第6話 親友、悪魔、禁書

 ルアナが叫ぶ。


「ヤグラ下がって!」

「ひっ───」


 とっさに出した聖銃で、ロトレが振りかざす腕を抑え込んだ。少女の力とは思えないほど強く銃身を握られ、うまく照準を構えられない。


 その、銃身を握る指先――とがった爪はまぎれもなく人のものではない。

 ロトレが口を開いた。明らかに彼女のチャームポイントの八重歯ではなく、尖って伸びた牙がそこにはあった。


 ――ロトレは悪魔に憑かれたのだ。


「ロトレ……ロトレ落ち着いて。あなたはわたしの大事な……」


 震え声で言いながら、先刻、学校帰りに浄化した男の妻のことを思い出した。

 愛する夫が悪魔憑きになり、まだ正気に戻れると信じたがった哀れな女性の姿を。

 彼が正気を失ってもまだ夫を庇い、撃ち殺されることを拒んだ彼女の姿を……。


 ……今なら、痛いほどにあの女性の心が理解できた。


「わたしの……大事な友人、ではないですか……っ!」


 視界が涙で滲む。

 一度悪魔憑きになった人間は、胸を撃ち抜いて浄化――殺さなければ元には戻らない。

 これまでに何度も、何人もの胸を撃ち貫いてきたルアナだからこそ、誰より理解しているはずだった。


 それでも相手が親しい友人であるというだけで、訓練を積んだはずの銃を扱う腕が振るえた。


 思い出してしまうのだ。ロトレと初めて会った、去年の入学式の日のことを。




『へえ、あんたルアナっての。まあ同じ部屋で生活するわけだし、仲良くやろーぜ』

『無理に慣れあわなくとも大丈夫ですよ。あなたも不運でしたね、くじ引きとはいえ、わたしと同室など……』

『なんであんたと一緒だと不運なのさ?』

『……? だってわたしはルアナ・ベルローズ。クリトヴァーナ大聖堂の……』

『知ってんよ、次期大聖女様だろ? だからって何も不運なこたないだろ』

『無理にお世辞を言わなくたって結構です。だって皆さん、入学式ではすでにわたしの顔を見て……』

『悪魔憑きが減らないのは、次期大聖女が至らない落ちこぼれだっていう噂か? こりゃ驚いた。まさか当人までそんなつまんねえ噂信じてたなんて』

『噂も何も、本当のことではないですか! だってわたしさえ大聖女としてのお役目をしっかり果たせていたなら……』

『そのために学園で一緒に学ぶんだろ? 確かに科は違うけど、共通科目では一緒にあんたと学べるんだ。こんなに責任感の強い大聖女候補と同室なんて、むしろアタシラッキーじゃん?』




 入学早々にルアナと同室であることを言い渡され、周囲の生徒にからかわれるのを意にも返さず、笑ってくれたロトレ・ビブラートを――。


 ……ただ、今のルアナの目の前にいるのは、生気を欠いた瞳を向け、こちらに牙を剥く“ロトレだった生き物”しかいない。


「××△~#×△×~×! ×××△!!」

「っ――」


 とうとう人の言葉を忘れた“悪魔憑き”が、銃身を握っていたのとは逆の手で爪を振りかざしてくる。避けなければ、と思うが間に合わなかった。

 僅かに身体をそらしたおかげで致命傷は免れたが、頬を掠められる。


「ルアナ様ッ!」


 悲鳴交じりの声を上げたヤグラが飛び込んできて、ルアナの襟首を掴んだと思うと、力強く引っ張られた。

 半ば投げ飛ばされる形でロトレから引きはがされ、ルアナは尻もちをついた。

 眼前ではメイド服のスカートの下から、確かに少年の筋肉質な脚が見える。それが見事な回し蹴りで、手近にあった棚を強く打ち付け倒した。決して軽くも小さくもなかったような、簡単に蹴り倒せるような棚ではないはずだ。


