第8話 女子大生の鈴村瑠奈
「……じゃあ、来週の水曜日までにレポートをメールで提出するように」
プレゼン用のスライドショーを適当に読み上げながら、スクリーンに映してスクロールするだけの、無気力な男の声が言う。
――やっと今日講義が終わった。
地元の国立大学に通う女子学生、鈴村瑠奈(るな)は講義室の最も奥、それも隅っこの席を立った。
周りにはたくさんの学生が楽しそうに講義室を出ていくが、地味な黒髪にジーンズ姿の瑠奈はこういうとき、いつも一人だ。
思えば小学生時代からそうだった。
目立たない地味な顔立ちと、メリハリのない体系。生まれてから一度も告白などされたこともなければ、彼氏いない歴=年齢である。
しかし友人の数は重要では無い。
学生生活を人並みに謳歌できなくとも、瑠奈にだって人生に楽しみはある。
「っしゃぁ! 今日も一位キープ……!」
帰宅して早々に一人暮らしの部屋の中で、ノートPCを開き瑠奈はガッツポーズした。
成人向けアダルト小説投稿サイトにて、瑠奈の執筆した小説がトップの座に君臨していたのだ。
ペンネームは「ルアナ・ベルローズ」。サイト内に作品を投稿し始めて、だんだんと自分の作品がランキングを駆け上がっていく過程は、形容しがたい快感をもたらしてくれた。
高校生の頃から執筆を始めて、瑠奈の作品には一定数のファンもいた。
自分の作品ページを開き、一人で声高にはしゃぐ。
「うわーめっちゃ感想コメントもらってる……嬉しいな……! こういうの、全部返事しちゃうんだよなぁ……」
呟きながらにやけ顔を隠そうともせず、時間をかけて一人ずつのコメントに返信する。
<ルアナさんの小説でしか得られない栄養があるッ!>
<電車で声押さえシチュからのホテル直行、オホ声祭りの流れが最高です>
<……ふぅ……。今晩もお世話になりました……>
個性的な感想にキーボードで返事を打ち込んでいたが、やがてその手が止まる。
自分の生み出したものが誰かの心を動かしたのは本当に嬉しいことだが、時折こうやって、我に返ることがあるのだ。
「……きっとみんな、知らないんだろうなぁ。わたしが小説とアニメとAVで得た知識のみで書いてること……」
――そう! 瑠奈は処女なのだ! そしてもちろん、恋愛経験だってない!
読者の多くが、瑠奈の書いた官能小説について、臨場感や心理描写を褒めてくれる。
それを嬉しいと思う反面、これらはすべて瑠奈の経験したことのない、想像上のものであるという現実を突きつけられる。
つまりただの妄想だ。リアリティの欠片もないのだ。理想と妄想を書き連ねているに過ぎない。
まるで読者をだましているような気になって、瑠奈は頭を抱えた。
「ああ~処女で妄想力だけでこんなん書いてるって知られたら人生終わる~~! でも書かずにはいられないんだよなぁ~~……」
呻きながら感想コメントすべてに返信を終え、性懲りもなくテキストエディタを立ち上げる。
「だって……めっちゃ興味あるしエロネタ好きだもん……。これはもはや淫乱とかスケベとかじゃなくて、ただの趣味だもん……趣味で耳年増(みみどしま)なだけだもん……。大体、殺人ミステリ書いてる人がみんな殺人鬼なワケでもないしさ……」
言い訳のようにぼやきながらすこし執筆して、はっとしてキーボードを打つ手を止めた。
「あ、そう言えば教授に提出するレポートも仕上げなきゃなんだった……」
***
後日。金曜の講義が終わった後のことだった。
「ひええ~なんだろわたし何かやらかしたかなぁ~……。講義サボってカラオケ行って乱交したり、テニサーで別の意味でパコパコしたりなんて、何もしてないんだけどなぁ~……」
どうせ聴いてくれる友人もいない。独り言を呟きながら一人で渡り廊下をとぼとぼと進み、各教授たちの研究室が並ぶ東棟へと向かった。
東棟に辿り着いたところで、再びスマホをチェックする。学生用に作られたメールアドレスのアカウントを開き、昨夜届いたメールを確認した。
<学籍番号4545072 鈴村瑠奈さん。明日の講義が終わったら私の研究室まで来るように>
素っ気ない教授からのメールを確認し、一度立ち止まって頭を抱える。
