幕間劇6 ニャンパイア

 猫又の里の西側。そこには死した猫又たちのための墓地がある。

 猫又に墓参の習慣はないので、ここには滅多に猫又も近寄らない。

 だが夏の深夜にはたまにこの墓地に無数のロウソクが灯ることがある。

 若い猫又たちによる肝試し・・猫又百物語の会である。


 怪談百話をまともに話していると朝になってしまうので、三つのグループに分かれてそれぞれが三十三話の怪談を語る。

 そして最後の一話を全員で聞く。

 百話目が終わり最後のロウソクが消されると、墓地を満たす妖気が引き金となって伝統の怪異が起き始める。

 幽霊を始めにして、妖怪や名もなき怪異、百鬼夜行がこの場所に呼び寄せられてくる。

 それからがこの集まりの肝である。

 すなわち猫又による幽霊妖魔の踊り食いである。

 古老級の猫又たちは術を使って、そうでない者たちは有り余る体力を使って獲物に直接食らいつくのである。

 夜が明けるころには膨らんだ腹を抱えた猫又たちが地面にごろごろと転がることになる。



 その夜の百物語の会に顔を出しているのはナオと小虎である。Mは百物語など馬鹿らしいと言って来なかった。

 マダラの師匠を始めとする最上位クラスの猫又に取っては百物語に釣られて来る程度の小物妖魔は食べるに値しないのだ。

 他に新参の猫又たちが二匹ほど参加している。うち一匹は青い目の洋猫である。イギリスのキャット・シー系統に属した妖怪で、猫又の里には日本文化を学ぶためのホームステイで訪れている。

 ナオたちのグループの話し手の猫又は怪談好きで有名な猫又のゴローだ。この手の話ばかり集めては若いネコに語るのを楽しみとしている変猫である。


「やがて夜になると・・」ゴローさんは話を続けた。

「何かが近づく気配がしました。そこで足音が聞こえてきます。ひた・・ひた・・」

 小虎は隣に座るナオの尻尾にしがみついている。無意識にその尻尾の先を齧っているが、ナオはナオで話に集中しているのでそれに気が付かない。

「暗闇の中に黒い影が踊ります。まるで炭の熾火のようにそこだけ鈍く赤く光る目、闇の中にしらりと光る白く伸びた牙。それらがゆらりゆらりと揺れながら近づいてきます」

 話しながらもゴロー猫は自分の体をゆっくりと揺らして見せる。

 ごくり。ナオの喉がたまらずに音を立てる。

 話は佳境に入った。

「湧き上がる恐怖に負けてその猫は灯りをつけます。すると光の中に浮かび上がったのは恐ろしい姿をした猫でした。口からはみ出した牙でその正体は分かりました。ニャンパイアだったのです」

