だと考えているのでしょう。日本が真珠湾を攻撃したことで、ハワイや本土の日系人がどれだけ迫害されたか知っていますか。みんな強制収容所に入れられました。日本は、日本人である私の両親などのことを少しも考えず、アメリカに戦争を仕掛けました。日系人に対する差別を無くするために、両親を収容所から出すために、二世は軍に志願して戦っています」

「戦争を仕掛けたのは日本かも知らんが、そう仕向けたのはアメリカだ」

「それは政府同士の問題です。一兵士の僕は、アメリカに忠誠を尽くすしか生きる道はありません。僕個人は、日系人を強制収容したアメリカ政府の政策は誤っていると思っています」

「貴様は自分の国の政府を批判するのか」

そう言って、石塚はジェイソンにタバコを差し出した。

「自分の信じるところを述べただけです」

ジェイソンはタバコを吸う気力もないらしく、首を振った。

石塚は、お前は、と言う目でチャールズを見た。

チャールズは右手を挙げて断った。

「僕は吸いません。日本にも戦争でつらい目に遭っている人は一杯いるでしょう。父親や息子や兄弟を亡くしたりして」

「お国のために、気をつけ、天皇陛下のために死ぬことは名誉だ」

「祖国に命を捧げることは崇高な行為です。しかし、悲しむ人はいるはずです。そんな人たちが、悲しみを表現することはできないのですか」

「そんなことは許されない」

「人間の自然な感情です。そこまで国家は介入できません」

「それがアメリカの自由というものか」

「そこまで大げさに考えなくても、家族が死んだら悲しいし、悲しいと言うだけです。日本には、そのような基本的な自由も無いと言うことですか」

「今は個人の自由より、この戦争に勝つことが重要だ」

「アメリカも戦争に勝ちたいと考えています」

「しかし、最後に勝つのは日本だ」

「日本はミッドウェイ海戦から不利な状況になってきています」

思わず澤村が叫んだ。

「貴様、毛唐の味方をしやがって。そんなはずはない。日本は絶対勝つ」

「確かにあなた方の様に、全滅するまで戦う軍隊は強力です。でもここには、トラックもジープも見あたりません。弾薬や食糧は充分ありますか。さっき、水が貴重だと言ったでしょう」

「大和魂がある」

「アメリカ軍では、死傷率の高い部隊の指揮官は能力が無い、と判断されます。我々には、うまいものではありませんが食糧は欠かさず支給されます。戦闘が終われば、シャワーも浴びます」

「シャワーを浴びて戦争ができるか」

「そうではなくて、戦闘が終わったらシャワーで汗を流すと言うことです」

石塚が澤村をたしなめた。

「澤村、もういい」

ジェイソンが地面に横たわって、荒い呼吸をしている。チャーリーはもう一度、石塚に頼んだ。

「少尉、ジェイソンを何とか救ってやってください。軍医を探して下さい。お願いします。ジェイソンが死んでしまう」

「気の毒だがどうにもならない。軍医は何処にいるか分からんし、生きているかどうかも分からない。しかし、医薬品が無いことだけは確かだ。だからもし軍医を連れてきても、どうにもならないだろう」

「チャーリー、俺は死ぬのか」

「ジェイソン、傷はひどいが大丈夫だ。軍医を頼んでいる」

石塚が訊いた。

「ふたりで何を話した」

「ジェイソンが、僕は死ぬのか、と訊いた。傷はひどいが、軍医を頼んでいると答えた。軍医がいないとは言えなかった」

チャーリーは続けた。

「どうして日本軍は、軍医がいなくて医薬品も食糧も水も充分に無くても戦えるのですか」

澤村が答えた。

「大和魂がある」

「精神力や士気の高さは大切ですが、それに見合った武器や食糧も必要なはずです。どちらか一方だけでは、戦えません」

「大和魂が毛唐の手先に分かってたまるか」

また石塚が澤村をたしなめた。

「澤村、もう止めておけ」

その時、ジェイソンが喉を鳴らして息を吸い込み、吐きだした。そして、もう息を吸わなくなった。

チャーリーがジェイソンのドッグ・タグを首から外して、軍服の胸ポケットに仕舞った。そして、呟いた。

「彼はアメリカ人の義務を果たした」

石塚が訊いた。

「どういう意味だ」

「ジェイソンは国家に忠誠を尽くし、愛する家族を守るために命を捧げた」

「我々もお国のため、気をつけ、天皇陛下のために命を懸けている」

「天皇陛下、、、。どうして、家族でもない人のために命を懸けるのですか。アメリカ人は、大統領のためには命を懸けません」

澤村が叫んだ。

「畏くも、気をつけ、天皇陛下は毛唐の大統領などとは違う」

「アメリカの大統領は選挙で選ばれます。国民が選んだ大統領です。天皇陛下は日本人が選んだのですか」

「貴様、陛下を侮辱するなら、今すぐ撃ち殺すぞ」

澤村が銃を構えた。

「撃つな、澤村」

チャーリーが続けた。

「侮辱していません。知りたいのです。アメリカの日系人には、帰米組という人たちがいます。アメリカに移民して、その後日本で教育を受けたり一時期生活をして、またアメリカに帰った人たちです。そう言う人たちは、少しは日本人の考え方や文化を知っています。でも私は、一度も日本へ行ったことが無いので、日本のことや天皇陛下のことを知らないのです」

石塚が突き放すように言った。

「説明しても貴様に理解できるとは思わん。それより貴様は、そうやって日本人の考え方を理解したり、情報を収集しようとしているのだろう。その手は食わんぞ」

「なるほど、そうか。少尉殿、こんなやつ今すぐ処刑しましょう。どうせアメ公の捕虜にやる水も食糧もありませんから」

「食糧が無いなどと余計なことは言うな、馬鹿者」

「今は私が捕虜ですが、全体の状況としてはアメリカ軍が圧倒的に有利です。アメリカ軍は弾薬も食糧も豊富です。日本軍は弾を一日に一人五発しか支給しないそうですが、それでは戦えません。無益な戦闘を止めて、生き延びて日本に帰って、家族のために働いてはどうですか。それが国家に尽くすことにもなります」

「貴様も間抜けなやつだ。捕虜になっているのは貴様だ。捕虜の貴様が、俺たちに降伏しろと言うのか」

「もちろん直ぐには信じられないかも知れませんが、状況を振り返ってみて下さい。食糧、弾薬もですが、援軍も派遣されないし、燃料も飛行機も船も修理部品も医薬品もすべが不足しているのではありませんか」

石塚が反論した。

「我が国は、そのための資源を手に入れるために東南アジアに進出しているのだ。それをアメリカが邪魔したから、戦争になった。アメリカもヨーロッパもアジアやアフリカを植民地にして、食い物にしているくせに、我が国にはそれを止めろと言う。勝手な言いぐさだ」

「それは分かります。私も有色人種として差別を受けていますから。しかし戦局は、皆さんに非常に不利です。日本軍の全滅は避けたいのです。命を無駄にして欲しくないのです。皆さんに玉砕しろと命令している大本営は、援軍も食糧も送ってきません。撃つ弾も不足しています。でも軍上層部は、ごちそうを腹一杯食べています。部下に玉砕を命じて、自分だけ逃げる司令官もいます」

澤村がチャーリーに銃剣を向けて言った。

「貴様、日本軍を侮辱するのか」

「本当のことです。皆さんが戦い続けると、アメリカ兵にも損害が出ます。アメリカ兵も日本兵も、無駄に死んではいけません。私のような語学兵の任務は、戦闘で敵を殺すことではなく、情報収集や通訳、投降文の作成、投降の呼びかけなどで日本兵の命を救い、アメリカ兵の命を救うことです」

日本兵を説得するために、チャーリーはつい自分の任務を喋ってしまった。

「おまえの言うことは、わからんでもない。理性では、分かるような気もする。しかし、我々はそのような教育を受けていない。育った環境が違うから、正しいかも知れないと思っても完全には理解できないし、納得できない。皇軍は、気をつけ、天皇陛下のために戦う。玉砕も厭わない。捕虜にはならない。七生報国と言う言葉がある。例え死んでも、七回生まれ変わってお国に尽くす、と言う意味だ。それが日本人だ」

石塚が本心を言った。

「私には、どうしてそこまで他人に命をかけられるのかは理解できませんが、日本の兵隊はそのように訓練され教育され、簡単には説得できないことは経験で知っています。ただ、弾が無くなったら、食糧が無くなったら、降伏も考えて下さい。決して恥ではありません。皆さんは最後まで勇敢に戦ったのですから」

「もう我慢できない。くたばれ、毛唐の手先が」

澤村が銃剣で、チャーリーを右後ろから刺し殺した。

澤村は、単純にチャーリーを理解できなかったのだ。日本人の顔をして、両親が日本人で、例え国籍はアメリカでも、日本を敵としてアメリカの軍服を着ているチャーリーに我慢ができなかった。澤村は単純で、ある意味善良な、しかし愚かな日本兵だ。石塚は、これ以上チャーリーと会話を交わすと自分が今まで信じてきたものがぐらつくかも知れないことを、感じていた。また、兵隊達の士気が低下するかも知れないことも感じていた。それで、澤村の行為を咎めなかった。

しかし石塚少尉のどこかに、義務と自由という二つの言葉が残った。

チャーリーは自分や両親への差別を無くすために、文字通り命をかけて戦った。それが日系二世である彼の戦争だった。

彼を殺したのは、澤村の銃剣なのか、アメリカとの戦争を決定した日本という国なのか、日本を戦争に追い込んだアメリカ合衆国なのか、それとも単に人類の愚かさなのか、石塚には分からなかった。


質量分析の原理

「大統領、ウラニウムには、ウラニウム二三四、ウラニウム二三五、ウラニウム二三八などの種類があります。ウラニウム二三四は〇・〇〇六パーセント、ウラニウム二三五は〇・七パーセント、ウラニウム二三八は九九・三パーセントの比率で存在します。

各種ウラニウムの中で、核分裂反応を起こすのはウラニウム二三五だけです。核爆弾を製造するには、ウラニウム二三五とウラニウム二三八を分離する必要があります。つまり、濃度九〇パーセント以上のウラニウム二三五が必要なのです。

ところが、これらウラニウムの化学的性質はほとんど同じであるため、化学的な技術で精製することが困難、または不可能であることが分かってきました。

そこで我が国の核爆弾開発プロジェクトは、各ウラニウムの質量が僅かに違う事に着目して、質量分析という技術を開発しました。

物質は原子でできています。原子は、原子核と電子などでできています。原子核の周りを電子が回っています。あたかも、太陽の周りを地球や火星が回っている様なものです。

原子核はプラスの電荷を持ち、電子はマイナスの電荷を持っています。プラスとマイナスの電荷が同じであれば、電荷同士打ち消しあってプラスでもマイナスでもない、安定的な中性(ニュートラル)な状態です。

ところで電球にはフィラメントと呼ばれる部品があり、それに電流を流すと、発熱し、発光します。同時にフィラメントからは、電子も放出されているのです。それを、熱電子と呼びます。

電球と同じ原理で熱電子を発生させ、それをウラニウム原子に衝突させます。ウラニウム原子の周りを回っている電子が、熱電子衝突のショックで周回軌道から飛び出ます。

するとそのウラニウム原子は、電子を一個失った分だけプラスの電荷が大きいことになります。即ち、陽イオンとなるのです。ウラニウムがイオン化されたのです。

このイオン化はウラニウム以外の余計な原子が存在しないように、高真空の環境下で行います。

陽イオンとなったウラニウムは、マイナスの高電圧で吸引することができます。陽イオンはプラスであり、マイナスの電圧とは互いに引き合うのです。ちょうど磁石のN極とS極が引き合うように。

乾電池の平らな方がマイナス、中心部の出っ張っている方はプラスです。マイナスを基準にすれば、電池の電圧は例えばプラス一・五ボルト、と言うことができます。プラスを基準にすれば、電池の電圧はマイナス一・五ボルト、と言うこともできます。マイナスの電圧とは、そう言う意味なのです。

さて大統領、ここまでで、ウラニウムをイオン化し、電圧で引きつけるところまで説明しました。ここからは、ウラニウム二三八からウラニウム二三五を分離する技術をご説明します。

ウラニウム二三五と二三八は、質量が違います。これを利用するのです。

高電圧でウラニウムイオンを引きつける、即ち、ふわふわ浮いている状態から電極方向へ加速します。イオンは次から次へと、高速で飛んできます。これをイオンビームと呼びます。

イオンビームの飛ぶ軌道を、ビームラインと言います。ビームラインの途中に、電磁石を設置します。

イオンは電圧だけでなく磁力で引きつけたり、反発させたりすることができます。磁石で、このイオンビームを約九〇度曲げます。

すると、高速で直線状に飛んできたイオンは、磁力で曲げられるとき、重いイオンと軽いイオンで、曲がり方に差が出ます。重いイオンは曲がりきれず、軽いイオンより外側に飛びます。軽いイオンが適切な軌道を通るように電磁石の強さを調整すると、重いイオンはそれより外側を通り、そこに遮蔽物を置けば、それ以上先には進めません。

ここで、軽いイオン、即ち二三五と、重いイオン二三八が分離できたのです。化学的な反応による精製ではなく、物理的な分離です。我々はこの技術を、質量分析と名付けました」

「それだけかみ砕いて説明して貰うと、何とか理解できるよ。しかし、質問がある。原子を一つずつイオン化して質量分析して、一〇〇ポンドもの二三五を集められるのか」

「大統領、それはとても良い質問です。確かに、原子一個から始まって一〇〇ポンドのウラニウム二三五を集めるのは、気の遠くなるような作業です。しかし、質量分析装置の数をそろえて、装置の運転に必要な電力を確保できれば必ず成功します。」

「よろしい、我が国の力を信じよう。計画を進めてくれ。事前の実験に一発、実用に予備を含めて二発、つまり合計三発は欲しいな」

「大統領、このウラニウム二三五タイプは濃縮に莫大な電力を必要とし、ウラニウム二三五濃縮に使用した電力を蓄積したものと考えて、その莫大な電力を爆発で一瞬に放出させるようなものです。つまり、エネルギー効率の良いものでありません。これに比して、もうひとつのプルトニウムタイプは極めて効率の良いもので、こちらも二発から三発製造する計画です」

「それができれば、ジャップは終わりだ、な」

ボブ・グラハム大統領が病死し、副大統領から昇格したウォルト・サリバン大統領は、右手で自分の首を切るジェスチャーをした。


九九式双軽操縦者、永友美博曹長

昭和二〇年二月、帝国陸軍、第四航空軍、第七飛行師団、第三飛行団、飛行第七十五戦隊、第三中隊、永友曹長はフィリピンから帰還した。とうとう乗る飛行機が無くなり、内地に取りに来たのだ。本当は昨年一一月には、戦隊に機種改編のための内地帰還大陸命が下っていたが、末期的な現場で、ましてや飛行戦隊、手放すことができず命令が握りつぶされていた。しかし飛行機が無くなってはどうにもならず、やっと帰還となった。

永友は四年ぶりに帰省した。志那に行って以来だ。五尺五寸、十七貫は大男ではないが、飛行帽を被り、飛行服に身を包み、首には絹の白いマフラーを巻き、腰に軍刀を佩いて、航空長靴を履いた永友を見る周囲の目には恐れがあった。戦争中とは言え、新潟の片田舎、亀代村(かめしろむら)で航空兵は極めて珍しい存在であった。

歩兵の二等兵や一等兵ではなく、上等兵でもなく、下士官の最高位、曹長である。が、みんながみんな襟章から階級を知っているわけではない。階級より飛行帽とマフラーで飛行機乗りであることが分かり、軍刀と長靴から兵隊ではなく下士官以上であることが明白だった。飛行機乗りの下士官、もしかすると士官、大人に畏怖を、子供に憧憬を与えるに充分過ぎた。

網代浜(あじろはま)に入ると、さすがに彼の顔を知っている者は多い。永友の家の長男だ、飛行機乗りだ、曹長だ、とひそひそ言う者達がいる。面倒だから聞こえない振りをして、永友は実家の敷居を跨いだ。

樺太で漁船に乗っていた長弟の美明(よしあき)が帰省していた。近く海軍に取られるので、帰ってきたのだという。次弟の美光(よしみつ)は既に陸軍に取られて、満州に居る。美博は徴兵される前に望んで入隊したが、これで永友家の男子三兄弟は全員軍隊に取られることになる。

久しぶりに再会した美博と美明は時間を忘れて、美博が持ち帰ったウィスキーを飲み、かつ語った。これから海軍に入隊する美明は、特に陸軍の生活、戦闘、飛行機について知りたがった。美博は問われるままに答えた。

爆撃機は、戦闘機のような空中戦はできない。運動能力が低いのだ。九九双発軽爆撃機は、その名が示すとおり双発、つまり発動機(エンジン)がふたつあるが、爆弾を運んで落としてくる飛行機で、急上昇や急旋回などが戦闘機には及ばない。

機体前方、後方の上部と下部、合計三丁の旋回機銃を装備しており、射手、爆撃手、無線手で射撃にあたるが、戦闘機との格闘戦はできない。一〇〇キロ爆弾三発を落としてから逃げるにしても、速度でも戦闘機には負ける。

よって通常、爆撃機は戦闘機に護衛させる。敵の戦闘機には、味方の戦闘機が応戦するのだ。

陸軍と海軍は一般に仲が悪いが、時に協力することもある。オーストラリア・ドライスデールの敵飛行場基地を急降下爆撃したときは、海軍のゼロ戦に護衛させた。

しかし、いつも護衛が付くとは限らず、その場合は非常に危険な任務になる。そんな経験も何度もした。

ジャワ島に駐留していた時は、急降下爆撃の際、高射機関砲にやられて、なんとかバンドン付近まで飛んで不時着したことがあった。接地の直前に、翼が電柱を切った。電柱に翼をもぎ取られると思ったが、飛行機の翼は思った以上に強いものだと驚いた。

爆撃機の爆撃方法には、水平爆撃と急降下爆撃がある。水平爆撃は、高高度を水平に飛びながら爆弾を投下するので容易で、対空砲火も回避できるが、飛行高度、飛行速度、爆弾が風に流されることなどにより、爆撃精度が落ちる。

そこで、急降下爆撃が考案された。爆撃目標に向かって急角度で降下し低空で爆弾を落とすので、爆撃精度が高い。六〇度ほどの角度で目標に急降下するが、体感的には真っ直ぐ下に九〇度で落ちていくように感じる。体が浮き上がる様なマイナスGがかかり、低空では対空砲火に曝され、高度七〇〇メートル付近で爆弾を落とし、三〇〇から二〇〇メートルまで降下しながら目標から離脱する。機首を引き起こすときは、人体の限界に近いプラスGがかかる。

ジャワのオランダ人が逃げたあとには、どこの家にもピアノがあることに呆れた。欧州の白人が、アジアの殖民地を搾取して得た豊かさだ。

スマトラでは、マラリアに罹った。空中勤務者には他より良いものを食わせてくれるが、それでも出撃が連続すると疲労して体力が落ち、病気にもなる。

志那の徐州では、支那人俘虜三人を歩いて三日間護送したことがあった。三対一、もし刃向かって来たらやられただろう。眠れなかった。恐ろしかった。殺されるかも知れない、と分かっていても、ふっと一秒か二秒か、それとも五秒ほどもか、寝てしまう。何度も。縛ってあるから、そう簡単には逃げられないし、襲われない、そのはずだが、三対一、何があるか分からない。

人は、死ぬかも知れないと分かっていても、眠ってしまう。一時間食わなくても死なない、と分かっていれば食わない。一時間以内に寝たら死ぬかも知れない、と分かっていても寝てしまう。寝ないのと食わないのでは、寝ない方が短時間で限界が来るようだ。

もしひとりでも逃げようとしたり襲ってきたら、俺はその野郎を撃てただろうか。軍刀で斬れただろうか。飛行機から爆弾は落とせるが、いくらチャンコロでも、目の前の人間を直接撃ったり斬ったりするのは、ぞっとしない。おかしなものだ。戦争だから、やらなければやられることは、骨の髄まで染み込んでいるはずだが。

今だから、そう思うだけか。あの時なら、躊躇無くやれたか。やれたかも知れないし、やっぱりやれなかったかも知れない。それが人間か。

そして、問われないことまでも、ウィスキーが喋らせる。

この時代の人間は、殺されるためにわざわざ生まれてきたのか。俺は、人を殺すためにわざわざ生まれてきたのか。いずれも、下らない人生。

いや、人生を下らなくしたのは国家だな。国家というのは、国民ではなく天皇であり、政治家であり、官僚であり、結局俺のずっと上の陸軍大臣もその一味だ。

九九式双軽は海軍の零戦と同じで防弾が弱く、弾が中ると直ぐに火が着くから、毛唐はジャパニーズライターと呼んでいるとか。ふざけた名前を付けやがって。しかし、軍隊は兵隊の命などなんとも思っていないのは本当だな。

七五戦隊からも特攻を出した。戦隊長が選んだ。内地では、特攻は志願だと報道されているらしいが、嘘っぱちだ。俺は飛行機が無くなって内地に取りに戻ったが、今、内地にも飛行機が無い。あれば、もう爆撃の為の出撃ではなく、特攻にやらされるかも知れない。

特攻から何度も帰ってきた奴がいるという話を聞いたことがある。爆撃に行く覚悟と特攻に行く覚悟は、天と地ほども違う。爆撃は一〇機行って、九機戻ってくるか、八機戻ってくるか、自分が戻る方に入るか、墜とされる方に入るかだ。特攻は、一〇機行ったら、一機も戻ってこない。発動機がおかしくて、引き返す事はあるかも知れないが。

特攻で死ぬ覚悟をして、発動機の故障で引き返したら、また一から死ぬ覚悟のやり直しだ。行くのも引き返すのも、どっちも地獄だ。

特攻から何度も帰ってきた奴は、最初から突っ込むつもりが無くて、急降下爆撃して帰ってきたのか。特攻は、形は志願、実際は強制、それを撥ね返すことは、軍隊では死ぬことと同じだけの覚悟が要るかも知れない。

死ぬ覚悟と生きる覚悟、敵艦に突入する勇気と味方基地に帰ってくる勇気。俺は死ぬ覚悟をしたことは無いが、味方基地に帰ってくる覚悟ができるか、勇気を持てるか分からない。俺は、分からない。

通常の出撃も命懸けだが、命を捨てる特攻とは根本的に違う。生きて帰れる可能性が行く前からゼロ、というのは急降下爆撃よりはるかに恐ろしい。直ぐ火が着くライターでも、爆撃なら絶対帰れないわけではない。俺は何十回も出撃して、生きて帰ってきた。特攻はバカの考える事だ。やらされた奴はかわいそうだ。

