第7話 三千世界と禁書の外法
一度聖銃をロザリオに戻し、ルアナがあいたその手をかざすと、ほわりと小さな光が本の上で踊った。怪我人に巻かれる包帯のように厳重だった封が、簡単に剥がれてぼろぼろと朽ち落ちていった。
棚の向こう側で、こちらに向かってロトレの暴れる音が激しくなっていく。
「……ヤグラ、とても勇気がいったでしょう。これを持ち出すのに」
本を手にし、ルアナは眼前で跪くメイドの頭をそっと撫でた。ぴくりと反応し、叱責を待っていたかのように怯えたヤグラの顔が持ち上がる。
怒るわけがない。ルアナはつとめて優しく笑った。
「わたしもこんな理不尽には納得できていません。この十六年の努力をあざ笑われ、不本意な婚約まで押し付けられるなど、到底呑み込めません。だからわざわざ学園まで戻って来たのです。───それにヤグラ? わたしは先生方に無断で、こんな場所に忍び込んでしまう不良生徒です。どうせなら、禁書でも外法でも、頼れるものにはなんでも頼って、不良聖女として奇跡の1つでも起こしてみせましょう」
ヤグラが禁書と呼んだその書物の表紙に手をかけると、まるで風でも吹いたように、ページが独りでにはためいて、あるページが開かれた。
少なくともルアナの意思で開いたページではなかった。
「これは魔法陣……? なんて書いてあるんでしょう」
ヤグラが一緒に覗き込んで言う。
「古代文字ですね。それも筆跡がかなり薄れているから読みづらいですが…………」
薄くなった筆跡と魔法陣を指先でなぞりながら、ルアナは必死に目を凝らして内容を読み解く。
「……本来であればこの世に持ち込むべきでない、異なる場所から異次元の力を引き出す神聖魔法のようです。……この禁書、わたしが手に取ったとき勝手にこのページが開かれました。おそらくこの魔法を使えとの、女神のお導きでしょう」
そう言うなり、ルアナはヤグラに本を開かせて押し付けるように持たせると、ブーツから銀の短剣を取り出した。いきなり出てきた刃物にヤグラが目を剥く。
「普段の授業で使っている、他の生徒さん方と同じ聖具です。さすがに聖銃は教材に向きませんからね……」
浴びせられた視線に苦笑しながら答えて、次の瞬間、ルアナは利き手のひらを思い切り短剣で切りつけた。一直線に赤い筋が浮かび、血がにじむ。
「ルアナ様っ!?」
「そのページをわたしに見えるように持っていて、ヤグラ。この類の魔法陣は、おそらく術者の血で描くのが最も効果的でしょうから……」
ヤグラが持つ禁書を見ながら、正確に模してルアナは床に魔法陣を描いた。腰をかがめて血の陣を描く主人を見守りつつ、本棚の向こうのロトレに目を向けてヤグラが焦る。
「ルアナ様急いで、ロトレ様がっ――」
「そうせかさないで。魔法陣は慎重かつ正確に描かなければならないの……」
言いながらも、正確に、そして素早く初見の魔方陣を描くことができたのは、ルアナがこれまで真剣に勉学に取り組んできた証だ。
角度に大きさ、間隔、太さ、そして陣の周りを囲むように記す古代文字のスペル……すべてにおいて、ルアナは正確に描いていく。美しい所作だとヤグラは見惚れるほどだった。
やがて薄暗い地下実験場の床には、血で描かれた禍々しい魔法陣が生まれた。神聖学に精通していないヤグラでも、肩がすくむほどの恐ろしさを感じさせるものがあった。
ルアナは再び聖銃を取り出し、中に装填していた一発の弾丸を取り出し、血まみれの手で握りしめた。
まるで自分の血を塗り込めるように胸の前で握りしめながら、ルアナは魔法陣を挟んでヤグラの正面に立つ。
開かれた禁書のページを見て、古代文字で記された詠唱を暗記し、すっと目を閉じ毅然と声を張り上げた。
「――神よ、純潔たる女神ドリオルよ……!」
握りしめた手の中から、赤い光が漏れ出す。普段浄化に使っている銀の弾丸からは見たこともない、赤く深い光だ。
「我が真なる信心を解き放たん。大いなる慈母の導きにより、魔弾を邪法に沈め浸して、幾星霜(いくせいそう)の世界を穿(うが)たん。我が名はルアナ・ベルローズ。あなたの愛する聖都を守りし四つの聖堂の北の主(あるじ)。人の子らに牙剥く毒から、聖なる毒を皿に盛り、悪しき水面に雷(いかづち)を放つ者―――――」
その様子に、ヤグラは心から戦慄した。今まさに禁術を使おうとするルアナが、恐ろしく、そして美しく目に映った。
ルアナの手の中から漏れる赤い光が量を増し、燭台よりもまばゆくその場を照らす。やがて開かれた手のひらの上から、おぞましい赤色に満たされた弾を装填し、ルアナの若草色の瞳が開かれる。
その緑の中に、赤い一点の光が見えた。
「魔焔(まえん)を煽れ! 邪氷(じゃひょう)を割れ! 三千世界の鴉の歌を、雷光に乗せて轟かせん――――――!」
詠唱を叫び終え、ルアナは魔法陣の中心に向けて弾丸を放った。
銃声は聞こえなかった。不思議なことに一瞬、すべての音が消えて静かになったとヤグラは思った。
そして次の瞬間――弾丸を受けて赤く光る魔法陣の中心から、ルアナの胸を目掛けて真っすぐに魔弾が放たれた。
「――ルアナ様ッ!!」
主人の胸を一直線に貫く赤い光を目にし、ヤグラが悲痛に似た叫び声を上げる。
――ああ、それ、ほぼ地声じゃないですか……ヤグラ……。
胸を貫かれ、後ろへ倒れるのを自覚するが、ルアナはそのとき不思議と痛みは感じなかった。むしろ安らかな眠りに落ちるような感覚すらあった。
確かに自分を貫いたはずの弾は、背中側から貫通することはなく、ルアナの胸の内で溶けるように消えてしまった。
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