第20話 私がここにいる軌跡/奇跡

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 この世界には、私達人間以外にもヒトはいます。

 進化の過程で枝分かれしたとされており、野生に近い進化を遂げ強靭な肉体を手に入れたヒトを魔人、自然に近い進化を遂げ、この世界に満ちる魔力というエネルギーを多く保有するヒトを天人と呼びます。

 魔人や人間であっても、多少は魔力を保有しているそうなのですが、天人以外に魔力を感知できる種族はいません。代わりに、魔人はそれに劣らない肉体を、人間は知恵と科学力を手に入れました。未知なる神秘への眼差しは羨望から驕りへと変わり、魔法や魔力というものは耳馴染みのないものに廃れていきました。

 それが理由の全てかは分かりません。

 ですが、人類は発見したのです。

 魔鉱石という、新たな可能性を。



 魔鉱石。

 それは、魔力を豊富に帯びたとされる鉱石。

 フシミ家が所有する鉱山採掘会社が、カイヅカ領内のとある鉱山の地下深くで、不思議な性質を持った鉱石を発見しました。見た目は他の鉱石と何ら変わらないものですが、外部から軽く刺激を与えた時に、光る浮く熱くなるなど様々な反応を起こしました。その反応は無作為に発生し、どうしてそうなるのかは全くの未知です。研究者達が出した推論が、魔力でした。

 既に袂を分かった種族間ですが、かつては共に暮らしていました。その名残の文献や知識は細く伝承されており、そこからの知見と私達の理解が及ばない現実に、魔力が豊富に籠った鉱石ではないかとされました。

 これが正しいのかどうかは二の次に、魔鉱石に関わる研究が急速に進められました。その際、フシミ家はカイヅカ領内に特殊研究所を構え、外部の人間を招きました。ここまでは、特に大きな問題とはなりませんでした。カイヅカ領内の関心は意外にも高くなく、逆に領外は血眼になって情報をかき集めていたそうです。

 問題となったのは、魔鉱石の研究が進み、実際にどう応用していくのかと試行錯誤している段階でした。

 カイヅカ家とフシミ家が、魔鉱石を巡る方針で対立したのです。

 魔鉱石が発見されてから、フシミ家当主のサイ様は、頻繁にカイヅカ邸を訪れご当主様とお話をなさっていましたが、次第にサイ様の怒号が廊下に響き渡るようになり、やがて現れなくなりました。

 アヤコ様から聞いたあらましはこうです。

 カイヅカ家の方針は、『新たなエネルギー資源として大きな可能性を秘めた魔鉱石は、広く流通させ人類全体で共有することで真価が現れる』。

 フシミ家の方針は、『現状カイヅカ領でのみ確認されている魔鉱石を独占し、他領との交渉材料にすることでカイヅカ領の遅れた産業を押し上げる』。

 互いに譲らず、対立は深まる一方となりました。

 アヤコ様とフミヒロ様も大変忙しくされており、街に出かける暇もないくらいでした。ユウト様の世話を仰せつかり、長い時間ユウト様のお世話をしていました。心にぽっかりと空いた孤独感と、何か決定的なものが揺らごうとしている漠然とした不安は、日に日に私の精神を蝕んでいきました。



 騒ぎは沈静化に向かうどころか、益々混乱を生みました。

 そしてついに、サイ様は独断で魔鉱石産業を発展させていきました。フシミ家が所有する企業は多岐に渡り、その資本を最大限に用い、探索・採掘・研究・流通全てを独占しました。物流ラインに従事する従業員の多くは他所から呼び寄せ、魔鉱石を材料に他領の文化や技術がカイヅカ領の一角に多く入ってきました。その一角というのが魔鉱石が発見された鉱山一帯の事なのですが、隣接するハルバート領との境界に非常に近いこともあり、サイ様の構想はみるみる現実となっていきました。

 これには、領民達も不満を顕にし、暴動も何件か発生しました。良くも悪くもカイヅカ領は閉鎖的で、急激な変化の予兆に恐怖が掻き立てられたからでしょう。

 カイヅカ家の皆様も大変苦しい思いをしており、寝る間もなく対処に追われていました。アヤコ様の笑顔もいつしか空元気に思えてきて、自然と会話も減りました。フミヒロ様が体調を崩されることも多くありました。

 カイヅカ家はこの状況に、芯を曲げることなく、一貫して独占をやめるよう呼びかけました。強硬策を幾つか実行したとも聞いています。それでもサイ様の意思は固く、事態は解決の糸口を見いだせないまま時間だけがずるずると過ぎていきました。



 魔鉱石が発見されてから、およそ二年。

 人類暦二八五年、一月一日。

 人類史を大きく変えることとなる、最悪最低な一日が幕を開けました。



               *



 新年を迎える前日、ご当主様は突如、メイド達に一斉休暇を与えると言いました。

 カイヅカ家に仕えるメイド達は、近辺に家を所有している人もいますが、大抵は邸宅か別荘で生活しています。そのため、私達に世間でいうところの休日はありません。身寄りがいない人は珍しくもなく、ここが新たな家族となっているため、誰もそれを苦とは思っておりませんでした。

 しかし、近年は魔鉱石関係で皆忙しく、心身ともに疲弊しているのではないかと案じたご当主様が、たまには外の空気を吸ってきなさいと、半ば強制的にメイド達に休暇を与えたのでした。当然反対した者が多数でしたが、

「みんな、気持ちは嬉しいけど、旅行とかほとんど行ったことないでしょ。外の世界を知るのは大切な事よ。羽根を休めることも立派な仕事だし、気が向かないなら勉強だと思って、たまにはどこかに遊びに行ってきなさい。これは私からのお願いよ。」

 アヤコ様のその優しい笑顔に、逆らえる人はいませんでした。中には、カイヅカ家の皆様だけのお時間を作ることも大切だと仲間内を諭す人も現れ、アヤコ様の説得と相まって、新年最初の日は、カイヅカ家の皆様だけで一日を過ごされました。

 と、言いたいところでしたが、例外がいました。

 私とカエデです。

「ユウトのこともあるし、誰かしらいてくれたらすっごい助かるなー」

 私も、時にはカイヅカ家だけでゆっくりと過ごされる日が必要だと思っていたので、そのお誘いも一度は断ろうと思いました。しかし、メイドがいないとなれば自分達だけで家事を行う必要があり、まだ幼いユウト様を抱えるアヤコ様の側に一人くらいは居てもいいのではないでしょうか。加えて、フミヒロ様の具合も最近は不安定で、アヤコ様が看病していました。今考えてみると、同世代の同性で小さい子供をもつ私に、少しだけ甘えたかったのかもしれません。