 ――そういえばヤグラがルアナの側近メイドとして選ばれた理由の一つが、東の国ならではの体術に秀でていたからだったか――――。


 ロトレとの間に大きな棚で壁を作り、ヤグラが駆け寄ってくる。


「ルアナ様、お怪我を───」


 悪魔憑きに傷つけられたら、素早い処置を施さないと怪我人まで悪魔の呪いにかかり、悪魔憑きになってしまう。

 スカートのポケットから小瓶を取り出し、手際よく銀の粉をルアナの頬の傷に塗りこめると、ヤグラは簡単な祝詞を唱えた。


「大いなる慈母ドリオルよ、我が主人に癒しをお与えください。あなたの忠臣、聖なる巫女の傷を慈愛で埋め尽くさん――」


 見る見る間に頬の傷は消え、痛みも薄れていく。ルアナはその手際の良さに驚いて、思わず目を丸くしてヤグラを見た。


「……ありがとう、ヤグラ。しかしあなた、いつの間にこんな治癒魔法を」

「十年以上もあのクリトヴァーナ大聖堂に務めているんです。お優しいご主人様方のおかげで、書庫は身分関係なく使用人だって立ち入れるんですから、これくらいはボク以外の使用人もみんな使えますよ。――それより……」


 本棚の向こうで、ロトレが暴れる声と音がする。悪魔憑きになってしまった彼女を案じるヤグラの前で、ルアナはロザリオを握り立ち上がった。


「ヤグラ、ここまで着いてきてくれたことに感謝します。そして真実を教えてくれたことも」

「ルアナ様、まさかロトレ様を……」

「大丈夫。───たとえ親友であろうとも、悪魔憑きになってしまったらどうしようもありません。せめて……」


 震える手で女神に祈りを捧げ、ルアナのロザリオは白銀の聖銃へと姿を変えた。


「せめて、私の手で浄化して差し上げたいの……」


 まだかすかに指先が震えるが、先ほどの比ではない。

 悪魔憑きは浄化する。――それが、聖堂を守る者に与えられた使命だ。


 涙で滲む視界の中、倒れた棚越しにロトレへと照準を定めていると、いきなり銃口がガクンと下へ落ちた。

 何が起きたか分からず、視線を落とした先で――ヤグラが意を決したような顔をして、銃身を掴んでいたのだ。

 こめかみに汗を滲ませ、真っすぐにこちらを見上げて彼は打ち明けた。


「───ルアナ様、ボクは使用人として、主人であるあなたに謝らなければなりません」


 ルアナもロトレから視線を外し、真っすぐにヤグラを見つめ返す。ルアナの従者の瞳には、強い意志が感じられたのだ。

 ヤグラはルアナのトランクとは別に持参していた革のポシェットから、一冊の古びた書物を取り出してきて、震える手でそれを差し出してきた。


「これは……クリトヴァーナ大聖堂の書庫の奥───隠し扉の奥から見つけ出した禁書です。神聖魔法の棚にありましたから、きっと中には強大な魔法について記されているに違いありません。厳重な封が施されていましたが、長い時を経たのでしょう。経年劣化で剥がれかかっています。もちろんボクの力ではどうしようもありませんが……きっと、あなたなら……」


 片手で聖銃を握ったまま、もう片方の手でルアナは書物を受け取った。ずしりと重たく、分厚い魔導書だった。

 聖堂に生まれ育った身でありながら、見たこともない、古びた、それでいておぞましい瘴気(しょうき)を覚える物だった。


「ボク、ルアナ様しかクリトヴァーナの大聖女にはなれないと思ってます。それなのに、あんな理不尽な動機で、まるで追放するみたいな政略結婚でクリトヴァーナ大聖堂からあなたを失うなんて間違ってるッ! 少なくともあなたに仕えてきたボクには納得がいきません! だから、例え禁書で外法に頼ろうとも、奇跡を起こす手立てがここに記されているのならと思って……っ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る