第21話 エキナセア

               34



 学校内の安全をひとまず確保したナギトとフラウディウスだが、クラスに残した友人達の安否を心配していたナギトは、フラウディウスに事後処理を任せ、単身教室に走った。

 ユウトがいれば大事にはならないという信頼はあったが、それでも不安にはなる。この目でみんなの顔を確かめるまでは。

 教室に戻ると、そこには神妙な面持ちのライネが待っていた。

「おかえりなさい。怪我はないですか?」

「ええ、私は問題ありません。…………ところで、ユウト君の姿がありませんが。」

「………………ユウト君は、…………自宅へ帰ると言っていました。」

「自宅? どうして……」

「彼からの伝言を預かってます。自分は自宅へ戻るから、教室にナギト君が帰ってきたら、ここを頼む、と。」

「……………………」

 まず、校内の安全が完全に確保されていないのにも関わらず、ここを離れたことが不自然だ。だがその点については、彼が標的だったと考えれば一応説明はできる。

 しかし不可解なのが、事態の詳細を誰にも伝えていないということだ。考えられるパターンとしては、ハッキリとした確証がなかった場合と危険が及ぶ場合、そしてその両方――――

 ナギトは、ユウトに電話をかけた。

 予想通り、繋がらなかった。

 (………………)

 何かが起きてる。まだ、この事件は終わっていない。

 そう直感が告げている。

「ナギト君………………」

 張り詰めた表情のナギトを案じたライネの声を区切りに、決心を果たす。

 その時、教室内からリクトとハックが駆け寄ってきた。何か事態が進行していると思い、自分達もそれに立ち向かいたいと覚悟した眼差しだ。

「私は、これからユウト君の自宅へ急行します。」

 リクトとハックは、そもそもユウトが居なくなっていることにさっき気付いたばかりだったが、今の一言である程度の状況を察し、

「僕達も行きます!」

 二人が言葉よりも目で訴えてきた。

「…………リクト君はここに残って下さい。まだここは騒がしいので、手伝ってあげて。もし何かあれば、私に連絡を。」

 ナギトがそう言ったのは、リクトが先程まで怪我人の手当をしている所を確認したからというのに加え、誰かしらをここに残しておく必要があったからだ。

 リクトは頷いた。

「ハック君は私と共に行きましょう。」

「はい!」

「では。」

 ナギトとハックは、ほとんど何も持たずに学校を走って出ていった。

 校内の封鎖もまだ完全ではなかったために、難なく学校を抜け出せた。

 二人が全力で走ると、カイヅカ邸まで数十分程度だった。

 カイヅカ邸は人通りのある街並みから離れた場所に位置する。ちょっとやそっとの騒ぎでは誰も気付かない。また、敷地周辺は塀以外に遮蔽物となる物はないため、慎重に侵入するよりも短時間で入った方が実利的だ。

 二人が辿り着くと、そこは自分達の知る場所とは思えないほど異様な雰囲気と静寂を帯び、胸騒ぎを覚えた二人は周囲の索敵もせずに門をくぐった。

 そこに広がっていたのは、見た事のない光景だった。

 真っ先に目につく邸宅は半壊しており、広大な庭には多数の窪みや亀裂が入り、ここにだけ大型ハリケーンが発生したと言われても納得してしまう惨状だった。

 言葉が出なかった二人だったが、やや右手側に人影を見つけた。人影の位置は、塀から家までの距離の丁度真ん中辺りで、ここからは少し距離が離れていたが、輪郭や体格からユウトだと分かった。