それに、命をあずけてきた飛行機も壊してしまうのはかわいそうだ。自分の飛行機というものは無くて、出撃毎の搭乗区分で乗る飛行機が決まるが、それでも飛行機乗りに飛行機は相棒だ。発動機は調子良く回れよ、機体は敵の弾に中るなよ、機銃は、敵に中れよ、うまいこと着陸しろよ、そう言いながら乗ってきた、乗せて貰った相棒だ。

調子が悪くなったり弾が中ったら、整備兵に完全に修理させてやるぞ、悪いところがあったら離陸する前に言えよ、そう思いながら一緒に戦った戦友だ。自分の飛行機を信じて乗っている。

一機一五万円の飛行機で一艦二〇〇〇万円の敵の戦艦を特攻でやれば釣りが来るとは言え、自分の飛行機は壊したくないものだ。

そして言った。「やっと飛べるようになっただけの、実戦経験どころか訓練さえ不足の操縦者を、重い爆弾を付けた性能の悪い残り物の飛行機に乗せて特攻にやるようでは、もうこの戦争はだめだから、お前は外地に行かないように、入隊したあとの教育訓練では馬鹿のふりをしていろ。今の軍隊の上はうすら馬鹿ばかりだから、ちょうど良い。生き残って、戦争が終わったら母親を見てやれ」


ドイツ・ナチスに勝るアメリカの蛮行

質量分析の説明から八ヶ月後、ウォルト・サリバン大統領が国防会議を招集して、メンバーに告げた。

「諸君、原子爆弾が遂に完成したと報告があった。三発だ。爆発実験は六週間後だ。データ収集機材の準備に六週間必要だ。収集したデータの解析に四週間。つまり、一〇週間後には実証実験が可能となる」

ボブ・チャンバレン国務長官が質問した。

「大統領、実証実験とは」

「爆発実験は、ニューメキシコの爆撃演習場で行われる。砂漠での単なる爆発実験だ。実証実験は、市街地で行う。兵器としての有効性を実証するのだ」

「つまり、建造物に対する破壊力を確認すると」

「プラス、殺傷力も確認する」

「爆撃目標は」

トム・ステファン国防長官が、大統領に代わって回答した。

「広島です。広島は軍事的にジャップにとって重要な都市ですからね」

ドン・バークマン海兵隊総司令官が懸念を示した。

「軍需工場や軍港はあるだろうが、民間人にも多くの犠牲者が出るのでは。それに、爆発後も放射線による生物への影響があると聞いていますが」

スティーブ・ウォーターズ統合参謀本部議長が答えた。

「合衆国将兵の命とジャップの命とどっちが大事だ。この爆弾によって戦争終結が早まれば、我が国兵士の多くの犠牲を回避できる。ついでに言えば、戦争終結によってジャップの兵士も救われることになる。原子爆弾の使用は、合理的な判断だ」

デニス・ワグナー海軍作戦部長が引き取って言った。

「ロシアに対する牽制効果も大きい。ロシアはアジア・太平洋(パシフィック)では汗を流さずに、日本を分割統治することを狙っている」

ビル・シュミット空軍参謀総長が誰にともなく言った。

「広島の人口と、想定される死者数は」

「それは、作戦本部で調査、計算しているだろう。結論として、一〇週間後に広島を目標に、人類最初の原子爆弾の実証実験を行う。目的は、戦争の早期終結による双方兵士及び日本の民間人犠牲者を最小限にとどめること、ロシアに原子爆弾の破壊力をデモンストレーションすることだ」

大統領が締めくくった。

「加えて、実証実験は天候の良い日を選びます。撮影によるデータ収集のためです。戦争終結後は、市街地の破壊度及び市民の死傷率、生存者の熱線、衝撃波、つまり爆風及び放射線によるダメージを調査する予定です」

トム・ステファンが補足した。

「大統領は、原子爆弾の製造が間に合っていれば、ドイツやイタリアには使用しましたか。つまり、戦争の早期終結という目的のために」

ビル・シュミットが再び疑問を口にした。

「君の質問の意図が分からない」

ウォルト・サリバンが、むっとして言った。

「つまり、有色人種だから原子爆弾を使用するということですか」

「だとしたら、どうだと言うのだ」

「議事録に記録しておいて戴きたい」

「君はドイツ系移民だから、ドイツの同盟国であるジャップに同情的なのか」

「三代も前の移民で、祖父の代からアメリカ人です。私はただ、人類最初の原子爆弾がどのような理由で使用されたか、真実を未来に残したいだけです」

「君は原子爆弾の使用に反対なのか」

「消極的賛成です。我が国将兵の命を救うためにはやむを得ません。通常爆弾では、まだ数ヶ月も、あるいは一年以上も戦争終結が遅れるかも知れませんから」

「よろしい。その発言も記録しておこう」


一九四五年八月六日、広島でウラニウム二三五を使用した原子爆弾の実証実験が行われた。死傷者は二〇〇,〇〇〇人前後と推定された。

日本政府は、スイス政府経由でアメリカ政府に抗議を行った。軍事目標に限定せず市街地を破壊し、非戦闘員を殺傷し、戦時国際法に違反する残虐行為は人類文化に対する新たなる罪悪であるとして、帝国政府はここに自からの名において、かつまた全人類および文明の名において米国政府を糺彈する、というものである。

もちろん帝国陸軍関東軍七三一部隊が、満州で行った生物兵器、化学兵器の研究や人体実験はおくびにも出さなかった。

広島が原子爆弾で破壊された後も、天皇と日本政府及び軍部は戦争を継続した。

八月九日、長崎がプルトニウムを使用した二発目の原子爆弾で破壊された。死傷者は一五〇,〇〇〇人前後と推定された。

人類史上、唯一白人に楯突いた有色人種の国に、その罰として四日間に二発の原子爆弾が使用された。

八月一五日、黄色人種の国の天皇は、やっと戦争の終結をラジオで放送した。


大谷幸平、新聞記者

「お父さん、そろそろ始まるよ。重大発表というのは何だろう」

一(はじめ)はラジオのスイッチを入れて父を呼んだ。母も弟も家族全員がラジオの前に集まった。

その放送は正午に始まった。放送局の放送員が、聴取者に起立を要求した。大東亜速報記者大谷幸平、妻道代、長男一(はじめ)、次男二三(つぎぞう)の一家四人はラジオの前に立った。

放送局の総裁が、勅語を天皇自身が朗読する、と言った。君が代の後に天皇による勅語の朗読が始まった。

『朕(ちん)深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑(かんがみ)ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾(しゅうしゅう)セムト欲シ茲(ここ)ニ忠良ナル爾(なんじ)臣民(しんみん)ニ告ク』

日本で初めて、天皇の声がラジオで放送された。何かを発表するらしい。時局を収拾する、とは、戦争に関する事だろうか。

『朕ハ帝國(ていこく)政府ヲシテ米英支蘇(べいえいしそ)四國(しこく)ニ對(たい)シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ』

日本政府に、米国、英国、支那(しな)、蘇連(それん)の四カ国に対して、彼らの共同宣言を受諾するように指示したという。

『抑々(そもそも)帝國臣民ノ康寧(こうねい)ヲ圖(はか)リ萬邦共榮(ばんぽうきょうえい)ノ樂(たのしみ)ヲ偕(とも)ニスルハ皇祖皇宗(こうそこうそう)ノ遣範(いはん)ニシテ朕ノ拳々(けんけん)措(お)カサル所(ところ)曩(さき)ニ米英二國ニ宣戦セル所以(ゆえん)モ亦(また)實(じつ)ニ帝國ノ自存(じそん)ト東亜(とうあ)ノ安定トヲ庶幾(しょき)スルニ出(いで)テ他國ノ主權(しゅけん)ヲ排シ領土ヲ侵カス如(ごと)キハ固(もと)ヨリ朕カ志(こころざし)ニアラス』

道代、一、二三には、奇妙な抑揚と難解な単語、特殊な言い回しのため、非常に理解しにくい。幸平は新聞記者という職業柄、ほとんど理解できる。

勅語の朗読が終わって、幸平が言った。

「戦争が終わったようだ。共同宣言の受諾とはそう言うことだ」

道代が聞き返した。

「戦争が終わったんですか」

「そうだ」

「もう空襲は無いんですね」

「そうだ」

一が訊いた。

「要するに、負けたんだね」

「そういうことだ」

二三が訊いた。

「本当に日本が負けたの」

「負けたんだ」

しばらく誰も何も言わなかった。

道代が思い付いたように言った。

「これからどうなるんでしょう。食糧の配給は増えるのかしら」

一が続いた。

「それより、アメリカ軍が来たら日本はどうなるんだろう、お父さん」

二人に幸平が答えた。

「食糧は急には増えないだろう。戦地から兵隊が帰ってきて、配給は返って減るかも知れない。あるいは、アメリカから食糧援助があるかも知れない。しかし、世の中は何もかも変わるような気がする。アメリカが日本を変えると思う」

一が言った。

「お父さん、日本も自身で変わるべきじゃないかな」

「どういう意味だ」

「食糧も何もかも無くなるまで、最後に新型爆弾が落とされるまで戦争を続けたり、いつだったか話したように大本営が嘘の戦局発表をしたり、何か自分の考えを人前で言うと特高に捕まったり、戦争という非常時とはいえ、非常を通り越して異常だったと思う。もっと人間らしい生活ができる国に、それを当然と思う人間に変わっていくべきだと思う」

二三が言った。

「僕は戦争に負けて、なんだかがっくりきたよ。どうしてかはっきり分からないけど、胸に穴が空いたような、そんな気がする」

「二三、あれだけ戦争のために何もかも犠牲にさせられてきたから、いきなり戦争から解放されて、そういう気持ちになっているんだろう。父さんもだ。もう少ししたら、ホッとするだろうし、空襲で死ななくても良くなったことに安心するだろう」


戦争裁判

一九四六年一月、連合国軍最高司令官総司令部(ジェネラル・ヘッド・クォーター)が、日本の戦争指導者を法廷で裁くと発表した。これはポツダム宣言の第一〇項を執行するものであるという。第一〇項は以下の通りである。

『我々の意図は、日本の民族を奴隷とすること、あるいは日本の国家を破壊することではなく、厳格な正義をもって、捕虜に対して残虐な行為を行った者を含む全ての戦争犯罪人を厳罰に処す事である。日本政府は、日本人の民主主義的傾向の復活と強化に対するあらゆる障害を取り除かなければならない。言論、信教、そして思想の自由、さらに基本的人権の尊重を確立しなければならない』

前半分は即ち、連合国軍の捕虜を虐待した前線の将兵と、戦争を指導した軍や政府の首脳を裁くというものである。

日本はこのポツダム宣言を受諾した為、従う義務がある。さらに、降伏文書においても以下の一文がある。

『下名(かめい)ハ茲(ここ)ニ「ポツダム」宣言ノ条項ヲ誠実ニ履行スルコト竝(ならび)ニ右宣言ヲ実施スル為聯合国最高司令官又ハ其ノ他特定ノ聯合国代表者ガ要求スルコトアルベキ一切ノ命令ヲ発シ且(かつ)斯(かか)ル一切ノ措置ヲ執ルコトヲ天皇、日本国政府及其(そ)ノ後継者ノ為ニ約ス』

ポツダム宣言の条項を誠実に履行する、と明記してあるところからも、日本は戦争犯罪人及び捕虜虐待将兵の裁判は受け入れざるを得なかった。


ジテッシ・メタ、インド人判事

幸平が一(はじめ)に説明した。

「しかし、総司令部(GHQ)にとっても日本にとっても、思わぬ反論が出現した。何だと思う。二三(つぎぞう)も考えてみなさい」

一が答えた。

「戦争に負けたんだから、何をされても文句は言えないでしょう。向こうから見たら、敵の責任者に罰を与えるのは当然の考えだと思う」

そして、二三が答えた。

「捕虜の虐待と言うけど、敵だったんだからお客さま扱いはできないと思う。当然のことじゃないかな。捕虜になることを恥としないで、捕虜を虐待したことが悪いというのはおかしいね」

「ふたりとも、当然の考え方だ。というより、普通の日本人ならみんなそう思うだろうな。でも、世界にはいろいろな考え方がある。いや、世界の考え方と言うより、法律的な考え方と言った方が良いか」

一が訊いた。

「どういうことですか、お父さん」

「まず、戦争自体は犯罪ではない、と言うことだ。となると、犯罪ではないことを裁くというのはおかしな事になる。裁く根拠となる法律が無いのだから。

それに、日本にも勝てば官軍という言葉があるように、勝った方が正しいということになる。だから、戦勝国が敗戦国を公正に裁けるはずはない。

お父さんは、これからは大本営ではなく総司令部の取材を担当するから、おまえ達にも分かったことを教えてやるよ。もう特高に怯えることも無いからな」

幸平は続けて、次のようにふたりに説明した。

インドのジテッシ・メタ判事が、戦争裁判に対する意見書を総司令部に提出した。意見書は、告訴されている戦争犯罪の容疑者は全員無罪である、と主張するものだった。

その根拠は、戦争そのものを禁じる国際法が存在しない、存在しない法律によって、誰をも起訴したり裁く事はできない、そもそも戦争は外交手段のひとつとして国家に容認された権利である、国家が生存するためには、戦争を選択することもできる、一旦戦争を始めたら、勝つために戦争を指導するのは軍幹部や国家首脳の義務である、国際法で定める罪は存在せず、それを軍事法廷で裁く事は違法である、というものだ。

即ち、戦争中に存在しなかった法律を戦後に新たに策定して、事後法によって裁く事は遡及裁判であり、違法である、というのだ。

戦勝国は敗戦国を公正に裁けるはずもなく、法の下の平等が保証されない、とも言う。

起訴された容疑者は、日本国内において戦争を指導したものであり、前線において捕虜を虐待したり、虐待するように指示を下したものではない。従って、責任は無い。

日本軍が捕虜や志那人などに残虐な行為を犯したことは疑いも無いが、となると、民間人を多量に無差別に殺傷したアメリカ軍の日本各都市市街地爆撃や、広島及び長崎への原子爆弾の使用に対して、アメリカ合衆国大統領や軍幹部も裁かれるべきである。

原子爆弾の使用は、ナチスのホロコーストに匹敵する残虐行為である、とも言う。

一が驚いて言った。

「戦争を行うのは国家の権利ということか。そんなこと初めて知った。戦争は犯罪ではないけど、戦争とは言え捕虜や民間人に対する残虐な行為を行った当事者は裁かれるべきだと言うことだね。インドは未開の国だと思っていたけど、ジテッシ・メタという判事はものすごく進歩的というか理性的だね」

「インドが未開の国だと思うことは、東南アジアを支配しようとした日本が同じアジアを見下していることに通じるし、逆にアメリカが、黄色人種の国日本に原子爆弾を落としたことにも通じるだろう。つまりは人種差別だ」

幸平が一を戒めた。

「人種差別という意識は無いけど、何となくアジアでは日本が一番進んでいて、志那も朝鮮も東南アジアも遅れていると思っていた」

「科学技術や経済的には遅れていることは確かだ。しかし、それを人種差別の理由にしてはいけないだろう。差別する方は気にしないが、差別される方はつらい。アメリカ人は、日本に原子爆弾を落としたことをそれほど気にしていないだろう」

「それはひどい」

「それと同じようなひどいことを、日本はアジアに対してやってきたのだ」

二三が言った。

「でも、ヨーロッパもアメリカも植民地政策を実施してきたんだから、日本だけが悪いとは言えないと思う。アメリカはインディアンを殺して、追い出して、居留地に押し込めて、アフリカから黒人を奴隷として輸入して、家畜のように使ってきたんだから」

幸平が二三を諭した。

「みんながやれば、悪いことは悪いことではなくなる、と言うものではないだろう。みんなが盗むから、自分も盗む、のか」

「そうじゃないけど。でも、石油や資源の無い日本は、戦争以外にどうすれば良かったの、お父さん」

「分からない。戦争をしなければどうなっていたのかは、分からない。かといって、そう簡単に戦争を認めることもできない。人が大勢殺されたし、財産を無くした人も多い。まだシベリアに抑留されていて、いつ内地に帰れるか分からない人もいる」


エバート・バン・デ・ベン、オランダ人判事

オランダからエバート・バン・デ・ベン判事が、戦争裁判のために日本に赴任して来ていた。彼は当初、いわゆる戦勝国の判事の考え方であったが、インドのジテッシ・メタ判事の意見に影響を受け、同調するようになった。そして次の三つの論点で、裁判に反対した。

戦争終結後に戦勝国が新たに法律を定めて、敗戦国に適用する事は許されない。

国際法に拠らずに、戦勝国の最高司令官が定めた法規を運用することは、国際法を無視する行為である。

共産主義の脅威が戦争のひとつの原因であることを日本に立証させないのは、アンフェアである。

一が感心して言った。

「戦争に負けてどうなってしまうのかと思っていたけど、世界には人間の良心というものがあったんだね、お父さん」

「世界には、残虐なことを平気でする人間もいれば、自分の国の政府に楯突くことになっても自分の信じるところを発表する人間もいる。戦争をする愚かな人類も、捨てたものではないかも知れないな」


五人のアメリカ人弁護士

「一、二三、また日本に味方しようという人が現れた。今度は直接の敵国だったアメリカの弁護士だ」

大谷は、今日の取材内容をふたりの息子に話して聞かせた。

この裁判の不当性を最も理性的に表現したのは、アメリカ合衆国から来た五人の弁護士の動議だった。

日本側弁護人から、国際法や欧米法規に精通した法廷戦術に優れた欧米の弁護士も必要である、との強い要求が法廷に提出され、裁判長はアメリカから二五人の弁護士を派遣することを許可した。そのうちの五人が、次のような動議を提出した。

中立国ではなく戦勝国による裁判は、公正ではない。

戦争に関する国際法が存在することは、戦争が合法である証拠である。

個人には、戦争責任は問えない。

国際法は、国家に対して適用されるものである。

戦争は合法的であるから、戦争による殺人は罪にならない。

もし、真珠湾攻撃が殺人罪なら、我々は原子爆弾を投下した者の名をここで挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も明白であり、その国の元首の名も明白である。しかし、彼らはそれを殺人行為と認識していない。自分たちの行為が正義であり、敵の行為が不正義であるのではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。

何の罪科で、如何なる証拠で、戦争による殺人が違法なのか。

原爆を投下した者がいる。その投下を計画し実行を命じ、それを黙認した者がいる。その人たちが裁こうとしているのが、この裁判である。


二三が不思議そうに言った。

「日本人はみんな鬼畜米英と言って憎んでいたけど、アメリカ人には日本人を憎んでいない人もいたって事かな」

「そう単純ではなく、彼らは法律論としてそう述べたが、息子を日本軍に殺された者もいるかも知れない」

「それなら尚のこと、どうしてあんなに日本を弁護できるのかな」

「理性と感情を別にすることができるのかも知れない。日本でも、罪を憎んで人を憎まず、と言うだろう。尤も、これは孔子の言葉らしいが」


幸平は、戦争裁判のためにアメリカから日本に来た五人の弁護士の動議を記事にした。

アメリカから二五人の弁護士が派遣された報道されても、それは、戦争裁判は公正な裁判であると見せかけるための偽装にすぎない、と日本人の誰もが思っていた。

弁護士の派遣を許可した最高司令官も、戦争裁判の検事も判事もそう思っていた。

アメリカ人のほとんども、そう思っていた。

誰が、昨日までの敵国の指導者を本気で弁護すると考えただろう。

そのような世論に、幸平の記事はショックを与えた。一般の日本人は、このような弁護士の存在するアメリカという国が、自分たちの政府が宣伝してきたアメリカという国と全く違う、ということに衝撃を受けた。

想像力のある日本人は、これが逆の立場で、日本が勝ってアメリカを裁くとき、日本人弁護士はこれだけアメリカ人容疑者を弁護できるだろうかと考え、決してできないと結論し、アメリカという国の懐の深さに愕然とした。

アメリカの新聞には、原子爆弾に言及したことについて、五人の弁護士には国家への忠誠心が不足している、と論評したものも多かった。

その記事を知った日本の新聞各紙は、五人の弁護士が原子爆弾について述べたことにどれだけの勇気を必要としたかを初めて知り、再び彼らを賞賛する記事をこぞって掲載した。

連合国軍最高司令官ダン・モーガンが呟いた。

「全く信じがたい(アン・ファッキング・ベリーバブル)」

その一言は、自分が派遣を許可した五人の弁護士が法廷に提出した動議と、それを掲載した日本の新聞社に対してであった。


道代、一、それに二三の三人を前にして、幸平が言った。

「父さんは、戦争裁判に反対する広報活動をうちの新聞でやるように、提案してみようと思う。インドやオランダの判事やアメリカの弁護士が、あそこまで言ってくれているんだ。日本人が黙っているのは、申し訳が立たない。そうだろう」

一が言った。

「アメリカという国は、鬼畜米英と言っていたけど、鬼畜ではなさそうだね。確かに戦争をした敵国ではあったけど、あんな弁護をしてくれる人もいるというのは信じられないくらいだ」

二三はまだ疑っていた。

「でも、裁判の結果を見ないと分からないと思う」

「二三のように考えている日本人も多いと思う。そうかも知れない。ただ、ここから一歩進めれば、戦争裁判を拒否する世論を、国際世論を起こせれば、と考えられないか。このまま戦勝国に戦争裁判をやらせるのではなく、国際的にこの戦争裁判は誤りであると認めさせ、裁判ができないようにするんだ」

家庭内でも自分の意見を述べない道代が、珍しく言った。

「それじゃ、あなた、戦争をした人たちは本当に何の罪も無い、と言うことですか。兵隊になった息子を殺され、夫を殺され、空襲で親を殺され、子供を殺され、財産を無くした人たちが沢山います。原子爆弾では何十万人も死んで、放射線による後遺症はいつまで続くか分からないとも言っています」

「いや、戦争指導者に罪はある。日本人に対する罪、アジア人に対する罪はある。それを戦勝国に裁かせるのではなく、日本人自身が裁くようにする。できるなら、蘇連の参戦やアメリカの軍事目標以外の市街地空襲、もちろん原子爆弾の使用も含めて、相手国の非も問う。天皇の責任も確認しなければならない」

「えっ、天皇様の責任」

「天皇は軍に利用されただけなのか、それ以上の責任があるのか。あるいは、利用されただけとしても、利用されたことに対する責任があるのか。何しろ神とまで崇め奉られたのだから、その立場において、例え利用されただけとしても全く責任が無いとして良いのか、少なくても日本人は検証する必要はある。そして天皇には、検証を受ける義務がある」

