第15話 閻魔様が放してくれない

 それから数日後。


 再び梓たちは三途の川へと赴いていた。川辺には小舟が浮いている。転覆して傷ついてしまった部分は、新品同様に修繕されていた。


「梓さん、とうとう帰れますよ!」

「寂しくなってしまいますぅ」


 今日は宗一郎だけではなく、見送りと称して桔梗と松風も一緒に来ている。別れの寂しさか、涙を浮かべながら交互に梓の手を取っていた。


「さあ、梓。これで帰れるよ」

 宗一郎が小舟を指差して言った。

「う、うん……?」

 梓は首を傾げながら小舟へ足を掛けた。


 こんなに簡単に現世に帰れていいのだろうか。

 この数日間、宗一郎が忙しそうに出かけていたのを梓は屋敷で見ていた。何をしているのかを桔梗、松風に聞いても教えてくれない。その間放置され暇を持て余してしまい、屋敷の掃除や食事の手伝いをして時間を潰していた。特に梓の手料理は宗一郎に喜んでもらえて、少しくらいは恩を返せたかなと思ったものだ。


 しかし、何かしら試練は課されるのだろうと覚悟していた。幽世の掟とやらは知らないが、いくら何でも寿命を二本線で訂正して終わりではないだろう。

 ところが、何もなくこうして小舟が与えられたとなると拍子抜けしてしまう。

(本当にいいのかな……)

 半信半疑のまま小舟に乗り込んで艪を持つ。すると背後で「よっこらせ」という声とともに大きく小舟が揺れた。


「わわっ!」

 川に落ちないように慌てて座ってから初めて気が付く。宗一郎が小舟に乗ってきたことに。

「えっと、どういうこと?」


 前回のようなことがないよう、護衛してくれるというのだろうか。しかし、松風も納得していたようだし、こうして見送りに来てくれている。梓の帰還を邪魔する者はいないはずだ……たぶん。

 梓が戸惑っているうちに、桔梗が小舟の縁を押した。


「では、宗一郎さま。しばし行ってらっしゃいませ!」

 松風も同じように小舟の縁を押す。

「梓さんと仲良くしてくださいよぅ」


 え、え、と梓が首を捻っている間に、ぐいっ、と小舟は三途の川の流れへ乗っていた。


「ほらほら、梓。艪を使わないと輪廻の輪に巻き込まれてしまうよ」


 宗一郎の指摘に、梓は慌てて艪を水中に入れて霊力を送り込む。問題なく前進し始めたのを確認してから宗一郎に問いかける。


「これってどういうこと? 向こう岸まで見送ってくれるの?」

「違うよ、梓」

 うふふ、と笑いながら宗一郎。その様子に、梓はとてつもなく嫌な予感を覚えてしまった。

「他の閻魔資格を持つ者達と相談してな、お前には幽世のために働いてもらうことになった」

「……はい? 現世に帰るのに?」


 いきなりそんなことを言われても困る。とはいえ、ただで願いが叶うとも思っていなかったので、そのまま続きを待った。


「梓は幽世両というものをこちらで集めただろう? それを使って梓は自分の寿命を稼ぐのだ」

「現世にも輪廻の輪みたいなのがあるの?」

 一体何をさせられるのだろう。警戒しながら梓は訊ねた。

「梓には強い霊力があるからね。それは修繕してくれた輪廻の輪で証明されている。その力を持って妖退治をしてもらいたいのだよ」

「ええ!? そんなことできるわけないし!」


 幽世へ来ることになった原因だって、妖に追いかけられたからなのだ。おまけに、陰陽師としては力のない落ちこぼれ。そんな荒事が務まるとは思えない。


「そこで俺の出番というわけだ」

 相変わらず不気味な笑みを浮かべたまま宗一郎が続けた。

「梓は霊力がないと思っているようだが、俺の見立てでは使い方を知らないだけのようだからね。俺が手取り足取り教えてやろうというのだ。もちろん、現世に帰った梓にね。あとは幽世との連絡係と、梓の仕事ぶりの評価もしないといけないからな」

「そ、それって、宗一郎も現世までついてくるってこと!?」

「ふふふ。死んだら俺にお礼をしに来ると言っていたではないか。喜べ、梓。死なずともこの俺に、たくさんお礼ができるようになったぞ。今日までのこと、たぁんとお礼をしておくれ。遠慮せずともよいぞ」

「え、えええっ!?」


 まさかの展開に梓は驚いて艪を川へ取り落としてしまった。慌てて拾ったものの、バランスを崩してそのまま川へ落ちそうになってしまう。


「あわわっ……」


 必死に小舟にしがみついていると、背後から手が伸びてきて、あっという間に梓の身体は小舟の内側へ。そのまま小舟の底へ転がされ、宗一郎に床ドンされたような体勢になってしまう。

 梓を逃がさないような体勢にして宗一郎が告げる。


「梓がきちんと稼げれば、その分寿命は伸びる。その監督役をする俺は、現世でお前と念願の夫婦生活ができるというわけだ」

「待って待って! 最後のは聞いてない!」


 混乱のドツボに陥りながらも梓は叫んだ。妖退治もできる気がしないが、どうして宗一郎とそういう生活をすることが決まってしまっているのだ。


「妖退治は危険な仕事だからな。梓一人では、今度こそ死んでしまうかもしれない。だから、この閻魔の中でも最上級の閻魔が補助をしてやることになった。これは俺の一声で決まったことだがな。この地位まで上り詰めておいて、本当によかったと思っているぞ」

「しょ、職権乱用……」


 思わずそう呟いてしまうも、宗一郎は何が可笑しかったのか、からからと声を上げて笑う。相変わらず床ドンしたまま顔を近づけてきた。


「なあに、元々は許嫁だったのだ。桔梗の調べたところ、現世で梓は一人だったのだろう。ならば俺が嫁としてもらうことに、何の問題もなかろう?」

「も、問題だらけだしーっ!」


 思わずそう叫んでしまうも、宗一郎に聞く耳はないようで、梓にますます顔を近づけてくる。

(――近い近い、近すぎる!)

 その整った顔で迫られると、心臓が早鐘のように鳴ってしまう。この狭い小舟の上では、逃げようとするなら三途の川に飛び込むしかない。もちろん、この幽世の閻魔様が、そのようなことを許してくれるわけもないだろう。

 息も絶え絶えな梓の額に唇が落ちた。


「今まで散々待たされたからな。幽世でも梓のことを想って我慢していたが」


 ゆっくりと唇が離れ、真っ赤になってしまった梓の反応を楽しむように宗一郎が見下ろしてくる。


「俺の未練を知られてしまった以上、もう俺は我慢などせぬぞ。現世に帰ったら、嫌というほど俺の未練を思い知らせてやるから覚悟しろ。寿命が尽きても心配するな。この俺が直々に幽世町へ案内してやるから、絶対に魂が迷うこともない」

「そ、そんな……」

 地獄の沙汰を告げられるような気分で、梓はこう思ったのだった。


 ――閻魔様が放してくれない、と。


〈完〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

閻魔様が放してくれない 美夕乃由美 @mmiyu_tatala

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画