第7話「300年」
「すぐにこの場を発つ。貴様は里で当面の旅の食料と必要な荷物をまとめてこい」
一刀斎にそう命じられたリイニャはすぐに里の家に帰ると食糧庫に忍び込み、数日分の食べ物と飲み水を麻袋に入れて担ぎ上げた。
食料の他に持っていくものがあるかとしばし考えたが、特に旅に持っていこうと思えるほど、思い入れのあるものは持っていなかった。
「なにしてるんだい!?」
物音を立てないように細心の注意を払っていたリイニャだったが、食料を持って家を出たところで、目ざとく継母のフィフィに見つかってしまった。
「旅に出る。もう、里には戻らない」
「そんなこと…そんな勝手なことは許さないよ!」
フィフィは目を吊り上げて、リイニャの進路をふさぐようにして立ちはだかった。
「あの変な人間の男と接して、おかしくなっちまったんだね!」
「違う。元々私はこの里から出ていくつもりだった。それが少し早まっただけ」
「これまで育ててやった恩を忘れたのかい!? この恩知らずが! あんたはこの里で、家族と里のために一生を尽くすんだよ!」
「嫌だ! 私は自由な世界で生きていく!」
リイニャが毅然と拒否すると、フィフィは怒りに顔を赤く染めながら、ぴくぴくと顔を歪めた。
「言葉でわかんないなら、体に教え込むしかないね! 風精霊よ、彼のものを打ち据えろ! 『風鞭』!」
フィフィは魔法を詠唱し、容赦なくリイニャに向かって『風鞭』を振るってきた。
それは父のサリエリに折檻された時の魔法だった。
すかさずリイニャは腰に下げていた一刀斎の木刀を抜くと、音を頼りに『風鞭』の軌道をとらえ、木刀でその攻撃を防いで見せた。
「んなっ!?」
まさかリイニャに防がれると思っていなかったのか、目を剥いたフィフィは、憎々し気に舌打ちをすると、それからムキになって『風鞭』を何度も繰り出していった。
だがリイニャには当たらない。
二度、三度と木刀で受けた頃には、フィフィの『風鞭』を完全に見切り、リイニャは体捌きでかわすことができていた。
「そんな…馬鹿な! グズで無能のあんたが! なんであたしの魔法を避けられるってのさ!?」
「修行した! 努力した! この里を、この家を出ていくために!」
『風鞭』をかいくぐりながら、木刀の間合いまで踏み込んだリイニャは、がら空きのフィフィの腹に木刀を思い切り打ち込んだ。
「うげぇお!?」
フィフィは腹を抑えてその場でうずくまり、背中を丸めてその場で胃袋の中身を全部吐いた。
そんなフィフィを見下ろしながら、リイニャは今まで受けた辛い仕打ちを思い出した。
毎日、奉公人のようにこき使われ、なじられ、実の子供である双子の弟たちとは差別されてきた。
浴びせられた暴言の数々が鮮明によみがえり、リイニャはうずくまったフィフィの頭に木刀を振り下ろしたくなる暗い衝動を覚え、柄を指が白くなるほど強く握りしめた。
零れ出た殺気を感じたのか、フィフィは顔を上げると「ひぃ!」と悲鳴をあげて、恐怖に顔を青くしながら四つん這いでリイニャから逃げ出した。
「………侍は弱者相手に刀を振るわないっ!」
一刀斎の教えを、己に言い聞かせるようにして口にしたリイニャは、大きく息と共に怒りを吐き出してからどうにか木刀を腰に差し戻した。
「恨みも憎しみもあるけど、全部ここに置いていく。さよなら」
なおも恐怖で震えるフィフィに背中を向けながらそう告げると、リイニャは振り返ることもなく里を去っていった。
*****
「己が天下無双か否か。異界の強者たちと立ち合い、天に問おうと思う」
武者修行の旅に出た一刀斎は、強者を求めてまずは人族の国々を廻った。
訪れる街々で強者といわれる剣士や騎士、冒険者、傭兵、武道家、魔法使い等に片っ端から戦いを挑み、そのことごとくを倒していった。