「父さん、本気ですか。本当にそんなことができるの」

「本気だ。但し、できるかどうかはやってみなければ分からない。戦争中、大本営発表を、おかしいと思いながらそのまま記事にしてきた罪滅ぼしだ。これからは総司令部(GHQ)の検閲もあるかも知れないから、何処まで自由に記事が書けるかは分からないが、とにかくできるだけはやってみる」

「あなた、そんな、進駐軍に逆らうようなことをして大丈夫ですか」

「だから、あのアメリカ人弁護士が正義のために、日本のために、あそこまで勇気を奮ってくれたのだから、日本人が日本のためにやらないでどうする。賛同してくれる日本人は一杯いると思う」


大東亜速報は、幸平の提案した広報活動に社を挙げて取り組むことにした。原則は、言論に絶対的な中立は無いことを認識し、良心に恥じない記事だけを掲載する、というものである。

社主の意見もあるだろうし、編集責任者の方針もあるだろうし、記事を書いた記者の意志もある。営業からの、発行部数への影響に対する判断もある。日本の国益もあり、総司令部(GHQ)の意向もある。アジア各国の思惑もある。国際世論もある。その中で、惑わず、偏らず、中立的思想を貫く事は不可能でも、良心を羅針盤として未来に恥じない記事で広報活動を実行するのが社の進むべき道、と決まった。

そして、紙名及び社名を大東亜速報からアジア速報に変えた。

もともと不偏不党など絵に描いた餅で、それを実現すること、そうであると判定することは不可能である。

また、偏っていないことが絶対的に良い、とは限らない。むしろ権力側に偏っていることは、最も危険な状況である。

だから、各紙が独自の意見を持ち、読者が選択することが健康的である。

あるいは、アジア速報のように中立は不可能と認めて、良心を基準に記事を書くという方法もある。


ダン・モーガン、元帥

連合国軍最高司令官ダン・モーガン元帥は、怒りのあまりコーン・パイプの吸い口を噛みつぶした。アジア速報のキャンペーンが許せないのだ。

彼は、日本軍にフィリピンから追い出された屈辱を抱えていた。一九四二年三月、『私は必ず戻ってくる(アイ・シャル・リターン)』と言い捨ててフィリピンを逃げたのだ。そして、二年半後に確かにフィリピンへ戻った。しかし、日本軍に恥をかかされたという恨みを、忘れてはいなかった。

そこで彼は、極東国際軍事裁判所条例を布告して、戦争裁判によって日本軍に復讐をしようとしているのだ。

「糞ったれ(ブルシット)。確かに極東国際軍事裁判所条例は、国際法ではない。それに、事後法だ。だからどうだと言うんだ。こっちは戦勝国だ。しかも、おまえ達は黄色い猿だ。パール・ハーバーを奇襲したくせに、生意気なことを書きやがって。

ディビッド、アジア速報は一週間の業務停止だ。理由は報道規則(プレスコード)違反」

最高司令官ダン・モーガン元帥は、副官のディビッド・キャンベルに命令を伝えた。

モーガンは日本に民主主義を復活させる、育てる、と言いながら、出版に対して検閲を実施している。

アジア速報の戦争裁判に関する記事は、概ね好評だ。他の全国紙も地方紙の多くも同じような論調で、GHQや戦争裁判を批判した。

大衆はGHQに遠慮してか、記事には好意的な反響はあるが、世論の急激な高まりとまでは行かない。

モーガンは次々と新聞、雑誌にプレスコード違反で、出版停止を食わせた。論調によって短いもので一日、長いもので一週間の出版停止であるが、複数の新聞、雑誌の出版停止は異常事態だ。

副官のディビット・キャンベルがモーガンに進言した。

「元帥(ジェネラル)、余りにプレスコードを振り回すと、逆効果となりかねません」

しかし、その進言は遅すぎた。モーガンの各紙誌への出版停止命令は、逆に大衆の目を覚ました。

日本は、世界で最も文盲率の低い国である。遅かれ早かれ、大衆はGHQの不条理に気づいたはずである。大衆は、戦争中に日本軍に押さえつけられていた鬱憤を米軍に晴らすように、意見を持ち始めた。


相木繁史、画家

戦争が終わり、画家の相木繁史はまた絵を描き始めようと思っていた。絵の具もキャンバスも無いが、鉛筆で紙に描いても良い。軍に強制されない自由な絵なら、描きたい。戦争の悲惨を絵で表現したい。戦争中は軍や特高が怖くて沈黙していたが、描けるなら描きたいと思った。

相木は画家の友人、知人、さらには戦争に協力しなかったことで自分を排斥した画壇に、また若い頃フランスで絵を学んでいた頃の各国の友人たちに、手紙を書いた。

『私はこの戦争中に一旦筆を折っていましたが、再び絵を描く決心をしました。戦争中に私にできたことは、海軍からの戦争画の依頼を、尤もらしい理由を付けて断ることだけでした。軍や特高が恐ろしくて、正面切って断るだけの勇気はありませんでした。恥ずかしいことに、芸術に殉ずるというまでには自分の作品に自信を持てませんでした。

そして、今このような文章を書く事の恥ずかしさも顧みず、皆さんにお願いを申し上げるものです。戦争に反対する絵画を描いて、発表して下さい。

戦争が終わってから、今更何を、と思われるでしょう。確かにその通りですが、この度の戦争を記録し、未来に戦争が起こることを防止するために、です。日本の戦争だけではありません。きっと戦争は、また世界のどこかで起きるでしょう。それに、少しでも障碍になる事に、皆さんの絵は、芸術は、役立つはずです。

戦争や政治からはもちろん、宗教からさえも、美術や芸術は独立して存在すべきです。戦争や政治に蹂躙された分だけでも、復讐しませんか。今度は、戦争に反対するのです。

聖戦美術展、海戦美術展、航空美術展、大東亜戦争美術展などに出品された方もおられるでしょう。純粋な美術としての価値と国策に従ったことは別個である、という理解もありましょう。しかしその作品に、僅かでも政府や軍の求めに応じて描いた部分があるとしたら、今度の作品は、自らの良心の求めだけに応じて描いてみませんか。

日本が蹂躙したアジア大陸の痛み、アメリカによってもたらされた東京大空襲や広島、長崎の原子爆弾の被害、日本軍や英米軍の悲惨な戦闘など、敵であるとか味方であるとかはもう関係なく、自由に描くのです。

絵の具も筆も充分ではありません。食糧さえも不足しています。それでも、だからこそ、二度と戦争をしない、戦争を起こさない為に、戦争反対の絵を描いて発表して戴きたいのです。

軍が怖いときは首を引っ込めていて、軍が無くなったら大きな事を言うのか、という意見もあるでしょう。その通りです。開き直りと思われても仕方ありませんが、私は命を懸けてまで戦争に反対はできませんでした。

祖国をナチス・ドイツから解放しようと命を懸けたフランスのレジスタンス、日本の侵略に命を懸けて戦った志那の人民解放軍などから見れば、私は臆病な画家に過ぎません。これからも変わらないでしょう。

唯私は、私のできる範囲で、戦争に反対したいと考えています。今になってですが、できることをやりたいと考えています。そして、共鳴してくれる友人がひとりでもいてくれれば、と思っています。

私は自分に、あの戦争に反対しなかった、という罪があると考えています』

相木の手紙には、賛成する返信、今更と非難する返信、無視するというものも含めて種々の反応があった。

相木の手紙は大谷幸平のアジア速報に掲載され、市民からもあらゆる反響があった。


柴原清義、小説家

文壇にも、相木のように考える者がいた。硫黄島で九死に一生を得た、柴原清義(きよし)である。

彼はむしろ自分の地位を固めるために軍に協力した、という過去がある。そして軍への協力である程度の地位を固めた、とも思っている。今ここで正反対の事をすると、まだ危うい地位が崩れ去るかも知れない、という恐怖はある。

それでも今度は、地位を固めるためではなく、地位を失ってもいい、という覚悟で戦争責任の追及を行う決心をした。

柴原は陸軍に従軍し、クアラルンプールの勝ち戦と硫黄島の負け戦を見て、メモを残してきた。軍の目が怖くて書けなかった事実を、記録している。それにまだ、記憶も新鮮だ。

特に硫黄島でのでき事は、信じられないものだった。飲み水が無く、そのために兵隊が上官を撃とうとしたのだ。戦争をやる以前に、飲み水が無い。水も無いのに、弾も無いのに、食うものも無いのに、戦争をやれと言う大本営の命令を体験してきた。

その頃から柴原に、戦争に対する疑問が湧いてきたのだ。

戦争そのものに対する疑問、日本軍というもの、特に大本営に対する疑問、天皇に対する疑問、政府に対する疑問、アメリカに対する疑問、自分自身に対する疑問。ありとあらゆる事を疑ってみた。

正義は科学の実験のように、誰が何処で行っても条件をそろえれば同じ結果になる、というものではない。何が正しいのかは、時代によって、立場によって違う。絶対的な恒久的な正義、というものは存在しない。しかし、自分のできる範囲で、理性と良心の及ぶ限りの正義を探して、小説で社会に提示してみようと思った。

柴原は、帝国陸軍がマレー半島クアラルンプールの英軍を攻撃、撃破、占領した戦闘を、従軍したときのメモを元に再度小説にした。軍の依頼に応じて書いた戦意高揚小説とは違う、戦争の真実、兵隊の真実、現地民の真実を書いた。

英国の植民地であったクアラルンプールに日本軍が進攻したことによる戦闘、現地民の被害と苦痛、英軍と日本軍の戦闘の悲惨さと虚しさを書いた。現地民と英軍と日本軍の、得たものと失ったものを書いた。得たものは哀しみと苦しみとそして絶望であり、失ったものは命と愛と財産であった。

結局現地民にとっては、英国の支配が日本の支配に代わり、日本の敗戦によって、また英国の支配に戻っただけの事だった。無意味な事の為に、大量の血が流れただけだった。大東亜の共栄など、まやかしだった。

硫黄島の戦いは、日米双方にとって過酷なものだった。何よりも柴原自身が死に直面した。生まれて初めて、自身の現実的な死を考えた。その時初めて、戦争は殺したり殺されたりすることだと、本当に知った。それまでは、戦争は勝たなければならないものだ、とだけ考えていた。

自分が死ぬかも知れない状況におかれて、初めて戦争を本気で考え、死にたくないと思い、戦争はやってはいけないものだ、と気づいた。

柴原は非常に運が良く、かろうじて死を免れた。負傷はしたが、米軍の捕虜になった。捕虜になったことで、生き延びることができた。柴原は兵隊ではないので、俘虜の不名誉を考えることはなかった。命が助かったあとは、ひたすら内地に帰ることを願った。

米軍の中には、敵愾心を隠さない者もいた。英語は分からないが、殺してしまえと言っているような者もいた様だった。そこまで行かなくても、差別的な者は多くいた。

しかし中には、紳士的な者もいた。兵隊ではないが、命を懸けて従軍していた小説家と分かって、士官待遇ではないが、何かと気を遣ってくれる者もいた。

捕虜になることは恥ではなかった。命は保護された。日系語学兵によれば、柴原は勇敢であると考えているアメリカ兵もいる、と言うことだった。

負傷には、手当をしてくれた。

日本軍は支給してくれなかった食糧も、支給してくれた。兵隊が戦闘時に携帯する携行食糧もあったが、スープなどの調理した食事が提供されることもあった。携行食糧でさえも充分な量があり、タバコまで付属していた。調理した食事は食べ放題、コーヒーもデザートさえも付くことがあった。

兵隊たちは夕方、シャワーを浴びていた。日本軍は飲む水さえ無かったが、アメリカ軍は汗を流す水さえ持ち込んでいた。考えてみれば、水にこれだけ贅沢ができるということは、武器や弾薬はいくらでもあったと言うことだ。

日本軍とアメリカ軍の兵隊の能力に差が無いとしても、武器や弾薬の量にはとてつもない差があった。性能が同等でも、量が少なくては勝てない。大和魂は、弾の代わりにはならない。大和魂では、腹はふくれない。天皇陛下バンザイでは、飛行機は飛ばない。

同じ戦力、同じ武器性能、同量の弾薬などの条件下においては、日本軍はアメリカ軍より強いかも知れない。しかしそれは、全員死ぬまで戦えという命令が下り、その命令に忠実に従うからだ。どうせ死ぬなら、敵も道連れにする。

ところがアメリカ軍は、自殺的な作戦は決して採らない。兵隊の損耗率の高い部隊の指揮官は、無能だと判定される。死ぬために戦争をやっているのではない。勝つために戦争をやっているのだ。

日本はやむなく戦争を始めたかも知れないが、戦争の進め方は余りに野蛮だったのではないか。国民には正確な情報を公開せず、国民不在だったのではないか。

アメリカは何に対しても考え方が合理的だった。日系人の忠誠心を試すように、語学兵として日本軍の情報収集に利用していることなど、合理的を通り越してあざといほどだ。あくどいと言っても良い。

捕虜になってみて、日本は戦争に勝てないのではないかと、柴原は思った。命を含めて、破壊し合うことが戦争だ。だとしたら、次から次へと、破壊されても破壊されても物を作る工業力と原材料、燃料を持つ国が、圧倒的に有利となる。

日本には、原材料も無ければ燃料も無かった。工業力も、アジアでは群を抜いていたが、欧米、特にアメリカにはとうてい及ばなかった。人口も、アメリカは日本の二倍近かった。

仮に、生産力が二倍で人口が二倍なら、生産量は四倍となる。生産力があっても、原材料や燃料がなければ生産できない。家庭の鍋まで、寺の鐘まで、軍に供出しなければならないようでは、推して知るべし、だ。

そして、国家は兵隊を消耗品と考えていた。軍は、作戦における兵の損耗率を考えなかった。全滅は名誉とされていた。高級将校は、兵隊を犠牲にしていた。民間商船が軍に徴用され、武装も護衛も無しで軍事物資を輸送させられていた。海軍より損耗率の高い民間商船乗組員には、兵隊の様な補償は一切無かった。

国家のため、天皇陛下のためと、ありとあらゆる犠牲を国民に強制した。家族の戦死、徴兵による収入の途絶、食糧不足、燃料不足、日用品の不足、空襲による財産の焼失、死の危険、防空演習という竹で作った槍で爆撃機を墜とす訓練、学童疎開という家族離散、軍事教練という学習時間の削減、学徒勤労動員という軍需工場での強制労働、学徒出陣という教育放棄。

子供への教育を放棄してまで、戦争を行う意味があるのか。何のための戦争なのか。誰のための戦争なのか。国家の将来のための戦争なのか。即ち、子供たちにより良い未来を贈るための戦争なのか。それとも、軍のための戦争なのか。軍需産業のための戦争なのか。天皇のための戦争なのか。

天皇がひとり生き残るために、日本人七、〇〇〇万人が全員死んでもいいのか。それで仮に戦争に勝っても、そのような国家に未来はあるのか。日本人は、天皇と軍の奴隷のままずっと生きていくのか。

柴原は戦争に負ける恐怖と戦争に勝つことによって発生する別の恐怖の、ふたつを思った。

負けて日本民族が消滅してしまう前に停戦なり休戦して、軍や天皇の力を弱める程日本人が成長することが理想的である。天皇のために死ねと教えられた人間が、何故自分は天皇のために死ななければならないのか、と考える日は来るのだろうか。一〇年や二〇年では、日本人の意識はそう変わらない。三〇年でも四〇年でも難しいだろう。孫の代になったら、少しは成長するだろうか。

もし戦争に勝ってしまえば、天皇中心の民主主義の対極にある社会が延々と続いていくのか。

人類は戦争から自由になれるのか。この戦争がどういう形で終わっても、また次の戦争を起こすのか。その時、市民の義務を果たすため、愛する家族を守るために兵隊になった、と言える日本人が出てくるだろうか。

硫黄島から生還した柴原は、捕虜になる前の日本軍の矛盾、捕虜になって命を拾ってからの思考を下敷きに、未来の日本人に期待して作品を発表し続けた。単なる反戦ではない。単なる反天皇ではない。単なる反軍隊ではない。戦争は外交手段のひとつであり、国家が生き残るための権利行使であり、これからも戦争は世界中で発生することを前提として、戦争の開始、実行と終結は、国民が制御しなければならいものとした。政府、元首、天皇、軍などが、国民の意志を無視して戦争を行ってはならないものとした。

何故日本には天皇が存在するのか。天皇は今もこれからも必要なのか。常に日本人は天皇に対して廃止、存続を含めて自由に考え、評論する権利があるものとした。『天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス』存在であって良いのか、と問うた。

『万世一系』は出自が全てであり差別の温床ではないか、と疑問を提出した。

軍隊を持たない国家は存在することもできないだろうから、必要悪として認めるしかない。しかし、軍は国民を守るためのものであり、戦争中のように国民の敵になってはならないものとした。

柴原の作品のいくつかはアジア速報に連載されたり、単行本として出版された。


吉川現、元内閣総理大臣、陸軍大臣、参謀総長

首相として開戦から二年半に亘って戦争を指導してきた吉川現(きっかわげん)元陸軍大将が、戦争裁判の容疑者として総司令部に逮捕されるとき、拳銃自殺を図った。いや、自殺のまねごとをした。

吉川は、『生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すなかれ』と兵隊に死を強制した張本人である。その彼が、内地にアメリカ軍が進駐してきても、何処吹く風とのうのうと生きていた。

いよいよ逮捕される時、支度をするからしばらくの猶予を、と書斎に入り、腹の皮をつまんで引っ張り、皮下脂肪を南部一四年式拳銃で撃ち抜いた。銃弾は、皮下脂肪だけを見事に貫通した。

直ちにアメリカ軍の軍医によって応急処置が施され、病院で手術が行われ、吉川は生き残った。

大谷幸平が道代、一、二三に言った。

「これが戦争中の日本の最高指導者のざまだ」

一が言った。

「そう言うやつを総理大臣にしたのが日本人ということだね」

現役時、吉川大将は、陸軍上層部では吉川上等兵と蔑称されていた。そんな人間が総理大臣、陸軍大臣、参謀総長を兼任して、日本を破滅させた。


フレディ・工藤、日系二世、志願兵

フレディ・工藤は、ヨーロッパ戦線を生き残って祖国に帰還した。ハートマウンテン収容所(キャンプ)には、祖国の命令で父母が強制収容されたままだ。

四四二連隊のテキサス第一大隊救出作戦では、彼も右わき腹の肉を削がれて動けなくなった。それでも部隊は任務を完遂してテキサンを救出し、彼も野戦病院に収容された。その後も何度か軽い負傷をして、銅星章(ブロンズスター)も貰って生還した。

バージニア州ノーフォークで輸送艦から下船したのは昼過ぎだった。翌朝、収容所(キャンプ)のあるワイオミング行の長距離バスに乗った。船とは違う、狭いシートで我慢する長い旅を覚悟した。

最初の停留所で、老婦人が乗ってきた。フレディを見て、顔をしかめて言った。

「おや、戦争が終わったら黄色いサルもバスに乗るんだね」

フレディは声の主を見て、すぐに視線を外して思った。

(命をかけて戦った褒美がこれか)

白人の運転手がサイドブレーキを引き、振り返って言った。

「ご婦人(マダム)、軍曹(サージャント)に謝罪してください。さもなければ、このバスから降りてください。

皆さん、それまでバスは発車しません。この人はテキサス大隊を救った四四二連隊の軍曹だ。部隊章を見ればわかる」

フレディは運転手を見た。五〇歳前後だろうか。彼の家族や友人は日本軍に殺されていないのだろうか。それでも、俺をかばってくれているのだろうか。例え謝罪がなくても、こんなアメリカ人がいることだけで彼は老婦人を許そうと思った。何しろ白人同士でさえも、アングロ・サクソン系プロテスタントの白人(WASP)かあるいはアイルランド系かカトリックかと差別をしたがる国なのだから。

座席の半分ほどを埋めている乗客の内の四、五人が拍手をした。彼らは全員白人だった。(当時は白人と有色人種のバスが別だったろうから、削除。1/4/21)

恥をかかされたと思った老婦人は、バスを降りようとドアに向かって歩いた。

フレディが言った。

「マダム、バスを降りなくてもいいし、謝らなくてもいいですよ。私もバスを降りません。父母のいるワイオミングのキャンプに行くんです」

運転手が言った。

「軍曹が良いと言うなら結構です。発車します」

老婦人は黙って席に戻り、外の景色を見るふりをして窓の方を向いた。

運転手の様な、そして拍手をしてくれた乗客のようなアメリカ人がいるなら、命を懸けて忠誠を示した甲斐もあるかもしれない。いずれ近いうち、両親もキャンプから出て自由になる日が来るだろうと思った。フレディはそう信じたかった。


「フレディ、無事だったか」

「フレディ、怪我はしなかったの」

「父さん、母さん、帰ってきたよ。手も足も頭も全部揃っているよ」

「フレディ、お父さんもお母さんもすごく心配していたのよ」

「モーリーンが母さんと父さんのそばにいてくれたから、安心して戦うことができたんだ」

「兄さん、会いたかったわ」

一四ヶ月ぶりにフレディは家族に再開した。

「四四二連隊の活躍は新聞で読んでいたが、その分危険だったはずだ。黒人兵が危険な任務に就かされるように。良く無事に帰ってきたな、フレディ」

フレディはズボンからシャツを引き抜いて、右の脇腹を見せた。

「テキサンを救出に行った時にここをドイツ兵の弾が擦って、動けなくなった。でも、今は痛みも全く無いよ」

「運が良かったのね」

「父さんたちをこんな所に閉じ込めておくアメリカのために、おまえが命懸けで戦っているのは複雑な気持ちだった」

フレディは、ノーフォークで乗った長距離バスの運転手の言葉を話して聞かせた。

「でも、まだ私たちはいつここから出られるか分からないし、出られたとしても財産は全部無くして、どうやって生活して行くかも分からないのよ」

「バスの中で考えたんだけど、僕は軍に残るよ。確かにまだ差別はあって、仕事を探すのも大変そうだから。生活は、みんなで助け合うしかない。でも、まずはこんな所から早く出るようにしよう」

「何か考えでもあるのか」

「方法は分からないけど、事実を社会に伝えたいと思っている。パール・ハーバーを攻撃したのは日本だけど、僕たち二世はアメリカ人だし、父さんたちは望んでも国籍を得られなかった。日系人への差別、強制収容、二世の軍への志願、そういう事実を社会に伝えたい。もうアメリカも、日系人のアメリカへの忠誠を信じてもいい頃だ」

