第14話 全てが丸く収まる方法とは
「うっ……い、生きてる?」
強い衝撃を覚悟していたのだが、いつまで経ってもそれはなかった。かわりに暖かな体温が近くにあり、身体が何かに支えられている気がする。
恐る恐る目を開くと、目の前に見慣れた着物の柄が目に入ってきた。顔を上げると今まさに助けを呼んだ男の姿。
「そ、宗一郎!?」
「やれやれ、輪廻の輪に飲み込まれたときはヒヤっとしたが、さすがに生者だけあったな。来世に転生しなくてよかった」
そのまま強い力で抱き締められ、あわわ、とばかりに梓の顔は茹で上がった。たしかに彼の名は叫んでしまったが、このように直接的な感情表現をされるような心の準備はできていない。恥ずかしくてこの場で死んでしまいそうだ。
「ど、どうして、宗一郎さまがぁ!?」
二人の仲を見せつけられて、慌てていたのが松風だった。
「残念だったな、松風。梓は探し求めていた魂なのだ」
放してぇ、ともがく梓をますます強く抱き締めながら、宗一郎は馬鹿にするなとばかりに鼻を鳴らした。
「転生したならまだしも、輪廻の輪に巻き込まれたくらいでその気配を見失いはせぬよ。それに、俺は幽世で一番の閻魔資格を持つものだぞ? 霊力だってそんじょそこらの者とは違う」
「で、ですけど! 閻魔帳の数字を勝手に書き換えるのは、幽世の掟を違反しているのですよぅ!」
必死な松風の抗弁を、別の声が一喝した。
「こら、松風! それは早とちりというものですよ。いくら宗一郎さまが、こうして梓さんを窒息させるほどの愛情をお持ちだからといって、そんな不正に手を染めるわけがありません!」
「ん……? おお、すまぬな」
その声を聞いて、気が付いたように宗一郎が手の力を緩めた。もがいていた梓は、やっと宗一郎の胸の中から解放され、ぷはっ、と新鮮な空気を貪った。このまま窒息させられるかと思った。尤も、そのまま横抱きにされてしまい、彼の腕から逃れることは叶わなかったが。しかし、周囲の状況は把握できた。
「桔梗も来てくれたの?」
松風の前で仁王立ちになっているのは、腕を組んだ桔梗の姿。
「ええ。わたしの閻魔帳がどこかにいったと思ったら、松風も姿を消している。胸騒ぎがして三途の川を訪れたら、ちょうど梓さんが輪廻の輪から放り投げられているところでした。そこから宗一郎さまと手分けをして探していたんですよ」
口早に説明してから、松風が大事に抱える閻魔帳をひったくる。梓の名前がある場所を開くと、数字を指差しながら言った。
「この十八という数字はわたしの書き間違いですよ! それを宗一郎さまが正しいものに修正してくれただけ。まあ、わたしが松風にきちんと告げていれば、今回のような勘違いは起きなかったので、そこは悪いと思っています。ですが、そもそもを考えてみなさい」
怒り心頭といった様子で桔梗が続ける。
「梓さんをいくらでも手籠めにできる状況にありながら、逆に現世へ帰そうと骨を折っている宗一郎さまですよ? あれだけお風呂で梓さんをピカピカに磨いて、夜這いをするようけしかけましたのに! それだけ奥手で優柔不断で男として甲斐性のない……もとい、鉄壁の理性を持った宗一郎さまが、閻魔帳を書き換えるようなケチな掟破りをするわけがありません!」
「……褒められているのか、馬鹿にされているのか、俺にはよくわからぬが」
宗一郎が首を振りながらぼやく。
(裏じゃそんなやり取りしてたのね……)
宗一郎の鉄壁の理性がずっと崩れなくて助かった。一人冷や汗をかいていた梓だったが、ふと彼の胸元には、いつもの閻魔帳とは別の閻魔帳があるのに気が付いた。
「桔梗。それくらいにしてあげなさい。この件については、すぐに確認をしなかった俺にも落ち度があるのだから」
梓の目の前で閻魔帳が抜かれ、彼女を横抱きにしたまま器用に開かれた。
「これは松風の閻魔帳だが、梓の弟である凛太郎の寿命が八十になっているね」
梓が頭を上げて閻魔帳を覗き込むと、たしかに弟の『凛太郎』の文字。その下には八十という数字が見える。
「梓と凛太郎の数字が入れ替わっていたのだよ。どこかで報告が逆になったのだろうね。だから、梓が八十で、凛太郎が十八というのが正しい」
「え、えええぇ~~~~! そうだったのですかぁ!?」
桔梗の剣幕に涙目になっていた松風が悲鳴を上げる。パタンと閉じた閻魔帳で、桔梗が松風の頭をはたいた。
「だから、本当は間違いを見逃したあなたも悪いのですよ!」
「うわぁ~~ん! 桔梗、許してくださぁ~いぃ!」
松風が頭を抱えてうずくまった。
(そっかぁ……。じゃあ、あたし、八十くらいまでは生きるんだ。よかったよか……って、ぜんぜんよくない!)