更には、王国の近衛騎士団長や王宮筆頭魔法使いといった、爵位を持つ高位貴族や軍を率いる将軍職の人間たちをも闇討ちのような形で決闘を仕掛けて斬り伏せていった。
「ソードオーガキング」「災厄の剣士」「狂剣鬼」「将軍殺し」「傾国の剣」などなど、ついた忌み名は数知れず。
その悪名は人族のあまねく国々に轟くこととなった。
中には巨額の金で雇い入れようとする国や、貴族として取り立てようとする国もあったが、一刀斎は一切興味を示さず、武者修行の旅を辞めることはなかった。
二十年ほどかけて目ぼしい人族の強者たちを粗方倒して回った一刀斎は、今度はエコーテの森を抜け、更に北上して魔族領に乗り込み、同じように魔族の強者をことごとく斬り伏せ、血路を悠々と歩み進んだ。
リイニャと一刀斎、
二人の出会いから三十年が過ぎた。
一刀斎は年老いた一方、エルフであるリイニャは目つきこそ変われども、容姿は一刀斎と出会った頃のままであった。
一刀斎は歳を取るにつれやせ衰え、咳き込むことが増えた。
そして数か月前にとうとう血を吐いた。
肺の病であった。
「師匠、兎が獲れましたよ。調子はどうです?」
魔族領のとある山中に建てた山小屋で、一刀斎は床に臥せっていた。
野兎を狩ったリイニャが戻ると、一刀斎の苦しそうな寝息がヒューヒューと漏れていた。
リイニャは一刀斎を起こさないように外に出て兎を捌き、兎鍋をこしらえてから一刀斎を起こして、匙を口元に運んで食べさせた。
もう、師匠はそう長くないのだろうな。
かつては丸太のような太い腕を持ち、オーガのごときたくましさであった師匠も、今ではすっかり萎んで腕なども枯れ枝のように変わってしまった。
人族の老いは早い。
わかってはいたつもりだが、この師匠が衰える姿など、かつては想像することもできなかった。
その夜は、満月だった。
一刀斎は突然目を覚ますと、愛刀を杖替わりにして立ち上がり、隣で寝ていたリイニャを蹴飛ばしてたたき起こした。
「最後の指導を行う。付いて参れ」
寝ぼけ眼で起き上がったリイニャの前で、一刀斎は刀を抜き、刀を振って見せた。
無作為に刀を振り回しているのではない。
想像上の相手に決闘を挑んでいることが、修練を積んだリイニャにはまざまざと見て取ることができた。
それは今まで一刀斎が戦ってきた誰よりも恐ろしい遣い手であり、一刀斎も老齢になって未だ研ぎ澄まされた技の冴えを見せた。
リイニャはその一刀斎の動き一つ一つを目に焼き付けるように、全神経を集中して眺め続けた。
それは刻にしたらわずかな間であっただろう。
しかし、剣の極致に至った一刀斎の残り僅かな命を燃やすようにして振るわれた刀の一筋一筋が、弟子であるリイニャに遺すために振るわれたものだと理解していた。
唐突に決着はついた。
一刀斎が今までリイニャにも見せたことのない秘剣を放ち、想像の敵の首を刎ねた。
一刀斎はうっすらと汗をかいていたが、リイニャは集中の余り滝のような汗を流していた。
「今の某の剣を超えるよう修練に励め」
「はい」
「貴様には剣の才はない」
「はい」
「才だけでいえば、かつての弟子たちの方が貴様を遥かに凌ぐだろう」
「はい」
その言葉は弟子入りしてからの三十年、嫌というほどに聞かされてきた言葉だった。
だからこそ「人の倍は修練を積め」と、口酸っぱく言われ続けた。
またいつもの小言が続くのだろうと思っていたリイニャだったが、一刀斎は狂暴な笑みを浮かべていた。
「だが貴様には人以上の寿命がある。たとえ歩みは遅くとも、歩み続ければ某が辿り着けなかった剣の頂きにも必ずたどり着くことができるだろう」
「…っ!」