「そんなことを言ったら軍にいられなくなるかも知れないぞ」

「その時はしょうがない。でも、もう黙っていてもだめだ。主張すべきは主張して、権利を要求すべきだと思う。従軍した二世は充分に義務を果たしたはずだから」

「確かに二世達は命を懸けて忠誠を示した。日系部隊の死傷率の高さと勲章の多さは報道されているよ。しかし、人種差別は容易に無くならないだろう」

「うん、簡単じゃないだろうけど。とにかく、全ての原因は人種差別にあると思う。日本がパール・ハーバーを攻撃したのも、アメリカがそのように仕向けたところもある。その元にあるのは、人種差別だ。黄色人種が、白人のように植民地を持つことが許せなかったんだ。だから、日本の権益を手放させたり、経済封鎖をしたりして追い込んだ」

「アメリカが仕掛けた戦争と言うことか」

「そうだね。そして、都市部への無差別爆撃による一般市民の虐殺、原子爆弾によるふたつの都市の破壊。さらに、戦争裁判をしようとしているらしい」

「戦争裁判は、責任者を裁くと言うことで間違ってないと思うが」

「日本人が自分で裁判をするなら良いけど、戦勝国が敗戦国を裁くのは公正な裁判じゃない。それに、戦争終結後に作った規則を当てはめて、遡って裁くつもりらしい。第一、戦争自体は国家の政策であり、外交手段のひとつで、国際法で禁止されている訳じゃない」

「パール・ハーバーを日本軍が攻撃して、日系人は収容所に入れられる羽目になった。おまえも戦争に行かなければならなくなった。それでも日本をかばうのか」

「そうじゃない。父さんたちを移民としてアメリカに送り出して、数十万人の日系人が住んでいることが分かっていながらパール・ハーバーを攻撃した日本は許せない。だけどその攻撃の原因は、やはり白人が根強く持っている人種差別にあると思う」

「人種差別が全ての原因か」

「日本は結果的にアジアのいくつかの植民地を独立させたし、これからも独立する国が出てくると思う。黄色人種は白人の奴隷になるための人種じゃない、と世界中が分かったはずだ。アメリカでお父さんたちが国籍も取れず、土地も所有できないのは、白人が勤勉な日系人の成功を恐れているからだ」


史仁(ふみひと)、天皇

連合国軍最高司令官ダン・モーガン元帥は、史仁天皇を司令部に呼んで会談した。

「陛下(ユア・マジェスティー)、本日はご訪問戴き、ありがとうございます」

モーガンが決まり文句を口にした。

「元帥、お招き、戴き、うれしく、思います」

史仁は内心、呼びつけやがって、と思いながらも、癖なのか、言葉を途切れさせながら挨拶を返した。

「早速ですが陛下、貴国の復興のために私はこれから数年間に亘り、ベストを尽くしたいと考えています。そのために、陛下のご協力が是非とも必要となります。これから何度も率直に陛下のご意見を伺い、参考にさせて戴きたいのです」

(朕の意見を参考にするとは、小生意気な毛唐めが)

「元帥、日本の復興には、元帥の理解と貴国の援助が、欠くべからざる、と考えています。国民のために、朕にできることがあれば、幸いに思います」

「陛下は、ご自身の戦争に対する責任をどのように考えていますか」

(くそ、やはりそこに斬り込むか。毛唐のやり方だな。予てから考えて来た通り、はったりをかましてみるか)

「朕は立憲君主国の元首であり、従って、政府が軍に引きずられた感は、多少あるが、政府が決した開戦を、止める権限は、無かったのです。それをやれば、朕は、独裁者となって、いたでしょう。

終戦の決定には、政府に判断を仰がれ、この国の消滅を、回避するための考えを、述べました。

しかし朕は、開戦には責任が無く、終戦は朕が決めた、と言うつもりはありません。連合国が、あるいは元帥が、朕に戦争の責任が、あるとするなら、朕はそれを、受け入れる、覚悟があります。それによって、国民に安寧が保証され、日本国が復興するのであれば、それは朕の、喜びとするところです」

アメリカ人は原則として、自分の責任を認めない。そのような結果を招いた屁理屈をあれこれ並べ立て、だから自分のせいではない、と主張する。

刑事裁判では、被告人は有罪(ギルティ)かと問われ、『有罪では無い(ノット・ギルティ)』と答えるところから始まる。有罪を認めれば、裁判ではなく量刑手続きに移るのだ。

ところが、天皇という地位にある人間が、自分の責任は認める、国民のためなら犠牲になっても良い、と言う。モーガンにとっては、新鮮な衝撃だった。

アメリカ軍の将官の中には、史仁を吊せという者もいた。モーガンも、天皇を戦争裁判の被告として検察に告訴させようと考えていた。ところが、今、彼の考えはぐらついた。

史仁のブラフは奏功するかも知れない。

「陛下、実は我が国には陛下に軍人としての戦争責任を追及すべきだ、との意見があります。陛下には統帥権がありました。つまり陛下は、軍の最高指揮官であると憲法に定められています。陛下はそうあっさりと、自らの責任を認めても良いのですか」

(やはり、な。そう言う者もいるだろう。しかし、朕は軍にその地位を利用されただけだ。断じて朕に一切の責任は無い。この元帥をうまく躱せば、何とかなるかも知れない。このまま、やるしかなかろう)

「今次の我が国と貴国との戦争は、朕の大変遺憾とするところです。当然貴国には、そのように、考える者もいるでしょう。

確かに朕は、帝国陸軍、及び海軍を、統帥していました。外交上の、手続きの誤りで、真珠湾の攻撃前に、宣戦の布告が、できなかったことも、承知しています。

先ほど、申し上げたように、朕は戦争責任の負担も含めて、元帥の占領政策に、どのような協力も、惜しむものではありません」

(さあ、どうする、モーガンとやら)

モーガンは、史仁の目の泳ぎと声の裏返りを、見逃さなかった。

(これは史仁の命乞いだ。ブラフだ。でも、利用する価値はある。今すぐに戦争責任を追及するより、日本人(ジャップ)を従わせるために史仁を利用できるなら、その方が良い。

この占領をうまくやって帰国したら、俺が大統領になる目もあるかも知れないからな。それに俺がこの国にいる限り、彼にはいつでも戦争責任を取らせることができる)

「陛下、私個人は陛下の戦争責任を追及するよりも、貴国の復興にご協力戴きたいと考えています。そのための手始めに、我々の写真を撮りたいのです。そして、明日の新聞に載せます」

(なに、おまえごときと一緒に写真に撮られて、それが新聞に載るだと。不敬な)

そうは思っても、命には代えられない。史仁は、口角の間隔を三回広げたり狭めたりしてから言った。

「あ、そう」

ズボンの尻ポケットに両手を突っ込んだようなモーガンの左に、史仁は直立した。

モーガンは軍の礼装ではなく、ネクタイさえもしていない。史仁はモーニングで、ネクタイも締めていた。

(おまえの権威など感じていたら、ズボンの後ろポケットに両手を入れて写真なんか撮るか。俺の占領におまえが必要だから命を預けといてやるが、いずれ日本人自身の手で裁かれるときが来るはずだ。来なければ、この国はそれだけの国で、また戦争を繰り返すだろう)

その写真を掲載した新聞を、日本政府が発売禁止にした。

これにモーガンは怒った。

「日本政府には、出版物の検閲や言論統制の権限を付与した記憶は無い。若しくは、戦争中にその権限があったとしても、剥奪する」

史仁とモーガンの写真は、日本人に考えるきっかけを与えた。敗戦を実感した者もいた。もう焼夷弾は降ってこないと安心した者もいた。絵画、文筆、言論、音楽、いろいろ自由になるだろうと期待する者もいた。アメリカの食糧援助を望む者もいた。

天皇が現人神(あらひとがみ)ではないと知った者もいた。政治家や軍上層部が戦争裁判で逮捕されていることと絡めて、史仁の戦争責任を考える者もいた。日本が開戦するとき、何故一般国民があれほど喜んだのか、と考える者もいた。史仁とモーガンが一緒に写真に写っても、蘇連に抑留されている父は、兄は、夫は帰ってこないと嘆く者もいた。

終戦直後自決した軍人はいたが、陸軍大将でもある元総理大臣の吉川現は腹の皮を撃って死ぬまねをしただけだった。そして史仁は腹を切る真似さえもしないのか、と虚無的に言う者もいた。

それだけじゃない、サイパンや沖縄でどれだけ民間人が死ななければならなかったか、と続ける者もいた。

アジア速報は、読者のそのような声を読者欄に掲載した。

その後何度もモーガンと史仁の会見は持たれたが、史仁がモーガンに対して、日本が開戦するに至ったアメリカの仕打ち、東京大空襲を始めとする非戦闘員に対する無差別爆撃、広島と長崎への原爆の投下、戦争裁判の不当性などを追求することは無かった。

史仁は命を拾った。拾った命を捨てる気は無かった。日本側の正義やアメリカ側の非を主張するより、自らの首にロープが巻かれない方を選んだ。


永田耕資(こうすけ)、インドネシア残留元日本兵

永田耕資は日本に帰らず、インドネシアの独立戦争を支援する後半生を選んだ。絶対に日本は勝つ、特攻もやっている、最後は神風が吹いて米英を撃破する、天皇の軍隊が負けるはずがない、と信じ込まされて、何度も死にかけて、敗戦をインドネシアで迎えた永田は、もはや日本が信じられなくなっていた。

上官も、大本営も、天皇も、日本という国も、信じられなくなった。唯一、弾の飛び交う前線で助け合った戦友だけが、信じられた。むしろ、同じく命懸けで撃ち返してきた敵兵の方が、上官や大本営や天皇や国家よりまだ信じられる、という妙な気持ちを抱いた。

永田は戦友以外の全てに、失望した。自分の人生の未来にも、失望した。命は助かったが、内地に帰還しても待っている者も無く、軍が解体された後は何をやって食っていく、という当ても無かった。日本に帰る目的が無かった。自分が信じてきた全てを裏切った日本という国に、帰りたくなかった。

戦争は国家にとって政策のひとつ、選択のひとつに過ぎないとしても、個人にとっては命を差し出せということである。その結果、負けました、では済まされない。死んでいった戦友を、どうしてくれる。焼夷弾に焼き殺された内地の女子供を、どうしてくれる。何もかも物質的な欲望を我慢し、言いたいことも言えない特高警察による恐怖政治に耐えた国民を、どうしてくれる。原子爆弾まで落とさせた戦争指導の過ちを、どうしてくれる。戦争で手足を失った兵隊たちの苦痛と今後の生活を、どうしてくれる。

大本営は、何をしてくれる。史仁は、何をしてくれる。政府は、何をしてくれる。高級将校たちは、何をしてくれる。戦争で大儲けした財閥は、何をしてくれる。

腹を切るのか。首を吊るのか。頭を撃つのか。兵隊たちを、死んでこいと送り出した貴様らは、自分にどう片を付けるのか。

吉川現(きっかわげん)元内閣総理大臣、陸軍大将は自決のまねごとをして、敵の軍医に助けられ、天皇史仁は敵の元帥にはったりをかませ、ごまをすって命乞いに成功し、国民は食うや食わずの生活をしている。戦争中も狂っていたが、戦争が終わった後も狂っている国に、永田は帰る気にはなれなかった。

連合国側は、日本の戦争指導者を戦争犯罪人として裁判にかけるつもりらしい。それを受けいれる日本人にも失望した。戦争指導者は、日本人に対して罪を犯したのだ。交戦国に対して罪を犯したのではない。日本人が戦争犯罪を裁くべきだ。

戦争そのものは、国際法で犯罪とは規定されていない。敗戦国が賠償を要求されることはあっても、個人の責任を問われることはかつて無かった。根拠が無いのだ。加えて戦勝国は自分の都合で、如何様にも敗戦国を裁く事ができる。公正な裁判となるはずがない。

日本人だけが、戦争犯罪を裁く権利がある。軍と政府は国民を騙し、煽動し、情報を操作し、世論を誘導し、特高の恐怖で戦争に協力させてきた。

国家が生き残る最後の手段として、戦争を選択するのはやむを得ないとする。しかし、一晩で死傷者一二万人を数えた東京大空襲をアメリカに許した責任を、どう取るのか。広島と長崎に投下された二発の原子爆弾で、合わせて三五万人とも言われる死傷者に対する責任を、どう取るのか。七度生まれて天皇に尽くせと騙した貴様らは、七度死んでもその罪は許されないと知れ。

永田にとって国家や天皇は、糞をたれたケツを拭く紙ほどの意味も無くなった。二度と日本という国家や天皇などに係わりたくなかったから、インドネシアに残って独立戦争に身を投じ、虚しさを忘れようとした。

元帝国陸軍兵長永田耕資は、内地での訓練を含めて三年六ヶ月の従軍経験がある。下士官ですらなかった永田は、インドネシアの独立軍に対して軍の編成や作戦などに関する、高度な指導をする能力はなかった。しかし日本陸軍兵士としての経験は、大いにインドネシア独立軍のオランダに対する戦闘に寄与した。

日本が、インドネシアを植民していたオランダを含む連合国に降伏した直後、インドネシアは独立を宣言した。しかしオランダは独立を認めず、インドネシアの独立戦争が始まった。人類は戦争に飽きない。

インドネシアには正規軍の他に各地で軍事組織が結成され、独立を勝ち取るために戦った。永田はその軍事組織のひとつに所属し、オランダ軍に接収される前に日本軍の武器や弾薬を組織に提供した。

自分の経験による訓練も施した。敬礼、行進などの基本から、行軍、射撃、格闘技、各種武器の使用方法と整備方法、隊の編成、斥候、見張り、連絡、その他自分の知っているありとあらゆる知識を教えた。もちろん戦闘にも参加した。

降伏の仕方も教えた。無駄に死ぬより、一旦捕虜になっても生き残ればまた独立に貢献する機会があるかも知れないし、独立後に国を立ち上げることに貢献することになるかも知れない。無駄に死ぬよりは、降伏もひとつの選択であると教えた。

永田自身は日本軍において、訓練中に敵機が来襲し機銃掃射をしても、上官が退避命令を出すまでその場で気をつけの姿勢で居なければならない、という教育を受けたが、組織にはそのような愚かで滑稽な教育はしなかった。

オランダ軍は日本軍にしっぽを巻いて逃げたくせに、日本が降伏すると直ちにインドネシアを再植民地化しようと軍を派遣してきた。有色人種に対する白人の、唾棄すべき侵略である。

インドネシアは、有色人種である日本が白人を相手に戦争したことに、自信を得た。結果として日本は降伏したが、少なくても武器を取って戦う価値はある、白人が絶対ではない、正義は自分たちにある、と気づいた。アフリカや中東には日本が無いが、アジアには日本がある。幸運だ、と考えた。


判決

日本、アメリカ、インド、オランダの裁判関係者、法曹関係者、報道関係者らの不当裁判反対運動は実らず、戦勝国から敗戦国に戦争裁判の判決が下された。

絞首刑七人。終身刑一六人。有期禁固刑二人。その他、判決前に病死二人、精神障害による訴追免除一人。

絞首刑の中には、総司令部に逮捕される直前に腹を撃って死ぬまねをした元陸軍大将もいた。彼は、生きて虜囚の辱めを受けず、と捕虜になるより全滅しろと兵隊に強制した張本人だった。遺族が遺体の引き取りを希望するなどあってはならない、という投書がアジア速報に掲載された。

史仁は、逮捕も起訴もされなかった。


日本の戦争裁判

敗戦国の日本は、戦勝国の一方的な判決を受け入れるしかなかった。

しかし、受け入れるだけでは終わらなかったのが、日本人の優れたところだ。食うや食わずの生活をしながらも日本人は、不当裁判反対運動をきっかけに戦争をも考え直した。

日本人は、確かに真珠湾攻撃の戦果はちょうちん行列で祝ったが、負けたときは戦争指導者に全責任を負わせよう、というほどに単純ではなかった。天皇を含めた日本の戦争指導者だけではなく、日本国民自身、戦勝国の攻撃方法、特に市街地への焼夷弾投下や原子爆弾の使用、不可侵条約を無視して侵入した蘇連、志那や南朝鮮が日本に主張する戦争被害など、あらゆるものが検証、反省の対象とされた。

しかし容疑者を逮捕、拘束して法廷に引き出すことはできない。もはや存在しない個人、あるいは団体、制度、外国政府要人や外国政府そのもの、軍隊や一般市民をも対象としているからだ。またそれらに対して、適切な弁護人を選定することもできない。即ち、裁判の形を取ることはできないのだ。

現存する法令で裁けない、しかし罪としか呼べないものもある。かといって連合国のように、あとから必要な法を制定して遡って裁くような無法はできない。

そこで、法廷での裁判ではなく国会での審議を行い、判決ではなく国会決議として、世界に発表することとした。従って、個人に対して懲役や禁固などの刑は与えられず、国外を含む団体や国家に対しても、日本の戦争に対する省察(せいさつ)と、必要な場合は主張をする、に留まるものではあった。

国会審議には、世論が多大に影響した。真珠湾攻撃を手を叩いて喜ぶ、という一般大衆の判断の頼りなさも指摘されたが、政治家や元軍人などよりははるかに正当な、平和的な、生活に根ざした、理性的な意見が提出されるだろう、と認められた。

言論界や出版界は、検閲などしなくても国家権力におもねる、追従する、忖度する、という事実にも日本人は気づいた。

つまり、議員も大衆も報道も知識人も芸術家も学生も共産主義者も、互いが互いの意見を注意深く分析した。日本人の、人類の良心として何が正しいのかを、みんなで見つけようとした。

当然ながら、自分の意見だけは声高に主張するが、人の意見には全く耳を貸さない、という卑しい人間も多くいた。また、全く意見を持たない、という愚かな人間も多くいたし、興味を示さない、という虚無的な人間もいた。あえて無責任に沈黙する人間もいた。

それらよりも圧倒的に多かったのが、自らの自由な意見を持つ人間だった。

目的は、戦争の反省である。例え戦争が必要悪であり、外交手段であり、政府の政策であるとしても、良心に照らして正しかったのか、部分的にでも誤りはなかったのか、人道や人権を傷つけるところは無いのか、を分析しなければならない。

戦争には相手がいた。つまり反省の対象には、連合国も含まれるのだ。

アジア速報はじめ各紙誌は、社会面に各方面からの議論を掲載した。記事に対する読者からの意見投書も掲載した。

各紙誌も自社の意見を持ち、それを読者に伝えた。完全な中立意見というものはあり得ないのであるから、それならむしろその社の意見を明確にした方が読者に理解し易い、と考えられた。各社が意見を持つことで、それに対する責任も明確になる。

中立を装ってどっちつかずで、結局また権力や世論に従うような言論は、不要である。むしろ害毒である。世論を作り上げたり誘導したりしないように、細心の留意を持って自由な意見を表明する方が健全である、と日本人も言論界もやっと気づいた。

一方で日本人は、報道というものは信じるに足るものではない、とも知った。利益を追求する、経営を最優先にする私企業である限り、モラルや真実の報道には限界があると気付いた。かといって公共放送には、それ特有の政府に対する弱みがある。

いつまで経っても、どういう組織でも、報道というものは、大本営発表を繰り返すものと警戒しなければならない、その程度のもの、と認識された。

権力には逆らえず、広告をくれる大企業にも逆らえず、時に隠し、時に歪曲し、時に無視し、時に作り出し、時に矮小化し、時に拡大して伝えるのが報道である、と日本人は知った。報道の限界は意外に低レベルなところにある、と日本人は知った。

日本軍は消滅したが、いずれ再び軍隊を持つときが来るはずである。国際社会において軍隊を持たない国など、パンツを穿かずに人前に出るようなもので、あり得ないことである。余りに無防備な為に、一般的な外交もままならなくなる。

将来において、植民した白人の国に対しては強く要求できず、しかし同じアジアの国である日本には蹂躙された、侵略されたと必要以上に宣伝し、賠償という名目でゆすろう、たかろうとする国も現れるかも知れない。もしそのようなことがあった時、日本が主張すべき言葉にも軍備という背景が必要である。それは、今後も残念ながら国際常識であり続けるだろう。

しかし日本が再び軍を持った時、絶対に軍の暴走は、今度こそ許してはならない。政府の欺瞞を、今度こそ見抜かねばならない。

そのような仕組みを作れるように、日本人は進歩するのだ。この戦争裁判が、その第一歩になるのだ。


戦争省察

日本人による戦争裁判、即ち国会審議は、戦争省察と名付けられた。

省察に先だって、まずは戦勝国が戦犯とした全員を無罪として、名誉回復した。戦争裁判を無効とすることが、省察の出発点となるのだ。裁かれるべき者たちは、省察でもって、これから裁かれるのである。絞首刑が執行された吉川現も、起訴さえされなかった史仁も、これから改めて日本人によって省察されるのである。

今度は被疑者から『戦勝国の一方的な判断だった』という言い訳は許さない。日本人自らによる判断なのだ。

戦勝国に対して実行された、と戦勝国が主張した戦争犯罪は、既に東京裁判で一応の決着を見た。今度は、自国民に対する戦争犯罪を問うのだ。

死屍に鞭打つ、という言葉があるが、死ねば仏なのか、死ねば全ての罪が許されるのか。死んで全て許されるなら、逆に死んだ後で名誉回復される必要もないはずだ。死は死に過ぎず、終わりではあるが、全てではない。良いことも悪いことも全て無し、と言うわけではない。認められれば死者の名誉回復もされるし、必要なら死者にさえも罰を与えなければならない。

戦勝国の戦争裁判の判決によって絞首刑となり、靖国神社に祀られた者たちの祀りも取り消された。一度神として祀ったものを人間の都合で取り消せないという宗教関係者の意見もあったが、戦争指導者と一緒にそいつらに殺された息子を祀るわけにはいかない、そいつらを祀るなら息子を靖国から帰せ、という意見を持つ遺族もあった。

神は人間が考えだしたものであるから、人間が神に支配されてはならない。人間が祀ったのだから、人間がその祀りを取り消すにはなんら不都合は無い。ここで科学を否定したら、また天皇が神に戻る危険性が生じる。

まずは全てを初期状態に戻すのだ。それから、有罪か無罪かを改めて問う。


容疑者、旧帝国陸軍及び海軍。

戦争を始めた軍隊が一番悪い。海軍も陸軍も悪い。日本を、ほとんど破滅させるところだった。破滅の一歩手前まで戦争を止めようとしなかった。

もっと早く止めていれば、東京大空襲や広島や長崎や沖縄での民間人の死者を救えた。その期間の、兵隊の死者も救えた。何故もっと早く戦争終結を考えなかったのか。そこには合理的な理由は無い。八月一五日まで本土決戦を考えていたのも軍隊だ。