 そういうことで、他の者には内緒で、私とカエデだけが新年最初の日をカイヅカ家と共に過ごしました。

「じゃあ折角だし、夕飯はご馳走にしない?」

 嬉々とした様子で、アヤコ様はそうみんなに提案しました。丁度年末用に用意してあった食材が多く残っていたので、お昼頃から準備を始めました。

 アヤコ様のお母様、アヤコ様、私の女性陣が主体となり、新年らしくこった料理を次々と作っていきました。その間、ユウト様とカエデはお絵描きをしていました。

「お母さんみて!」

 両腕を一杯に広げて、ユウト様が自分の絵を見せてきました。

「お母さんたちを描いてくれたのね。すごいじゃない! よく描けてるわ!」

「えへへ。」

「カエデは何描いたの?」

 アヤコ様に聞かれたカエデは、ユウト様に続いて大きな画用紙を掲げた。

「私とユウト!」

「あら、カエデはうんと上手じゃない! 将来は画家さんかな〜」

 アヤコ様に褒められたカエデは、嬉しさ全開にニコッリ笑って、また別の絵を描き始めました。

 他の皆様は、夕飯の手伝いをしたり庭の手入れをしにいったり、何だかんだで忙しく活動し、日が落ちてぐっと気温が下がり始める十八時頃、全員が二階のリビングに集まりました。

 食べ始める前に、ご当主様から簡単な挨拶がありました。

「ではみんな。最近は明るいニュースがなくて気分が沈みがちだったが、それは混乱に置かれた領民達も同じです。今年も無理をせず、みんなが健康で笑っていられることを願ってます。それでは、乾杯!」

 今だけは、家族の団欒を純粋に楽しもう。皆様のそういった想いがひしひしと伝わってきました。

 普段よりもフランクな態度で、皆笑って楽しみました。



 歓談が盛り上がり、いつの間にか時計の針は二十一時を回っていました。

「いかんいかん。子どもはもう寝る時間かな。」

 ご当主様がそう言ったのは、ユウト様とカエデがウトウトと頭を揺らし始めたからでした。

「片付けは男共でやるとして、女性陣は先にお風呂に入ってきなさい。」

 お言葉に甘えて、一度アヤコ様とともに、子ども達を連れて隣の部屋に移動しました。

「ほら、ユウト。起きて。お風呂入るよ。」

 ユウト様は今にも眠ってしまいそうで、そうなる前に是が非でもお風呂に入れて寝支度を済ませたいアヤコ様と奮闘を繰り広げました。

 カエデはまだ目を擦る程度で、私のことをじっと待っていました。

「カオル、先いいよ。」

「わかりました。いこっか、カエデ。」

「うん。」

 そのときでした。

 ビーーッ!! と、大きな警報音が家中に鳴り響きました。それは、この家の外周に設置された監視センサーが登録されていない人物を検知した際のアラートでした。

「アヤコ様!!」

「わからない!! どうして警報が――――」

 パァン! パァン! と、二発の銃声が庭で轟きました。

 つい十分前に、アヤコ様の祖父母様が夜風を浴びに庭へ向かわれました。

 一抹の不安が、一気に現実味を帯び始めました。浮かれていた心が急激に冷め、ご当主様が隣室に向かって叫びました。

「アヤコ!! 子ども達を避難させなさいっ!!」

 しっかりと聞き遂げたアヤコ様は、私に視線で合図を送り、各々子どもを連れて部屋を飛び出しました。廊下を駆けて一番端の部屋へ飛び入りました。

 カイヅカ邸宅には、緊急の避難経路がいくつかあります。

 広大な家なので、火事や地震の際に出入口が玄関ロビーだけの場合、遠くの部屋にいる人は逃げ遅れてしまいます。そのため、中央階段から遠い端の部屋には下の階に繋がる連絡通路が存在するのです。そして一階に辿り着くと、外の庭に出られる勝手口と、地下に繋がる秘密のルートが用意されています。地下通路は少し離れた場所にある茂みの中に通じており、その方角は別荘に向かっています。

 緊急時を想定して、幾度かはその避難経路を実際に通ったことがあり、手早く連絡通路入口近くの物をどけて、扉を開錠しようとしました。

「カオル! やっぱり私は戻るから先に行って!!」

「何を言って!?」

 隣で一緒の作業をしているアヤコ様は、突然そのようなことを言いました。

 もしかしたら、残してきたフミヒロ様のことが脳裏をよぎったのかもしれません。

「もしもの時は私が時間を稼ぐ! だからっ!」

「なら私もっ!!」

「カオル!!」

 入口の扉が開くと、アヤコ様はユウト様を私に無理矢理押し付けるように渡しました。

「行きなさい! カオル!」

「嫌ですっ! アヤコ様も一緒に!」

「言うことを聞きなさい!」

 初めて、私に命令しました。

「ユウトを頼むわ。」

 そっとユウト様の頬を撫でました。

 ユウト様は状況を全く理解できず、見た事のない母親の怒鳴った表情に驚いて声が出せないでいました。

 その時、ぞろぞろと激しい足音が二階に到達し、リビングに入っていくのが聞こえました。

「行って!!!」

 アヤコ様が私達を扉の奥に押しやり、最後には笑顔をみせて扉を閉めました。

「アヤコ様! アヤコ様!!」

 扉の鍵は向こう側からロックされてしまい、いくら体をぶつけてもピクリともしませんでした。

 (私は……私はどうすれば…………)

 突然のことに、頭が混乱を処理できていませんでした。

 再び、銃声音が耳を叩きました。

 次に、扉の向こうでガタガタガタと物が崩れる音がしました。アヤコ様が、この連絡通路を気取られないように近くの物で隠したのだと思います。

 (アヤコ様…………)

 私一人じゃ、何もできない。

 いつもアヤコ様が側にいてくれた。仲間が隣にいてくれた。

 だから、私はここにいる。ここにいれる。

 今は、一人。

 誰も手を貸してくれない。誰も答えを教えてくれない。

「お母さん…………」

 カエデが、不安そうに私の服の裾をギュッと握りました。

 プルプルと震える体を沈めるように、私を強く握りました。

 両腕で抱えるユウト様は、今にも泣き出しそうで、怯える眼差しを私に向けてきました。

 (この子達には…………私しかいない!)