「故に、某を超える剣を身につけるその日まで死ぬな。もし死ねば、あの世で某が貴様を殺す」
「っはい!」
一刀斎の思わぬ激励に、リイニャは耐えられずにうつむいて涙を落とした。
次の瞬間、リイニャは後頭部に衝撃が走るのを感じた。
「まだまだ隙だらけの未熟者。立派な侍になれよ」
そう告げる一刀斎の言葉を最後に、リイニャの意識は暗転した。
次に目を覚ました時にはすでに日は昇っており、あたりに一刀斎の姿はなかった。
一刀斎の打刀のみが、リイニャの傍に置いてあった。
慌てて山を下りたリイニャは、一刀斎の死の報に触れた。
曰く、魔族の城塞都市に単独で正面から襲撃をかけ、数十という兵士を斬り倒したのちに、魔族の将軍に討ち取られたと。
「老い先短いことを知り、戦いの中に死に場所を求めたか。脇差のみで大立ち回りとは、師匠らしい最期だ」
愛刀を抱きかかえながら一人呟いたリイニャだったが、居ても立ってもいられず、一刀斎が討たれたという魔族の城塞都市を訪ねた。
すると、城塞都市ではお祭り騒ぎとなっていた。
十年以上に渡って魔族の将軍たちを何人も殺して回った仇敵をとうとう討ち取ったと、魔族たちは狂喜乱舞して都市をあげた祝宴を開いていた。
フードを深くかぶったリイニャは、そんな狂騒を横目に城塞都市の中央広場までたどり着くと、そこには首だけになった一刀斎が見世物のように晒されていた。
それを見た瞬間、リイニャの血が沸騰した。
気づけば血の海の中、刀を手に師の首を抱きかかえ、一人立ち尽くしていた。
何人斬ったかすらも、覚えていなかった。
「曲者はあそこだ! 取り囲め!」
駆けつけてきた増援の兵士たちの声を聞き、我に返ったリイニャは無我夢中で逃げ出した。
狂ったように刀を振るい続け、足の筋肉が悲鳴をあげて、肺からは血の味がにじんでも尚も走り続けた。
そのまま山中へと逃げ込み、ようやく追っ手を撒くことができたリイニャはその場でへたり込み、師の首を見つめた。
「まったく。満足そうな死に顔ですね、師匠」
一刀斎の首はかすかに微笑みをたたえていた。
「師匠は…私にとって剣の師であるとともに、父親のようにも思っていたんですよ? 最期くらい私に看取らせてくれてもよかったじゃないですか。本当に剣術馬鹿なんだから」
照れくさくて本人には言えなかったことを初めて口にしたリイニャは、自分でも気づかないうちに大粒の涙をこぼしていた。
*****
師である一刀斎の愛刀を継いだリイニャは、エコーテ大森林へと戻った。
生まれ育った氏族の里には戻らず、一人誰にも邪魔されない森の奥深くで、ひたすらに鍛錬を続けた。
最後に一刀斎が見せた刀の軌跡をなぞるように、一日中刀を振り続けた。
十年が経った頃、どれだけ近づけたのかを知るために記憶の中にある一刀斎と初めて対峙をするようになった。
全く歯が立たず、傷一つ付けることも叶わなかった。
五十年が経った頃、初めて一刀斎に一太刀を入れることができた。しかし、勝負には負け続けた。
百年経った頃、一刀斎に初めて勝つことができた。しかし、それは万に一つ度程度の勝率であった。
百五十年が経った頃、一刀斎との勝敗は五分にまで持ってくることができた。しかし、それは死に際の老人となった一刀斎相手にであった。
「出会った頃の師匠の剣はもっと重く、鋭く、しなやかだった」
全盛期の一刀斎に勝てるようにならなければ、師匠を超えたとは言えない。
リイニャはそう考えて更に修練を続けた。
――そして気づけば一人で森奥にこもり、鍛錬を始めてから、三百年の歳月が流れていた。
その日は珍しく、リイニャはドワーフ族がエコーテの森の中に築いた鉱山都市を訪ねていた。
「すまんな、リイニャさん。アンタくらいしか、頼めるものがおらなんだ」