しかし軍が無ければ、逆に志那や朝鮮のように列強の殖民地になっていたのは間違い無い。軍が政権を握るほど強力であらなければならない時代であり、世界であったのだ。軍隊など無い方が良い、とまでは言えない。


瑕疵を、時代のせいにしてはならない。時代を、言い訳にしてはならない。それは、現実を無条件に肯定し、進歩を否定することになる。

軍隊の存在はやむを得ないとしても、その暴走を許したことが、大量の命を失った理由だ。軍に責任は無く、軍の暴走を許した政府に全責任がある、と言うのではない。軍に責任はある。政府にも責任があり、その政府を良しとした、有権者にも責任がある。政府や軍の手先に成り下がった報道にも、責任がある。


人類はまだ、戦争を永久に廃止するほど理性を育てていない。軍は必要悪だ。しかし、日本軍はやり過ぎだった。政府を無視し、兵隊の命を粗末にし過ぎた。軍は兵隊に対しても責任がある。兵隊を消耗品と見なした、残酷な軍だった。


軍は民間人を防衛しなかった。グアムでもサイパンでも沖縄でも、民間人を放棄し、それだけではなく自決を奨めた。米軍に投降せずに積極的に死ね、と奨励した。

民間人を防衛するのが、軍の存在意義であるはずだ。軍の下に民間があるなら、本末転倒だ。軍に見捨てられた民間人に対しても、軍には責任がある。


軍は形勢が悪くなっても、戦意高揚のためにと、嘘の情報を国民に流し続けた。それをそのまま垂れ流した報道にも共同正犯としての責任はあるが、嘘の情報の発信源は軍であり、それを報道に強制したのも軍であり、国民に対する重大な責任がある。


軍は天皇を利用するために、神格化した。それに乗った天皇にも責任があるが、第一義的責任は軍にある。

天皇は神だ、に対して、はい、そうですか、と受け入れた国民や兵隊にも責任はあるが、軍の責任はそれより遙かに大きい。


海軍は民間商船を、護衛も無しに戦争遂行物資の輸送に従事させ、海軍兵隊以上の死傷率を民間商船乗組員に与えた。しかも民間人だから、兵隊としての恩給も補償も無い。海軍には、民間商船乗組員とその家族に対して免れない責任がある。


軍隊は、教育という名の下に、公然と新兵にリンチを行った。兵隊の人間性を無視した行為だった。訓練時の恨みを、実戦時に後ろから上官を撃つと言う形で晴らすこともあったという、異常な軍隊だ。


兵隊は、文字通り命をかけてお国のために戦った。私の息子ふたりも、お国に命を捧げた。それでも戦争に負けて、天皇陛下に申し訳が立たない。

軍隊に戦争責任があるなら、私の息子ふたりは犬死にか。

それとも、ふたりは軍隊の被害者、天皇の被害者、政府の被害者、即ち日本人全体の被害者と考えれば良いのか。

どうやってもふたりは還らないが、戦争は、もうイヤだ。軍隊は、もうイヤだ。天皇は、もうイヤだ。戦争賛美は、もうイヤだ。イヤだと言わせなかった特攻は、もうイヤだ。

上等兵と一等兵だった息子たちには責任は無いが、やはり軍隊には責任はあると思う。


軍を制御できなかった政府が悪い、軍だけが悪いのではない、そして政府を制御できなかった国民にも責任がある、と言うのは一見正しいように思える。だが国民が気づいた時には、遅かったのだ。

報道は政府や軍の奴隷に成り下がり、特高や隣組が、政府や軍への疑問を持たせないような仕組みとなって機能していた。

なるほど国民の投票から政府が組織されたのは間違い無いが、巧妙に国民を騙して、逆らえないような仕組みを作り上げたのだ。国民が作った政府と税金で存在している軍が、国民を裏切ったのだ。裏切り者たちに、その代償を払わせなければならない。


本土決戦をすべきだった。そうすれば、神国日本は必ず勝った。軍に責任は無い。

戦争を止めた天皇に責任がある。天皇は都合の良いときは神になり、都合が悪くなると軍を裏切って戦争を止めた。きっと、アメリカに命乞いをするためだ。天皇にこそ責任がある。

本土決戦をやっていれば、日本は戦勝国であり、米英こそが敗戦国だったのだ。


軍や特高警察は、恐ろしかった。逆らえなかった。特高に連行されて、片輪になって帰ってきた者を知っている。殺された者もいると聞いている。軍と特高は同罪だ。


同じとっこうでも、特攻隊はひどい。絶対生きて帰れない攻撃など、いくら戦争でもあんまりだ。自分だけは生きて帰る、死なない、と思えばこそ戦闘にも参加できるのだ。確実に死にに行く作戦など、世界の何処にもあり得ない。

軍は特攻隊に対して、そして降伏を許さず玉砕という全滅を強制した部隊に対して、特に大きな責任がある。


特攻隊を見送った上官は、その後どうした。おめおめと生きて帰ってきたのか。

南方から内地に飛行機を取りに来たうちの兄貴は、飛行機があったら特攻にやらされていただろうと言った。幸い、内地にも飛行機はもう無くて行かずに済んだが、特攻は志願ではなく、実際は強制だと言っていた。

純粋な若者を騙して特攻に強制志願させた者たちは、生きる価値の無い卑怯者だ。相応の責任を取らせるべきだ。


原爆を落とされる前に、戦争を止められなかったのか。それは、何故か。

その前から、内地はアメリカの爆撃機に好き放題に焼夷弾を撒かれていた。軍は、もっと早く戦争を止める見極めができなかったのか。下らない意地か、卑怯な責任逃れか、天皇が許さなかったのか。

どうあがいても、例え本土決戦をやっても、竹槍でB―二九が墜とせないように、今更米軍に勝てないことくらい分かっていたはずだ。まさか、神風が吹くと本気で思っていたわけではあるまい。

あとどれだけ、人を殺したかったのだ。何人死ねば、気が済んだのだ。答えてみろ。救える命を多数無駄に殺した責任を、誰がどう取るのか。おまえたちが死んだくらいで、何になる。


兵隊として召集された者は、その時点では被害者である。敵戦闘員を戦闘で殺しても、当然無罪である。むしろ、戦争では名誉である。

しかし、敵の捕虜や非戦闘員を殺したり拷問したら、それは罪だ。敵地だろうと占領地だろうと、何かを盗んだらそれも罪である。

確かに、戦争は殺し合いであっただろう。多少の相違はあっても、敵も同じようなことをやったであろう。かといって、罪が罪でなくなることはない。


戦闘をかろうじて生き残って食糧が無く、畑の野菜を盗んで食ったからと言って罪にできるか。罪であっても、罰を与えられるか。例えるなら、緊急避難だ。

明日を生き延びられるかどうか分からない命、略奪や暴行を何処まで責められるか。

本当に責められるべき、は誰か。かといって、末端にはなんら責任は無い、とは言わないが、、、。


 どうやって罪の大きさ、それに見合った罰の大きさを定めるのか。

軍隊での階級だけで一律には決められないだろう。同じ将官でも、自分が逃げる時間稼ぎに部下を犬死にさせた男もいるし、そうでない者もいる。

下士官はどうか。下士官に何処まで責任を負わせられるか。

将校が命令を出すこと、命令に従うこと、命令を拒否することと、下士官のそれらは、全く違う。将校はより高等な教育を受けていたはずであり、より理性を働かせる義務が、下士官よりあったはずだ。

命令に従う部下の人数も多いから、原則的には階級で罪の大きさを決められるべきだが、命令に従うのが軍隊であるから、やはり罪を問われるべきは陸軍省、参謀本部、海軍省、軍令部、それに大本営である。

個別には例えば、インパール作戦失敗の責任追及が軍中枢に及ぶことを避けるため、師団長を心神喪失として軍法会議を回避した噂があるが、そのような例を全て明らかにするべきだ。


『敵の捕虜になるくらいなら死ね』と言った陸軍大将兼総理大臣だった男は、総司令部に逮捕される段になって死ぬまねをしただけだった。そしてかつての敵に命を救われ、屈辱や誇りという言葉を知らない男は裁判が終了し、判決によって死刑が執行されるまで生き延びた。

あいつは、限定された意味でヒットラー以下だ。少なくても彼の自殺は成功したのだから。あいつの有罪に、疑いは無い。


八月一四日に腹を切って、介錯を拒んで一五日まで苦しんで死んだ陸軍大臣、陸軍大将がいた。表面の事実だけを見れば、陸軍大臣には情状酌量の余地があるかも知れない。

しかし、純粋に敗戦が天皇に申し訳ないから死んだ、と言うことであれば情状酌量の必要は無い。

ましてや、ポツダム宣言の受諾に反対して国家が消滅するまで戦闘を継続したいという個人的な望みが絶ちきられたからの自殺であれば、その罪は無様に絞首刑になった元総理大臣より遙かに重い。


世界中がどこかを殖民地にして収奪しようとしている時代に、軍隊を持たないわけには行かなかったはずだ。やり過ぎの感はあるが、軍隊を全否定はできないだろう。

戦争に負けて、軍隊が無くなって、これからどうなるか心配は無いのか。軍隊全体を有罪とは言えない。

但し、罪の深い者も確かにいる。大勢いる。だが、かわいそうなのは兵隊だ。食う物も鉄砲の弾も無く、玉砕させられた兵隊には罪は無い。むしろ被害者だ。


俺は軍隊に入ったからこそ、日に三回米の飯が食えた。郷里じゃ麦飯だった。尋常小学校には、弁当を持って行けなかった。

学校を出ても仕事が無くて、軍隊しか無かった。兵隊は、田んぼや畑の仕事よりずっと楽だった。

でも、外地では食うものも無くなって、弾も無くなって、死ぬところだった。結果的に生きて帰れた俺には、それでも軍隊はそう悪いところではなかった。

だが、戦争は良くない。殺し合いは良くない。戦友は一杯死んでしまった。

戦争に負けて申し訳ないという気持ちもあるが、俺たちも精一杯戦った。

唯、天皇陛下や大本営は、鉄砲の弾の飛んでこないところで好き勝手言って、うまいものをたらふく食っていただろうし、羨ましかった。悪いとした、らそいつ等だ。無謀どころか莫迦な作戦で、戦友が一杯死んだ。


戦争は絶対悪、これは間違いないだろうが、それでもあの時の日本は戦争をするしかなかった。選択の余地を、アメリカは全て奪ったのだ。強盗に、全て奪われて最後に殺されるなら、一発だけでも殴ってやろう、と思い切ったようなものだ。

但し、戦争を止める時機を逸した罪はある。暴走した陸軍と海軍には、絶対に罪がある。


個人の生存と国家の生存を混同してはいけない。戦争はあくまで国家の生存のための手段であり、同時に個人を抹殺するものだ。

資源が欲しいから、燃料が欲しいからと戦争するのは国家だが、電気が無くても石油が無くても、死ぬよりは我慢するのが個人だ。

石油が無くては俺の会社がやっていけない、儲からないと、そう言うならおまえが戦争に行って石油を持ってくれば良いのであって、他の人を巻き込んではならない。

だが現実は、そういう奴らのために国民が犠牲になるのが戦争だ。そういう奴らが軍や政府や世論を操って戦争を起こすのだ。そうやって儲けるのだ。一番悪い奴はそいつ等で、そいつ等がもちろん一番罪が重いが、軍にも操られた罪がある。


歴史に対してあの時どうであれば、は意味が無い、と言ってしまえば終わりだ。仮定によって過去を変えようというのではなく、未来に生かそうというのだ。

人種差別が無かったなら、ではなく、現実存在するのだから、これから無くしていくことが重要だ。欧米白人の有色人種に対する差別が、日本が戦争をしなければならなかった原因だ。

人種差別を無くしていかなければならない。日本人も、朝鮮や志那や南方の住民を差別してはならない。


私の結論は、軍、あるは戦争自体には無罪、戦争を悲惨に継続した事実に対して戦争指導者は有罪、というものだ。即ち軍の一部、政府の一部は有罪であり、監視を怠ったどころか、奴らに荷担した報道機関も同罪だ。


すこし待って下さい。おめでとうございますと赤紙を届けて、兵隊を戦地に送るときは町中で万歳をして、戦争に負けたら、軍隊は間違っていたということですか。私の息子は、間違ったことのために死んだのですか。お国のために、天皇陛下のために、と兵隊に取られて。

息子は志願したのではない。職業軍人でもない。無理矢理兵隊に取られたのです。親だって、戦争にはやりたくなかった。それを今になって、犬死にみたいに言うのですか。軍隊全部が悪ですか。フィリピンで死んだ私の息子たちも、罪人ですか。


今更、省察などやって何になる。俺は特攻にやらされるところだった。あと何日か終戦が遅かったら、死んでいた。

拾った命は大事に、戦友の分まで面白おかしく生きてやるよ。

もう、軍隊も天皇陛下も無い。食うものも無い。住むところも無い。家族も焼夷弾でやられた。

俺は人生を取り返すつもりだ。軍や天皇に取られた人生を、さ。


みんな、軍が無くなってから好き勝手を言いやがって。軍があるときにそれだけの意見を言えるヤツがいたら、戦争はもっと早くまともに終わっていたさ。そういう俺も、特高の拷問で転向した卑怯者だが。


この度の戦争に負けたくらいで、うろたえるな。見苦しいにも程がある。皇室が安泰である限り日本は直ちに復興して、今度こそ米英と決着を付けるのだ。


また天皇を担ぎ上げて軍を復活させようとする勢力が復活するくらいなら、日本はアメリカの五一番目の州にして貰ってはどうか。


政府の無い国を作ろう。


政府が無ければ軍隊も無いし、税金も無いだろうが、医者もいない、学校も無い、要するに一切の秩序が無い。そんな国を作るのか。


容疑者、報道機関。

軍や政府の言うことを、そのまま検証せずに報道した。結果として戦争を煽り、国内外の犠牲者を増やした。当然有罪。何しろ戦争に積極的に協力したのだから。


軍や政府には逆らえなかった。特高警察も恐ろしかった。だから、報道は報道でなくなっていた。政府や軍の宣伝、広報に過ぎなくなっていた。

政府に批判的な声は、全て権力によって抹殺されていた。例え逆らっても、直ぐに発売禁止や紙の配給が止められて、結局真実や事実を報道することはできなくなるのだ。報道とはその程度の存在であり、期待し過ぎだ。

報道は唯の民間企業だ。営利追求団体だ。だから、無罪だ。


元々報道とは、信じるに足るものではなく、常時監視すべきものであるに過ぎない。その単純な真実に、日本人は気づいていなかった。

多分、一時的に報道は反省したポーズを取るだろうが、将来同じような状況になれば、同じような対応をするに決まっている。それを日本人は忘れないことだ。

それでも、報道は影響力を持っている事に対して、有罪としなければならない。


報道は、特権的な仕事でも知的な仕事でも使命感のある仕事でも何でもない。唯の代弁者だ。時の権力の奴隷だ。

それは、これからもけっして変わらない。進歩はしない。経営が最初にあるからだ。

そして、将来も同じ罪を繰り返す事は、疑いが無い。

罪を繰り返す毎に、罰は重くなるべきだ。


報道する機関や会社には経営があって、良心は無いだろうが、そこに働く個人には少しでも良心を持って欲しい。それが期待できないなら、日本政府は信用できなくても、日本人個人は信用できる存在でありたい、という願いも空しいものになる。

組織は組織を維持するために腐るだろうが、組織を構成する個人は腐ってはならない。何処まで理想を主張できるか、それは難しいところだが、少なくても心の底には良心を育てたい。そのためにも、罪は認めなければならない。


漠然と、ラジオや新聞の言うことは本当だろうと思っていた。だが、これからはラジオや新聞の言うことはまずは疑ってみるという態度が健全だ、と言うことを学んだ。

記者には生活があり、会社には経営がある。結局、大本営発表も映画俳優の結婚離婚話も、同じ次元の報道ということだ。

但し、映画俳優の話はともかく、嘘の大本営発表を垂れ流したことは、多数を騙したことであり、やはり許されない罪だ。


容疑者、官僚。

政府を構成する部品として、政府と同様に、国民に不利益を与えた罪がある。

国家公務員のみならず、地方公務員も同様。地方自治がほとんど無いこの国では、政府の方針はそのまま地方の方針となるのだから。

地方自治が無いから、中央に従うしかないから、だから地方の責任は免れるというのは逆で、唯々諾々と中央にしたがった地方には充分な責任がある。


官尊民卑はサムライの時代の話で、公務員は納税者に奉仕すべきだ。ところが、納税者に奉仕するどころが、戦争遂行の仕組みを作って納税者を殺害した罪がある。


戦争に直接関係するかどうか分からないが、税金を盗んだ官僚はいないのか。この際、徹底的に洗って貰いたい。

必要の無い政策を作り、その為の必要の無い組織を作り、その為の必要の無い予算を取り、つまり不要な仕事をして来たのではないか。民間に、必要の無い仕事を委託し、必要の無い税金を支払ってこなかったか。そして、役所を退職したあと、必要の無い仕事で儲けさせた見返りに再就職してこなかったか。この仕組みは、税金を盗むことに他ならない。

民間企業は顧客の為に仕事をし、それが顧客のためにならなければ潰れる。官僚は国民の為ではなく、自分の為に仕事をし、税金を盗み、役所はそれでも潰れない。

この仕組みは巧妙で、収賄のように解明しやすくはなく、一見必要な仕事のように思わせるだけ悪質だ。明確に有罪である。


容疑者、日本。

大東亜共栄や五族共和を隠れ蓑に、アジア諸国に対する侵略の罪がある。

確かに、侵略と植民の盛んな時代ではある。今も、亜細亜は欧米の食いものにされている。だからといって、日本までが鬼畜米英のまねごとをして良いわけがない。しかも同じ亜細亜に対して。

米英は、亜細亜から搾取してきたという意味に於いて、間違いなく鬼畜だが、我が国が低いもの、卑しいものに同調して良いわけがない。侵略は罪だ。


日本は、侵略しただけではない。結果的に、ヨーロッパの殖民地だった国々を、独立させてやった事実もある。

なによりも、黄色人種でも白色人種と戦争できる、という事実を世界に知らしめた。これは白色人種にとっては脅威であり、屈辱であるはずだ。そして全ての有色人種の誇りとなり、多くの殖民地に独立を促すだろう。だから、情状酌量の余地はある。


この時代、植民する国とされる国があったということだ。そしてどうにか日本は、植民する国であり得た。それだけの国力が無ければ、植民されていたのだ。

そして残念ながら朝鮮や志那は、植民される側だった。民族が劣っていたわけではなかろうが、少なくても発展は遅かった。日本が植民しなければ、いずれ他国に植民されていただろう。

日本も植民する側でなければ、当然ながら植民される側に回っていただろう。いずれでもなく独立を維持できた、とは考えられない。

もしそのようなことが可能なら、アメリカは日本にハルノートを突きつけることは無かったはずだ。アメリカの日本に対する要求は、植民の一歩手前のようだった。戦争は、植民地化に対する抵抗だった。

植民地を持つことは、国際社会では承認されていたわけで、日本だけが罪ということにはならない。(ここで言う国際社会とは、植民する側だけを指すが)

植民や侵略に罪があるとしても、歴史的には軽犯罪に過ぎない。昔から強盗をやってきた欧米に対して、日本は大福を一つ万引きしたようなものだ。

万引きは窃盗には違いないが、強盗に比して罪の軽重はあるはずだ。


要するに、植民すること、別の言葉で言えば侵略することが、悪とは言えない時代を人類は経験しただけと言える。

侵略しないということは、率直には侵略する能力が無いと言うことであり、侵略される側にあることを意味するのだ。被侵略国は、一所懸命働き、国力を蓄えてきたのか。侵略されない努力をしてきたのか。

日本は明治維新から、チョンマゲを結っていたときから、僅か七〇年ほどで米英も恐れる零戦を作った国だ。侵略されるべき国ではなかったのだ。


日本の被害国である、賠償を求める、と主張する国もある。罪は無い、日本のおかげで発展した、あるいは独立の機運が持てた、独立に至った、感謝している、と言う国もある。かといって、これらを差し引きできるものだろうか。まぁ、差し引きなどできないだろうし、する意味も無いだろう。

ある国にとっては加害者であり、ある国にとっては恩人であり、ある国、即ち欧米にとっては目障りな国であったのだろう。

世界には多くの国があり、全ての利害が一致して、みんな仲良く、などあるはずもない。この世界に於いて、亜細亜を含む諸外国に対する日本の罪は殆ど無い、と言えるだろう。


志那では、租界の方が治安が良いので、租界に住みたがる志那人も多かったそうだ。志那人市民が、志那人の山賊などに襲われるくらいなら、租界で外国支配の元であっても安全に生活したい、と望んだのは当然だ。

しかし、共産党軍や国民党軍からすれば、日本は侵略国であった。民衆は平和を望み、権力は戦争を望んだ。だから、志那の民衆からすれば日本は無罪であり、共産党や国民党からすれば有罪、それだけの話だ。


侵略、植民地化は歴史の流れで、欧米の軍事力を持つ国々は、アジアに限らず中南米やアフリカを蹂躙している。

だとしても、良心に照らせば、他国もやっているから、と正当化できるものではない。真摯に謝罪するべきだ。


朝鮮半島についてはどうか。日本は朝鮮を併合し、日本の領土とした。

欧米の植民地経営は、一方的な搾取で富を本国に取り込むことであるが、日本は教育、医療、道路、鉄道、港湾などの社会資本を整備し、むしろ本国からの持ち出しであった。

確かに日本語の強制や創始改名はあったが、文盲率の激減や平均寿命の伸長という利益も与えた。イギリスはインドに、フランスはインドシナに、オランダはインドネシアに、僅かでも利益を与えたか。

朝鮮人よ、侵略だなどとお笑いだ。併合を感謝こそされ、被害者面は笑止千万。


朝鮮が二〇世紀半ばに植民地に転落したということは、残念ながら近代国家として成立していなかったと言うことである。日本は欧米の植民地にならずに、むしろ植民地を持つ側にまで成長していたのだ。

朝鮮などには耳が痛いかも知れないが、それは単純な事実である。確かに侵略し、植民地化し、誤りもあったが、歴史的背景も考慮して、必要以上の非難を受ける謂われは無い。

志那も、残念ながら各国に租界を許した。志那は日本を非難すると同じくらい強い調子で、これからイギリスやポルトガルに植民地返還を要求していけるのか。


議論は、ほぼ出尽くしたようだ。日本は、アジア諸国に負担すべき責任はきっちり負担し、謂われのない非難は断固否定すべきである。さもないと、長い未来に亘って禍根を残すことになる。


