病気を買いませんか?

月亭脱兎

病気を買った男


「ああ!くそったれ!この馬鹿野郎め!」


 豪奢な屋敷のバスルームで、やつれた男が、鏡に映る自分に向かって叫んだ。


「ちくしょう…こんなの無茶だ!あの詐欺師め!」


 そう叫ぶと男は拳で鏡を殴りつけた。ヒビが入った鏡に映った自分の姿が、あまりに滑稽で泣き崩れる。


「俺は……オマエは、なんであんなモノを買ったんだ……ちくしょう!」


 男は高熱で朦朧としながら立ち上がり、シンクに並ぶブランド物の香水やら何やらを手で払って床にぶち撒けた。


 すると一緒に床に落ちたデジタル式置き時計のライトが灯り、23:50を表示していた。


 それを見た男は悲壮な表情になり、割れた鏡に映る自分に再び向き合った。


「おい!もう時間がない!何とかしてくれ!なあ!頼むよ!」


 彼がなぜ、こんな奇妙な行動をとっているのか。


 ——では、時を遡ってみよう。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 男の名は中村進、一応、医者である。


 中村は、寂れた夜の診療所で、酒を浴びるように飲んでいた。かつては名声を夢見た医者であり研究者だったが、今やその夢も色褪せ、酒の匂いにまみれた寂れた診療所の主となっていた。


 中村はグラスを傾け、苦い酒を喉に流し込む。その目は虚ろで、かつての情熱はどこにもなかった。


 彼は承認欲求の塊のような人間だった。いつか不治の病を治す新薬や治療法を発見し、名声と富を手に入れることを夢見ていた。しかし、どんなに研究を重ねても、結果を焦るあまり、彼の手から生み出される薬や治療法は中途半端で失敗続きだった。


 次第に周囲からも信用を失い、研究の場から遠ざけられるようになった。そして気がつけば、ただ食い繋ぐための、医者としての本分すら持たない、寂れた診療所を細々と経営することになっていた。


 中村の診療所には、たまに患者が訪れることがあったが、診察はどれもいい加減で、患者の話をろくに聞かずに適当に薬を処方するだけだった。結局、望んだ名声も富も手に入れることなく、落ちぶれた彼の最後の拠り所だった診療所ですら、今や閉鎖寸前だった。


「どいつもこいつも、俺を馬鹿にしやがって。」


 その夜も、中村は愚痴をこぼしながら酒を飲んでいた。


「あー……なんか都合の良い疫病でも流行ってくんねえかな」


 すると、診療所の扉がギィと音を立てて開いた。


 中村は顔をしかめ、酔いの中で誰が訪ねてきたのかを見極めるために目を凝らした。暗闇の中から現れたのは、上品な服装を纏った一人の老人だった。


「おい!深夜診療はお断りだ」


 中村は不機嫌に言い放った。彼にとって、もはや診療所に訪れる患者は煩わしい存在でしかなかった。特にこの時間帯に訪れる、酒の楽しみを奪う患者には一層苛立ちを覚えた。


 しかし、老人は微笑みながら静かに答えた。


「病気を買いませんか?」


 深夜の寂れた診療所に不釣り合いな、凛とした老人の身なり。なにより、その意味深な一言に中村の好奇心が刺激された。


 彼は半ば興味本位で老人を応接間に通し、話を聞くことにした。


 応接間に通された老人は、落ち着いた手つきで椅子に腰掛け、中村に向かって静かに話し始めた。


「私はある特別な病気を媒介させる『蚊』を持っています。この蚊に刺されると、どんな薬も効かない不治の病になります。」


 中村は半信半疑だった。そんな話が本当ならば、治療法がないのなら、単なる殺戮兵器ではないか。


 しかし、老人の話は続いた。


「この蚊に刺された者は、額に赤い斑点がひとつ現れます—これが1日目。次に微熱が出て額の斑点が二つに増えます—これが2日目。最後に高熱が出て額の斑点が三つになる—これが3日目。もしそのまま治療出来なかった場合……」