 私には今、頼れる人がいない。

 でもこの子達には、私という存在がいる。

 私が、私がやるしかない。

 この子達を安全な場所へ避難させられるのは、私しかいない。

 カエデもユウト様も、怖がって怯えている。

 だから、

「……大丈夫。大丈夫よカエデ。」

 私は笑いました。

「カエデ、付いてきて!」

 ユウト様を抱えたまま、私は連絡通路を降り始めました。

 扉の奥から、銃声と誰かのくぐもった叫び声が聞こえたように感じましたが、前だけを見てひたすらに走りました。

 襲撃者の大半は、明かりが見えた二階に向かったようでしたが、数人は庭や一階を徘徊していました。

 連絡通路から一階につくと、静かに息を殺し、黒づくめの襲撃者の目をかいくぐって地下通路へ入りました。

 ここまで来ればとりあえず一安心ですが、地下通路への入り口はどうしても隠すことができないので、もしかしたら今にも襲ってくるかもしれません。狭く一本道のここで襲われれば、逃げる術は皆無です。気を緩めず、走り続けました。

「カエデ! まだ走れる!?」

「うん!」

 五分か十分くらい走ると、出口が見えました。

 カエデにユウト様をお願いし、重い蓋を開けて外に出ました。

「――――――――」

 何故でしょうか。夜なのに眩く視界が明るいのです。

 その光景を、頭が理解を拒みました。

 だって、燃えていたのですから。

 私がつい数十分までいて、カイヅカ家の皆様と楽しくお食事して、笑い合っていたはずの家が、燃えていました。

 私の記憶を嘲るように火は拡大していき、そこに存在した記録は灰に変わっていきました。

 心が折れて、足が竦みました。

 と同時に、本当の意味で、もうこの子達には私しかいないのだと思いました。




 私は、背を向けて走り出しました。

 カエデとユウト様を連れて、逃げました。



               *



 カイヅカ家所有の別荘に身を隠して、夜が明けました。

 私の心とは裏腹に、いつもと何も変わらない清々しい昇光でした。

「カエデ、少しだけ家の周りを見回ってくるから、ユウト様を頼んだよ。」

 それは、ただの方便でした。

 別荘といっても、それでも広大な土地を有しているので、外周をぐるりと回って足跡などの痕跡がないか確認しました。

 そして、泣きました。

 目一杯泣きました。

 アヤコ様に出会って、私は救われた。こうして生きているのは、全てアヤコ様とカイヅカ家の皆様のおかげ。一生をかけてその恩返しがしたくて、それだけで良かったのに。 

 ただ声を押し殺して、茂みに隠れて、私は泣きました。

 (……………………)

 これは、覚悟を決めるためでもありました。

 私が弱みを見せるも、己に甘えるのも、これで最後。

 (アヤコ様。フミヒロ様。私が必ず、ユウト様をお守りし立派に育ててみせます。皆様のご意志は決して、決して――――)



 ここが、私の人生における最後の大きな分岐点。

 私は、カエデとユウト様に全てを捧げると心に固く誓いました。





 冷静さを取り戻した私がまず考えたのは、協力者についてです。

 私がカエデを身ごもって館を飛び出した時、私には頼れる誰かがいませんでした。この世界で生きていくためには、誰かの助けが必要だといいことは身をもって経験しています。特に今回は、謎の襲撃者が今も血眼でユウト様を探している可能性があります。私一人でどうにかできると思えるほど、自身を過大評価はしません。

 そこで真っ先に思い付いたのが、同じメイド仲間です。彼ら含めた大人数でユウト様を囲ってしまえば、相手もそう手を出せないはずです。

 別荘には元々数人のメイドが暮らしていました。カイヅカ邸に住める人員を超えてしまったり、かつて住んでいた場所に近かったり、理由は様々です。彼らももれなく、泊まりがけで旅行に出かけていることは確認しています。きっと今頃は領内が大混乱の最中で、メイド達は慌てて帰ってくることが予想できました。初めは渦中に飛び込んで必死に救助活動に当たるでしょうが、ここに帰ってくるのは時間の問題です。

 私自ら出る訳にもいかないので、彼らの帰りを待ち始めて少し経ち、ふと思いました。

 何故今なのか、と。

 カイヅカ家がいくら庶民的とはいえ、あの方達は自分達の責任を忘れるようなことは決してありません。誰かに命を狙われる立場にあることも、それを易々と許してしまうことがどういうことを意味するのかも、十二分に理解していたはずです。そのため、敷地を囲うように監視装置とセキュリティ人員を配備していました。

 そして昨日。

 警備の人達にも一日だけ休暇を言い渡し、実際カイヅカ邸にはいませんでした。メイド達も、私を除いて全員いませんでした。

 こんな日は、少なくとも私がここに来てから初めてのことで、十年に一度あるかないか、もしかしたら昨日が初めてなのかもしれません。

 そう考え始めると、段々と奥底の疑念が膨れ始めました。

 何故、昨日なのか。

 都合が良すぎると思いました。カイヅカ家の方々以外の人がごっそりと留守にしたら、夜分に複数人の武装した襲撃者が現れた。

 内部から、情報が漏れたのだと思いました。

 今回の休暇の件は、ほんの数日前に唐突に知らされたものでした。その間、お客様は来ていませんので、ご当主様が会談の際にそういったことを誰かに話す機会もありません。

 このことから、私の疑念に対する答えは、内部に手引きした人がいる可能性がある、です。

 実際にはそんな人いないかもしれません。偶々襲撃者が私達の日常会話を聞いた可能性もありますし、通り魔的犯行かもしれません。でも、内部に裏切り者がいる可能性も、ゼロじゃなくなりました。

 誰かを信じて頼ろうとしてすぐに、誰も信じられなくなりました。

 一人でやり抜くのか、他を探すのか。

 またしばらく考え込んで、そもそも家門を襲撃し、しかも武装している時点で、たとえメイド仲間で絶対の信頼がおける人を頼ったとしても、歯が立たないのではないでしょうか。多少のリスクは抱えてでも、社会的な力を持つ人を当てにする方がよいのではないでしょうか。私の想定以上に、事態は深刻で闇深いもののような気がして、結局は答えが決まらずに時間だけが過ぎていきました。