 ナギトが駆け出し、遅れてハックもついて行った。

 近づいてくると、段々とユウトの輪郭がハッキリしてきて、紫の竹刀袋ではなく剥き出しの杖を持って直立していた。

 そして、その場にはもう二人。

 仰向けで横たわる体に、覆い被さっている誰か。

 さらに近づくと、覆い被さっている誰かが、大きな声で泣いていることに気付いた。

 その泣き声は、恐らくカエデのものだった。

「――――――――」

「――――――――」

 ナギトもハックも、絶句した。

 そこには、血だらけのカオルが倒れていて、ユウトは立ち尽くしたまま俯いて動かず、カエデは母親の体にすがって泣いていた。

 胸と額から溢れ出た血がどす黒く変色し、片足にも大きな血の跡があった。

 しかし、カオルの顔は状況にそぐわず晴れやかだった。

 それが、余計に非現実感を強め、カオルの命が尽きたことを悟った。

 昨日まで自分達を温かく見守っていた人が、二度と会話もできなくなった。優しく微笑む姿も、もう見れない。

 この瞬間から、カオルは記憶の存在となったのだ。更新されることのない、ずっと変わらない、記憶の存在に。

 これが、死だ。

「………………向こうは大丈夫だった?」

 ユウトは顔を上げて、二人を振り返った。

 その顔は、普段通りそのもので、今の状況では寧ろ怖い。

「…………はい。こちらは特に何も………………」

 ハックが答えた。

「そうか。…………良かった。」

 ユウトは、少しだけ笑った。

 ナギトには、それが無理をしているように見えた。

 こちらを心配させないようにしてくれたのだろう。

 (わかってる。)

 こちらの不安を無駄に煽りたくないのだろう。

 (ああ、わかってる。)

 それでも、それ以上に、怒りが湧き上がってきた。

 (良かった?)

 良かったと言って、彼は笑った。

 ナギトは、そこで初めて、直感的に理解したのだ。

 ユウトのこれまでの言動の理由を。

 カイヅカ・ユウトという存在の所在を。

「良くないに決まってるだろ!」

 ナギトは叫び、ユウトの胸ぐらを掴んだ。

「カエデさんが泣いてる側で! 良かったって言うのか!? カオルさんがこんなになって、それでも良かったと笑うのか!?」

「ちょっと、ナギト君…………」

 慌てて止めようとしたハックだったが、ユウトは真顔でナギトを見つめていた。

 その様子に気圧され、足が止まった。

「…………君の言いたいことは分かるよ。全ての責任は僕にある。いつかこうなるとわかっていたはずなのに、それでも僕は、この道を進むことを辞めなかった。」

「そうじゃない!!」

 怒りが収まらない。

 彼の言葉も、彼の態度も、全てがナギトの神経を刺激した。

「………………泣いてるの?」

「何故私が泣いてるのか、分かりますか!?」

 以前にも同じことを言ったとユウトは思い出した。

 ナギトは、ユウトの上着の襟を更に固く握り締めた。それは怒りの表れのようだった。

「私は悲しい。私に親しくしてくれた人が無惨に殺されたことも悲しい。でも、それ以上に! 愛する家族を亡くした友を想うと、涙が止まりません――――私以上に友の方が断然に悲しいはずなのに、何故貴方は、それを隠すのですか! 許さないからですか!? 貴方が担おうとしている役割が、それを許さないからですかっ!」

 両手でぐっと服を握り、何度もユウトを激しく揺らす。ユウトの視界に飛び散る雫は、ユウトのために感情を剥き出す友のものだ。

「この間もそうです。貴方は無感情なんかじゃない。感情があるのに、それを表に出さないだけだ。それではまるで、機械じゃないですか! 平和を実現するための、機械………………貴方がエミリアさん達に魔法を使った時、私は思いました。この世界を変えることは生半可な覚悟と綺麗事では不可能で、悪に手を染めてでも為すべきことがあるのではないかと。では、悪に手を染めてまで世界を変革し、多くの人が幸福に満ちた時、その人は一緒に幸福になれるのでしょうか。」

 ユウトは、何も反応しなかった。

「……………………世界を変えた当人が救われない世界。それは、その人に世界全ての負債を背負わせて、用が済んだら切り捨ててるのと同じだ! 犠牲の上に成り立つ世界という本質は何も変わっていない! だから私は思います。貴方はもう降りるべ――――」

