第5話
◇
久しく会った結衣は、少し老けていた。彼女も三十歳になる。とは言っても、三十歳なんてまだまだ若い部類だ。それにも関わらず、彼女は疲れ切った顔をしていた。
車に乗り込んだ私を見つめ、目尻に皺を寄せた彼女は「大人になったねぇ」と相変わらずの間延びした声音を出す。
「まぁ、あれから結構経つしね。元気にしてた?」
「……まぁまぁ」
彼女は何かいいたげだったが、それはきっとサービスエリアで話すつもりなのだろう。緩やかに動き出した車の振動に身を寄せ、窓の外を見つめる。
車の中は、今まで結衣の趣味じゃなかった男性ボーカルの曲が流れていて、居心地が悪かった。
久しく訪れたサービスエリアは、昔とほとんど変わらなかった。ここだけは、何十年経ってもこのままなのだろうなとぼんやり考えながら車を降りる。結衣の薄い背中に導かれるがまま、施設内に入った。
中もさほど変わりがない。変化があるとすれば、いつも使っていた机が新調されていることぐらいだろうか。
いつも通り、真っ直ぐにうどんとそばが売られている自動販売機へ向かう結衣。「私はうどん」。彼女に聞かれる前に、そう告げた。結衣がこちらをチラリと振り返り「へいへい」と肩を竦める。
「そういえば、この自動販売機、どんどん減ってるらしいよ」
「へぇ? なんで?」
「なんか、メンテナンスできる人が少ないから、だっけ?」
「曖昧な知識で喋らないでよ」
「ごめん、ごめん」。結衣が笑いながら出来上がったうどんを目の前に置く。懐かしい匂いに心臓が和らいだ。
「あ、そうだ。もう奢らなくてもいい年齢じゃん、葵ちゃん」
「ごちになります!」
催促される前に、顔の前で手を合わせた。「もう、しょうがないなぁ」と唇を尖らせながら、結衣が向かいに腰を下ろす。彼女はどうやらそばを買ったらしい。
「おいしい。変わらぬ味って感じ」
そばを啜りながら、しみじみと彼女は呟き。私はごほんと咳を一つして、結衣を見据えた。
「話って何?」
「離婚することになった」
間を置かず、彼女があっけらかんと言った。私は口をポカンと開けたまま、固まる。予想外の発言に、目を点にさせた。
「り、離婚?」
「そう、離婚。旦那、浮気してたんだ。それも、結婚して一年目から」
ずるずるとそばを啜る彼女は、平然としていた。けれど、やつれ具合から見るに、相当参っていたのだろう。
「離婚……」
私は思わずひとりごちる。おめでとうというべきか、残念だったねというべきか。分からず、狼狽えた。
結衣が大きなため息を漏らす。
「運命の人だと、思ってたんだけどなぁ」
「あーあ」と呟きながら、箸の手を止めた。やがて神妙な面持ちになり、目を伏せた。
「ねぇ、葵ちゃん」
彼女の言葉に、心臓が鳴る。孕んだ空気に身構えた。
「……私たち、付き合おっか?」
首を傾け、あっけらかんと言い放ち微笑む結衣に拍子抜けする。
「私、今さら気がついたんだ。一番、しっくりくるのは葵ちゃんなんだって」
その言葉に、頭蓋骨を殴られたような衝撃を受ける。口に含んでいたうどんを静かに飲み下し、言葉を漏らした。
「……無理だよ、ゆいちゃん。私、大学を卒業したら、今付き合ってる人と、同居する予定なんだ」
結衣が大袈裟なほど目を見開いた。
まさか、まだ彼女は私が恋煩いに苛まれる一途な少女だと思っているのだろうか? だとすれば、愚かである。私は彼女が未だに好きだが、それは過去の話だ。今ではすっぱり過去を切り捨て、すでに新しい恋に走っている。
大学で出会った、浜崎美久。派手な金髪、ハキハキとした口調。結衣とは真逆の女を、私は好きになった。
「……遅すぎるよ」
遅い、遅すぎる。全てにおいて、遅すぎる。私は額に手を当て、器に入った汁を見つめた。薄茶色のそれに、今にも泣きそうな私が映る。
────酷い女だ。
彼女と決別し、今度こそ別の人を愛せる道を選んだのに。彼女はそんな私の腕を引っ張り、引き留めた。
「どうして、今更」
震える声が、施設内に響く。結衣は止めていた箸の動きを再開させ、ごめんねと謝った。
二人の間に沈黙が流れる。
私の流した涙の意味を、この酷い女が理解してくれたらいいのに、と切に願った。
[百合]酷い女 中頭 @nkatm_nkgm
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