 日が昇って一時間ほど経ち、私は決心しました。

 私が選んだ道は――――


「………………イチノセ・カオルです。………………大事なお話があります。」



               *



 日が昇って、およそ二時間半。

 カイヅカ家所有の別荘に、来客が一人。

「………………私だ。」

 玄関越しに聞こえてきた、低く太い声。

 その声を聞き届けて、私はそっと玄関を開けました。

「ご無沙汰しております、フシミ・サイ様。」




 私が頼った人物は、フシミ・サイ様でした。

「大事な話とは何だ。」

「…………まずは中へお入りください。」

 普段よりも平静さを欠いたサイ様は、今すぐにでも話を聞きたいようでした。

 この時点でのサイ様への信頼度は、正直薄かったです。フシミ家の方なら強力な後ろ盾になってくださいますし、頼る相手としては一番といってもいいでしょう。ただ問題としては、ここ最近カイヅカ家と仲がよろしくなかったということです。

 私が考えた中では、これ以外の選択肢はありませんでした。巨大な闇の渦から守るだけのお金とツテを持っていて、私がすぐさまコンタクトを取れる相手は、サイ様だけです。なので、彼が本当はどちら側の人間であろうと、私は彼を頼らざるおえない。

(……………)

そこで私は思いました。

受け身な姿勢では大切なものを守れません。

頼るのではなく、利用するのです。

ユウト様が生き残れるのなら、どんな手を使ってでも。

「………………お茶はいいから、話を聞きたい。」

「年明け早々だというのに、お忙しいのでしょうか。」

「そうじゃない! 今世間がどうなっているのかわかってるのか!?」

「………………」

 その反応は、特に不自然なものではありませんでした。

 いくらカイヅカ家と不仲な状態であっても、カイヅカ邸が襲撃され火まで放たれたのなら、今フシミ家の内部は火の車だと容易に想像できます。そんな中、カイヅカ家に仕えていたメイドから重要な話があると言われれば、早朝であっても一時間以上離れた所から駆けつけるのも頷けます。

「申し訳ございません。こちらにも事情があることをご察しいただければと思います。」

 私は、椅子に座らずに立っていたサイ様に近づき、

「話の前に、手荷物を確認してもよろしいですか?」

「どうしてそんな――――」

「通信機や発信機、その他外部と繋がる物をお持ちであれば、机の上に出してください。」

 私の暗く低い声に、サイ様は一瞬だけ間を置き、ポケットから簡易型の通話装置を取り出しました。

「体を改めさせて頂いても?」

「………………」

 サイ様は、私の前で軽く足を開き、両腕を水平に上げました。私は断りを入れて、スーツの裏やポケットの中など入念に調べました。

 所持品は車のキーしかなく、念の為それを私が預かり別室へ置くと、ようやく向かいあわせで席につきました。

 これは、賭けでした。

「………………私は、カイヅカ・ユウト様を保護しています。」

 サイ様は、見たことないほど目を見開いて驚かれました。まさに、言葉も出ない状態でした。

「…………………………ユウト様は、今どこに。」

 私はその問いには答えず、そっと立ち上がりました。

 そして、二階へ上がりました。その際、私はサイ様を先に行かせて、後ろから歩く姿をじっと観察していました。とある部屋に近付くと、止まるよう指示し、私が前に出て少し歩き、扉を開けました。

 ゆっくりと、ゆっくりと私が扉を開け、サイ様を部屋の中に入れました。

「――――――――」

 一歩だけ入って、サイ様は立ち尽くされました。

 部屋の端で、カエデの背後に隠れるように立っているユウト様を見て。

 サイ様の真後ろから、私は子供たちに聞こえないくらい小さな声で、こう呟きました。

「サイ様。貴方は、カイヅカの味方ですか?」

「……………………ああ、勿論だ。」

「私は、カイヅカのためになら、喜んで悪に堕ちます。」

 サイ様は、こちらを振り返ることも動くこともせず、ただ私の話を聞いていました。その時の表情は見えませんでしたが、私がひっそりと手に握る包丁の存在に薄々と気付いているようでした。

「………………これからどうするつもりだ。」

 それは、全面的に協力する意を示すものでした。

 非常に不躾で礼儀なんて皆無な方法を、以前の私では考えつくこともありませんでした。こんなことを考えつき、実行に移した心情としては、根底にはカイヅカへの恩義と愛情、表層には重責がありました。

「当面の資金を現金で、あとこの領地から出るための足をお願いします。」

「わかった。すぐに手配しよう。」

「いいえ。サイ様一人で、今すぐにお願いします。」

「………………………………いいだろう。」

 私はサイ様がここに来る前に、事前に敷地を囲う監視装置が正常に稼働していることを確認しました。あえて時間を引き伸ばしているのも、静かに話しているのも、全て外部を注視してのことです。仮にサイ様が昨日の事件の首謀者であるのなら、サイ様の近くにいることで、外部から侵入者が入った時は、サイ様を人質にできる用意も万全にしてあります。サイ様が外部に何かしらの情報を送ることは防ぎ、現状この別荘付近に人はいません。この状態を壊すことなくこの領地を出ることが出来れば、当面の安全は確保されるはずです。

「私たちは既に支度を済ませておりますので、直ちに行動しましょう。」

 逆にここからは、時間との戦いでした。

 サイ様の車に全員で乗り込み、まずは資金確保のために一度サイ様の邸宅へ戻ることとなりました。

 早朝の時間帯では現金を下ろせる銀行もやっていないので、小切手をもらう運びとなりました。

「電話をさせてくれ。」

「構いません。ですが、電話の前に画面を見させて下さい。」

 サイ様は、自宅の召使いに連絡をし、今から一時間ほどで家に帰るから、執務室の引き出しの中にある証券用紙の小さな冊子とペンを玄関に持ってきて欲しいと連絡しました。

 私とカエデ、ユウト様は後部座席に乗り、無言の一時間が過ぎました。

 自宅に着くと、サイ様は車から降りることなく、窓越しに召使いから物を受け取りました。その車の窓ガラスはスモークによって内部が見えづらい仕様となっていましたが、屈んで極力映らないようにしました。