「それはダメだ!!」

 ユウトが見せた感情もまた、怒りだった。

 ナギトもハックも、恐らくカエデすら、ユウトが声を荒らげたのは初めて見た。

「貴方がいなくてもやってみせますよ!」

「そうじゃない!」

「なら何だっていうんですか? 確かに貴方は他の人とは違う才能を秘めている。だがそれが、貴方だけが世界を変えられる要因にはならない!」

「だからそうじゃないっ!!」

 今度はユウトが、ナギトの胸倉を両手で掴んだ。

「僕が先頭に立たなくちゃならないんだ! 君の言う通り、綺麗事だけじゃ世界は変えられない。今のやり方を貫き通せたとしても、誰かが矢面に立つしかない!」

「それを貴方がやると!?」

「そうだっ!」

 一体何が、彼をここまで突き動かすのか。

 ユウトの眼は、常人のものではなく狂人のそれに等しく、覚悟を超えて執念じみていた。

「社会の希望と汚泥を受ける器に必要なのは、口の大きさでも底の深さでもない。その器が空っぽかどうかだ!」

 ギッと歯を食いしばったナギトは、右腕を振り上げて、遠慮することなくユウトを殴った。

「貴方は世界を俯瞰しているようで足元がまるで見えていない!」

 ユウトの肩付近から再び血が滲み出した。重症ではないが、幾つか被弾もしているし、既に強敵との戦闘後で疲労もかなり蓄積している。しかし、興奮によって誘発されたアドレナリンによって、痛みどころか自分が怪我人だということを忘れている。ナギトもそうだ。

「貴方の帰りを待つ人達の前で、自分が空っぽだなんて二度と言わないで下さい!!」

 何も、言い返せなかった。

「私達が社会を形成している以上、誰かが矢面に立つ必要がある。誰かが群衆の代弁者となって導く必要がある。それは認めます。ですが、貴方はそれを犠牲と捉えている!」

「じゃあ君は違うって言うのか!?」

「そうですっ!!」

 真っ向から否定されたユウトは、ナギトの気迫にただ聞くしかなかった。

「幸せになる覚悟無き者が、誰かを幸せにできる訳ないでしょう!!」

「やめてっ!!」

 カエデが、二人を遮った。

「…………もう、やめて………………母さんの前で、喧嘩しないで……………………」

「「――――――――――――」」

 堰が切れたかのように呼吸を乱し始めたナギトは、その場に座り込んで上がった熱を冷ました。

「………………僕は、」

 ユウトが、俯きながら声を絞り出す。

「僕は、現実こことは異なる空想に魅入られた。その時に見た現実は…………とても下らないものとして映った。僕の知る小さな小さな世界には、優しさとささやかな幸福が満ちていたけど、外の世界はそうじゃなかった。差別が蔓延し、自身の力を誇示し、蔑み虐げ、暴力と暴権を振りまく。歪で捻じ曲がったそれを幸福だと感じる一部の人間と、耐えながら幸福の基準を下げ続ける大多数の人間。下らない、本当に、下らない。……………………でも僕は知った。今の社会は、大多数の人間達ではもうどうしようも変えられないことを。その熱意も、力も、知識も持たない彼らには、変えられない。変えられないけれど、願っている。現状に変革が訪れるのを。」

「………………貴方には、それを背負う必要なんてなかったはずです。どうして…………どうして、再び『カイヅカ』になったのですか?」

「………………………………………………本当は、ここで三人、静かに暮らしたかった。いつまでも、三人で……………………。でも僕は、彼らの声を無視し続けられなかった。その時悟ったよ。ああ、これが『カイヅカ』なんだってね………………自身のことよりも周囲の幸福を優先してしまう。周囲を助けずにはいられない。僕の先祖達は、きっとそれを無自覚の内にやっていたんだ。さも当然かのように。寧ろそれを、自身の幸福だと感じていたのかもしれない。…………………………僕一人が犠牲になって大勢が幸せになるなら、それはとても素晴らしいことだと。世界が変われば、きっと、カオルさんもカエデさんも、広々と生きていける。僕達は、隠れていないで堂々と生きていける。そうすれば、全てを背負って僕を育ててくれたカオルさんの肩の荷が、少しは下りるんじゃないかって――――」

