煙と歴史と(自称)吸血鬼

丸毛鈴

「煙草だよ!」

「煙草だよ!」


 目の前の老人は、開口一番そう叫んだ。こりゃアカン。瞬時に悟り、わたしは営業スマイルを顔面にはりつける。さて、どこから切り込んだものか。


「あの……ナガノさんは、吸血鬼でいらっしゃるんですよね」


 老人はグビグビと生ビールを飲み干し、ダンッっとビールジョッキをテーブルに叩きつけた。


「そうだよ! 永遠の『永』に乃木坂46の『乃』! いかにも吸血鬼だろ」


どこが「いかにも」なのかがわからない。ペンを握る手が震えてきた。が、ここで退いたら4歳の子役から102歳の老人まで話を聞いてきたインタビューライターの名が廃る。


 心を落ち着けるため、テーブルの上に置いたICレコーダーを目視する。録音を示す赤いランプが無事灯っている。イケる、うん、イケる……はず。


「永乃さんは不老不死……みたいなことをですね、聞きまして」

「不老じゃねえよ! 普通にふけるのが遅いだけ!」


 ……やっぱりダメかもしれない……。


 永乃老人は勝手に生ビール追加すると、マッチと煙草を取り出し、右手と口だけを使って煙草を取り出し、くわえたマッチを右手に持ったマッチ箱で器用に擦って火をつけ、スパーッっと一服した。何も入っていないとおぼしき老人のセーターの左袖が、その動きに合わせて揺れる。


「吸血鬼が不老不死なんて誰が言いはじめたんだろうな。俺が言いたいのは煙草! 煙草の話なんだよ!」


しかし、こちらが聞きたいのは、「まさか日本に不老不死の吸血鬼が!? その奇妙な半生を語る」的な話なのだ。


「永乃さん、生年は?」

「黒船より前だな! そっからいろいろあってよう、今でいう蛤御門の変? で腕を斬られたんだよなァ。自分の血はまずいって知ったのはあのときだ」


もう一度、セーターの左袖に目をやりつつ、吸血鬼らしいひと言がとれたことに安心する。


「あの頃はキセルをふかし合って、国の行く末がどうのって話し合ったもんさ。火をかしたりかされたり……」


そこで永乃老人が言葉を切った。


「この辺の話は辛気臭くなるからやめよう」

「むしろそこが聞きたいのですが……吸血鬼が見た幕末! なんて」

「あんた、本当にそんなことが聞きたいのか」


 永乃老人の視線は、なかばあわれむようだった。その目に呑まれて、わたしは思わず考えてしまう。今、セブンスターのメンソールを持っている永乃老人の手。本当にこの手がかつてキセルを持ち、幕末の志士たちと語らっていたのだろうか。


「今のこれ」


永乃老人がひとさし指と中指で挟んで、煙をくゆらせる煙草を持ちあげる。そういえば、老人が出した唯一の取材条件は、「煙草を吸いながら酒が飲める取材場所」だった。


「紙巻の『シガレット』が入ってきたのは、明治に入ってからだな。舶来の包みがそりゃあしゃれていてよ、俺は夢中になった。文明開化の味がしたねえ」


 老人によると、それまでキセルに詰めていたのは細く刻まれた煙草であり、柔らかな味わい。対して紙巻煙草は骨太な味がしたのだという。


「国内でも煙草がじゃんじゃん作られるようになった。俺はその配達員をやっていたんだな。俺ぁだんぜん、村井派だった。知ってるか?」


わたしは首を横に振る。


「明治にゃふたりの煙草王がいてよ。『国産、国益』を謳った天狗煙草の岩谷と、輸入もんを扱う村井兄弟商会の村井。このふたりが宣伝合戦を繰り広げたんだ。俺はしゃれたもんが好きだから、もちろん村井のもとで働いた。配達のための荷車を引くんだが……そこにドーンと」