「やっぱり迷惑メールじゃないし、アドレスも教授のであってる……。あーやだやだ。先生からのお説教なんて生まれて初めてだよぉ。エロいことより先にお説教の方を経験しちゃうなんて……」
言いながらも足は真っすぐに指定された研究室まで向かう。瑠奈は根が真面目なのだ。サボれるところをサボりたいだけで、真面目というスタンスは貫きたいのだ。
研究室の前に立ち、表札を確認してため息を一つ。意を決してドアをノックした。
「教授、鈴村です。メールをいただいて参りました……」
「ああ、鈴村さん。入りなさい」
ドア越しに聞こえる声は、いつもの講義のときと変わらず淡々としている。
失礼しまーす、と小声でおどおど扉を開けると、ガラステーブルを挟んで向こう側のソファに教授が座っていた。
教授は手に持ったタブレット端末に目を落としており、ちらりとこちらを見上げ、「掛けたまえ」と告げる。その視線の先は、教授の向かい側、こちらに背もたれを向けるソファだ。
瑠奈は高まる自分の心拍数を自覚しながら、高そうな黒い革張りのソファにちょんと腰を下ろした。
教授はじっとこちらを見て、何も言わない。
たった数秒の無言が死ぬほど気まずくなり、瑠奈はおどおどと先に口を開いた。
「あの……えっと……私何かしましたか……?」
「ふむ。その様子だと、まだ気づいてないか……」
「へ?」
「先日君からメールで受け取った“レポート”の件だ。――これだよ」
言って、教授が瑠奈の方に向けてタブレットをテーブルの上に置いた。
その液晶に移る文面を見て、
「――ヒュェッ――――」
瑠奈は声にならない悲鳴を上げた。
――レポートではない。小説だ。まぎれもなく、自分が執筆した成人向け官能小説が表示されている。
明らかに誤送信だ。顔面蒼白で冷や汗をだらだら流しながら、瑠奈はもたつく口を動かし弁明する。
「あの……ええと……すみません先生。どうやら添付ファイルを間違えたようです……。あの……レポート自体は本当に作成してあって、そちらの方を提出したつもりだったんです……。小学生にありがちな“やったけど忘れました”的な言い訳じゃなくて本当なんです……
。あのあのあのその、何なら今すぐにレポートの方を提出しなおしますので……」
「レポートもまあ、大事だが」
さっそくレポートを再提出しようとして鞄からノートPCを取り出す瑠奈に、教授が手を掲げて制止をかける。
真っ青な瑠奈の顔に反し、教授は爽やかに笑った。
「こちらも、見事だった」
本当に、実に爽やかな笑顔だった。声も晴れやかだった。
「……へ?」
「いやなに、君にこんな文才があったなんて知らなかったものだから。つい夢中になって読み込んでしまったよ。描写力はプロ並み、そして何より、読んでいる者の心を動かす力がある」
「え……あの……」
「まあ、有り体に言えばだ…………」
教授は拳を顎に当て、少し頬を赤らめて言った。
「それを、使わせて、貰うことになった……」
「教授がわたしの小説をお使いになった!?」瑠奈は動揺した。「使うってまさか」
「ああ。昔からロングスカートのエロ下着シチュに弱くてね……」
「思わぬ所で教授の性癖を知る羽目になってしまった……!」
先ほどとはまた別の気まずさに、瑠奈は背中に嫌な汗をかいた。
まだ頬を赤らめたまま、教授は身を乗り出して瑠奈に優しく問いかけてくる。
「そこでだ。私は普段、研究成果を書籍として出版していて、君たち学生の教材としても扱っているね?」
「は、はい……」
「つまり私は出版社に、親しい知人がいるのだよ」
自分が今何を、言われているのか――。
いまいち理解できずぽかんとする瑠奈に、教授はまるで親か師匠のような慈しみの目を細めた。
「君さえ良ければ、だが。――どうだ、君の作品を出版社に見てもらうことに――有り体に言えば、書籍化なんかに興味はないかね?」
不遇な聖女は追放&政略結婚を回避すべく、禁術で前世を思い出す~エロ知識で悪魔祓いしたら“奇跡の大聖女”になりました~ 才羽しや @shiya_03
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