「どうしてっ!!」

 カオルが叫んだ。心からの、叫びだった。

「どうして! そうやって何でも一人で背追い込もうとするのっ!! 私も母さんも、ユウトがやりたい事、やろうとしてる事、どれも否定したくなかった! 本当はやりたくない事だったとしても、その選択を尊重したかった! どうしてかわかる!? 茨道でも花道でも、ユウトを側で、隣で、支えて共に歩むことが私達の幸せだからよっ!!母さんも、私も、ただそれだけで良かったのに………………………………」

 その言葉は、カオルの叫びは、ユウトの心に大きく響いた。

 (僕は…………僕は!!)

 振り返れば、自分からカエデやカオルに聞いたことがあっただろうか。彼女達が、本当は何を望んでいるのか。何を願っているのか。そして自分から話しただろうか。自分が本当は何を望んでいたのか。何を願っていたのか。

 わかった気でいた。そうだろうと、心のどこかで決めつけていた。現状に満足していないと。我慢の生活に慣れてしまっていると。

 現実が見えていなかった。現実を変えようとする者が、一番現実を見ていなかった。

 “おかえり、ユウト。”

 カオルの最後の言葉。死の間際に放った言葉が、どうしてありふれた日常の一言だったのか。感謝でもなく、助言でもなく、『おかえり』だったのか。

 死に直面して現れるのが人の本性だというのなら、その一言こそ、カオルが願っていた光景だったのだ。

「ごめん――――」

 涙が溢れてきた。

 情けなくて、申し訳なくて、涙が溢れてきた。

 どんなに泣いても、どんなに叫んでも、もうこの言葉を伝えられない人がいる。怒ってもらうことも、笑ってもらうことも、もう無い。ようやく、その本当の意味に気付いて、涙が溢れた。

「ごめん、なさい……………………」

 今になって痛み出した全身が、ユウトの自由を奪った。立ち上がろうとしたものの、倒れてしまった。それでもユウトは、這って二人に近付いた。

「ごめんなさい……………………」

 杖を捨てて、必死に這ったユウトは、カエデの血塗れの両手をしっかりと掴んだ。

「ごめんなさい、カエデ――――」

 カエデも、とめどなく涙を流した。そして、ユウトの両手を握り返した。決して離さないように、強く、強く。

「ごめんなさい、母さん――――――――」

「ねえ、ユウト。謝るんじゃなくて、感謝の気持ちを伝えよう。」

「…………うん、そうだね。」

 二人は、お互いの手を握りしめ、涙で頬を濡らしながら、大切な人に感謝の言葉を送り続けた。ここを離れた魂が、安心して新たな世界へ旅立てるように。笑顔で、この世界を旅立てるように。



「ナギト君、大丈夫ですか。」

 座り込むナギトに、背後からハックが声を掛けた。その声はかすれていて、泣いていることがわかる。

「………………はい、大丈夫です。」

 返事をしたナギトの声も、少しだけ上ずっていたが、ハックの手を借りながら立ち上がった時には、涙は止まっていた。

 ハックは、他の人よりかは死がどういうものかを知っていたためか、取り乱すことはなく粛々と泣いていた。一方ナギトは、赤くなった目で遠い空を見つめていた。

「私達が、彼を癒す花になりましょう。」

 もう舞台を降りることはできない。降りる気も毛頭ない。

 なら、彼を支えよう。彼と共に歩こう。

 そうできなかった人の分まで。




 何故ならこれは、カイヅカ・ユウトが世界を変える物語であり、カイヅカ・ユウトが救われる物語なのだから。



               *



 程なくして、ユウトの家周辺の電波が回復し、ナギトが然るべき機関へ通報した。栄えている中心街に近いおかげで、警察と救急隊が十分もせずに到着した。

 襲撃者達は敷地内にバラバラに吹き飛ばされて、所在がはっきりとしていなかったため、カエデだけが先に救急車で搬送されることとなった。

 カエデが同乗したが、彼女も心身共に疲弊している。ナギトは、ユウトも救急車に同乗するように進言した。ユウトも立派な怪我人であり、カエデを一人にさせるなんて言語道断だろという、半ば強制的に決定させたのだが、ユウトはすんなり従った。しかし、その代わりにナギトへある頼み事をした。

