第四章 奸計と慮外 ー3ー

「はぁ……」


 沈雲弦の長いお説教が終わったあと、凛心はゲンナリとして教室の周りに設置された木の欄干に寄りかかった。庭木が青々と葉を茂らせる教室の周りには同級生たちの姿はない。もうとっくに次の授業に向かってしまったようだ。


「放課後、夕飯まで居残り作業なんてあんまりだよ……」


 両手に顔をうずめ、泣きそうになりながら、宣告された罰を思い返す。


「どーすんだよ、おれ。ただでさえ時間がないっていうのに。消灯時間後に学院の外に出るなんて無理だしさぁ……」


 警備の固い学院の治安体制を呪いながら、凛心はがっくりと肩をおとした。


「……困っているようだな」


 教室をつなぐ回廊の柱の陰から、青白い顔の生徒が現れた。


そうえいとく……お前、次の授業に行ったんじゃないのか?」

「お前が心配で、待っていてやったんだ」


 揶揄からかうような口調で、英徳が言った。その口元には、得体の知れない笑みが浮かんでいる。


「何をたくらんでいるのか知らないけど、お前に付き合ってる暇はないんだよ。悪いけど、もういくからな」


 凛心は肩にかけていたかばんを握り直すと、英徳の前を通り過ぎようとした。


「消灯後に学院の外に出る方法を知りたくないのか」


 英徳の言葉に、凛心はピタリと立ち止まった。糸に引かれた傀儡くぐつのように振り返れば、英徳が満足そうにほほんだ。


「大事な用事があって、今日中に天安に行かなきゃいけないんだろう?」


 教室内での級友との話を聞いていたのか、英徳はしたり顔で凛心を見つめた。そして、うつぼのようにするりと凛心に身を寄せると、耳元に口を寄せた。湿った森のような、不思議な香の香りがした。


「誰も知らない、とっておきの情報がある」


 ささやかれた言葉に、凛心の心がぐらり、と揺れた。


「聞くだけ、聞いてやる」

「学院の北東にある雑木林の先に、禁林門という門がある。そこは学生の立ち入りが禁止されているために誰も来ない。結界がかかっているから、門番もいない。誰にも見つからず、学院の外に出られる」

「結界がかかってるのに、どうやっておれが出られるんだよ」

「ふふふ。おれの兄は玄武組のりょうかんせいでね。色々と便利なものをくれるんだ──。例えば、学院の結界を破る法器とか」


 そう言って、英徳は凛心の前でパッと手を開いた。黒く染められた爪の先に、真っ赤な鈴が下がっている。


「これなら、禁林門の結界を解除できるぞ」


 どうだ、と言わんばかりに、英徳が長い前髪の下で片眉を上げた。


「お前がくれるものなんて、信用できないな」

「そうか。なら別にいい」


 英徳はすっと鈴を手の中に戻す。


「お、おい、待てよ!」


 凛心は英徳の袖を握った。英徳がうれしそうに口の端をゆがめる。


「本当に、誰にも見つからずに学院の外に出られるんだな」


 凛心は唇を湿らせながら、確認するように問いかけた。おうおじさんの顔と、父の顔がちらつく。延ばしに延ばしてもらった最終期限が今日なのだ。これ以上待つのは難しいと、申し訳なさそうに王おじさんに念を押された。これ以上、迷惑をかけるわけにはいかない。それに、さっさと金を稼がなければ、いつきんが父の贖山庵を取り壊しにくるかもわからない。


「……とりあえず、受け取っておく」

「いい心がけだな」


 赤い鈴を懐に突っ込みながら、凛心は迷いを吹っ切るように走り出した。

 少し行ったところで、逆方向から走ってきた優毅とすれ違った。


「お前、どこ行くんだ?」

「教室に忘れ物しちゃって。すぐに戻ります!」

「遅れるなよ〜!」

「はーい!」


 優毅はそのまま教室の前にかけていくと、格子戸に手をかけた。しかし、何かに気づいたように手を止めると、教室の脇へと歩いていく。そして身を小さくしながら、凛心の死角となっている教室の裏をのぞき込んだ。


(何やってんだ、あいつ……?)


 微動だにしない優毅の後ろ姿には、なんとも不思議な緊張感が漂っていた。まるで、誰かの秘密の会話を聞いているかのようだった。

 ひゅうっと冷たい風が、木立の間を吹き抜けていく。空はかげり、暗い雲が広がり始めていた。



「今日は霧が出そうだな……」



 誰に言うともなく口をついた言葉は、風の中に消えていった。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



ここまでお読みいただきありがとうございました。試し読みは以上です。

続きはぜひ書籍版でお楽しみください!


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碧雲物語 ~女のおれが霊法界の男子校に入ったら~ 紅猫老君/富士見L文庫 @lbunko

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