「バゴラ殿には日頃より刀研ぎで世話になっている。それに…己がどれだけ強くなったか、腕試しには丁度良い相手だろう」
鉱山都市まで道案内を務めたドワーフのバゴラと正門の入り口にて別れたリイニャは、そこから先一人で歩き始めた。
この間まではドワーフ族や、ドワーフ製の武具を買い求めに来た多種多様な種族によって賑やかさを誇る鉱山都市だったが、今は人っ子一人見当たらず、ところどころ建物は崩れ廃墟のような景観が続いた。
鉄炎龍ガラシャクリカ。
齢千年を超える古龍が突如として鉱山都市に舞い降りたのは十日前のことだった。
戦いを挑んだドワーフの戦士たちをことごとく焼き殺した後、都市に居着いてしまった。
鉱石を主食とする鉄炎龍は鋼鉄の鱗を持ち、鉄をも溶かす火炎を吐く。
エコーテ大森林に潜む『十大災厄』の内の一匹であった。
鉄炎龍は、鉱山都市の象徴でもあった大鐘楼の上で、堂々と身体を休ませていた。
リイニャが屋根に上って近づいていくと、わずかに薄目を開けて口を開いた。
「まだ吾に挑む者がいたか」
「戦わずに去ってくださるなら、そうお願いしたい」
「エルフか? 珍妙な恰好と剣だな」
一刀斎を真似て、黒に染めた着流しを羽織ったリイニャを見て、鉄炎龍はせせら笑うかのように牙を見せた。
「私はエルフのリイニャ。侍だ」
そうリイニャが名乗ると、ようやく鉄炎龍はゆっくりと起き上がった。
その巨体を見え上げながら、久々に浴びる圧倒的強者の威圧に、リイニャは背中がゾクゾクと粟立つのを感じた。
「去ね」
鉄炎龍はそうとだけ言うと、口から火炎を吐き出した。
人など骨すら残らない灼熱のブレスであった。
「参る」
その火炎に対して、リイニャは刀を居合切りに振るった。
音を置き去りにする超高速の居合は、火炎ごと空間を斬り裂いた。
瞬間、火炎は四方に弾け、爆散する。
それまで虫けら程度にしか興味を示さなかった鉄炎龍は、初めて目を見開いた。
小さいながら、尋常ではない速度で迫ってくるリイニャに、鉄炎龍は爪を振るった。
城壁をも一撃で吹き飛ばす威力を秘めた一振りであったが、リイニャは迫ってきた爪に対しクルンと身体ごと刀を一回転させて中指を斬り飛ばしてみせた。
鉄炎龍は数百年ぶりに味わった鮮烈な激痛に、ようやく完全に目を覚ました。
目の前のエルフは、己の命をも獲りうる強者であると認め、久しく錆びついていた血を滾らせた。
「善い! 善いぞ、娘! もっと吾の血を燃やしてくれ!」
一本一本が大剣のごとく鋭さを持つ牙をむき出しにして、狂暴な笑みを見せる鉄炎龍に、リイニャもまた笑みで返した。
「ああ。存分に殺し合おう」
そしてリイニャと鉄炎龍の戦いは三日三晩続いた。
戦いの余波で鉱山都市の半分が崩壊し、鉱山の一部は鉄炎龍のブレスで吹き飛んだ。
都市の外で震えながらその戦いの終わりを待っていたドワーフのバゴラは、戦いの音が止んだことに気づき、恐る恐る都市の正門まで向かうと、ちょうどリイニャが門から出てくるところだった。
「リイニャさん!」
「…バゴラ殿。刀が駄目になってしまった。また研いでおいてもらえるか」
疲労が極まり虚ろな目をしたリイニャは、そう言ってバゴラに鞘に納めた刀を渡し、そのままフラフラと森の中へと消えていった。
バゴラが慌てて門をくぐり、鉱山都市の中央広場まで駆けていくと、そこには片翼と右足を失い、首を両断された鉄炎龍が目を見開いたまま血だまりに横たわっていた。
侍エルフ~300年、剣を振り続け天下無双の剣豪となる~ なつも @fukunats
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