 襲撃者の後処理だ。

 ユウト曰く、誰も殺していないそうだ。少なくとも本人は、そのつもりで出力を絞ったのだろう。

 それは、彼らの目的や黒幕を探る手がかりを引き出す為だ。

 今回の襲撃は、明らかに一線を超えている。だからこそ、得られる情報は多い。せめて、襲撃者達がしっかりと捕らえられ、屯所まで連行される所を確認しなければならない。そうすれば、後日幾らでもこちらで対応ができる。

 通報した張本人でもあるナギトはその場に残り、ハックは学校に戻り、ありのままの真実を他の人に伝える役目を担った。

 警察がバタバタと忙しなく動き回っているというのに、ナギトの周囲は静かで、冷たかった。

 (……………………)

 意識せずとも、襲ってくる喪失感と虚無感。

 カオルとの記憶が再生される。

 


 

『あら、ナギト君。いらっしゃい。』

「お邪魔します。…………ユウト君は?」

『ごめんね、私にも分からなくて。ほんと、家が大きいと人一人探すのも一苦労ね。』

「私の実家も大きいので、お気持ち察します。」

 カオルさんと一緒に、廊下を歩く。

「なんだかこんなに頻繁にお邪魔して、迷惑じゃありませんか?」

『そんな事ないわよ。毎日賑やかで、私達も楽しいわ。』

 その言葉に、嘘偽りはないと思った。

「これからも、息子をお願いします。あの子、周りと上手くできてるか心配で。でもナギト君がいると、心強いわ。」

 そう言って微笑む姿は、母親そのものだった。




 これが、死というものだ。

 今まで貴族や家門に虐げられ、苦しみながら亡くなった人は数え切れないだろう。その仕組みを変えたかったナギトは、その仕組みの残酷さを真に経験した。

 これが親族や友人ならば、尚更、身が引き裂かれる絶望に違いない。だというのに、誰も反発しない。声を上げない。行動を起こさない。

 もう、疲れてしまったのかもしれない。心が折れて、諦めてしまっているのかもしれない。変わるかも分からない社会制度に命懸けで立ち向かうなら、ただひっそりと静かに生きていたいと願うのは、決して間違いなんかじゃない。

 その現状に、それでもと一石を投じたのがユウトだった。

 (………………カオルさん………………)

 また、カオルの笑顔が浮かんだ。

 悲しみがとめどなく溢れてくる。胸が張り裂けそうだ。

 (…………………………)

 しかし、ナギトは諦めない。

 立ち止まってうずくまることを、誰も望んでいない。自身の葛藤も他者の覚悟も、丸ごと背負って前に進まなければならない。

 その時、ふと思った。

 (誰かを背負うことが、こんなにも重たいなんて………………)

 ユウトは、もっと多くの想いを背負っていた。一人で。しかも、それが本人の意思ではなかった。

 言い難い感情に襲われて呆然としていると、一人の男性警官が駆け寄ってきた。

「失礼ながら、通報者のナギト・メーク様であられますか?」

「……………………ああ、はい。そうです。」

 間の抜けた返事に、警官の緊張が和らいだ。

「伝達遅れて申し訳ございません。襲撃者は五名です。全員が意識不明と聞いておりますが、銃火器を携帯している可能性があるので、充分にご注意を。」

「はい。既に取り掛かっております。」

 通報時点で粗方の事態は伝えていたため、ナギトが言うまでもなく警察は動いていた。

「ありがとうございます。それともう一つ、犯人が連行される屯所まで同行したいのですが。」

 ナギトがそう言うと、堅苦しそうな警官は少しだけ頬を緩めた。

 何か変なことでも言っただろうかと不思議に思っていると、

「頼まれなくとも、貴方がお望みになればこちらは承諾いたしますよ。」

 警官は、あちこち穴だらけのユウトの家を見つめて、ナギトに語りかけた。

「私は、カイヅカ家が治めている頃からこの地に住んでいます。ユウト様が生きておられると知ったのは今日です。この一件は大変悲しきことですが、ユウト様を一目見ることができて、本当に嬉しい思いです。また、ユウト様のご友人に貴方のようなお優しき人が居て、勝手ながら胸を撫で下ろしています。」