これで一件落着……と、納得しかけた梓だったが、すぐに聞き流すことのできない事実に気が付いた。両手を伸ばすと、そのまま宗一郎の襟元を掴む。
「待って! それって、凛太郎が十八で死んじゃうってこと!?」
「そういうことになるな」
「そ、そんな……」
わななく唇で梓は呟いた。
幼い頃は病弱な弟だった。しょっちゅう風邪を引いて高い熱を出して、その度にどこかへ行ってしまうのではないかと心配したものだ。それがここ数年は、風邪一つ引かない丈夫な身体になったと喜んでいたのだ。もしもそれが、寿命が取り違えられたというのが原因だったとしたら……。
じわり、と目の前が滲んでしまう。あと三年しか生きられないということではないか。梓は感情のままに叫んだ。
「あたし、凛太郎のために一生懸命、現世に帰ろうと頑張ってたんだよ? それなのに、こんな話って……何とかならないの!?」
「何とかと言われてもな……」
ぐらぐらと揺さぶられながら宗一郎が顔をしかめた。
「閻魔帳は司命と司録の資格を持つ者たちが、現世の状況を調査した結果だ。この数字に現世の人間が引きずられてしまうのも間違いないが、だからこそ、いい加減な数字を書いたりしてはいけない。その者が持つ、本来の寿命を書いているのだよ」
「どうして何も悪いことしてないのに十八で死ななきゃいけないのよっ!」
力の限り宗一郎の襟元を締め上げる。すると、松風がトテトテとやってきて嬉しそうに梓を見上げた。
「では梓さぁん。宗一郎さまと一緒に幽世へ残るということですか? 取り違えたままなら、それも可能ですよぉ!」
「それも、ちーがーうー! あたしも現世に帰らないと意味がないじゃないの!」
今度は桔梗が梓の元へ来て、いまだ締め上げている彼女を何とか宗一郎から引き剥がした。
「ということは、凛太郎さんの現在の寿命はそのままに、梓さんの寿命を書き換えるということですね! 宗一郎さま、残念! 地獄へ行ってらっしゃい!」
「いや、それも違うし! 宗一郎を地獄送りにしてあたしが生き返ったら、夢枕に立ってきそうじゃん!」
あんな話を聞かされた後に、そんなことができるわけがない。いや、誰かを犠牲にして現世に帰るのはあり得ない。力の限り宣言すると、桔梗と松風が顔を見合わせた。唇を尖らしながら同時に言う。
「贅沢ですね」「贅沢なんですぅ」
そんな二人の姿に梓はがっくりと肩を落とした。
(……どうしたらいいの)
まさに八方ふさがり。どうにもならなくて俯いていると、ポタリポタリと雫が落ち、砂利石に黒い染みを作っていく。
桔梗が腕を組んで宗一郎を見た。
「あーあ、宗一郎さま。梓さんを泣かせてしまいましたね? これは責任を取らないと!」
「お、俺のせいなのか!?」
突然、全責任を擦り付けられ狼狽する宗一郎。
「そうよ! 全部、あなたのせいよ!」
梓は涙を拭きながら顔を上げた。
「幽世一の閻魔様とか言ってるくせに、あたしと凛太郎の寿命間違えるし。あたしはこうして幽世に来ちゃうし」
直接の原因は寿命を取り違えた、松風と桔梗が原因だろう。だが、それを管理しているのが閻魔資格を持つ宗一郎とあれば、八つ当たりと理解していても言わずにはいられない。
「間違えたんだから、少しくらい大目に見てよ! 凛太郎の寿命は八十のままがいい。その代わり、あたしは八十まで生きたいだなんて言わない。せめて、凛太郎が陰陽師として立派になるまででいいから。せめて、あと五年。そのくらいでいいから何とかしてよっ!」
三途の川を流れる亡者の魂すら目覚めそうなほど大きな梓の叫び。松風と桔梗が気まずい表情で視線を逸らす。宗一郎は梓に縋り付かれるままになりながら、腕を組んでしばらくじっとしていた。
「……そうだな」
しばらくして、宗一郎は口を開いた。懐から手拭いを出すと、涙でぐちゃぐちゃになっていた彼女の顔を拭いてやる。
「こちらに落ち度があったのは事実だからな。梓に迷惑をかけた分くらいは、何とかしてやってもよかろう」
その言葉に、盛大に不服そうに桔梗が呟いた。
「えー、宗一郎さま。本当に地獄へ行っちゃうおつもりですか?」
「隠れてやればそうなってしまうが」
綺麗に顔を拭われて、なおも涙が落ちそうになる梓は、目尻に手拭いを当てながら顔を上げた。
「どういうこと?」
「要するに梓の願いは、こうだ」
宗一郎は一つ一つ指を立てながら整理する。
「間違いでもいいから、凛太郎の寿命はそのままにしてほしい。梓はせめてもう五、六年は生きたい。そして、俺にも地獄へ落ちてはほしくない」
梓は神妙に頷いた。それはどれも間違っていない。
「では、これらを、幽世の掟を破らず合法的に叶えてやればよいということだ」
「ええぇ~」
と、声を上げたのは松風だ。
「そんな魔法みたいなこと、できるのですかぁ?」
「俺は幽世一の閻魔様だぞ?」
ニヤリ――何やら悪だくみをしている。そうとしか表現できないような形に、宗一郎の唇が歪んだ。
「他ならぬ俺の未練……俺の許嫁のお願いだからな。少しばかり手段は選ばぬことになってしまうかもしれんが、期待して待っておけ」
(な、何だか嫌な予感がする……)
宗一郎に頭を撫でられながら、梓はその悪役のような微笑みに慄いていたのだった。
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