容疑者、史仁。

仮に天皇が神であったとして、神にも罪はあるだろう。所詮神は人間が作り出した物だから、過ちもあれば罪も犯す。神が人間になったと宣言したからとて、罪が購われるものではあるまい。


憲法によって、天皇は陸海軍の統帥権を持っていた。陸海軍の最高指揮権者であるから、軍の全てに責任を負うのは当然である。

帝国憲法により、天皇は立憲君主であったので政府の決定した開戦を避ける権限が無かった、政府の決定に口を差し挟めば独裁者になっていたとのことだが、同憲法により、天皇は陸海軍を統帥していたのだから、それについては俺は知らん、とは言わないと信じたい。

特に日本では、部下の失敗は上司の責任、子の過ちは親の不始末という社会常識もある。それ以上に日本人は、連帯責任という言葉が好きで、それを利用して隣組という密告システムも作り上げたほどだ。

責任者としての責任もあれば、連帯責任もある。


例え天皇が軍に利用されていただけとしても、利用されたということ自体に責任がある。利用した側にとっては、非常に利用のしがいがあっただろう。ただでは済まされない。

利用されただけ、と責任を逃れようとするなら、逆に今度は、それほど無知でそれほど無力であったことの責任を負わねばならない。

例えるなら、足を洗った金庫破りが、子供を人質に取られて犯罪組織に利用され、金庫破りの片棒を強制的に担がされたとしても、その金庫破りは無罪にはならない。

強制されても犯罪は犯罪であり、罪は罪である、とするのがこの国の刑法だ。

刑法が神に適用されるかどうか知らないが、人間には適用される。外国人でも、この国で罪を犯せば、この国の法が適用される。


仮に過って何らかの事故を起こしたとしても、過失責任が問われる。尤も戦争責任に、過失などと言う言い訳は通らないが。


天皇陛下萬歳で死んでいった兵隊や民間人を思うと、どう考えても、天皇に一切の責任が無いとは言えない。

他人事としてではなく、自分が鉄砲で撃たれて、砲弾でばらばらになって、艦が沈められて溺れて、焼夷弾に焼かれて、ジャングルで飢えて、北で凍えて、南で風土病で死ぬこと、つまり殺されることを想像してみるが良い。誰が自分を殺すのかを、何故自分が死ななければならないのかを。

自分を殺す誰かに、自分が死ななければならない原因に、何らの罪も無いと言えるのか。


彼のためという名目で、一体どれだけの兵隊が軍によって殺されたか、そして死んで行ったか、どれだけの民間人が焼夷弾や原爆で命を落としたかを考えれば、莫大な道義的責任がある。

神が人間になって終わり、とは余りにご都合主義である。元々が人間であったのだ。ある意味、人間らしい人間であったのだ。


彼自身は、吉川現のように死ぬ真似もしなかった。ダン・モーガンを口先で誤魔化して、逮捕もされず命を拾った。

良心は無いのか。恥を感じる能力は無いのか。


選択肢はいくつかあるだろう。何らかの方法で史仁個人の責任を問うが、天皇制は存続する、史仁個人の戦争責任に拠らず、日本の未来のために天皇制は廃止する、国外追放する、あるいは亡命を認める、史仁に一切の責任は無く、天皇制を維持する、など。

いずれを選択するにしても、新たに法を定めて遡って適用しては、ダン・モーガンの戦争裁判と同じ事になる。そこは日本人の理性を働かせて、やってはいけないことはやらない、と国際社会に示すことだ。


史仁を生かし、この悲惨な戦争を忘れないための忘却防止装置として、天皇制を維持するという方法もある。

南樺太、千島列島などが火事場泥棒の蘇連に盗まれてしまったが、そのことによって戦争を忘れない様に、同じく天皇制がある限り戦争を忘れないように、と利用するのだ。天皇制の積極的平和利用と呼んでも良い。


開戦と戦争そのものは誰の責任でもなく、政府の外交手段、政策としよう。

しかし、極めて悲惨な状態まで戦争を継続した責任は、戦争指導者にある。

史仁は少なくても原爆が二発落とされるよりも前に、陸海軍に理性的な意見を述べるべきであった。自分の命くらい懸けて、日本人を無駄に殺させるべきではなかった。

神とまで崇められた者の責任とは、そういうものだろう。

バスの運転手なら、乗客の安全のために尽くすのが義務だから、史仁が君主なら、食うものが無くて負傷したところをウジに食われて死んでいった、敵の弾に斃れた、敵の潜水艦に沈められて溺れた、敵の戦闘機に撃墜された、無駄に死ねと玉砕させられた兵隊たちや、焼夷弾で燃えた市民、原爆で蒸発した市民、放射線障害に苦しむ市民、飢えている市民などの陛下の赤子に対して、尽くさなければならない。理性と良心を持って、責任を果たさなければならない。


形だけかも知れないが、天皇のためにと死んでいった兵隊たちの為に、戦争に負けたからと天皇を全否定するのではなく、天皇のためではなく、死んだ兵隊たちのために別の何か方策が無いものかと思う。

同じように、戦争に負けたからと言って余りにアメリカにペコペコするのは、死んだ人間に対して恥ずかしくないのか。


天皇無くして日本は無い。


天皇で日本は滅びかけた。


科学的に万世一系であるかどうか知らないが、人間は出自が全てではない。蜂でさえも、女王蜂が生まれるのではなく、女王蜂として育てられるのだ。

大体、この近代国家に、天皇の存在意義は何処にあるのか。

天皇のために多くの人が死んだというマイナスの事実は誰でも知っているが、それを補って余るプラスの意義は何処にあるのか。


容疑者、軍隊、政府、官僚、皇室を除く全ての日本人市民

戦争をするという政府の方針に反対しなかったこと自体は罪にならないだろうが、軍隊を政府がコントロールしなかったことに対して、即ち日本人が日本政府を介して軍隊をコントロールしなかったことに対しては、深い罪がある。為に、兵隊は餓死し、特攻隊が組織され、空襲を受け、原爆投下を許したのだから。


日本人はもっと民主主義について考え、成長すべきであった。それを怠ったという罪がある。

自分たちが、戦争の長期化によって食糧不足や言論の厳しい制限、空襲の恐怖などを被った事に対して、つまり自分自身に対して、罪があるのだ。また、死んでいった兵隊たちに対しても、罪があるのだ。


戦争中は政府や軍の言いなりになっていたくせに、負けると今度は勝った方の言いなりになっては、余りに品性が無い。せめてこの戦争省察だけは、真剣に真摯に高潔に良心を裏切らずに完成させなければならない。

省察すべきは省察し、主張すべきは主張し、要求すべきは要求し、反省すべきは反省し、賠償すべきは賠償し、謝罪すべきは謝罪し、訂正すべきは訂正し、改良すべきは改良し、残すべきは残し、廃止すべきは廃止し、恥じるべきは恥じ入り、誇るべきは誇り、戦争には負けたが、我々日本人は一流の民族であることを世界に知らしめるべきである。


戦争に負けただけで、人間として負けたのではないと世界に教えてやろう。人種差別と戦って、戦争に負けたと示してやろう。そうしなければ、未来の日本人に対する現在の日本人の罪は、より深くなる。


軍部だけが悪かったのではない。政府だけが悪かったのではない。史仁だけが悪かったのではない。米・英・支・蘇だけが悪かったのではない。日本の兵隊だけが悪かったのではない。日本の民間人にも相当の責任がある。特高による恐怖政治があったとしても、日本人が全ての責任を免れるということはない。


戦争自体は、国際法上は犯罪ではなく最終的な外交手段としても、国家に個人を殺す権利があるのか。

国家の仕組みとして、軍隊を持ち、兵隊は命をかけて戦う。それは現実ではある。しかしそれは、国家が国民を殺すことだ。そんな権利が政府にあるのか。

選挙で選ばれた政府であれば、政府の命令で兵隊が死ぬことは、日本人が間接的に別の日本人を殺すことになる。そして殺されるのは、弱い貧しい人たちだけだ。


アメリカの人種差別から来る理不尽な要求に対し、例え叶わなくても一発食らわしてやれ、も分かるが、個人としてやるなら良い。一発食らわして、あとで腕を折られても、それは自分の判断だ。

しかし国家としてやるとなると、死ぬ人間が出る。政府と雖も、人を殺す権利は無い。

アメリカに一発食らわすなら、兵隊を使わずに政府の人間が自分でやれば良い。外交には命くらいかけてくれ。兵隊は命をかけたのだから。


権力者や金持ちは安全なところにいて、貧乏人だけが殺されたり死ぬ思いをする国家の仕組みこそが問題だ。日本人全体に罪があるのではなく、そのような仕組みを作った、権力者、金持ちだけに罪がある。


ここで断っておくが、私は共産主義ではない。軍隊を否定しているのでもない。軍隊の無い国は、生きていけないだろう。

悪い意味で平等な共産主義ではなく、良い意味で平等な社会を求めている。スタートが平等で、あとは才能、努力、運で競争できる社会を求めている。

一般市民にまでも罪があるというのは、酷だ。


日本人は、日本人自身に対する罪がある。何故なら、沖縄や満州、グアム、サイパンなどに住む日本人を見殺しにした。東京大空襲や広島、長崎の原爆で数十万人が死んだ。

そのような戦争を行ったのは、結局は日本人だ。日本人は政府をコントロールし、政府は軍をコントロールし、軍は戦争をコントロールすべきだった。

私は、隣組や特高が怖くて、何もできなかった。当然、私にも罪がある。


民間人だけではない。特高と雖も人の子、人の親、それなのに人を拷問して殺すなど、よくもそんなことができたものだ。

しかし、そのような権限を与えられるとやってしまう、というのが人間の本性であるかも知れない。隣組など、近所の人を密告するのだが、それも人の本性。

しかし、本性だからと言って許せるものでもない。理性を少し優先させれば、人を拷問して片輪にしたり殺すなど、できるはずがない。それはやはり、日本人が日本人に犯した罪だ。


容疑者、蘇連(それん)。

日本将兵を抑留したことは、明らかに蘇連の罪である。疑い無く、国際法違反である。

蘇連は日蘇中立条約を一方的に破棄して、広島に原子爆弾が使用された翌々日、大慌てで日本に宣戦を布告し、南樺太、千島列島、満州などに侵攻した。しかし、戦争が政府の方針であり、外交手段であるなら、国益のために戦争すること自体は国際法上罪ではない。日本が米英に戦争を仕掛けたことが罪ではないように。


蘇連が南樺太、千島列島などを領有したことは、戦勝国の権利と言えるかも知れない。仮に日本が戦争に勝利していたら、アジアのどれほどの国々を領有していただろうか。


蘇連の第一の罪は日本将兵をシベリアやモンゴルに連行し、強制労働させたことである。労働が過酷であっただけではなく、厳寒の環境で満足な食事も支給せず、いつ帰国できるという希望も与えなかった。この処置はポツダム宣言に違反する明確で重大な犯罪である。

蘇連には第二の罪も有る。それは、南樺太、千島列島などを不法に占拠したことである。国際法によって戦争そのものは犯罪とはならないが、国際法によって最低限のルールが規定されている。蘇連は、戦争終結後に日本の領土を占領した。

蘇連は、根拠無く国際法を無視して掠め取った日本の領土を、直ちに返還しなければならない。但し、泥棒が盗んだ物を返還しても、それで罪が消えるわけではない。


ここは世界に対して蘇連の卑劣な行動を説明し、日本の権利を主張すべきである。返還要求をしないと、日本は国際社会の笑いものにもなるだけではなく、未来の諸外国との外交に破滅的な影響を与えるだろう。


第三の罪も忘れてはならない。満州や樺太の民間人を虐殺した罪を。蘇連は日本の領土を強奪しただけではなく、アメリカと同じように非戦闘員、民間人を大量に虐殺した。決して許されない罪を犯した。


蘇連は、日本がポツダム宣言受諾後、さらに降伏文書調印後の九月四日まで侵攻することで、千島列島、南樺太、歯舞諸島、色丹島と占領した。明らかな不法行為であり、戦勝国の権利ではない。重大な犯罪だ。あれほど卑しい国が他にあろうか。アメリカと肩を並べるほどだ。


容疑者、アメリカ合衆国。

アメリカの罪は深い。日本が自国に戦争を仕掛けるように仕向けた。どれだけ日本が譲歩しても、まだ足りないと言ってきて、どのような平和主義の国でも戦争という選択をするしかないだろう、と他国にさえ言わしめるほどだった。戦争を仕掛けたのはアメリカだと明確に証明できるし、国際社会に理性があれば、そう理解できるはずだ。

真珠湾がアメリカ市民にとって奇襲になったのは日本大使館の不手際だが、実は暗号解読で察知されていて、アメリカ政府にとっては奇襲ではなく開戦の口実を得たに過ぎない。奇襲とはちゃんちゃらおかしい。どの口が言うのだ。

真珠湾では日本は軍事目標だけを爆撃したが、アメリカの空襲は無差別、絨毯爆撃だった。しかも、爆弾の爆発力は木製の日本家屋には必要以上に強すぎるからと、燃やすことが目的の焼夷弾を使用した。爆発で即死するより、焼死という悲惨な死に方をしなければならなかった日本人が大勢いた。非戦闘員、一般市民だ。まさにアメリカは、鬼畜だ。


戦争が終わりかけてからの広島と長崎への原爆は、民間人に対する無差別攻撃で、その根底に横たわるのは醜い人種差別だ。コーカソイドにとってモンゴロイドやネグロイドは人間ではない、という理解が戦争の原因であり、戦争そのものよりも罪が深い。

戦争の早期終結によるアメリカ軍将兵の損耗を避けるためという名目をでっち上げ、蘇連を牽制するためと、原子爆弾の放射線破壊力の人体実験をするためとは、理性などかけらも無い人間のみ為し得る、悪魔の所業だ。


ボブ・グラハム大統領は戦争好きで、日本軍が真珠湾を攻撃する暗号も解読していたが、戦艦の二隻や三隻で合衆国の世論が戦争に傾くなら安い物だと考えていた。彼は自国民をも欺いていた。

アメリカ人には、故グラハム前大統領を裁く義務がある。


真珠湾攻撃の直後、日系人は強制収容された。

日系と言っても二世はアメリカ生まれ、アメリカ国籍を持つ一〇〇パーセントアメリカ人だった。一世には、望んでも国籍が与えられなかった者も多くいた。彼らをもアメリカ人と見なしても良いだろう。

アメリカには、無罪の人々を監禁した罪がある。少なくても二世は完全なアメリカ人であり、それを監禁したのは人種差別以外の何ものでもない。

日系人が強制収容されるとき、それまでに汗を流して手に入れていた財産は二束三文で買い叩かれ、自由と希望を含めて持っていたほとんど全てを剥奪された。

ドイツ系もイタリア系も、強制収容されなかった。有色人種に対する、あからさまな人種差別政策だ。

次に合衆国政府は、収容所から出たいなら兵隊に志願しろと言ってきた。日系二世を戦闘部隊としてヨーロッパ戦線で特に危険な任務に従事させ、語学兵として太平洋戦線で情報収集などに当たらせた。あざといやり方だ。

非合法な戦争裁判を忘れては駄目だ。しかも、戦争終結後に決めたルールを遡って適用するという二重の暴挙だ。全ては余りにも愚かで、醜悪だ。アメリカの罪は多い。


省察の断決

省察の結果を国会で決議し、それを断決と呼ぶことになった。

アメリカ主導の戦争裁判は、戦勝国が敗戦国を裁くものであり、あからさまな矛盾に満ちていたが、敗戦国が自国政府、自国民、つまり自分自身、天皇、さらに戦勝国をも裁く省察、断決には、人類の理性と良心が存分に含まれていた。

一歩引いて考える日本人の国民性によるものか、インドのジテッシ・メタ判事、オランダのエバート・バン・デ・ベン判事、五人のアメリカ人弁護士には、日本人の断決はむしろ他者に対する罪の追求が甘い、という印象を与える程の内容だった。


被告、先進国の植民地政策

主文、無罪。

先進国が後進国を植民することは、罪とはされなかった。植民される後進国からすれば先進国には明らかな罪があるが、後進国はそれを妨げる正義の力を保有しなかった。現実的に、どの先進国も争って植民地を持ち、搾取し、富を自国に送った。

多数がやることは、認めなければならない。もちろん、多数が必ずしも正しいとは限らないという意見もあったが、二〇世紀半ばの現実を追認することになった。人類の進歩のプロセスとして、否定しないことになった。

誰でも銃を保有し、携帯できる国がある。法律でその権利が認められる以前に、それは最初から規制されていなかった。法が現実に合わせたのだ。私有財産を許さない国もある。複数の妻を持つことが合法な国もある。

歴史と現実は否定できない。人間の生活や国家において、理性や正義が全てではなく、感情や不合理も現実に多々存在する。


被告、在ワシントン日本大使館職員

主文、有罪。

日本の宣戦布告が遅延した事に対して、在アメリカ日本大使館員は有罪とされた。

宣戦布告が遅れた原因は、職員の送別会出席のために宿直も置かず大使館を無人にしたことであり、このために真珠湾攻撃は、宣戦布告の無い騙し討ちとして日本の名誉を著しく失墜させた。

外務省にも当然ながら責任があり、しかるべく改革がなされることになった。


被告、アメリカ合衆国

主文、有罪。

戦前のアメリカの日本に対する干渉は極めて不当であった、と断決された。無抵抗であっても何時止むとも知れない暴力を受け続けるなら、ついには叶わないまでも一発くらいは見舞ってやろう、という気になるのは当然である。そこまで日本を追い込んだアメリカにこそ、開戦の責任がある。

根源は、白人が有色人種に持つ根深い人種差別と喝破された。

パール・ハーバー・アタックを事前察知していたにもかかわらず、合衆国世論を味方に付けるために日本軍の攻撃を許したアメリカ合衆国大統領ボブ・グラハムは有罪。

同じく、日系人の強制収容に対してもアメリカは有罪。

米軍の日本市街地爆撃は有罪。軍事目標ではなく、一般市民を無差別に殺戮した罪は、とうてい許されない。

原爆の使用も有罪。米軍将兵の損耗を避けるためという理由であれば、都市ではなく山間部など人の住まない地域でもって日本軍に破壊力をデモンストレーションできたはずで、いくつもの不純な理由、特に放射線破壊力の人体実験は絶対に許されない。

しかも、広島の三日後に長崎と二発も使用するとは、文明人の仕業とは思えない、理性のかけらも無い残虐な行為であると断決された。

当然、原爆投下作戦に署名したウォルト・サリバン大統領も有罪。

同じ人間を奴隷として、農作業のできる家畜としてアフリカから輸入した国、先住民インディアンを虐殺し、絶滅寸前に追い詰め、居留地に押し込めて全てを奪った国の人間であるからこそ実行できた、人類史上空前絶後の恐るべき犯罪と断決された。

ナチスの罪でさえも、霞むものである。

そして、戦争裁判に参加したアメリカの五人の弁護士はアメリカの良心を代表するものとして、アメリカの罪を減じるものとして、功績が讃えられた。


被告、蘇連

主文、有罪。

蘇連の対日参戦は無罪とされた。感情的には許しきれないところではあったが、戦争が国際法で禁止されておらず、人類がそこまで進歩していない以上、有罪とする根拠が無かった。

しかし、日本将兵抑留は明確に国際法違反であると主張し、早急に帰還させることを強硬に要求した。

この要求は、戦争中、国民を消耗品のように扱った日本政府が、今度こそまともな政府として、自国民の利益のための政府として機能しようとする努力である。敗戦国とはいえ、正当な要求もできないようでは政府の存在する意味が無い。政府は政治家や金持ちのためにあるのではなく、国民のためにあるのだ。

さらに、対日参戦を無罪とするなら、戦争に負けた以上国土を奪われることもやむなし、との意見もあったが、南樺太及び千島列島は返還要求することとした。火事場泥棒は許されない。条約を一方的に破棄しての参戦であり、何もかも許せば、いずれ全ての国に甘く見られる事になり、未来に重大な禍根を残す。


被告、日本人

主文、有罪。

日本人自身が有罪とされるべき点も少なくなかった。

封建制崩壊時、幕府から明治政府に勝手に変わってしまい、その為に市民革命があったわけではなかった。市民が血を流して、民主主義を手に入れたわけではなかった。だから明治になっても、武士の残党が国家権力の全てを掌握していた。

町民は、読み書きはできても高い教育を受けることはできず、農民のほとんどは文盲であり、人脈、教育、資産などを持つ武士の残党が上位に立つことは必然であっただろう。

明治から昭和一六年まで七四年を経て、日本人はまだ政府イコールお上(かみ)であり、天皇は神であり、それを疑問と思わず、ために戦争に利用されたと言える。

政府は選挙で選ばれた人間で構成されるべきであり、政府は世論に敏感であるべきであり、日本人は政府に批判的であるべきである。そのことを、戦争前に気づくべきであった。

特高や軍による恐怖統治ではあった。それでも、直接的に逆らうことはできなくても、心の中では批判精神を持ち、疑問を持ち、自問すべきであった。そうすれば、ウジに食われながら餓死する兵隊は、出なかったかも知れない。二〇歳前後の若者を特攻で殺すことも、なかったかも知れない。広島と長崎に原子爆弾を落とさせることも、避けられただろう。東京大空襲を始めとする各地の空襲による民間人の犠牲者も、最小限に抑えられたはずである。

国民に害を為す政府や天皇は要らない、と早く気づくべきだった。

報道には権力の監視はできない、と早く気づくべきだった。

日本人自身にもいくつもの過失があり、それは償い、改めなければならない。

未来の日本人が過去の日本人を評論しているのではない。今の日本人が数年前の日本人、つまり自分自身を省察、断決した結果だ。


被告、史仁

主文、有罪。

日本人は、如何なる形態でも政府は必要であろうが、天皇が必要かどうか検討する意味はあることを知った。

お飾りとして置いておくなら、それに相応しい待遇にとどめるべきで、従来のように特別な言葉を用いたり、必要以上に祭り上げるべきではない。何故なら、日本はこれから初めて、真の民主主義国家を目指すのだから。

仮に天皇制度を存続しても、例えば二〇〇年以上前の天皇の墓は学術調査するくらいの民主主義は実現すべきだ。一〇〇年なら、新しすぎて先祖として生々しいだろうが、二〇〇年以前ならそれもなく、また調査する学問的な価値もあるだろう。