 ナギトは通報する時に、自分の本名を名乗った。そうした方が何かと楽だと思ったからだ。

 家門の人間とは、この社会における絶対。だから、頼み事というものは本来存在しない概念なのだが、それを素でやってしまうナギトの人徳と、そんな友人を作ったユウトの人柄に、警官の男は、残酷な事件で沈んだ心を温めることができたのだ。

 ナギトはカイヅカ家のことを知識上でしか知らないが、そんなものよりもはっきりと確証を持って断言させてくれる材料が、こんなにも多く存在する。沢山の人がカイヅカを想い、そしてカイヅカもまた沢山の人を想っていた。そうでなければ、十五年の月日を諸共しない彼らの心を説明できまいと、身に染みて痛感する。

「犯人達の意識が回復し次第、ご連絡します。直接お話がしたいのなら、私が話をつけますのでご安心を。」

「ありがとうございます。」

 ナギトの意図を汲み取った警官は、ナギトが頼もうとしていたことを理解していた。

 その後もしばらく警官と話していると、警官の部下が走ってきた。

「五名中四名を確保しました! 残りの一名も捜索中であります!」

「ご苦労。引き続き――――」

 男の声を遮ったのは、特大な爆発音だった。

 (!!!)

 振り返ると、五つの地点で土煙が舞い上がっていた。

 五つ。

 それが何を意味するのか、ナギトはすぐに理解した。

 そして戦慄した。

 これが、カイヅカ・ユウトが戦っている世界なのだと。



               *



「………………もしもし、ナギト君。…………どうした?」

『………………少しは落ち着きましたか。』

「心配かけるね。こっちは大丈夫。そっちは?」

『悪い報せです。襲撃者達は体の内部に爆弾物を仕掛けていたようで、全員が爆発により死亡しました。』

「……………………そうか。」

『警官方に死者は出なかったようですが、重傷者が幾人かおり、遺体の回収も大きな成果は見込めそうにないです。』

「…………仕方ない、とは言いたくないけれど、はまだ残ってる……………………」

『……………………警官と連絡先は交換しましたし、後日折をみて連絡をとってみます。私は一旦帰宅しますが、貴方達はどうしますか?』

「……………………どうしよう、かな。」

 ユウトは、電話越しに苦笑した。本当に困った様子で、とても弱々しかった。

 帰る家も、待ってくれていた人も、もう居ない。

『だったら、私の所に来て下さい。兄の家ですが、既に話は通してあります。』

「………………でも」

『迷惑なんかじゃないですし、貴方達にはしっかりとした休息が必要です。違いますか?』

「……………………わかった。お邪魔するよ。」

『良かった。座標は後で送りますが、その病院からは歩けば二十分程度です。少し遠いですが、外の空気でも吸ってゆっくり来て下さい。』

「ありがとう。」

 そう言って、通話を切った。 

 太陽が姿を隠し始めた頃、二人は病院を出て、送られてきた住所に向かった。

 足取りは重く、二人の間で会話が交わされることはなかったが、互いの手を離すことは決してなかった。 

   

 