 そこでゴロー猫はしゃあっと口を開き脅しかけた。

 びっくりしたナオと小虎が飛びあがる。

「・・以上がニャンパイアの顛末です。ご愛聴感謝いたします」

 ペコリとゴロー猫がお辞儀をするとその夜の怪談会は百話に達した。

 最後のロウソクが消される。儀式が完成し、怪異の時間が始まる。

 消えたロウソクを中心にたちまちに怪異が出現し始める。それに向かって一斉に猫又たちが飛びつく。この長い一夜はすべてこのご馳走のため。

 逃げ惑う幽霊たちが次々と捕まり、猫又たちの口の中に消えていく。

 出現した中でも大型の妖怪は猛者の猫又たちが相手をする。目が潰され、触手がもぎ取られ、肉が食いちぎられる。

 惨劇の宴が済んだ後に残りの猫又たちが怪談会の後始末をした。墓場を汚したままにすると里長の筆頭である睡羅に殴られるのだ。

 ナオと小虎は真っ先に逃げ出したのでご馳走にはありつけなかった。

 ロウソクの燃えさしに砂がかけられて埋められると、墓場は再び静かな闇に閉ざされた。



「ニャンパイアなどおらん!」

 ナオたちの話を聞いたマダラの師匠は怒鳴りつけた。

「つまらん嘘を鵜呑みにするものがおるか。この愚か者!」

 マダラの師匠は今日は何だか機嫌が悪い。

 手にしたキセルでマタタビの煙をすうっと吸い込むと、それを吐き出し空中に丸い輪を作り出す。小虎の目が輝き、その輪にじゃれつく。

「このワシは古今東西津々浦々、世界中のあらゆる妖魔を知っておる。そのワシですら、ニャンパイアなど聞いたことはない」

 きっぱりと断言した。

 へえ・・とナオは取り合えず頭を下げた。マダラの師匠がそう言うならばそうなのだろう。

 ここで頑固に言い争いをしてもナオには得はない。

 まだ遊びたそうにしている小虎を引きずってナオはマダラの師匠の家から退散した。


「ニャンパイアっていないの?」との小虎の問いにナオは返事に窮した。

 ナオは頭脳派の猫又ではない。

 今までに降り掛かってきたすべての問題はひたすらに腕力だけで解決してきた。

 ナオも本心では吸血猫ニャンパイアが存在するとは信じていない。

 だがもしかしたら存在するかもしれないとは思っている。


 眠れぬ夜の戸外の闇の中に。

 台所のカマドの下の暗がりの中に。

 月明りの下でざわめく木々が落す影の中に。

 妖しく蠢く吸血猫の姿が隠れているのかもしれない。

 そう想像するともうダメだ。

 いないはずのニャンパイアがすぐそこにいる。

 見えないはずのニャンパイアの牙が闇の中にちらりと光る。

 その晩からナオは夜中のトイレに一人で行けなくなった。



 お前はバカか?

 Mの兄貴には冷たい目で睨まれながらそう言われた。

 睡羅の兄貴は何も言わなかったが、マダラの師匠の直弟子なのでその考えはマダラの師匠と同じだとは思った。

 誰に聞いてもニャンパイアなんていないと言われた。

 肝心の猫又ゴローさんですら、微妙な笑いかたをしながら否定した。

 でもナオの心はちっとも楽にはならなかった。

 最近ではどこかの暗がりの中から自分を見ているような視線を感じるのだ。


 師匠や兄貴たちには遠く及ばぬにしろ、ナオも昔は涅瞋鬼の名の下に残虐の限りを奮って来た猫又だ。決して弱くはない。相手がヒグマ程度なら瞬殺できる自信がある。

 だがその正体が良くわからぬ吸血猫とくればまた別だ。

 考えれば考えるほど、ナオは何だか怖くなってきた。



 その夜は何かがおかしかった。

 猫又の里のあちらこちらに灯がついている。いつもは静かなもので猫又の皆は寝るのは早い。猫は夜ふかしする生き物と何となく信じられているが、実際には薄明かりの中で活動する生き物で、深夜はぐっすりと眠っているのが普通なのだ。

 何だかナオは寝る気にもならずにぶらりと猫又の里を夜の散歩に出かける。

 猫釣りの木がある広場に出かける。広場の中央にある大きな木は実に登りやすく、何かの拍子に猫又たちが次々と集まって木の枝々に座って居眠りしながら過ごすためについた名前だ。

 すでに数匹の猫又たちがその木の枝にだらしなく体を預けて眠っている。

 ナオもその枝の一本を選んで登る。

 ウトウトしてふと気づくと自分が赤い瞳に囲まれているのを知った。

 枝に成っている他の猫又のすべてが自分を見ているのだ。驚きにナオの心臓が飛び上がる。

 なに? 俺は何かまずいことをしたか?

 暴れる心臓を無理に宥めて彼らを見返すと、彼らの目は闇の中でどれも大きく赤く光っているのに気付いた。

 すべての猫又が一斉ににいっと猫の笑みを浮かべる。白くて長い牙が顕わになる。月明かりに落ちる木と猫の影がぐうっと伸びた。

 ナオは空中を飛んで逃げた。


 Mの家の扉を蹴り破る。

 家の中ではMが丸くなって寝ていて、その長くて白い毛に半ば全身を埋めるかのように小虎が寝ていた。絵夢はそのさらに奥の部屋で布団に包まれて寝ているはずだ。

「なんだ? ナオ。どうした?」

 Mの顔が上がる。小虎の寝ぼけた顔がその横に並ぶ。

「で・・出た!」

「出たって何が?」

「にゃ、にゃ、ニャンパイア」

 そこまでナオが言ったところで、Mと小虎の目が赤く光っているのに気が付いた。

「にゃんぱいあ?」

 そう聞き返したMの口の端から長い牙が覗く。


 ひゃああああああああああ!