 何事もなく受取は終わり、車は発進しました。

 次に向かったのは、ハルバート領との境。

 さらにそこを通り過ぎ、領境付近の小さな町に止まりました。

 そこで小切手に金額を書き込み、渡されました。

「私は協力を惜しまない。それだけの金額があれば当分の問題はないだろう。」

「………………確認しました。ありがとうございます。」

「他に欲しいものはあるか?」

 私はその質問に、少しだけ考えてこう答えました。

「せめて、あの別荘だけはそのままで残して下さい。」

「………………わかった。いずれ本来の持ち主に返るまで、あの一帯は封鎖しよう。」

「…………ありがとうございます。」

 最後の言葉は、心からの感謝だった。

 私達は一時的に姿を眩ましますが、帰ってきて何も残っていなかったら、ユウト様があまりにも可愛いそうだと思いました。

 そのまま私達は車を降り、サイ様は特に何も言わずに来た道を戻って行きました。 

 その頃には店のシャッターが開き始めており、すぐさま銀行に向かい、お金を手に入れました。

 庶民が数年間働かなくても生きていける大金でしたが、口座の所有者がカイヅカ領の著名人のものだったので、銀行員は特に何も言ってきませんでした。

 銀行を出ると、駅に向かいました。銀行でお金を下ろした履歴は残るため、サイ様と別れた後にすぐに小切手を使い、そのお金で更に遠くへ移動することで誰も私達を追えないと考えたからです。

 行先は特に決めていませんでしたが、メーク家とは細く交流があり、カイヅカ領に次ぐ庶民的な領地だと伺ったことを思い出しました。

 この騒動が落ち着くまで、私達はメーク領の庶民ホテルでひっそりと暮らしました。




 あの日の出来事の顛末は、ニュースで確認しました。

 邸宅は全焼し、骨もほとんど残らなかったといいます。

 生存者はおらず、カイヅカ家は滅びました。

 歴史を変えるとして報道され、その原因については、暖房機器のトラブルによる不慮の火災と公式発表が出されました。これについては、二通りの見方ができます。サイ様がこの事件に関与していた場合、嘘の報道を流し真実を闇に葬ろうとしている可能性が高いです。逆にサイ様が潔白だった場合、サイ様視点で考えれば、私の挙動は不自然極まりないものだったでしょう。カイヅカ家唯一の生存者であるユウト様を秘匿し、カイヅカ領から逃亡したのですから。そこからあれが事故ではなく事件だと想像し、ユウト様を助けるためにあえてカイヅカ家が全員死亡したと報道した可能性もあります。

 ですが、今となっては確かめる術はありません。

 また、カイヅカ領では魔鉱石が発掘できることから、他領の家門や野望に満ちた貴族による領地争奪戦が水面下で発生していました。

 しかし、予想に反して、カイヅカ領は他の領地に合併されることなく、フシミ家が新しい家門として迎え入れられ、フシミ領として生まれ変わりました。この生まれ変わったというのは、名前や肩書という意味だけではなく、フシミ家の打ち立てた政策によって本当に別の領地へ急速に変化していきました。牧歌的な風景は工業ベルトに変わり、他の領地から人や物、文化が多く入ってきました。

 カイヅカの名前は、世界から消えました。

 それでも、ユウト様が、私達が生きている限り、カイヅカの全てが無くなるわけではないと、私は思います。

 ユウト様にはいずれ話さなくてはならない事実だとわかってはいますが、どうしても言い出せず、結局聡いユウト様は、ここまで逃げてきたことや私とカエデの様子から事態を薄々理解していました。

 メーク領に移り住んでから数週間して、私からユウト様にお伝えしました。

 私がはっきりと口にしたことで、ユウト様は疑問に思っていたことが真実となり、耐え切れず大声で泣いてしまいました。

 私は、ただひたすらにユウト様を抱きしめることしかできませんでした。




 六ヶ月が経って、私達はフシミ領にやってき来ました。

 もうここはカイヅカ領ではないのですから、帰ってきたのではなくやって来たというのが適切でしょう。




 フシミ領に着き、公衆電話から以前教えられたサイ様の電話番号に繋ぎました。

 電話番号が変わっていたらどうしようかと考えてしましたが、電話にでたのはサイ様本人でした。公衆電話からの電話を取る望みは薄かったでしたが、意外な幸運と言えます。

「お久しぶりです、サイ様。」

「……………………………………………………ユウト様はお元気か。」

「………………」

 私は、答えませんでした。

「あそこは、まだ残っていますか?」

「ああ、残っている。」

「ありがとうございます。…………頼み事をしてもよろしいでしょうか。」

「構わない。」

「ユウト様の偽の戸籍を用意して下さい。これからは、あそこでただ静かに暮らしたいのです。」

「………………わかった。」

「…………………………一つ聞いてもいいですか?」

「なんだ。」

「どうして、ここまでしてくれるのですか?」

 自分ながら、おかしなことを聞いたなと思います。

 強迫まがいの事をして協力させたのは私です。ですが、サイ様が私達を見放す機会はいくらでもありました。まさしく今がその時です。

 加えて、私は六ヶ月間の情勢を鑑みて、サイ様がカイヅカの味方ではないと考えていました。家門になってからというもの、カイヅカの意志を継いでいるとは到底思えない統治をしているからです。敵でなくても、味方でもない。少なくても私は、常に裏切られる想定で行動していました。

 サイ様に、私達の手助けをする理由はありません。それなのに、何故。

 答えが返ってくるとは思っていませんでしたが、これが恐らく最後の対話になるでしょうから、つい聞いてしまったのかもしれません。

「……………………さあな。ただ………………あの子の瞳が………………………………………………………………………………………………新しい戸籍とあの家の居住者登録、その他必要な手続きはこちらで行う。資料はあの家に届けさせるから、あとは好きにしてくれ。」

 通話は途切れました。

 これが、サイ様と交わした最後の会話でした。



 サイ様の言うとおり、近代化した中心街の郊外に、ひっそりとカイヅカ家所有の別荘は残っていました。広大な庭の雑草は、数ヶ月管理を怠っただけでぼうぼうと生い茂り、腰の高さあたりまで生育したものもあります。敷地周辺の草木も管理されておらず、別荘はまるで林の中のお屋敷のようでした。

 数日経ち、家に沢山の書類が届きました。

 ユウト様の新しい戸籍とこの家についての契約の数々。

 驚いたことは二つありました。一つは、新しい戸籍ではユウト様が私の養子扱いになっていること。もう一つは、とある銀行口座の名義がユウト様の保護者にあたる私に変更していることでした。その銀行口座というのは、元々カイヅカ家当主が所有していたもののようで、私達が一生遊んでも余りあるほどの大金が入っていました。本来のカイヅカ家の財産がどれくらいあったかは全く想像できませんが、その全てまたは一部がユウト様に返ってきたのでした。