 ベルを鳴らすと、ナギトが出迎えてくれた。

「………………どうぞ入って下さい。」

 来訪者の二人は、生気を吸い取られたかのような酷い表情だった。

 リビングへ入ると、家の主が待っていた。

「ナギトの兄のクラウンと、妻のステファニーです。今日の出来事についてはナギトから聞いています。どうぞゆっくり休んで下さい。」

「お心遣い、大変感謝します。お言葉に甘えて、一晩お邪魔します。」

「一晩と言わず、色々と落ち着くまで居てもらっても大丈夫ですので。」

 クラウンの雰囲気は、ナギトとはまた違った陽気さを備えていた。ステファニーもニコニコと優しげに微笑みを浮かべており、とても家門の関係者には見えない。

「夕飯はまだですか?」

「はい。」

「良かった。丁度準備が出来てますので、是非。」

 ステファニーが嬉しそうにリビングを開けた。すると、既に温かい食卓が広がっていた。



 夕飯を済ませると、カエデはステファニーに連れられてお風呂へ入った。その間クラウンは食器を洗い、手伝おうとしたユウトとナギトは、先にお布団の準備を仰せつかった。

 偶然にも、二つある空き部屋の一つを物置として使っていたため、一人一部屋とはいかず、唯一空いていた部屋でカエデとユウトが寝かせて貰うこととなった。

「ねえ、ナギト君。」

「ん?」

「言い忘れてたことがあったんだ。」

 二人分の布団を敷き終わり、息抜きに小さなベランダに出ると、ユウトは話を切り出した。ただ、重苦しい様子ではなく、何か吹っ切れた様に思えた。

「初めは、僕がやらなくちゃ、っていう義務感や責任感だった。それは否定しない。でもね、今はそうじゃない感情も生まれてきたんだ。」

 ナギトは黙って続きを待った。

「エーデルシックザールに入って、初めて友人ができた。それも沢山。みんなとの触れ合いで、気付いたんだ。みんなが笑っている時、僕は頭を空っぽにして一緒に笑い合えた。その瞬間は、義務とか責務とか、肩書き全部とっぱらって楽しむことができた。僕は、みんなと一緒に居る時は、ただのユウトで居られた。」

 両手をベランダの取っ手に置く。少しだけひんやりとしていて、火照った体には心地よい感覚だ。

「『そうしなければならない』じゃなくて、『そうしたい』って思えるようになったんだ。」

 ユウトは自分の頬に触れて、微かに笑った。そこは、ナギトの遠慮なき一撃を見舞った箇所だった。

「痛みますか。」

「うん、痛かった。凄く痛かった………………だから、気付けた。僕は周りが何も見えてなかった。ありがとう。」

「私こそ、貴方と会うまでは、本当の意味で誰かに寄り添うことはできていなかった。ただ綺麗事を上から振りまくだけ。私も、エーデルシックザールで初めて、友人ができた。そして、自分と同じことを、それ以上のことを目指し、何歩も前を歩く人を見つけた。その人を見習い、その人と同じ志を抱き、その人と共に歩みたいと思った。けれどふと立ち止まると、私を含めたみんながその人を拠り所にしていた。じゃあ、その人の拠り所はどこにあるのだろうか。その人は誰を拠り所にしたらいいのだろうか。答えは、こんなにも簡単だったのに。」

「そうだね。」

「ええ、全くですよ。」

 お互いに、今の状況が面白くなったのか、クスクスと笑い始めた。憔悴はしていたが、空元気でも笑いが零れた。

 誰だって完璧じゃない。

 完璧な人なんて、一人もいない。

 一人一人の、大きさも形も異なる歯車が隙間を埋め合って初めて世界は動く。自分を回したいなら、まずは隣合わせの歯車たしゃを見つめなければならない。

 とても簡単で、とても難しいこと。

「そろそろ戻ろう、ナギト君。クラウンさんを手伝わないと。」

 油を売ってる時間はこれで終わり。室内へ戻ろうとしたが、ナギトは動かなかった。しかし、こちらを意味しげに見つめていた。

「ナギ、と呼んでください。」 

 もう、誰かと距離を置く必要はない。

 たった一つの席だったとしても、一人しか座れない場所だったとしても、一人だけ壇上に上がる必要はない。椅子を囲うように、仲間がいれば良かったんだ。

 だから、

「じゃあ僕のことは、ユウ、でいいよ。」

「わかりました。これかも宜しく、ユウ。」

「こちらこそ、ナギ。」





 

 この果てしなき夜空の下で、世界は回る。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

レイシスター 光田光 @koudahikaru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画