 ナオは外に飛び出した。もう誰も信用できない。きっと猫又の里は知らない間に全員ニャンパイアにされてしまったのだ。

 だがたった一匹だけ、ニャンパイアにならない猫又がいる。

 猫又の里の長であるマダラの師匠だ。師匠は妖魔界でも最強の一匹だ。ニャンパイア如きが手を出せるわけがない。

 里のど真ん中を亜音速で駆け抜けて、師匠の家に着いた。

 流石に師匠の家の扉を蹴り破るのは躊躇われたので、ノックをしてからそっと開いた。

 マダラの師匠はまだ起きていて何かの書き物をしていた。ちゃぶ台の横に煙管盆が置かれ、その上にキセルが置かれている。

「どうした。ナオ?」

 書類の端を揃えてトントンとやりながら師匠が訊ねて来る。

「ニャンパイアです! 里の皆がニャンパイアになってやす!」

 ナオはようやくそれだけを言った。きっと師匠はニャンパイアなどいないと怒鳴るだろうと思いながら。それならそれでも良い。それだけでもナオは安心できる。

 今夜は師匠に頼み込んでここで寝かせてもらおう。

「ほう。ニャンパイアか」

 意外なことに師匠は拒否しない。

「で・・それはどんな姿をしているのかな?」

「へえ、はっきり見たわけじゃござんせんが、目は闇の中で赤く光り・・」

 その言葉に釣られるかのように師匠の周りの闇が濃さを増した。その闇の中で師匠の目が赤く光っているかのようにナオには見えた。

「牙がこうぐいっと伸びて」

 はて、師匠の牙はあんなに長かったっけ?

「それでこう背が高く伸びて」

 師匠の背がぐうっと伸びたようにナオには見えた。

 もう耐えられない。ナオの心は折れた。

「用事を思い出したので、あっしはこれで!」

 それ以上恐ろしいモノを見る前にナオは師匠の家を飛び出した。


 猫又の里の外れまで逃げてようやくナオは足を止めた。

 息が荒い。

 マダラの師匠までニャンパイアになってしまってはもうこの里には居られない。

 でもどこへ行けばよいと言うのか。

 ナオは途方に暮れた。行く宛なんか無いのだ。ナオはまた一人になってしまった。今頃小虎もまたニャンパイアになってしまっているだろう。

 絶望に包まれているナオの目の前の木立の暗がりの中から、静かに闇がにじみ出た。

 赤く輝く宝玉のような目に長く伸びた白い牙。漆黒の衣にその身を包み、足音もなくそいつは宙に滑り出た。

 ナオの全身の毛が逆立った。

 ニャンパイアだ。間違いない。ナオの後を追ってきたのだ。

 

 ここに来て初めてナオの本能が爆発した。極限まで来た恐怖が裏返る。

 涅瞋鬼の名を使っていたときの、荒々しく危険な本性が戻って来た。

 ナオの全身の筋肉が膨張した。たちまちにしてヒグマの大きさまで膨張する。

 黒猫又の涅瞋鬼。荒ぶる鬼神。暴虐の主。

 戦車ですら切り裂く魔物の爪がしゅらりと伸びる。

 ナオは跳躍した。数歩の距離を瞬時に詰め、必殺の爪でニャンパイアを薙ぎ払った。

 それに巻き込まれた木立が横一文字に切断され、大音響と共に数本まとめて横倒しになる。地響きと土煙が上がった。

 その瞬間、ナオの爪に引き裂かれたニャンパイアは黒い霧になると宙に溶けるかのように消え去った。

 長く伸びた爪を刀の如くにぶら下げて、ナオが周囲を睥睨する。少しでも動くものがあれば切り裂くつもりだ。

「我は・・」

 どこからともなく声が聞こえてきた。

「・・恐れる者の前にだけ現れるニャンパイア。ナオよ。いつの日か我はまた来るぞ」

 それっきり、里は静けさの中に埋まった。


 ナオは自分がこれから先、ずうっと何かを恐れ続けねばならないことを悟った。

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女始末人絵夢 のいげる @noigel

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