 これには相当助かりました。

 本来であれば、これから生きていくために私は職を見つける必要があり、働いている間は子供たちを家に残していかなければなりません。もしもの時を考えると、十歳にも満たないカエデにユウト様を任せるのは、あまりにも酷で無謀な話でした。

 これだけのお金があれば、当面働かずに済みます。

 ユウト様が一人でも生きていける年齢まで、離れずにお守りすることができます。

 ユウト様の悲しみも、孤独も、私達で埋めてあげることができます。



 こうして、私達三人の新生活が始まりました。



               *



「まずは、この家をどうにかしなきゃね。」

 元々ここに住んでいたメイド達の私物はなくなっていましたが、備品はそのまま残っており、まずは家中の掃除から始めました。

 庭や敷地周辺の草木については、あえて放置することにしました。敵が隠れ潜む場所にもなりますが、それはこちらも同じこと。この茂みを物音立てずに移動するのは困難であり、外から家がほとんど視認できないのは、セキュリティがほとんど生きていないであろう現段階では都合が良いと考えたからです。

 ユウト様は別荘に来たことが数度しかないため、カエデと一緒に広い家の中を探索して遊んでいました。これからは、ユウト様が過去を思い出さないくらい目一杯笑わせてあげたいと思いました。

 多少の非常食は置いてあり、それで数日は過ごすことができましたが、今後の食料品や身の回りの生活用品を買い溜めするために、渋々私一人で街に下りました。

 そこは、もう私の知る街並みではありませんでした。

 あんなにも活気づいていた商店街はシャッターで埋め尽くされ、別の通りにお店が集中していました。見た事もない大型の施設も建設中で、後から振り返れば、アパートやマンション、大型商業施設などカイヅカ領にはなかったものばかりを急造しているのでした。

 街行く人々にも変化はあり、見慣れない髪色やファッションの人達しかおらず、まるでおとぎ話に迷い込んだような感覚に陥ったのを今でも覚えています。

 庶民的な私の服装では逆に目立ってしまうと思い、近くの服屋で小綺麗なコートを買い、その場で羽織りました。沢山の書類と一緒に送られてきたクレジットカードは、カイヅカ家の銀行口座と紐づけられており、沢山の買い物をするときには現金を持ち歩かなくて済むので便利でした。

 その後は、スーパーやドラッグストア、子供用品店などを回り、両手一杯にして郊外まで帰りました。

 久しぶりの手料理。

 ホテルやお店では味わえない家庭の温もりに触れて、心から笑えた気がしました。


 


 次の日から、私は早速動きました。

 近くのセキュリティ会社を調べ、それが最近他領からやって来た会社だということを確認して連絡を取りました。外部の人の方が私達を知っている可能性が限りなく低いので、もしユウト様を見られたとしてもただの子どもとしか思わないはずです。加えて、この別荘はカイヅカ領民でも知っている人は少なかったので、外部の人なら尚更、ここに住んでいても違和感を持たれることはないでしょう。

 既設の監視装置を一新し、監視アラートが発令した場合には十分から二十分で駆けつけてくれるよう手配しました。

 それと同時に、周辺の草木と庭の手入れを業者に任せました。庭はバッサリと綺麗にしてもらい、外周の木々は少し整える程度に留めました。

 それからも、お金をかけて塀や正門、家の外壁や屋根など、家の各所を改修してもらいセキュリティ面を強化しました。また、私達があの日使った地下通路も整備し、出入口に錠を設けたり走りやすいよう地面をならしたり、もしもを想定して様々な対策を実施していきました。

 誰も信じられない状況に変わりはありませんが、世間の反応から私達の事は噂にすらなっていないため、時間の経過と共に警戒心は薄れていきました。

 実際、それ以降、私達が危険に晒されたことはありませんでした。




 カエデとユウト様は、年相応な笑顔を取り戻し、毎日を活発に遊び回っていました。ユウト様を極力家から出さない方針を決めており、家にずっといても飽きないよう、カエデは常にユウト様を連れ回していたので、私が居ない時でも安心していられました。

 三人で起き、ご飯を食べ、動き働き、またご飯を食べ、お昼寝して、夕飯を一緒に作って、お風呂に入って、そして三人でまた明日と眠りにつく。

 再び取り戻した平穏が、私の心を癒していきました。




 ユウト様が小学生に入る年になり、専門の家庭教師を雇うことに決めました。この家から出ること、私の目の届かない場所に長時間いること、不特定多数に加わること、など不安要素が絶えず、仕方ない結論でした。

 受け身な性格にならないか心配でしたが、家に保管されている沢山の蔵書に興味を持ち始め、日夜書庫に籠ることもありました。本の内容は、学のない私では全く理解できませんでしたが、見たことがないほど目を輝かせていたので、私は特に何も言いませんでした。

 しかし、ユウト様が十二歳の頃、家でボヤ騒ぎがありました。単なる騒ぎで済めば良かったのですが、それが明らさまに自然的ではなく人為的なものだったのです。ユウト様の部屋へ駆けつけた時、燃え広がろうとしていた炎と充満する煙で、忘れていた記憶が蘇りました。あの日の、おぞましい記憶が。その時の私は、一種のパニックに陥った状態だったと思います。気付けば、ユウト様の両肩を強く握り、きつく叱りつけていました。ですが、内面の私は意外にも俯瞰的で、この情景が何だか本当の親子みたいだなと感じていました。いつしか私の中でユウト様は、カイヅカの忘れ形見ではなく私の子なんだと認識が変わっていました。

 ユウト様に事の経緯を聞くと、驚くことに、私達人間には絶対に届かない領域とされている魔法について勉強していたというのです。愛読書を開くと、見たこともない言語がビッシリと並んでおり、ユウト様は読めないなりに独学で解読していました。今回の騒ぎも意図しない魔法行使による事故だそうで、猛省していました。

 この一件で、私はユウト様の今後について再び考えました。

 ユウト様は、特別な存在です。

 今は亡きカイヅカ家唯一の生き残りにして、公には生きていないとされている存在です。それに加えて、人間には不可能とされた魔法を行使できる。それを当初の私は、喜ばしいとは思いませんでした。