他国の、例えばピラミッドなどの遺跡の考古学的調査には興味を持つが、自国の天皇陵の調査はやらないと言うのは、お笑い種である。

調査によって、学術的に天皇家は継続していないことが判明したならその結果を、継続しているならその結果を、世界に発表すれば良い。

三種の神器なるものが実在するなら、博物館で公開展示すべきである。

史仁は、戦争責任においては有罪。


今、断決を精密、厳格にやっておかないと、政治家は企業にたかって私腹を肥やし、官僚は国家予算で天下り先を作って甘い汁を吸い、企業は労働者を使い捨てにして不当に利益を上げ、警察や検察は自身の成績のために冤罪をでっち上げ、経営のために権力に阿る報道がはびこる社会になるだろう。

国際的には、常識的な外交もできない国に成り下がるだろう。国際社会の一員として主張もできず、他国の干渉には怯え、自国の国民や利益を守れず、他国、特にアメリカの顔色を伺うことに忙しい二流、三流国に転落するだろう。

その道のプロとして、陸軍軍人が陸軍大臣になり、海軍軍人が海軍大臣になるのは、当然と言える。しかし、陸軍軍人や海軍軍人が総理大臣になれる仕組みであっても、安易にその選択をしない日本人の判断力が要求される。

法を学んだこともない者が司法大臣になったり、外交音痴が外務大臣になったり、農業、漁業を知らない者が農林大臣になったりを、許してはならない。当選回数や派閥のバランスで大臣の椅子を割り振るのではなく、国益のためにその道のプロが大臣になるべきである。

能力の無い者を、有名だからと言う理由だけで当選させるような選挙権の行使は、無意味以下の害毒である。

断決ができる日本人であれば、私腹を肥やす政治家を選挙で排除し、税金を盗む官僚を法で排除し、労働者を使い捨てる社会を矯正し、冤罪を作る警察や検察の仕組みを修正し、報道が世論を誘導するのではなく、世論は報道を批判、監視することができるだろう。

また、戦争前は一流国であった事を忘れず、復興後は一流国に戻ることができるだろう。

日本は紛れもなく一流国であったのだ。零戦の技術、空母の戦略、国民の識字率、清(しん)や露西亜(ロシア)に勝ち、アメリカをきりきり舞いさせた軍事力、文化、歴史、国民性、芸術、スポーツ、世界に誇れるものは多々ある。

今は戦争で疲弊したが、いずれ復興する。世界が驚くスピードで、復興を成し遂げるだろう。そしてまた一流国に返り咲くのだ。

白人の人種差別に力で負けたからといって、卑屈になる事はない。恥じるべきは戦争したこと、戦争を壊滅直前まで継続したこと、そのような社会の仕組みを作ってしまったことだ。この点を反省し修正すれば、日本人はかつての誇りを取り戻せる。

これからまた、戦争があるかも知れない。戦争を起こさなくても、侵略されることがあるかも知れない。自然災害も、あるかも知れない。伝染病の爆発的な感染も、あるかも知れない。いろいろな災いを被るだろうが、その都度、負けずに立ち上がれる日本人であらねばならない。

日本人個人としては、卑しい政治家、経営者、役人、言論人、学者などは無くならないだろうが、日本人全体としては、そのような卑しむべき人間を可能な限り少数に抑えることができるだろう。日本人には、その程度の素養、民度、知性はあるはずである。

日本人の能力を世界に示す為にも、戦争を繰り返さないためにも、日本人は断決を完成させなければならない。それは同時に、国籍にかかわらず戦争で殺された人々と、被害を受けた人々全てに対する、衷心からの贖罪でもある。

軍隊が必要悪であるなら、国家も必要悪だ。戦争も、時に必要悪かも知れない。しかし必要悪という言葉で、何でもかでもその存在を安易に容認してはならない。過去には必要であっても今でも必要なのか、ある条件が揃えば廃止できるのではないか、などといつも疑ってみることが肝要だ。必要悪とは、無くて済むならそれに越したことは無いものなのだから。

国旗や国歌は、強制されるべきではない。今回の戦争遂行の道具にしたように、権力はそれらを国民に強制してはならない。

自然と母国に誇りが持てるなら、誰が強制しなくてそれらは国民に愛される。強制したとき、それらは不要な悪の存在となる。

権力が余計なところに介入しなれば、日本人は自国に誇りを持てるはずだ。

神が人間に変更されるくらいだから、日本人が望むなら、国歌や国旗のごときは変更しても何ら不都合は無い。

愛国心とは、強制したりされたりするものではけっして無く、自分自身を愛せる国であれば、自然と自分が所属する国をも愛するようになる。そのようにするのは、国民自身であり、権力が口出しをすると壊れてしまう。国家は、国民が自分に誇りを持つことを邪魔しなければ良いだけなのだ。

新憲法では、表現の自由や言論の自由が保障されている。この自由は権力を監視するために、最大限に利用されるべきだ。

いずれ権力は、進駐軍が撤退した後に自由を制限してくるだろう。アメリカでさえも進駐軍に不都合な報道には圧力を掛けるくらいだから、いずれ日本政府にも戦争を指導した奴らの亡霊が、子や孫が現れて、自らに都合の悪い表現や言論を封殺するようになる。

それを少しでも遅らせるため、望むらくはそのような事態を永遠に避けるため、表現と言論の自由を確保し続けなければならない。愚劣なもの、低俗なものを全て許すという意味ではないが、愚劣や低俗は権力が決めるのではなく、民度が決めるのだ。

今度の憲法の各条文は、美しい。だからこそ、権力に都合の悪い条文が多々ある。

いずれ戦争犯罪人、あるいは容疑者の子孫が、改悪を挑んでくるだろう。または、解釈の変更という姑息で卑劣な手段を提案するだろう。

アメリカの押しつけ憲法だから破棄して自主制定すべきだ、という妄言を吐く痴人も出現するだろう。

だが、憲法はこれら権力を縛るためにあるもので、縛られる者がそれを緩めたいと望むことは当然である、と理解していなければならない。逮捕された泥棒が、手錠を外そうともがくようなものである。

改憲という言葉が登場するのであれば、それは権力からではなく国民からであらねばならない。権力には、改憲を提案する権利を与えない。

いずれ近い将来進駐軍は撤退し、日本は連合国から主権を取り戻すことになる。その時は、本当の意味で主権を取り戻さなければならない。

アメリカに仕掛けた戦争が国家防衛の戦争であるとするなら、その筋を通して、アメリカに媚びへつらうのは止めにしよう。

アメリカという国を思い出してみよう。東京大空襲を、広島と長崎の原爆を。日本が戦争を起こさざるを得なくした、あの国のやり方を。

東京裁判で日本側の弁護を引き受けた二五人の弁護士もアメリカ人だが、あの国の開戦時の大統領ボブ・グラハムも、終戦時の大統領ウォルト・サリバンもアメリカ人だ。

同じように、戦争で殺された日本の民間人や兵隊も日本人だが、戦争を指導したのも日本人だ。

要するに、国民ひとりひとりは平和を尊ぶ個人であり善良な市民であっても、国は違えども権力となると、それは悪の塊と言える。

アメリカ始め白人の国からは、今後も人種差別は無くならない。少なくても三〇年や五〇年という時間では、無くならない。政治に限らずスポーツや文化でも自分達の価値観を絶対的な善とし、有色人種の価値観を絶対的な悪と見なす。

そのような国に無節操に従うべきではなく、それが実現できたとき、この国は主権を取り戻した、と言えるだろう。

権力が欲しいが為にアメリカに従う政治家を国民が捨てるのは、七〇年後になるのかあるいは一〇〇年後になるのか。

戦争で殺された、文字通り当時の日本政府に殺された、同時にアメリカ政府に殺された兵隊が靖国神社に神として祀られ、日本国民が尊崇の念を捧げているとするなら、どうして日本政府は進駐軍にあれほどペコペコするのか。まるで、飼い主に千切れるほど尾を振る、犬の如く。

餌が貰えるからか。おまえたちの飼い主のために、特攻は死んでいったのか。おまえたちは生きていることが、恥ずかしくはないのか。せめて、餌は自分で手に入れようとはしないのか。

アメリカはかつて敵であり、これからも人種差別という原理は無くならないのであって、一旦は、戦争で負けたからある程度言うことは聞かなければならないとしても、殺された兵隊や民間人に僅かでも寄せる心があるなら、アメリカから真の意味で独立するべきだ。

昨日まで子供たちに真実として教えていた教科書を、今日は誤りとして墨で塗り潰すことに、空襲で孤児となった子供たちに、アメリカ兵に体を売ってしか生きていくしか方策が無い女たちに、責任を取るべき人間はどう責任を取るのか。

その責任者の子や孫が、また無責任に同じ事を繰り返すのが、この国の限界なのか。

教科書に墨を塗るなら、天皇にも墨を塗れ。両親を一時に失い、自分が七歳の孤児になったと想像してみろ。自分の娘がパンパンになると想像してみろ。

おまえたちは何をやってきたか、これからも何をやっていくかを考えてみろ。それでも、おまえたちには生きていく価値があると思うか。

省察もまた、一過性として終わらせず、未来に生かすと言う意味で振り返ることを忘れてはならない。習慣化するのだ。

この課税は正しいのか、この税金の使途は正しいのか、この外交は正しいのか、この法案は正しいのか、この報道のあり方は正しいのか、この警察のやり方は正しいのか、この投票は正しいのか、この存在は必要なのか、あるいは、こういうものこそ新たに必要であろう、と我々は自分の為に考えよう。


省察を元に、関係法令の改正案と新しい立法案が提出された。


軍隊や警察は自国民に銃口を向ける癖があるので、国民の武装の権利を侵してはならないものとする。

暴力で倒される政府なら、それだけのものでしかないのだ。

それに、国民は、自国政府からだけではなく、他人からも自身や家族を守る権利がある。銃器類を野放しにするのではなく、適切な管理の元で個人の保有を権利として認めるのだ。

民間にある武器は、正規軍に加えて侵略に対する抵抗の力となり、結果的に国家を防衛する補助にもなる。


権力の世襲は、禁止する。

権力、これ程腐りやすいものはない。全ての議員、首長などは二期までとして、現職でなくても議員や首長の子は立候補できないものとする。即ち、立候補できるのは孫の世代からとする。

権力の私物化は許されない。殿様の子が殿様になる時代ではない。人類は進歩したのだ。


公務員の世襲も禁止する。

家老の子が家老になる時代ではない。


議員や公務員の民間への就職に、制限を与える。

例えば大蔵省から銀行などへの就職は、職業選択の自由より優先して禁止される。官僚に税金を盗ませないためである。


議員や官僚は、憲法の改正を発案できないものとする。

何となれば、彼らを縛るものが憲法であるから。

また、憲法の改正が困難だからといって、憲法の解釈を変えるなどは、もっての外である。


政府が秘匿できる情報は、最低限とする。

国家の安全と国民の知る権利のバランスを取ることは、政府には荷が重すぎることはこの戦争で証明された。

『大本営発表』を繰り返してはいけない。放置すれば、政府は自らの失敗を全て秘密にするだろう。かといって、報道がそれを暴くことは全く期待できないことも、この戦争で証明された。報道は、権力の手先なのだ。

国民が政府を監視する以外に方法は無い。必要に応じて落選させれば良いだけの話だ。


官僚も民間企業同様に、必要に応じて減員することもできることとする。

官僚の人事権は、国民にあるものとする。

公務員は一生保証される身分ではなく、単なる職業に過ぎないもの、とする仕組みを作り上げる。


関係国への賠償問題は、可及的速やかに処理を行うものとする。

一旦合意が形成された後は、蒸し返されないように国際社会を証人として合意文書を交わす。

日本は戦争には負けたが、人種差別には一矢報いたものであり、戦勝国にも関係国にも、賠償の後は卑屈や自虐を感じる必要は全く無い。


靖国神社は天皇制と同様、存続が必要かどうか検討する。

諸外国には兵隊を慰霊する宗教施設があるが、犯罪者を同時に慰霊しているだろうか。ドイツは、ナチスの起こした戦争で死んだ兵隊と一緒にヒットラーを慰霊しているか。否である。

日本人の宗教感として死ねば仏ともいうが、戦勝国ではなく日本が省察した戦争犯罪人は、戦争の犠牲者と共に慰霊されるべきではない。戦争犯罪人と一緒に息子を祀ることは断る、という遺族もいる。

靖国神社が、未来の戦争を嗜好する権力者に利用されてはならない。

戦争の犠牲者と被害者は、加害者とは区別されるべきである。


報道に特権を与えない。

まずは公共放送を廃止する。民間放送でさえ容易に権力の代弁者になる国で、公共放送は極めて危険な存在だ。

新聞や雑誌に代わり、将来はラジオなどの電波が報道の主流になるだろうが、電波は有限の資源であり人類共有の財産であるので、人々の福祉の増進に利用されるべきものであり、放送局の自由になる物ではない。一旦周波数を割り当てられたからといって、何があっても永久に取り消されないというものではない。

報道の内容は、国民によって監視されるものとする。間違っても、国家によって監視されてはならない。報道が国家に弾圧されるのであれば健全な関係と言えるが、しかし、国家に媚びない報道、あるいは大衆に媚びない報道は、あり得ないものと考えられる。報道とは、所詮その程度の存在に過ぎないのだ。


特高警察の拷問死を明らかにし、再発防止のために取り調べには弁護士を立ち会わせる。

警察や検察が入手した証拠は全て容疑者、弁護士に開示されるものとする。国家権力が国家予算で証拠を収集する能力と、弁護士の収集能力には大きな差違がある。

さらに、国家権力が根こそぎ浚った後に容疑者に有利な証拠を発見することは、極めて困難である。

全ての証拠の開示により、冤罪を防止する。

警察や検察が、国民によって監視される仕組みを構築する。


戦争は二度とやらない。

だが、日本が戦争から遠い存在であり続けるために、憲法九条の一、戦争と武力による威嚇又は武力の行使、は放棄するとして、二、戦力を保持しない事、は実現できない。

いずれ、ドイツもイタリアも軍隊を持つだろう。日本も持たざるを得なくなる。大衆の面前で、自分ひとりだけパンツを穿かないようなことはできるはずが無い。

例え使わないと宣言しても、持つと持たないとでは、野望を持つ国に対する影響は大きく違ってくる。使わないと宣言して、使えるものを持っておけば、使うことがあるかも知れない、使わざるを得なくなるかも知れない。それは野望を持つ国に対する牽制となり得るが、残念ながら、同時に過ちを繰り返す可能性を助長するものともなる。

しかし、他国からの侵略を防ぐ利益と軍隊が国民に銃を向ける危険性を勘案したとき、国力によって規模の大小はあれ軍隊を保有しない国は無いと言う現実からも、軍隊を保有することは自然であり、必要であると言わざるを得ない。それが人類の理性の限界でもある。

攻撃する牙とまでは言えなくても、触ったら刺さるトゲくらいは生えているぞ、知らしめるくらいはやむを得ない。

だが、過半数の国民がトゲさえ要らない、誤って自分を刺す危険性を回避したい、ということであればそれもやむを得ない。

個人が武装の権利を持ち、必要なときはゲリラ的に侵略軍と戦う(もちろん、必要なときは自国政府とも戦う)、という戦略もある。

軍隊を再度保有しても、今度は海外派兵をしないこととする。自国を防衛する目的の軍隊であれば、海外への展開は不要である。侵略軍の基地を叩くことは必要でも、進駐や侵略は不要だ。


当然ながら九条に規定されているとおり、他国の内戦や第三国同士の紛争には介在しない。

軍隊を出さないだけではなく、同盟国に戦費も出さない。

軍事同盟は、如何なる国とも締結しない。


武器やその部品となる物や技術は、輸出しないこととする。

アメリカに対してもだ。

自国の武器や部品、技術で攻撃される愚を避けることは当然だが、他国の人間でも傷つけるべきではないし、人殺しの道具で金儲けなどもっての外だ。


原子爆弾は日本人にとって絶対容認できない兵器であるから、開発しない、保有しない、持ち込ませない、を原則とする。この原則に例外は、無い。


核エネルギーは利用しない。

核エネルギーの利用は原子爆弾として実現したが、動力としても目下研究中である。

しかし日本は、動力であっても核エネルギーの利用には極めて慎重であるべきだ。

絶対に放射線が漏れない、あるは放射線が発生しない核エネルギーの利用方法が開発されたなら再考するとしても、広島、長崎の放射線で苦しむ人たちを思うとき、日本は全ての核エネルギーの利用を、戦争と同じ様に放棄することだけが選択肢である。


日本は今アメリカを中心とした連合国に占領されているが、いずれ独立する。その時は、独立したのだからもう連合国に媚びることは無い。顔色を伺うことは無い。

有色人種に対する差別が、あと五〇年や一〇〇年できれいに消え去るとは思えない。いずれまた、無理難題を言い出さないとも限らない。独立したら、特にアメリカとはつかず離れずの関係に限定する。

以上を実現できるかどうかは、日本人の監視にかかっている。政府を監視すること、いつか再組織されるであろう軍隊を監視すること、報道を監視すること、国際社会を監視すること、警察を監視すること、官僚を監視すること、教育を監視すること、企業を監視すること、何より自分自身を監視すること、即ち監視すべき対象を監視し続ける義務を怠らないようにすることが基本であり、唯一の手段となる。


史仁自身の省察と断決

とりあえず、命は助かった。ダン・モーガンへのはったりが効いたのか、それとも奴は、はったりが効いたフリをして俺を利用したかったのか。いずれにしても、まだ俺は吊されていない。喜ばしいことだ。

米国には、俺を吊せという将軍もいると聞いている。いずれ吊されるのか、それとは別に天皇制度は残るのか、何もかもモーガンの胸先三寸ということか。胸糞悪い。

俺が退位して、皇太子を即位させることができるかどうかだな。俺が吊されもせず天皇制が残れば、万々歳ということだが、それは望めないだろう。

まさか、このまま人間宣言をしたくらいで後はお咎め無し、というわけには行くまい。一か八か勝負して、このまますっとぼけてみるか、それとも退位を提案してみるか、悩ましいな。

最悪の場合は、俺の退位くらいでは済まないのは当然として、俺が吊されても足りず、天皇制が廃止されることもあり得る。国民はモーガンに逆らえそうも無いし。

大体が、戦争中はあれだけ鬼畜米英と洗脳したにも拘わらず、戦争に負けたらアメリカ様々で、泣く子とGHQには勝てないなどと言いだしおって、節操の無い国民どもだ。

また、ここでギャンブルだな。すっとぼけるか、退位するか、廃止するか。国民に、国民が俺を助けてくれることに賭けるか、それが無い時は俺の運に賭けるか、というところだな。

俺と一族の未来がかかっている。これからも労働を免除されるかどうか、働かずにうまい物を食って生きていけるかどうか、しかもちやほやされて、だ。損失を最小限に食い止めるには、どう判断するか。

判断というより、所詮は賭だが。このままほおかむりすることから吊されることまで、賭の範囲は広い。尤も、退位という最大限の譲歩を提案しても、吊される可能性も無きにしも非ずだから、始末が悪い。

嘘か本当か知らないが、俺が一二四代目で二,六〇〇年余り続いた世界最古の家系とは言われている。それが俺の代で終わるかも知れないのは、すっきりするといえばすっきりする気もするし、残念といえば残念かも知れない。いずれ社会の発達で、いつまでもこんなものが残り続けるとは思えないし、この辺りが潮時なのか、やっぱり寂しいのか、俺自身もわからん。

皇室に伝染病や事故があったとしても、皇位継承者は複数いるわけだから、そういうものが原因の終わり方は無いだろう。終わりがあるとしたら、今回のようなきっかけだな。いや、側室が無いと、絶えるかも知れない。女は継承できないし。

未だに、特にこの国では、民主主義が幻想であることを思えば、俺の一族も幻想としてまだまだ生きていけるかも知れないな。そして民主主義が現実となったとき、やっと廃止されるのか。

しかし、この国で民主主義が実現するのはいつになるのか。米英然り。共産主義は、さらに民主主義からほど遠いところにいる。民主主義など、地球上の唯一国にでさえも実現するものだろうか。

世界のどこでも民主主義は実現されなくとも、日本は民主主義を気取る先進国の最後尾にでも食い込めるのか、それともこれから諸外国から追い越されていくことになるのか。

この国は特攻や特高が存在した国だから、白人と戦争した唯一の有色人種であるとしても、ある意味では非常に野蛮な国には違いない。そして国民は、良く言えば純朴、逆に言えば政府に逆らうことを知らない事大主義の痴愚。政府が国民のためにあるべきだ、とは気づいていない。限定された意味では民度はかなり高いのだが、残念だ。

我が国に限らず権力というものは、米国も英国も独逸(ドイツ)も仏蘭西(フランス)も伊太利(イタリー)西班牙(スペイン)も同じで、薄汚いものであり、極一部の人間だけが利益を得る構造になっている。そんな環境で、どれだけ国民がそれに気づき、それに抵抗し、それを制御して行けるか、だ。国民ひとりひとりのほんの僅かの認識の違いが、社会には大きな結果として現れるように思われる。

戦争中は軍の言うがまま、そして今はGHQの言うがままの国民は、いずれ独立を果たしたとき、また自国政府の言うがままになるのだろう。今は、政府自体がGHQの言うがままなのだから、国民が権威の言うなりになるのは火を見るより明らかだ。

朕の臣民、我が国民には、進歩が無い。権威のせいでどれだけ肉親が殺されたのか、もう忘れてしまったのか。

そして俺も、その権威のひとつだったのだな。いや、政府は俺を積極的に権威として利用した。聞けば、兵士は皆「天皇陛下萬歳」と叫びながら突撃したという。ぞっとしない話だ。俺だって、寝覚めが悪い。いくら軍の上層部が新兵にそう教育したとしても、だ。

兵隊だけではなく、戦争遂行のために一般国民にも俺の権威は利用された。自分で言うのもおかしいが、天皇が神とは笑える話だ。そんなことを信じている、少なくても受け入れていた国民が、よくも零戦という当時の世界最高技術を開発したものだ。

いや、自分の頭で考えることを知らない人間はともかく、まともな人間なら信じてなどいなかったはずだ。それでも、軍はそのように国民を教育し、国民は信じたフリをして戦争遂行に協力したのだから、俺にもいくらかの責任があるということになるか。

東京大空襲や広島と長崎の新型爆弾だけでも、大変な数の民間人が死んだ。さらに、外地や沖縄や海の上で死んだ兵隊達は膨大な数だ。

かつての敵も大勢死んだことだろう。この大戦で、うんざりするほど人が死んだ。戦争は、俺も、もう沢山だ。

病気や事故で死んだのではなく、戦争で死ぬとは無念なことだろう。戦争が無ければ死なずに済んだのだ。戦争を起こしたのは全くの他人で、自分が殺される謂われはこれっぽっちも無いのだから。運が悪い、ではとうてい納得できない事だろう。