「三日目に治せないとどうなる」


「四日目になると同時に——即死します。」


本当に感染から4日で死亡となれば人類史上でも最悪に値する危険な病気だ。


「不治の病といったが、治療法はあるのか?」


「はい、ただ一つだけ、治療法があります。この病気を治す方法は——」


 中村は固唾を飲んで老人の言葉を待った。


「どんな薬でもいい、その薬を飲めば必ず治ると患者に信じ込ませることです。」


 その答えに中村の心は揺れ動いた。ホラ話だとは思うが、研究者にとっては鶏と卵が逆になるような話しだ。


 もしこの奇妙な話が本当ならば、自分は治療法を知る唯一の医者として、注目を浴びることができる。失敗続きの過去を一掃し、輝かしい未来を手に入れるチャンスかもしれない。


「ちょっとその蚊を見せてくれ」


 そう言って身を乗り出す中村に、老人はゆっくりとポケットから小さなガラスの瓶を取り出した。その中には一匹の蚊が閉じ込められていた。


「この蚊が本当にその病気を持っているのか?」


 中村は疑念を抱きながらも興味を示した。


「もちろんです。実際に試してみるといいでしょう。ただし、一つだけ条件があります。」


 老人は冷静に答えた。


「条件?」中村は訝しげに問い返した。


「もし病気が広がって、望む恩恵を受けらたば場合は、『相応』の料金を後ほどお支払い頂きたい。」


「もし病気が広がらなかった場合は?」


「もちろん、料金は要りませんよ」


 中村は考えた。そういう条件であれば、どう転んでも自分にデメリットは無い。


「分かった。その条件で手を打とう。」


 中村は頷いた。老人は満足げに微笑み、書類を取り出した。


「では『蚊』と引き換えに、この書類にサインをお願いします。」


「なんの書類だこれは?」


「きちんと効果を得たあなたが、約束を守らない、または守れない場合の保険のようなものです」


「この話が本当なら、もちろん報酬は払うつもりだ(もちろん、しっかり儲かればの話だが)」


元より支払い能力がない中村は、書類にろくに目を通すこともせずに、酔った勢いもあり書類にサインをした。


「ではこちらをお受け取りください。程よい時期にまたご挨拶に伺いますので、本日はこれで失礼します。」


老人は瓶を中村に渡し、そのまま静かに診療所を後にした。


 老人が去った後、やや酒気が抜けはじめた中村は、だんだんと冷静になり、自分に愚かさに気がづいた。


「そんな都合の良い馬鹿な話があるか!」


 彼は苛立ちと共に瓶を壁に投げつけた。すると瓶が割れ、中に居た『蚊』が解き放たれてしまった。


「ああ!しまった、大変だ……」


 中村は狼狽し、その不気味な『蚊』を手で払い、窓から外へと追い出した。


 ——それから数日後。


 巷では謎の不治の病が発生し、混乱が広がっていた。


 その症状は、まさに老人の言葉通りであり、中村は事態の深刻さに驚愕したと同時に、自分が聞いた、唯一の治療法についても期待出来るのではと考えるようになっていた。


 ある日の夕方、どの病院でも断られたというひとりの女性が中村の診療所を訪れた。見ると、その額には三つの赤い斑点が浮かび上がっていた。


「先生、私は今夜死ぬんでしょうか!なんでも良いです!何か治療を、お願いします!」


「あなたは運が良い。実はつい先日、画期的な新薬の開発に成功したんです。」


「本当ですか!その薬を、是非わたしに!」


「分かりました。この薬を、私を信じてください、必ず治りますよ!」


 中村は老人の言葉どおり適当な薬を調合して女性に投与した。


 すると女性の症状は数分で改善しはじめ、額の斑点もすっと消えてなくなったではないか。


 その日は夜になっても症状はなく、深夜0時を超えて四日目となっても女性は無事だった。


 そう女性の病気は完治したのだ。


 翌日、謎の疫病を完治したというニュースが世の中を席巻した。あらゆる媒体で話題となり、中村は瞬く間に時の人となった。


 それからというもの、中村の診療と新薬を求め、診療所には多数の患者が押し寄せた。


 当初はひとりひとりを診察対応していたが、さすがに手が回なくなってきたのでメディアに出演し「自分の開発した新薬なら必ず治療出来る」と吹聴し、薬を大々的に販売した。