 私がユウト様に願っていたことは一つ。普通に、平穏に過ごしてくれること。ただそれだけでした。そこには特別な才能も能力も不必要で、他者を思いやる心だけで良かったのです。

 ですが、私の考えは至らないものだと気付かされました。ユウト様が特別であろうとなかろうと、恐らく、いずれは直面するでしょう。自分の出自や才能、そして運命に。なら、私のやるべき事は決まっています。ユウト様が選択を迫られた時、より多くの選択肢を持てるように、より柔軟に対応できるようにしてあげたい。

 だから私は、ユウト様に魔法についての一切を禁じることはしませんでした。好奇心も成長への足がかり。節度と安全を守ってくれるのであれば、ある程度の自由は保障されるべきです。そしてもう一つ。ユウト様を地域の学校に通わせることに決めました。今の今まで危険がない現状で、既に脅威は去ったのだと私は思いました。ユウト様も大きく成長し、外見でユウト様だと気付ける人はいません。戸籍も偽り、保護者も私になっています。この家についても、ここを管理している不動産屋に問い合せたところ、登録情報では既にカイヅカ所有の別荘ではなく、ただの売家になっていたようで、ここに住んでいてもカイヅカの関係者だと断定されることはないでしょう。何より、ユウト様をここに閉じ込めておく現状は正常な成育の妨げになり、外の世界を知る上で、同年代の子ども達との共同生活は良い刺激になると思いました。

 これには、ユウト様も同意してくれました。

 こうして二年後、ユウト様は地元の中学へ通うことになりました。

 カエデも学校に通わせて上げたかったのですが、在宅できる形で勉強したいとの本人の希望に合わせて、新たに家庭教師を雇い、ユウト様が居ない日中に勉学に励みました。

 私も、いつまでもカイヅカ家の財産に頼ってばかりでは要られません。これは後のユウト様の財産であり、多いに越したことはありません。学のない私に出来る仕事は限られていましたが、都市開発の影響で人と物の動きが活発になり、年々人口が増加しているフシミ領では、仕事を見つけることは容易でした。少し離れた地区で、大きなスーパーとカフェのパートを始めました。自転車で三十分以上かかりますが、この歳で体験する初めての真っ当な労働に、楽しさを感じていました。

 基本的には平日は各々勉学や仕事に励み、休日は家族三人家でゆっくりと過ごしました。

 ユウト様も特段変わった様子はなく、以前よりも口数が増え、活き活きとしている様子でした。

 代わり映えのない、私達が望んだ平穏は、しばらく続きました。



               *



 勉学に優れたユウト様は、隣町の優秀な高校へ通うことが決まりました。

 私は何もしていませんが、立派に成長されたユウト様をいつも誇らしく思っていました。



 大学への進路を考え始めた頃、ユウト様は私とカエデの前でこう言いました。

「やりたい事ができたんだ。」

 その言葉自体は、とても嬉しいものでした。

 しかし、ユウト様の表情は険しく、話の展開は私達の想像を超える方向へ転がりました。

「僕は、世界を変えたい。」

 突拍子のない発言に、私とカエデが反応できないでいる中、ユウト様はまず、この世界の歴史について話されました。

「昔むかし、三つの種族は共に生活していたが、やがて互いの個性を容認できず、大きな戦に発展した。およそ三百年前、三種族は停戦協定を結び、互いに不可侵を約束した。だけどこれは、むしろ問題を先延ばしにしただけで、今まで他種族に向けていた差別の目を、今度は同じ人間に振りかざした。結果、現在の歪な階級社会が構築され、多くの人が虐げられ苦しい思いをしている。………………僕は、かつてのカイヅカ領がどんな場所だったのかはあまり覚えてないけれど、知識上では知っています。そこには階級はなく、身分の上下もなく、差別もなかった。多くの人が寄り添い笑い合う生活が広がっていたはずです。全てが崩れ去ったのは、カイヅカ家が滅んだことが要因です。その責任とは言いませんが、僕に変えられる可能性があるなら、僕はそれをやってみたいと思います。」

 これは、運命のイタズラというのでしょうか。

 私がどれほど願っても、その願いを飛び越えて前へ進む。

 ユウト様の話を聞く内に、私の選択は間違っていなかったと思いました。

 普通で、平穏でいて欲しいと願うこと自体が、ユウト様を縛り付けていたのかもしれません。環境と状況から、それが最善な将来だったとしても、未来は誰にも分かりません。最善ではない選択は不幸なのでしょうか。まだ見ぬ将来に必要以上に怯え、前に進まないことが幸福なのでしょうか。

 血に抗えぬ宿命だとしても、これがユウト様の選んだ道ならば、それに尽くして支えることこそ、私の本分です。

 (アヤコ様…………フミヒロ様……………………ユウト様はこんなにご立派に――――)

「ユウト様。その先に何を見ますか?」

「ちょっと、母さん!」

 必死に反発してたカエデを他所に、私はそう問いました。

「この領地を変えた先に、何を願いますか。」

「僕は、世界を変えたい。この領地だけじゃなくて、他にも虐げられている人がいるのならば、僕はその制度を変えたい。そしていつか、分かたれた種族達を繋いで、差別のない世界を創りたい。」

 かつて、アヤコ様も似たようなことを言っていました。

 この領地を安寧に続けていくことも大事だけれど、それと同じくらい、外の世界と繋がり共に生きていくことも大事だと、アヤコ様は言っていました。

 ユウト様の眼差しは、どこかアヤコ様に似ていて、内に秘める想いは、フミヒロ様の色が混じっている。

 アヤコ様が目指した世界を、今度はユウト様が夢見ている。

「どうしてそんなことをするのですか、ユウト様!」

「カエデ、落ち着きなさい。」

「でも、母さん!」

「カエデさん、。お願いします。」

「……………………」

 私はそれを、受諾しました。

 ただ、一つ。




 ユウト様のは、嘘だと分かりました。

 

 

 


 その日の夜遅く、私はカエデと話し込んでいました。

「母さん、どうしてあんなこと許しちゃうの!?」

 カエデは、まだユウト様の今後について反対的だった。

 その心情は痛いほど理解できるし、私の理解以上にカエデは苦しんでいるはずでした。カエデはカイヅカ邸で生まれ、限られた世界と交友関係の中で八歳まで育ち、その後はより閉鎖的なここで青春時代の全てを終えてしまいました。それはカエデの意思とは無関係です。カエデにとって、ここが全てであり、唯一の帰る場所であり、心の支えでした。それが再び危険に晒されると承知の上で、ユウト様の背中を押すことは難しい話でした。