戦争に利用された俺は、何だろう。正確に言えば、戦争遂行に利用された、ということで、結局は戦争の片棒を担いだ、ということになるのか。俺には、戦争に関連した責任があるのか。

議員は辞職できるし、衆議院なら解散もある。選挙となれば、落選もある。俺は、辞職できない。退位も、規定が無い。自分では何もできず、このまま変わらないのか、退位させられるか、吊されるか、廃止されるか、ただ待って、ただ従うしか無いのか。それはまた、難儀な話だが、それもまた俺の責任の一部、と言うことか。

俺にも感情はあるし、良心だってあるさ。道徳観念も、俺なりの人間性もある。軍に利用されたとはいえ、全く責任が無いというのは余りと言えば余りだ、と自分でも思う。

軍部が狂っていたし、社会も狂っていた、報道は糞の役にも立たなかった、皇室も狂っていたし、第一、世界が狂っていた。世界大戦を二回もやる世界は、狂っているとしか言いようが無い。

人種差別、植民地政策、武力の行使も狂っている人間のやる事だ。となると、大多数の人間は狂っているということになる。人類は発展途上にある子供に過ぎず、まだ理性が充分には発達していない、むしろ動物に近い存在と言うことか。あるいは、時代が狂っていたと言うべきか。

社会、あるいは時代はいつまで狂い続けるのか。五〇年や一〇〇年では、科学技術はそれなりに進歩しても、理性や良心はずっと遅れてついていくのだろう。現に、原爆の発明は驚くべき科学力だが、その使用は恥ずべき野性だ。それに対して、世界は米国に何も言わないこともまた、恐ろしく愚劣なことだ。そして、甚だしく危険なことだ。

沈黙することで、次は自分達に原爆が使われるかも知れない危険を引き受けたことになるのだぞ。原爆が使われなくても、戦争が起こることを黙認したことになるのだぞ。


陽子(あきこ)の意見も訊いてみようか。あいつはしっかり者だから、あいつなりに考えているだろう。それに、あいつなりに覚悟もしているだろう。

しかし、大変な時代に后になったな。そぶりは見せないが、内心は悔やんでいるだろうか。まぁ、しかし、俺だってあいつ一筋で、内親王ばかり四人生まれて周りの側室を持てという声を無視してきたのだから、誠意は示したつもりだ。

「陽子、どうしたものかな。我々はこれからどうなるのか、あるいはどうしたら良いのか、それともどうにもならないのか。どう思う」

「なんですか、それは。どうにもならない、というのはどうやっても無駄で、どうにもならないって事ですか。それとも、このまま現状維持で、どうにもならない、って事かしら」

「おまえもおもしろいところに気が付くな。まぁ、その両方だな」

「なる様にしかなりませんよ。毅然としていることしか、できることは無いでしょう」

「やっぱりいざとなると、女の方がどっしり構えられるものだな」

「覚悟を決めてから、后を承諾したのよ」

「そうか。俺の場合は、継承順位からしてそうなるものだったから、特に覚悟というものは無かった。あえて言えば、そうなるものだ、という理解というか、まぁ、諦めがあった程度だな」

「きっと国民が決めてくれますよ。私たちはそれに従うだけでしょう」

「きっとそうなるんだろうな。でも、退位か廃止が、少しはこれからの近代社会や民主主義の発展に寄与するのではないか、という希望もある。もはや俺たちは、何も、それすらも、望んではならないのかも知れないが」


陽子は、毅然としていること、と言った。そうだな、どうなるにしろ最後くらいは格好を付けるか。吉川のような、無様な自殺のまねごとはできない。自殺そのものが、俺はするべきでは無いだろう。

吊すなら、毅然と吊されよう。大臣や将官は自決するのも良いだろうが、天皇ともなれば吊されても自決はしない。敵の手にかかるくらいなら、自らの手で、という考え方もあるだろうが、吊させてやることが、俺の責任の示し方だ。それが、毅然を体現する、ということになるだろう。

ここまで覚悟すると、むしろ生き残ったら無様に思えてくるからおもしろいものだ。生き残るどころか退位もしなかったら、どんな顔をして生きていくか、だな。まさに生き恥をさらすとは、このことだろう。

皇太子を即位させて俺は隠居したいが、俺の思惑など誰も聞いてくれまい。モーガンが俺を利用する限り、宮内省も政府も言いなりだろうから。

生き恥をさらすのも、俺の戦争責任かもしれない、か。生きろというなら、生きて恥をかいてやるしかないな。それでも、俺たち一族は労働を免除され、国民はある程度の敬意を示すのだろうな。それも、たまらないと言えばたまらない。いっそひと思いに、と考えたりもする。

生き恥をさらし続けるのは、毅然とはほど遠いだろう。だが、毅然などは俺の意地に過ぎず、責任として生きて行かなければならない、ということか。確かに、ジャングルの泥の中で餓死した、南方の海で溺死した兵隊からしたら、毅然も蜂の頭も無いな。

動物にも群れで生きる種類は多いが、人間のように、群れに仕組みを作るものは無い。動物の群れには掟がある。生き残る確率を増やすために群れを作るのだから、その確率を維持、あるいは少しでも増やすために、少なくても減らさないためには、群れには掟が必要になる。それは、目的のために自然に作られるものだ。掟を破る奴は群れから追放されるか、殺されるだろう。

人間社会の場合は、その掟は力のあるものに有利な仕組みとなる。もちろん動物の場合にも、単純な意味で強いものが上に立つ。餌もメスも、力のあるものが最初に手に入れる。しかし、その力は一代限りで、老いたら終わりだ。ところが人間の場合は、老いても力を維持する、子孫が力を受け継ぐ、そういう社会の仕組みまで作ってしまう。

弱いものは、強いものに従い、その子孫にまでも従わなければならない。たまに革命が起きても、やはり力を持つものが群れの頂点に立ち、生存に必要な限度を遙かに超えた権力を振り回して、弱いものから強いものが搾取する構図は直ぐにでき上がる。

人間という動物の本能で、この様な生態は無くなることは無いのだろう。人類の進歩の限度なのだろう。

弱いものは騙されて殺し合いを行い、殺したり死んだりする。生存のための群れに、逆に殺されてしまうのだ。群れの頂点に立つものは戦争が終わるまで生き残り、その子孫がまた群れを支配して、弱いものを戦争に送り出して殺し合いをさせる。

戦犯容疑者として逮捕された者の子孫から、また戦争をやりたがる奴が出てくるだろう。それは避ける事のできない、人間の理性の限界だから。人間の本能であり、人間の生態だから。

産まれた赤子が誰に教えられずとも乳を探して飲むように、強い人間は弱い人間を支配し、殺し合いをさせる。それがうんざりするほど続いてきて、これからも延々と続いていく。俺たち一族が続いてきたように。

この戦争でも、日本人だけでも兵隊が二〇〇万人、民間人が一〇〇万人ほども殺されたと聞いている。三〇〇万人の一〇人にひとりが、死ぬときに「天皇陛下萬歳」とでも言ったとしたら、とてもじゃないが俺も穏やかな死に方はできない気がする。

俺は、殖民地を争い求める時代や、日本軍や、権力の言いなりの報道などに利用された感はあるが、全く戦争責任が無いとは、我ながら思えない。ダン・モーガンには、はったりのつもりで、俺にも責任がある、と言ったが、冷静に考えれば、確かに責任はある。

俺は吊されても仕方ない。退位させられても仕方ない。皇室が廃止されても仕方ない。それによって未来の戦争が防げるなら、という条件を付ける資格も無い。唯、少しは未来の戦争の可能性が減るとしたら、先祖にも申し訳が立つだろう。

しかし、俺の先祖だって、どれだけ人を殺してきたことか。武士に殺し合いをさせて、生き延びてきた一族だから、余り偉いことは言えないはずだ。

俺には過ぎた望みだが、政治家や官僚どもにも適切に責任を取らせて欲しいものだ。戦勝国ではなく、日本人自身の手でそれが行われれば、次の戦争は相当遅らせることができるだろう。それができなければ、五〇年後か七〇年後にでも、責任を取らなかった為政者の子孫が戦争を起こそうとするだろう。目に見えるようだ。

兵隊達が「天皇陛下萬歳」で死んだのなら、俺は現人神のまま殺されるべきだった。それなら兵隊達は、神のために死んだ事になる。人間宣言ほど、死んだ兵隊達とその遺族に申し訳の立たない話しは無い。人間宣言を拒否して吊されるのも、俺の生き方として、死に方として良かったかも知れない。もう、遅すぎるが。

かといって、兵達達が救われるわけではないか。俺の戯言だ。


「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」これで行くか。アメリカ人にこの微妙な表現が理解できるかどうか。例えできなくても、日本の報道がうまいこと書くだろう。どうせ昔から、大本営発表しかできない奴らだから、どう書けば良いか、どう書いたらまずいか、良く知っているはずだ。

「原子爆弾が投下されたことに対しては、遺憾には思っていますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思っています」これはちょっと、まずかったな。アメリカを擁護し、原子爆弾を追認し、長崎を無視してしまった。

最低でも広島の直後に戦争を終結させてれば、長崎は無かっただろう。しかしそれでも、日本の報道は良くやってくれる。何も問題にならなかったからな。頼もしいものだ。

「戦争責任というか、そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます」まぁまぁだな。相手が日本人だから、充分だ。モーガンの時のように、はったりをかませる必要も無いからな。


せっかくの俺の覚悟が肩すかしを食った格好になり、日本人には失望した。残念だ。

結局俺は吊されず、退位もさせられなかった。日本人がこれで良かったと思っているなら、目出度い民族だ。だからこそ、俺の一族が一二四代、二,六〇〇年も続いたのだな。

そしてこれからも継続し、この国は戦争を繰り返すだろう。新しい憲法の、せっかくの戦争に対する歯止めを外す奴はいずれ必ず出てくる。

なにせ、戦犯容疑者の商工大臣が総理大臣になる国だから、国民もコケにされたものだ。戦争裁判は戦勝国が敗戦国に一方的に課した力の裁判で、公平も平等も正義もはなはだ疑わしいしろものだったが、一旦容疑者となりながらそれを免れて裁判にも掛けられないとは、よっぽどうまいことをやったはずで、俺と良い勝負だ。

俺は人間宣言で、現人神から人間になったが、奴は戦犯容疑者から総理になった。むしろ、俺の上を行っている。あいつの一族はこれからもうまく立ち回って、この国を食いつぶそうとするだろう。現にあいつの弟も総理になった。さらに子孫がこの国に何をするか、見ものだな。

巡幸というのもあったな。俺は、国民に謝罪させられるのだと思ったが、愚かな国民は日の丸を振って歓迎した。俺の方が驚いたな。底無しのお人好し、汝等は相変わらず朕の忠良なる臣民、だな。

考えても見ろ。神が人間になって、今度は元現人神の方から国民に会いに行くのだから、普通なら苦笑ものだ。

おまえに夫や息子を殺された、と石のひとつも飛んできても不思議は無い。皇軍、即ち俺の軍隊だったのだから。

米国に押しつけられた民主主義をどう扱って良いかわからず、結局はお上にちょうど良くされるのが精一杯な、朕の臣民は愚鈍だな。

いずれまた政府に騙され、きっとこの国は戦争する。進歩が無い。反省が無い。責任の追及が無い。

そんな国だから未だに皇室が存在し得るわけで、そんな国に存在する皇室の親玉の俺は、空しい存在でもあるな。いや、空しい存在でしかないな。


元急降下爆撃機操縦者の死に様

永友には、今少し人生を回想する時間が与えられていた。

戦友には台湾人も朝鮮人もいた。あいつらは、あの頃は日本人だった。今はどうしているのか。七十五戦隊会には出てこなかったな。国に帰る事になったのか。

あのころ世界は、毛唐の殖民地になるか自分が殖民地を持つか、のいずれかだった。日本は、殖民地を持つ方だった。アジアのほとんどは、殖民地になる方だった。しかし、インディアンやアボリジニを動物扱いした毛唐と違って、日本人は逆に殖民地に投資した。戦争に負けて、元は取れたのか、取れたはずは無いか。

朝鮮人は半分動物のような生活をしていたが、日本は学校を作って読み書きをできる様にしてやった。そんな宗主国は毛唐の国には無いだろう。読み書きできるようにして知識を得る手段を教えたら、独立したがるだろうから。

とことん汚いのはアメ公だな。インディアンを絶滅させるだけでは飽き足らず、アフリカから土人を連れてきて奴隷にするほどだ。あんな国に負けたと思うと、今でも胸が悪くなる。

戦争が終わって四〇年にもなるか。

今思えば、俺の戦友達は何のために死んだのか。特攻をやらされた奴もいた。フィリピンから帰ってきたとき内地に飛行機があれば、きっと俺もやらされた。あの頃は戦争だから、戦うしかなかった。戦う事に意味があった。

戦争が終わったら天皇は、俺は人間だ、とぬかした。それで、無罪か。お前のためにと言うことで、どれだけ俺の戦友が、日本中の兵隊が、朝鮮や台湾の兵隊が、外地や内地の民間人が死んだか。殺されたか。いい気なものだ。

戦後の政府はアメリカにペコペコしやがって、飼い犬だってあれほど飼い主に尻尾は振らないなぁ。日本人のためにではなくて、自分だけのためにアメリカの言いなりだ。生き残った俺たちは、良い面の皮だ。

死んだ人間は救われない。こんな国にするために、こんな政府を作るために、あいつらは死んだのか。殺されたのか。

省察だの断決だの、あんな物は一過性の、禊ぎが済んだ事になっただけの、おめでたいおとぎ話だ。あんな物で死んだ人間は、兵隊も民間人も、日本人もアジア人もアメリカ人も、だれも救われない。

アメリカは世界の警察官を気取って、世界中から自国の利益を用心棒代として掠め取っている、むしろチンピラだ。日本はそのチンピラの一の子分を気取って、立派な首輪を貰ったと懐いている。結局、誰も戦争の責任を取らなかった。反吐が出る。

アメ公は永遠にこの国を占領するつもりだ。沖縄の本土復帰と言っても形だけで、あれだけ好き勝手にアメ公の基地がある。内地にさえ、横田基地付近には米軍の空域がある。自衛隊機も民間機も飛べないというのは、一体どこの国だ。

沖縄で米兵がどれほど罪を犯しても、本国に送還されて事実上無罪、営倉にも入らず、軍法会議にさえ掛けられない。要するに治外法権。人が他人の飼い犬を殺したら損害賠償になるだろうが、米軍から見たら、日本人は紛れもなく犬以下ということだ。そんな国に成り下がるために、どれだけの人間が死んでいったか、この国に殺されたことか。

政治家や官僚は、アメリカの犬どころか犬の糞、屑の中の屑だ。明治時代にさえ、不平等条約を解消しようと努力して実現した人間がいたが、今の政府は何でもはい、はいで、腐っている。これが、戦争に負けた、ということなのか。

だとしたら、俺にも責任の一端はあるのか。俺も命を懸けて戦争に行ったが、それでも責任があるのか。弾の飛んでこない内地で芸者を上げて酒を飲みながら、戦争指導した奴らには、戦争責任が無いのか。今でものさばっている奴が一杯いるだろう。

戦後、俺は警察予備隊にも自衛隊にも入らなかったし、飛行機の操縦技術を生かすような民間航空にも入らなかった。自慢でも言い訳でも無く、戦争がうんざりしたからだ。

俺はまだ生き残っただけ良いが、死んでいった奴らはどうする。かわいそうに。

戦争の時も今も、そういう政府を許した日本人全員の責任だな。人のせいじゃない。自分のせいだ。この国をなんとか良くしようと考えなかった、日本人のせいだ。行動するどころか、考える事さえしないで、ここまで来た。

きっとこれからも、日本人はずっと考えもしないだろう。ずっと米軍の言いなりだ。半端者が役人になり、半端者が政府を作り、それを良しとする半端者の国が、ずっとアメ公の殖民地で続いて行く。事実上の殖民地という認識も無く。

下の弟の嫁家族が敗戦で満州から引き上げてくるとき、満人にもソ連兵にもひどいことはされなかったが、汽車で移動途中野宿したとき、一緒に内地に帰る淫売たちが、念のためだからと外側に寝て、自分達以外の女を中心に寝せて、いざという時は私たちがあんたらを守るから、ともかくみんなで力を合わせて内地に帰ろう、と言ったという。涙が出る話だ。

我が身を挺して、とは正にここにあり、これ程の覚悟を持つ司令官や政治家や官僚は、今も戦争中もいない。

A級戦犯容疑者からCIAの走狗になることで、戦争中の商工大臣から戦後に総理大臣になった野郎や、アメリカの言いなりに未だにこの国を実質的に占領させている官僚よりも、当時の体を売っていた女たちの方が、比べようも無く貴い。

俺は何のために戦争に行ったのか。天皇だの上官だのはどうでも良かった。あえて言えば、無学どころか文盲の母親のためだと思っていた。とにかく俺を産んでくれた、母親のためだと思っていた。父親はもう船で死んでいたし、な。

いや、母は学問も教養も無かっただろうが、生きる力はあった。夫亡き後も、四人の子供を育てる力はあった。充分だ。

俺は自分から入隊したが、弟ふたりは軍隊に取られたから、兄弟三人全員が軍隊。バカな話だ。しかし、よく三人とも生きて帰ってきたものだ。

死ぬか生きるかを体験すると、単に運が良いというひとことでは納得できないところがある。かといって、神や仏があるはずも無し。運命という言葉にどういう意味があるかは知らないし。

生き残ろうとした臆病さ、注意深さ、集中力、努力、そういうものは影響したはずだ。特攻にやらされても、発動機の不調で帰ってきた者は、運が良かったと言えるだろう。

弾が飛んできているところで、ぼうと頭を出していたらやられるから、撃ち返すより塹壕に潜っていた方が生き残る確率は上がる。塹壕に潜っているのが臆病ではなく、弾の飛んでこないところで命令だけ出す奴らが臆病なのだ。二十歳前後の若い奴らを特攻にやって、自分は生き残った奴らこそが怯懦なのだ。

飛行機乗りは、命令があれば飛ぶしかないが、敵より早く敵機を見つける視力、努力、注意力、集中力、体力、そんなものが生き残る確率を上げる。

大正七年、新潟の貧農に生まれ、片親の貧しさから逃れようと軍隊に入って、自分なりに努力して空中勤務者になり、下士官になり、敵に爆弾を落として、戦争に生き残って、漁船の機関長になり、結婚をせず、子を残さず、ウィスキーを飲んで朽ちてきた。そろそろ年貢の納め時が来たらしい。

俺は何のために、生きてきたのだろうか。戦争で死ぬために、生まれてきたのだろうか。それがたまたま間違って死なずに、今日まで生きてきたのは、何のためだろうか。

何のために生まれてきたかなど、問うものでは無く、自ら決めるものかも知れないな。どう生きるか、と同じように。今、それに気付いても、もう遅いが。

生きてきた価値はあったのだろうか。貧しさや戦争はあったが、楽しみもあった。母親を仕送りで助けた。戦後に、妹や弟の生活を助けたこともある。戦争では、この腐り果ててしまった国に命を懸けて貢献した。

俺の爆弾で人はどれほどか死んだだろうが、犯罪は行わなかった。俺が生きた価値は、俺自身に対してだけではなく、社会に対しても、あるだろう。戦争では、結果的に多くのアジア諸国が欧米の宗主国から独立したという意味で、いくらかの寄与をしたかも知れない。

俺は自由に生きてきた、と言える。望んで軍隊に入った。貧しいから軍隊に入ったが、自分の選択だった。軍隊では命令が絶対だったが、その命令は望んで軍隊に入った自由に含まれる。

結婚しなかったのも俺の選択、終戦後の生活も俺の選択、全て自由に選択した。一時期、弟妹の生活を助けたのも俺の選択、と言う意味で自由の一部だ。

どう死ぬか、というこの瞬間、俺はよく生きた、生ききったと自分に言おう。ウィスキーを飲み過ぎて、血を吐いて一人で死んでいく自由。最後の俺の自由。俺の生き方そのもの。

後悔は無い。いまさらの後悔に意味が無いからではなく、生き方に誤りが無かったから。

それに、俺の人生は幸運だった。よくも戦争に生き残った。

ドライスデール爆撃時には、零戦の護衛があった。七五戦隊で稼働可能な全二一機に海軍からゼロ戦の護衛が二一機付いて、合計四二機の大編隊で、敵機の抵抗もなく敵飛行場に急降下爆撃を敢行、全機帰還した。

その前のポートダーウィン攻撃時には直掩戦闘機が無かったが、その時俺には、出撃命令が無かった。チモール島の基地から攻撃目標まで七〇〇キロ、九九式双軽の往復航続距離ぎりぎりだ。九機出撃して二機が被弾、タニンバル諸島のセラル島に不時着した。幸いにも搭乗員は八人全員生還したが、俺に命令が下っていたらどうなっていたか分からない。

志那で三人を護送したとき、襲われなかったのも幸運だ。今でも、一年か二年かに一度、目が覚めるときがある。寝たら殺されるかも知れないと、夢なのだろうが、眠りに落ちた瞬間と勘違いして、ハッと目が覚める。

フィリピンで飛行機が無くなり、内地にも飛行機が無く、特攻を免れた。特攻に行かされた、行かざるを得なかった、悲しいほどに純粋な美しいほどに愚かな戦友たちには心苦しいが、正直に俺は幸運だったと言わせてもらう。

弾が体のどこかに中たったら、今よりもっと痛いだろう。飛行機がやられて落ちるときは、今よりもっと恐いだろう。今は、急降下をやるときほどでは無いが、マイナスGを感じる。身体が浮くようだ。それに、わずかに息苦しい。

特攻で死にたくはなかったし、死なずに済んだが、六七まで生きたのはおまけの人生と言っても良いだろう。

いや、人生におまけは無い。人生は、なんとしてでも生きることだ。生きることだけで、意味がある。戦争で死なずに今まで生きたことは、かけがえのない貴いことだ。戦争で殺された人間に、おまけの人生などと言ったら、どれだけ悲しむことか。どれだけ失礼なことか。

どうやら、人生の始末をつけるときが来たようだ。良い人生だった。そして、良い死に様だ。

(終わり)


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悲しいほどに純粋な者たちや美しいほどに愚かな者たち 宮澤史郎 @2nd_Radio

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