永乃老人は、煙草を持ったままの右手で、大きく空に半円を描いた。煙とともに灰がパラパラと散るが、老人の表情は晴れやかだ。


「『ヒーロー』やら『オールド』やら煙草の名前や包みが描いてあって、それを引くのが何より誇らしかった」


 何か他のことを聞かねばならない気がする。が、わたしは文字通り煙に巻かれている。


「そりゃあもう、F1だよなあ」

「ん゛っ!?」


 突然のことに、わたしは思わずウーロン茶を噴き出しそうになった。


「だってF1マシンって走る広告だろ。まあ村井の荷車はレースをしていたわけじゃないが……。俺はF1にも夢中になったね。マクラーレンの、真っ赤な車体にマールボロのロゴ」

「その間にはいろいろありますよね、大正とか戦争とか」


ふたたび、老人があの目をして言った。「本当にそんなことが聞きたいのか」。


「聞きたいですよ。モボ・モガの時代とか、戦時中の話とか!」


さすがにここは食い下がらざるを得ない。


「明治の終わりごろ、煙草は専売制になっちまったからなァ。ド派手でおもしろい時代はそこでしまいさ。戦争って最近のほうか? 俺はこの腕だから戦地には行けなかったけどよ、あの最中は煙草どころじゃなかった。箱はインキの節約で一色になっちまったし、シケモクにありつければ御の字」


本気でこの時代のことは語らないつもりらしい。


「俺にとっちゃ、紙巻き煙草はしゃれていて憧れで、ド派手なもんなんだ。あんたわかるか、シューマッハとミカ・ハッキネンが……」

「はあ……」


とんでもないところに話が飛んだ。4本目か5本目かの紫煙の向こうから永乃老人はわたしをちらりと見やり、話の先を変えた。


「それでな、とにかく煙草なんだよ。いつの間にか『健康増進』っつってよ、F1では煙草の広告は全面禁止。マールボロのあのロゴがバーコードみてぇな柄に変わって、そのうちなくなっちまった。信じられるか?」

「でも、仕方ないんじゃないですか。F1、今、アメリカですごい人気ですし」


煙草のロゴがしゃれた広告だったと言われても、その時代を知らないわたしには、ちぐはぐな答えしか返せない。


「俺ぁいまでも信じられんよ。昔はいろんな俳優がCMでスパスパうまそうに煙草を吸っていたのに、いつの間にかテレビのCMは全面自主規制。いまじゃ煙草を吸いながら酒も飲めねぇ。この店だって、あんた、ずいぶん探してくれたんだろ」

「まあ、喫煙目的施設だったかな? 数は少ないけど、吸える店のもあるにはあるので」

「煙草は、もうハイカラでもなんでもねぇんだよなあ……」

 

 わたしはしびれを切らした。


「で。永乃さんはどうやって生きてきたんですか? 吸血鬼として。血、吸わなきゃいけないんでしょ」


今度は永乃老人が、本気であきれた目つきをした。


「そんなこと、人に聞くか? あんた、どこでどうやってヤってるかなんて人に言わねぇだろ。『吸う』つって話せるのは煙草のことぐらいよ」


だったらなんでこのインタビューを受けた!? 吸血って食欲より性欲寄りなの? という疑問を飲み込みながら、わたしは悟った。このジイさんは、ダメだ。吸血鬼だなんて、人をかついでいるだけなのだろう。


 知り合いの編集者が転職したオカルト誌からの依頼だったが、こんなインタビューを載せるわけにはいかないはずだ。言い訳を考えながら、わたしは勘定を済ませ、老人に礼を言って、店を出た。


 もっとさんざんだったのはその後だ。インタビューからそのまま向かった編集部で、「ぜんぜんダメでしたよ」とICレコーダーを回してみれば、永乃老人の声だけが入っていなかった。ひたすらわたしの声と、店の喧騒だけ。


「吸血鬼って、声、録音されないんですかね……」


 結局、巻末の小ネタを載せるコーナーに、「吸血鬼、声が録音されず!?」と小さな記事が載った。


***


 煙に巻かれた気分も薄れてきたある日。わたしは通りすがった博物館の企画展に立ち寄った。「日本の喫煙史」の文字があったからだ。展示は時代を追っている。煙草が到来した江戸時代、そして明治……。「明治の煙草広告合戦」のパネルには、荷車を引く人物が映っていた。ずいぶん粗い写真だが、法被姿のその人物は弾けるような笑顔を見せており――左腕がないように、見えた。

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煙と歴史と(自称)吸血鬼 丸毛鈴 @suzu_maruke

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