「……………………カエデ。………………………………私もさっきまでは、同じ気持ちだったと思うの。でもね、その想い自体が、ユウト様を縛りつけていたのよ。ユウト様だって考え無しに言った訳じゃないわ。きっと、私達と同じくらい悩んで苦しんで、その果てに決めたことなら、私達は応援すべきだと思うわ。」

「………………そうだけど……………………」

 私はカエデをそっと抱き締めました。

「ごめんね、カエデ。いつも辛い想いにさせてしまって、本当にごめんなさい。」

「……………………」

 カエデは、小さく私を抱き締め返すと、私の肩に顔をうずめました。

「こんなに大きくなって。本当に立派になったね、カエデ。誰かを想える子に育って、私の人生における最大の誇りよ。」

「………………私、わたし……………………怖いよ。」

 耳元ですすり泣く声が聞こえました。

 こうやってカエデが弱みを見せるのは、いつ以来だったでしょうか。

「本当に、いつもありがとう、カエデ。ユウト様の側で、支えてあげて。」

 誰だって怖かった。

 今ある平穏が変わってしまうかもしれないからです。

 ですが、変化のない生活は停滞です。停滞とは即ち、前進がないということです。

 この先何年も、何十年も、何も変わらない小さな世界で終えてしまう人生を、私は子ども達に与えたくはありませんでした。

 これが正しかったのか、やはり後悔してしまうものなのかは、未来の自分にしか分からないことです。ただ、遅かれ早かれその運命に立ち向かう日が来るのなら、自ら望んで足を踏み入れるべきです。

 だから私は、子ども達を信じる道を選択しました。




 後日、ユウト様は具体的にどう世界を変えていくのかを私達に話しました。そのためには、この領地の統治を揺るがす何かを起こす必要があり、ユウト様はそれに十五年前の事件を挙げました。

 あそこを生き延びた私達だけが知っています。

 あれは事故なんかじゃない。列記とした事件であり、カイヅカ家は何者かに虐殺されたのだと。そしてそこには、家門ほどの権力者の影があるはずです。フシミ家が関わっている可能性も十分にあります。

 その手がかりを掴むために、フシミ領に新設された軍事学校エーデルシックザールに入学されることを決めました。

「入学申請の名前は、本来の名前にして欲しいんだ。僕は、カイヅカ・ユウトとして世界と向き合うよ。」

「ユウト様がそうなさるのなら、私達はそれを全力を賭してお支えします。どうかお心のままに。」

「いつもありがとう、カオルさん。僕の我儘に付き合ってくれて。」

「いいえ。ユウト様が選んだ道を進むように、これが私達の意思なのです。」

「……………………わかった。」

 そうして、この地に再びカイヅカが現れたのでした。



               *



 ユウト様は、やがてご友人を家に連れてくるようになりました。恐らく、これが初めての友人だったのでしょう。普段私達家族には見せない表情をするのですから。

 自分の目的や将来に関係なく、笑い合える仲間ができたことを、本当に嬉しく思いました。それだけでも、あの学校に入った甲斐があったというものです。

 ユウト様のご友人は、ユウト様だけでなく私とカエデも変えました。カエデは弟妹のように可愛がってよく話していますし、私も彼らが来るのを心待ちにしていました。

 しかし、カエデを見ていると本人の中で線引きがあるようで、深く彼らの仲に入ろうとしていませんでした。これは、ユウト様が安らげる一時を壊したくないという想いが働いたからだと思います。本当にカエデには苦労ばかりかけていて、助けられてばかりでした。




『私は………………そう、ここまでなのね。』

 気付けば、何もない真っ白な空間にいました。

 自分の長くも短い人生を見ていたようで、沢山の気持ち全てが私の一部なんだと感じました。悲しい記憶も、振り返れば私が私たりえる要素だったのかもしれません。

 後悔は、ないといえば嘘になります。

 人生の転換点は幾つかありました。その時、こうしていれば、と思うことはあります。もし、私が売られなければ、カエデを生まなければ、あの日逃げていなければ、あの日あの時決断しなければ、結末は変わったのでしょうか。

 しかし、はっきりと断言できることはあります。

 私は、幸せでした。

 人生を賭けて尽くしたいと思える人達に出会えました。一度は失った家族の温かみを思い出させてくれる人達に出会えました。自分の命よりも大事だと思える子ども達を持つことができました。

 後悔はあっても、やり直したいとは思いません。

 それが、私にとって最も幸福なことです。

『カエデ、私のもとに生まれてきてくれてありがとう。これからはどうか自由に生きて。そして、幸せに。』

 後ろで、玄関が開く音が聞こえました。

 誰かが帰ってくることを知らせるその音が、私にとっては福音でした。

 私は笑って、玄関に向かって駆け出しました。

 そして、ゆっくりと口を開けて、優しくこう言うのです。

『――――――――。』


               *



「――――――」

 ユウトが魔法を行使するために言葉を放った。

 しかしその声は、ドォン! ドォン! と立て続けに発生した濁音に掻き消された。

「!!」

 目の前のカオルの額に、小さな穴が二つ開いた。

 驚く間もなく、その穴から血が溢れ出た。

 音がした背後を振り返ると、真っ黒な右手が宙に浮いていた。ユウトは、瞬時にそれがフレキシブルアーマーの残骸だと気付く。手のひらの中心に開いた円形の空洞をこちらに向けていて、そこから噴射された何かがピンポイントにカオルに直撃したのだった。

 乱雑に腕を振ると広範囲に暴風が巻き起こり、大地もろとも宙に浮いた右手と気を失って倒れていた襲撃者を遠くへ吹き飛ばす。

 カエデに抱きかかえられていたカオルの体が、力なく沈んだ。

 急速に枯れていく命を前に、ユウトは咄嗟にある魔法を唱えようとした。それは、もしかしたらカオルを救えたかもしれないものだった。

 しかし、再度視線を戻したユウトが見たのは、あと数秒もしない内に完全に生命が消えてしまうはずのカオルが、にっこりと笑う顔だった。

 ほんの微かに口元が動いた。

 本来は聞こえるはずがない。だが、ユウトにははっきりとその言葉が聞こえた。


 

『おかえり、ユウト。』




















 



「ただいま、母さん。」

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