■52 サマー・リマージナル・サマー




 既に陽は落ちた。闇夜の中、目に見えぬ暑さが地上へと滞留する。

 手元に残った最後の菊の花を持って訪れた場所は、煌々とした明かりと共に聳えるメビウス。その手前の交差点だった。

 馬鹿な後輩と通った思い出は、まだまだ色褪せずすぐそばに感じる。



 ここが宗孝の事故現場だった。

 ……まったく、どんな尾ひれが付けば魔の交差点になるというのか。



 メビウスから出ていく人々、まばらよりは多い車の流れ、目の前の信号は青を灯す。

 今日廻ったほかの場所と違い、明確に供える場所はない。歩く人の流れを邪魔しないように、歩道の端を選んでかがみ込む。


(宗孝だって死に場所なんかで目立ちたくないだろう)


 ひっそりと菊の花を置き、そしてポーチから出した音楽プレイヤーを花の中に包む。

 手を合わせて、ただ祈った。

 何も考えることなく、ただ目を瞑った。



 清算なんて言葉で表すことはできない。

 けれど、今この瞬間に何かが終わった。



 いやなものだ。

 ここまできたって胸に抱く欠落感は増すばかりなのだから。


 腰を上げる。何処からか冷たい風が一筋だけ、顔の前を通り抜ける。

 いつの間にか人は流れ切って信号は赤く変わり、誰も残っていない。


 ……あれから深路とは連絡が取れていない。

 僕から話しかけるべきだ。しかし、直接話す用事もなく無策のまま特攻するのは間違っている。

 そんな理性的な判断の要らない関係を友達と呼ぶ人もいるのかもしれないが、あいにくのところ僕にはまだまだ難しい。


 形式上、偶然に転がってきた『普通』は放棄してしまって元に戻らない。僕の人生は今後ずっとこの得体の知れない黒く蠢くナニカと付き合っていくことになるのだろう。あら大変。

 それでも僕はもう知っている。僕も、深路も、普通の人間だ。本当は昔からそうだったのに、何度も夏を跨いでしまった。


 しかし大げさでなく、深路とはもう関わらないほうがいいのかもしれない、とも少し考えたりするのだが。我儘な僕にはそんな我慢が出来そうにない。

 


 ……そろそろ帰ろう。やることがある。


 絵を描かなくちゃいけない。


 先日、僕は良治さんから受け取っていた。

 天笠が完成させた最初で最後の作品。半分だけ描いて僕を待っていた、芸術祭用の未完成の絵。

 まだ中身は見ていない。彼女の描いた内容へ合わせる形になってしまうのは避けたかった。彼女が一番喜んでくれるのは、純粋な僕の絵だったから。


 しかし意気込んだはいいが、アイデア構想と候補選定の段階からあまり進んでいない。

 数年ぶりの熱に、どうにも身体が追い付いて行かないのだ。今の僕にとっては、どうしても作品として『完成』させたい、そんな気持ちは初めてのことで。悩んでいることすらスパイスでしかない。


「――――」


 不慣れにもタイトルなんて考えて、口に出してみる。誰の返答もない寂しさがないと言えば嘘になる。でも重ねる度に自然と口角が上がっていたのも事実。


 ――しかし。

 誰の色も入れたくない、から僕のセンスにかかっているのだが……どれもしっくりこない。

 タイトルをつける習慣のなかった宗孝の影響で、今まで考えたことがない。というか付けないことがカッコイイと思っていたのだ。


 やめたやめた。タイトルなんて作品に関係ないものは、最後に適当に考えればいい。

 最終的に適当な英単語を3つばかり並べただけのありきたりなものが出来上がる、そんな予感を捻じ曲げる大役は、作品を仕上げた『僕』が果たしてくれるだろう。



 歩き出そうとした最中、不意に背後から気配を感じた。

 今日が特別なのか、今までが節穴だったのか。背後に来る人間の気配をやたら敏感/鈍感に捉えていた。


 しかし正直に言って身に覚えがなかった。

 拾うために切り捨てて、残っているのは友達のいない『僕』ひとりだけだ――。


 振り向いた後ろには、1人の少女が立っていた。

 薄い暗がりの中で通る車のヘッドライトで浮かび上がる、純粋からは程遠い、悪戯心に満ちた笑み。



 ああ。なんてこった。

 どうやら僕が大人になるのは、やっぱりもっと先の夏になるらしい。



 鼻で笑って、その少女へ手を伸ばす。


 指が、少女の頬に触れた。



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サマー・リマージナル・サマー 津上座 @tugamiza

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