 それによって中村は莫大な利益を得た。

 やがて都心の一等地に自社ビルを購入し、寂れた診療所から一大医療法人の社長へと変貌を遂げた。


 世界中の医療機関が中村の新薬を研究し尽くしたが、謎の病気が治療出来ている原理を見つけることは出来なかった。当然だ、中身は出鱈目なのだから。


 治療方法を誰にも教えなかったので、謎の疫病の治療は中村の専売特許となり、その後も利益を産み続けた。


 質素だった中村の生活も一変した。自宅は場末のアパートから、都内の一軒家の豪邸に変わった。あらゆる高級車を所有し、全身をブランド品で着飾るようになった。


 あらゆる富と名声を得ただけでは飽き足らず、事あるごとにメディアに出演しては、世界中の研究者達を見下し、無能さを指摘することで大いにうさを晴らした。


 やがて中村の薬によって、謎の疫病は、怖い病気ではなくなり、インフルエンザ程度に扱われるようになった。


 使いきれないほどの莫大な資産を築き、大逆転の人生を謳歌していた中村だったが、ある日、己の身体の異変に気がついた。


 妙な熱っぽさを感じて鏡を見ると額に二つの赤い斑点が現れていた。


「まさかあの『蚊』に刺されたのか?」


 中村はとりあえず自分の薬を飲もう思ったが、そもそも中身は出鱈目なのだ。この薬自体にが治療効果がない事を自身はよく知っている。


「いや、それでも飲むしかない、治療しなければ」


 しかし翌日の朝、中村は高熱にうなされ目が覚めた。鏡を見ると額の斑点は三つになっていた。再び薬を飲んでみたが、一向に効果は現れなかった。


 当然だ、自身が無意味だと知っているのだから。

 中村はパニックに陥った、世界で唯一治療出来るのは自身だけで、誰かに頼る事も出来ない。

 散々コケにした医者達に今更頭を下げるわけにもいかず。右往左往している間に無情にも時は経っていく。


 時計を見るとすでに21時を過ぎていた。


「なんてこった……自分が感染した場合はどうやって治療すれば良いんだ!」


 その時、自宅のインターフォンが鳴った。モニタを確認すると、尋ねてきたのは、あの日、病気の『蚊』を持ってきた老人紳士だった。


 中村は慌てて玄関に走り、ドアを開け、その老人向かって叫んだ。


「おい!この病気の治療法を教えろ!金ならいくらでも払う!」


 すると老人は首を傾げて、冷静に答えた。


「あなたには、すでに治療法をお伝えしていますよ」


 すると中村は激昂した。


「確かに聞いたが、自分が感染した場合にどうするかって聞いているんだ!」


 すると老人は変わらず冷静に答える。


「同じです、自分の薬を、特効薬だと、ご自身に信じ込ませればいいのです。」


 中村は項垂れ、怒りと懇願とが入り混じった顔で老人に迫る。


「それが出来ないから困ってるんだ!だって俺はこれが特効薬ではないと知ってるんだ、そんな自分を説得なんて出来る分けないだろ!」


「そう言われましても、それはご自身で努力するしかありませんな」


「貴様ぁ!……あ!そうだ!俺がここまま死ねば、約束した報酬も払えないぞ!」


 すると老人は微笑を浮かべ中村がサインした書類を見せた。


「問題ありません。この特約には、あなたが仮に代金を支払わず亡くなった場合は、この契約以降に所有されたすべての資産を、私共に譲渡すると書いてありますので……では頑張ってくださいませ」


 そういうと、老人はドアを締め退出し、どこかへと姿を消してしまった。


 中村はバスルームの化粧室へと駆け込み、鏡に映る自分自身に訴えた。


「なあ俺!頼むから俺を信じろ!信じてくれ…」


 その後も、あらゆる方法で自分を説得してみたが無理だった。当たり前だ、自分が嘘つきだということを、中村自身が一番理解しているのだから。


 自暴自棄になり暴れ回ったせいでひび割れてしまった鏡には、あわれで滑稽な自身が映っていた。


「なんて無様な顔をしているだオマエは……」


 姿を床に落ちたデジタル式の置き時計を見ると23:59を表示していた。


「ああぁ、誰か俺をたすけてくれ……」


 ——翌日、自分で買った病気に殺された、哀れな医者の遺体が発見された。


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